9話 あき
【泣いているのか?】
魔術式がどうやっても上手く人を識別できないと頭を悩ませていると、突然声をかけられた。涙を流していたわけではないのに、鳥の神獣はそう尋ねた。
「また来たんだね。」
【また来たとは何事か。余は偉大な神獣ぞ。】
「また会えるとは思ってなかったから。」
【探しても見つからぬからな。御前は何をしている?】
「僕は魔術式を作ってる。貴方は魔術式を知っている?」
【ああ、なんとなくは。人は我々の脅威でもあるからな、そこら辺の知見は得ている。】
「僕は王都を守る魔術式を作ってるんだ。」
【そうか。】
「基本構造はできているんだけど、敵か味方か判断する構造がうまくいかなくて。」
【その敵と味方はどう判断するんだ。】
「そこは事前にシステムに記憶させているか否かだけでいいとは思うんだけど、じゃあそこを識別するのは、紛失されたり、複製されたりしたら意味ないよね。」
【魔力でも読み取ったらどうだ?】
「人間は魔力が弱いからなぁ。だったら、もっと…血を読み取るというのはどうかな。それをどう読み取るのかは考えないとだけど。」
鳥の彼と話すのは気楽だった。彼はエルの言葉を捻じ曲げて解釈しないし、尊大な態度をとって見せてもエルを否定しない。
【それが完成したら余は入ることが叶わなくなるか?】
「大丈夫だよ、僕が作るんだから。…でも、読み取られたら終わりだから魔術式として残すのは危険か。」
エルの作った魔術式はほとんど彼らに取られてしまった。今エルの描いた魔術式を全て解読できている者は殆どいないが、文字にしたものはいつかはきっと解く人がいるだろう。
それでも、エルの魔術で彼らに奪われていないものがあるとするものがある。治癒魔術だ。人体の不思議は未だ解明されていないことが多いから、半分以上魔法で補っている。
「…この受容と拒絶のシステムと血を読み取るのは、魔法でどうにかしてしまおう。魔術式ではどうにもならない。」
魔法で作ってしまえば、力技で作ることができ、妙な理論は不要だ。ただその部分の魔力をエルが負担しなければならない。
「…仕方ない。一時凌ぎみたいなもの。僕が死んでシステム破綻したとしても僕に一任したあの男が悪い。」
魔法で作ってしまうなら、かなり自由にこの魔術式を組み立てることができる。エルは更に現在分かっている感染媒体を減らす効果を持つ魔法を魔術式に追加した。これで、病気や毒を1番に研究しているあの男に精神的なダメージを与えられる。
【人間の叡智だな、魔術式は。】
「ありがとう、鳥さん。」
鳥の神獣は興味深そうに頷いた。
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魔術式について渡すと男はニヤニヤとしていた。
「ふーん、あの1週間でできるんだね?」
「どうぞ。それでジーンはどこにいますか。」
「ジーン?ああ、蚕か。昨日繭を作っていたよ。」
「生きてるんですよね!」
卵を産む以外の蚕は繭を得るために殺されてしまう。
「私がせっかく作った元人間の蚕をそのまま茹でる訳ないだろう。生かしているよ。」
一先ず生きていると告げられて安堵する。
「ジーンを渡して。」
「何故?」
「僕があなたの魔術を解除する方法を見つけるため。」
「ああ、それは確かに面白そうだね。」
難癖をつけて断られるかと思ったが、予想外にもあっさりと男は許可してジーンが入っている箱をエルにと渡した。
「…生きている。」
「鼠ですら救えなかった君が、更にか弱い虫を救えるのなら楽しみだね。」
あのネズミと違うのはジーンが魔術師の1人だったことだ。男の嘲笑を憎みながら、エルは男の部屋から立ち去った。
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いくら男が憎くても、蚕から人間にする方法など思いつかなかった。何分の一にもなってしまった頭の再現が難しい。
「例え人に戻すことができても、きっとジーンには戻らない。それが分かってても尚、僕は…。」
蚕について記載された本や人間の身体について記載された本を並べて比較しながら、魔術式を組み立てても、そこにジーンの人格は書かれてない。
「…それでも、なにか。」
エルは繭に眠るジーンに想いを馳せる。成虫は1週間ほどで亡くなってしまうが、幼虫・繭・成虫の中であれば、ぱーつがはっきりしている成虫が1番人間に戻せる可能性が高いだろう。
「助ける、せめて空の遠くへ飛び立てるくらいの力は与えるからね。」
エルは箱の淵を優しく撫でた。厚い繭の中で彼が生きていることを確認しながら。
魔法で蚕を作り上げて考えようとしても、有耶無耶な状態で作った蚕は見た目はそれであっても中身の構造は出鱈目だ。ルーグ王国は大国ではあるが養蚕業の規模は小さく、7割を外国から輸入しているから、情報が少ない。
「…あの男が何の情報をもとに蚕へと変換したのかを確認するべきか。」
再び男の部屋に忍び込んでも、そこにあるのは毒や病気の資料しかない。鼠や馬など男が作った他の生物の資料がない。あの魔術を使っていて資料がないなんて人間の魔術師としてはありえるはずがない。
「プア・パピィ、何をしているんだい?窃盗なんて地に堕ちたね。」
「貴方にそんなことを言われるとは思わなかった。」
「例えどれだけ私に罪が重なろうとも、君の罪が相殺されるわけではないんだよ。」
「そう言う意味で言ったんじゃないんです。貴方に窃盗が罪だという認識があったなんて思わなかった。」
男はニコリと笑ってエルの顔を掴んだ。男のしなる鞭がエルの首を打つ。鞭が目の横を通ってもエルはもう瞬き一つしない。
「プア・パピィ、あまり魔術で自分の身体や精神を誤魔化すのはやめた方がいいよ。なにが正常か分からなくなるからね。」
「問題ないです、とっくに分からないので。それに、正常である意味などもう僕にはありません。」
つまらなさそうな顔をして男は、エルから手を離した。
「また考えておくよ。」