夢の輪郭を探して
シリーズものの中・長編小説です。
お時間のある時に読んでいただけますと幸いです。
新しい出会いもあれば別れもある季節、それが春。その春に向けて、とあるひとりの男が思い描く物語、それが「桜彼女」である。
十五年目の正月。
凍てつくような寒空の下、僕はその日、市内の神社に高校の同級生たちと初詣に来ていた。夫婦鶴神社。それがこの神社の名前だ。全国的にも縁結びのパワースポットとして知られており、その歴史は古く、「家業繁栄・夫婦円満・縁結びの神様」として親しまれ、神前結婚式を挙げるカップルが多いのが特徴である。境内には「水みくじ」なる御神籤があり、夫婦鶴の森にある池に御籤を浸すと文字が浮かび上がって来るという。
無論、その神社にカップルで参拝できたら僥倖ではあるのだが、僕たち高校の同級生メンツは四人であり、四人とも男子であった。つまり、独り身の男子高校生たちが意中の相手をものにしたい、という願いを込めて参拝しに来たのである。
「今年こそは彼女ができますように」
そう願掛けをしようと集まった四人のメンツは、長代、中谷、短澤という名の男たちであり、そこにプラスアルファで僕も含まれることになる。
「相変わらず人が多いよな」
僕はそう言いつつ、先ほど出店で買った牛串を頬張る。牛串から滴り落ちそうになるタレに手こずっている僕を尻目に、熱々の焼きそばにフーフー息を吹きかけていた長代は一言、「そりゃ正月っすからね」と言った。
丸眼鏡を曇らせつつ焼きそばを頬張る男子高校生、彼の名は長代という。長代という男は北部北高校の一年一組に在籍しており、僕の高校生活でできた最初の友人だ。彼は自他ともに認めるオタクであり、その知識の深さと広さは北高内で引けを取るものはいないと称される。その彼こそが、今年は夫婦鶴神社に初詣に出かけよう、と僕らを三が日の元旦にライングループで誘い出し、残りの僕ら三人はこうして寒空の下、神社に続く通称:「めおとづるロード」と呼ばれる長い参道の端で彼の到着を待っていたのである。
「んで、揃いも揃って屋台グルメを食っている俺たちって、本当に仲良いよな」
そう自虐的にも聞こえるセリフを吐いた男、中谷は爪楊枝をたこ焼きに突き刺して丸々一個を口に頬張る。焼きたてのたこ焼きだからだろう、その熱さにもんどり返る彼は北高の一年二組に在籍し、その二組のクラスの中心的存在であった。彼も彼で男同士で初詣に行くことに何か思うことがあるのだろう。その彼がなぜクラスの中心的人物であり、周りの男子から人望があるのか、それは語るべくもなく、彼の陽気な性格がそうさせるのだろう。なんだかんだ言いつつ、彼なら場を和ませてくれるはずだ。そういった謎の安心感が彼にはあった。
「仲良いことは良いことじゃん」
僕は食べ終わった牛串をもらった紙袋に包みながら、どうということもなくそう言った。それはそうと、ここら一帯に喫煙所ってないかな? 僕はポケットに入っているタバコを取り出そうとする。
「ダメに決まってんだろ。俺らこれでも高校生だぞ」
「短澤がそれを言うと、説得力がない」
短澤と呼ばれた男は同じく北高の一年二組に在籍する、通称:ヘビースモーカーだ。彼は僕にタバコを仕舞え仕舞え、と注意した。しかし、彼も彼で出店で買ったお好み焼きを頬張りながら喫煙できる機会を伺っていることはよく知っている。だが、世の中そんなに甘くはなく、彼は周囲に複数いる警察官を見ては肩を落としていた。
「やっと列が進んできたね」
目の前の人の群れを見ながら、僕らは遅々として進まない参拝者を恨めしそうに見つめる。多分、数多くの他の参拝者も同じように思っているはずだ。
「あの鳥居の側に立っている石像ってなんで狛犬じゃないんだろうな…」
僕は素朴な疑問を呟いた。僕の頭に浮かんだ疑問符を打ち消すように、焼きそばを食べ終わった男、長代はクイっと丸眼鏡をあげて解説をしてくれた。
「夫婦鶴神社には古くから言い伝えがあるっす」
そう言って始まる長い長い長代節ーー
「むかしむかし、あるところに二羽の鶴が池の辺りで暮らしていました。一羽は純白の翼を持つ鶴で、もう一羽は赤みががった翼を持つ鶴であったという。二羽の鶴の美しさに惚れ込んだ猟師たちはその鶴に毎日のように餌をあげ、大事に大事に見守っていたのである。ある星が瞬く夜に、猟師たちの元に美しい二人の女が訪れた。女たちは「恩返し」と言い、それはそれは美しい舞を披露したのだった。猟師たちはその二人の女に惚れ込み、結婚を申し込んだのだった。そうして猟師たちと二人の女はそれぞれ結ばれたのである。女たちは自身が鶴であることを隠し通し、猟師たちは幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。という話の逸話から作られた像が、参道の両端に鎮座する二羽の鶴、と言うことっす」
ふむふむ。それは、めでたしめでたしなのだろうか、うーん。と首を傾げるいつメンを他所に、長代はさらに続ける。
「一般的に鳥居は神に鶏を供えるときの止まり木、すなわち鶏居であると解されるのが通例ではありますが、この神社は神を鶴に例えているっす。鶴を供える、ではなく、鶴にお供え物を供えるのがこの神社の慣わしらしいっすよ」
長代は最後に、諸説はあって確証はしていないっすがね。と念を押した。僕はその話を聞き、この神社の過去に想いを馳せた。
昔の人々に言わせれば、鶴とは女性像そのものであり、その女性という偶像崇拝、いわゆる「アイドル」を大切にしてきた歴史がこの神社にあるのではないか、と。
そこまで想いを馳せたのち、僕は例えその女性が自身の真実の姿を隠したままだったとしても、お互いが幸せなら良いんじゃないか、という結論に至った。
そうこうしているうちに僕らは賽銭箱に近づいてきた。目の前に広がる夫婦鶴神社の本殿、その本殿の奥に鎮座する二羽の鶴の神様を見ようと、首を長くして御神体を見つめると、後ろ姿ではあるものの、二人組のカップルが目に入った。横田先輩と桃咲カレンさんだ。
横田先輩は中部中心高校の三年生であり、その学校、通称:中高の生徒会長を務めている。彼は意中の女性である桃咲カレンさんを去年の冬にものにし、彼女と一緒に参拝しに来たのだろう。そしてその彼女が、南部中央学園の三年生にして、去年の夏の学園祭にて行った県内の伝統文化「白鳥の舞」のトリを担った女性である。
その二人が参拝をし終わり、本殿からUターンするように戻ってきた時、僕らと目が合った。
「お、来てんじゃん、北高生」
「「「「ちわーっす」」」」
僕らは横田先輩に一斉にそう言った。横田先輩は着物姿のカレンさんを連れて袴姿で僕らに近寄ってきた。その堂々とした姿には風格があり、隣に居るカレンさんの装いの素晴らしさには目を見張るものがあった。僕らはその可憐な姿に思わずドキリとする。
横田先輩は僕らに近寄ってきて何をするのかと思ったところ、サッと僕に耳打ちをして、
「卒業式後にカレンに婚約の申し入れをしたいから、後日連絡を入れる。打ち合わせに来て欲しい」
と言って僕の肩を叩いてきた。僕はこの男の瞳の中の覚悟を知っているためペコリと頭を下げ、「あけましておめでとうございます!」と大声で言った。釣られて長代、中谷、短澤も新年の挨拶を言葉にする。横田先輩は満足そうに謹賀新年を謳った。
後ろに居たカレンさんからも丁寧なお辞儀があり、新年の挨拶を口にした。僕はカレンさんにそっと詰め寄り、「あの…、カリンさんも参拝していますか?」と聞いた。僕の不安げな表情を見てか、カレンさんはふふっと微笑んだ。
「夫婦鶴の森の方角に向かったよ」
彼女も来ていたんだ、ということに僕は思わず安堵する。そうしてふたりに礼をした。カレンさんは長代、中谷、短澤たちにも向き直り、「そうそう、彩花ちゃんと花音ちゃん、沙良ちゃんも同じ方向にいるはずだよ」とそっと教えてくれた。男たちの感激たるや、それはそれは目に余るものであった。
ふたりと別れた僕たち四人は、静かに本殿の神様に願いを託しつつ、賽銭を奉納した。無論、これから会いに行く相手を彼女にするためである。男たちの願いは神に届いたのだろうか、それはわからない。わからないが、僕らはこれから会いに行く相手を想い、本殿を離れた。
口々に男たちは言う。
「長代、今日という日はお前の手柄あってこそだ」と。
長代を見ると丸眼鏡の奥に満足げな瞳が見えた。
長代がふたりの参拝から神前結婚式を連想し、また長い長い長代節を言う前にそそくさと用事は済ませておこう、というのが他の三人の暗黙の基本合意だったらしく、僕らは神社のそばの森へと足を運ぶ。夫婦鶴の森。そう呼ばれた森に足を踏み入れた時、対面から見慣れた女の子たち四人がこちら側に向かって歩いてきた。
「花音ちゃん…!」
第一声は中谷である。中谷の意中の相手、花音さんは南部中央学園に通う女子高校生だ。彼女はツインテールを揺らしながら、その隣にいた三人の女の子たちに目配せを送る。目配せを送られたうちの一人、沙良さんは長髪の黒髪をかきあげ、頷いた。隣で短澤がごくりと唾を飲み込む音がするような気がした。
沙良さんも南部中央学園に通う女子生地の一人であり、さらにその隣のショート姿の女の子、彩花さんは「長代くん、あけおめ!」と言った。名前を呼ばれた長代はまたもや丸眼鏡をクイっと上げて彼女を凝視しつつにこやかに笑った。もちろん、と言うべきか彩花さんも南部中央学園の女子生徒のうちの一人であり、三人は去年の夏の学園祭を取り仕切る南部中央学園事務局に所属している。
そして僕はそのさらに隣にいる女の子、桃咲カリンを見た。カリンは花音さんからの目配せに気づいたのだろう、僕を見るや否や、ふふっと笑った。
僕たち男四人は互いのことなど脇目も振らず、意中の女の子の元に駆け寄る。中谷は花音さん、短澤は沙良さん、長代は彩花さんであり、僕は言うまでもなく桃咲姉妹の妹にして、南中学園の白い薔薇、桃咲カリンちゃんである。
僕はカリンのそばまで近づいた。気持ちはもちろん「駆け寄る」ではあるが、そこは男、駆け寄っているように見せかけて可能な限り余裕を見せるのである。大人の余裕、それが大事なのだ。齢十五の青年が何を言う? と思うかもしれないがそれはそれ、これはこれ。彼女に近づいた僕は近くで見る淡い赤を基調とした着物姿に思わず見惚れてしまう。姉のカレンさんは白を基調とした着物を羽織っていたが、淡い赤もそれはそれで良い…。
僕は思わず、「着物姿もかわいいね」と言ってしまう。言ってしまったが最後、僕の脳内で気恥ずかしさにもんどり返りそうになるが、言ってしまったことには仕方がない。カリンは「ありがと」と言って和装バックを膝の前で持った。うーむ、その姿もバックの神社の森と相まって絵になるなあ…などと思ってしまう。
桃咲カリンさんとは去年の夏に出会った。どこかで話したかもしれないがここでも同じように説明させてほしい。最初に知り合ったのは、南中学園の白鳥の門の前で学園祭のチラシを配っていた時であった。その時はここにいる男子三人、長代・中谷・短澤たちとついに友人と呼べる存在になった時であり、それまで彼女はおろか女友達でさえいなかった僕にとって初めて出会った女子生徒である。
その後、南中学園の学園祭に友人たちと遊びに行き、冬の中部中心高校の文化祭にて思いの丈をぶつけた相手だ。
その相手に僕は、後日、喫茶店にてお茶をしないか、と誘った。
いつもはスマホというデジタル機器越しで誘っていたのだが、対面で誘ったのは初めてであり、緊張の余り胸の鼓動の高鳴りで爆発しそうになった。
桃咲カリンは、うん、とだけ頷いてくれた。
僕は天にも昇る勢いでガッツポーズをし、彼女と別れた。別れ際の手を振ってくれる姿に、僕は思わず唸ってしまいそうになる。彼女のこの律儀さ、これが好きなのである。
僕とカリンは三が日の最後の日の夕方、西丘駅の近くの羽休め喫茶で珈琲を飲んでいる。店内のゆったりとしたBGMと暖炉の灯火が外の凍てつく寒さを忘れさせてくれた。僕はティーカップに入ったホット珈琲を口に入れた。ふんわりとした湯気が僕の鼻腔に届いた。以前に飲んだ時と変わらない香り、変わらない味で僕は安堵する。そして、彼女の話に耳を傾けた。
「私のお姉ちゃんはね、春から都内の女子大に通いたいんだって。だから今はしっかりと勉強しているの」
カリンはそうにこやかに言いながらアイスコーヒーのストローに口を移す。
「お姉さんなら推薦でも全然いけるんじゃない?」
僕は飲んでいたティーカップから口を離し、思わずそう言ってしまう。南中学園の学園祭でスピーチをし、公演した白鳥の舞の素晴らしさは格別であったからだ。もちろん、知らないだけでカレンさんなら学園内で様々な功績を残しているであろうことは想像に難くない。
「そうだけど、お姉ちゃんは実力で行きたいみたい」
そう言ってカリンは、だからお姉ちゃんが好きなの。と言った。妹が姉を慕っていることは今までの行動歴を見ていると何となくわかる。僕もそんな彼女が好きだった。
「前に話したと思うけど、私、舞台女優を目指しているの」
その話をされたのは、南中学園の中庭でりんご飴食べた時だよね! 僕は思わず前のめりになる。カリンなら夢、叶えられると思う。僕は確信に満ちた表情でそう言った。カリンもカリンで学園祭で華麗な舞を披露してくれたじゃないか! 僕は観客の一人だったけれど、あの時確かに彼女の演技に魅了された。その時の感動と興奮たるや、今でも鮮明に覚えている…。
「今度は逆に、将来の夢、聞かせてほしい…」
彼女はゆっくりと、そう言った。
僕はそこではたと気付かされた。今までカリンさんの事ばかりを追ってきていたが、彼女は彼女で将来の夢がある。一方、僕の将来の夢は何なのだろう…。
僕はティーカップの湖面を見た。そして、そこに映る僕を見た。自身の過去を思い返すと、ろくすっぽ友達がおらず、ネットに散々不満をぶちまけていた少年時代がありありと浮かんだ。今振り返ってみれば、それは大暗黒時代だと言っても差し支えがないだろう。その時に夢中になっていたことと言えば、それはツイッターであったと思う。
「まだ、決まっていないんだ…」
僕は伏し目がちにそう言った。僕のセリフを聞いたカリンはゆっくりと、そっか、とだけ言った。ふたりの間に幾許かの沈黙が流れた。
店内のゆったりとしたBGMと暖炉から鳴るパチパチという火花が静寂に語りかける。
僕という人生、その中で歩んできたこと。歩んだ人生はまだ十五年とちょっとだが、その中でも掴めるものが何かあるはずだ。
僕はそう思い、自身の過去をまさぐった。夏の友人たちとの出会い。そこから少しずつではあるが、達成感が積み重なっている。冬に至っては意中の相手に告白もしたじゃないか。それらが幾層にもなって、経験となり、僕は自分に自信を持つようになったのだ。
そう確信した時、カリンの飲んでいるアイスコーヒーの氷が、カラン、と鳴った。
「…来週末、舞台があるの。よかったら見に来て欲しい」
彼女はそう言って、そっと一枚のチケットを机の上に置いた。
「その舞台を見ることが、将来の夢を考えるきっかけの一部になると思うから」
僕は彼女が言うセリフの意味を噛み締めた。そして、そのチケットを受け取った。
僕の心の中で、今確かに夢の火花が鳴ったのが聞こえた。