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「桜彼女」  作者: でふ
第五羽
5/7

揺れる世界で、心を澄ます

 カリカリとシャーペンを走らす。最後の問いまで解いたところで教室に掲げられた時計を見ると、試験終了時間まで後5分あった。僕はホッとひと息をついて問題用紙の最初のページまで捲った。残りの5分間を検算に使う。今まで解いた数式の記述を見返しているうちに段々と意識が数式の世界から現実の世界に戻ってきていることを感じる。耳にはそれまで聞こえてこなかった他の受験者の吐息や教室の外のざわめきが聞こえてくる。僕は最後の見直しに余念がなかった。

 チャイムと同時に「やめ!」の合図が教室に響いた。僕ら北高生は今まさに学期末試験日程を終えたのだ。一年二組のクラスメイトたちは回答用紙を回収しつつそれぞれ伸びをした。やっと解放された。これが本心である。

「放課後、職員室に来るように」

 学期末試験が終わった三月初旬のある日、僕は試験官伝てにそう言われた。

「なんかやらかしたん?」

 中谷はそう言いつつ教室でペン回しをしている。

「さあ、なんだろね」

 僕は肩をすくめた。短澤も中谷と目配せをしている。他のクラスメイトたちも「まあ、早く行ってこいよ」と僕を促した。

 不思議と嫌な気持ちにはならなかった。僕は試験の不正行為もしていないし、そこまで問題行動を起こしているわけではないという自覚があったからだ。だからこそ、僕には不確かな疑問が沸いた。一体何が原因で呼ばれたのだろう、という疑問である。

「んじゃ、また後で」

 そう言って僕は教室を後にした。


 職員室の扉を開けると遠くから時流先生が僕を呼んでいるのがわかった。回答用紙の山で埋め尽くされた職員机をいそいそと潜り抜けて時流先生の側に寄ると、先生の顔は晴れやかだった。

「この前話していた地方紙の話だけど、明日の町内会の冊子で載るぞ。そのうち家にも届くと思うから」

 僕はまさかそんな話をされるとは思っていなかったので多少面食らった。

「…ありがとうございます! 見てみます」

「…本当に色々大変だったんだからな。…まあまあ、戻っていいぞ。それだけだ」

 時流先生はそう言って机にうず高く積まれた書類の山に向かっていった。お辞儀をした僕は試験後の空気感に押されて再度、いそいそと職員室を後にした。

 扉を閉めてシン、とした廊下に一人立つ。僕にはまだ実感がそれほど持てずにいた。本当にあの小説が紙媒体として印刷されて手元に届くのだろうか。印刷されるとしてどのように取り上げられるのだろう。まるで外から自分を見ているような感覚になった僕の耳には廊下に響く自分の足音だけが届いた。

 廊下を歩きながら窓から差し込む日差しを見る。時折窓の外から男子同士の歓声が聞こえてきた。その声を聞いているうちにそれまでの気分が少しずつ軽くなっていくのを感じた。

 そうである。要は考え方次第なのだ。下駄箱に近付くにつれて男子同士の笑い声が次第に大きくなる。僕はその輪にすぐにでも入りたくなった。急いで靴を履き替え、校舎の外に駆けていく。

 校舎の外は光で溢れていた。



 翌朝、雲ひとつない晴天の青空の下、発行された町内会の冊子はポストに投函されていた。早朝、いつものようにスマホのアラームをセットして起きる前には届いていたようだった。寝ぼけまなこに玄関の方角からバイクが吐き出すエンジン音とカラン、という何かがポストに投函された音が聞こえてきていたからだ。僕はポストから緑色の冊子を取り出し、ペラペラと捲る。

「お、あったあった」

 冊子の中ほどに小説を掲載するページが盛り込まれていた。タイトルは「現代を生きる高校生の物語」であった。幾人かの高校生の小説が掲載されており、その中に僕の小説があった。冒頭に小説のタイトルと名前が載り、数ページに渡り自分の小説が縦書き形式の段落で記載してあった。そして、最後のページに小さく僕が描いた鳥たちの絵が掲載されていた。

 自身が書いた文字が小説として本当に印刷されていることに驚きはしたものの、率直に言うと現実感がなかった。あの日高校で小説を披露しなければ、あの時長代たちに付いて行かなければ、先生が小説を推してくれなければ、僕の文字の束は小説として具現化しなかったであろう…。

 僕は登校途中にその冊子を読み漁った。そして、改めて自分の書いた小説を読みながらこの文字を小説化させるのに一体どれだけの人の手を借りたのだろう…、とそればかりを考えてしまう自分がいた。街を見れば通勤途中のサラリーマンや大型バスの運転手、店を開店させるためにシャッターを開ける人やバイクに乗って新聞を配達する配達員もいる。今見える限りでも数多くの人の手によってモノが生産され、流通して届けられているのだろう。冊子を見ても思う。小説の文字は想像よりも小さく印刷されていたが、それでも掲載されていることそれ自体に意味があるのだ、と。

 通学路を歩きながら移ろいゆく景色を見る。この一年色々あったな、などと山道からの街並みを見てしみじみ思うのである。

 高校の校門を潜り、登校途中の北高生を見ると、そこまで疲れた表情をした男子はおらず吐く息もそれぞれ落ち着いて見えた。峰まで登る高校生活にも北高生なら慣れてきたのだろう。僕もこの校舎を見てもそれほど荒涼とした気分にはならなくなってきた。人間、慣れほど怖いものはない。

 ただ、クラスの扉を開ける頃には様子がまるで違っていた。扉を開けるとクラスメイトたちがやんややんや言いながら緑色の冊子を回し読みしていたのだ。

「お、来たやん」

 クラスメイトたちがニヤニヤした表情をしながら出迎えてくれた。僕はすぐに状況を察した。

「そんなに早く情報って出回るの?」

 まだ誰にも言っていないのに。そう言いかける。

「言えよ早くそれを」

 短澤がそう言った。今か今かとあれから毎日ポスト読み漁っていたんだと言われる。

 僕は罰が悪そうな顔をし、気恥ずかしい気持ちになった。クラスの中心にいた中谷がニヤニヤしながら周りに説明をし出す。

「身近な奴の考え出す恋愛小説なんて、そりゃあ興味あるよなあ…」

 再度なんとも気恥ずかしい気持ちになる。まあ、それは確かに一理ある。

「でも、友人の出す小説が印刷されているのをこの目で確かめたかったんだよ。…なんていうか嬉しいじゃん」

 周りのクラスメイトもそうだそうだ、と頷く。この胸の中の温かさはすぐには言葉に表せなかったが、彼らに今確かに感謝の気持ちを言葉にした。


 そう思って今日は安穏とした日を送ろうと思った矢先、電話が鳴った。

「ちょ、ちょっと待って」

 僕はそう言って振動するスマホをポケットから取り出す。そしてスマホ片手に教室の隅に向かった。画面には中部中心高校の縦一からの着信であることがわかった。

「おはよ、朝っぱらだけどいいか?」

 縦一の快活な声がスマホ越しに響いた。どうしたどうした?

「さっき町内の小説コンテストに応募した作品の中から君の名前を見つけたんだ。冊子も確認した。あれ、書いたの君だろ?」

 どうやら僕の小説を読んだと言うことらしい…。小説コンテスト? 何それ? そう思ったが事態を把握するためにまずは生唾を飲み込んだ。

「確かにそれは僕が書いたけど…」

 それにしても情報が出回るのが早すぎる!

「やっぱりな。辻褄が合った」

 縦一の安堵した声が聞こえる。

「今週末土曜日、会ってほしい人がいるんだ。その人が君に会いたがっている」

「え、誰誰?」

 スマホ越しに初めて聞く人の名前が聞こえる。縦一が言うに、僕にとある人物に会ってほしいらしい

 僕はそれが誰かなのかわからないという不安の靄が沸いた。そして、その不安の靄が胸の中で少しずつ侵食するように広がるのを感じると、まるで自分が何か大きなうねりの中にいるような気がした。その大きなうねりが僕を誰かに引き合わせようとしている……そう思えてならなかった。

「…わかった。時間になったら集合場所に行くよ」

 彼にはそう伝えて電話を切った。

 机の上に置いてあるクラスで回し読みされていた冊子を見る。なんでもない冊子だが、そこに印刷されてある文字の集合体が、僕という人間をどこかに連れて行くような気がしてならなかった。




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