2話 新しい出会い
仄暗い世界の中で終わりについて考えていたころ、エルの世界を変える出会いがあった。
「実験体のうちの1人が魔術の素養を発現したらしい。」
「どこまで使い物になるかね。まあ、エヴァと同じだと思ってたら痛い目に遭うだろうよ。」
「エヴァ?…ああ、H20365番のことか。そんなの誰も期待しないさ。」
エヴァだのH20365番だの様々な呼び方をされているが、全てエルのことだ。しかし、そんなことはどうでも良い。エルはそれよりも実験体から魔術師と格上げされるのはとても珍しいことだと知っているから、その存在が気になった。余程のことがない限り、王国魔術師が実験体を同等の人間であると受け入れることができないからだ。どんな人間なのだろうと気になって王宮の魔術塔を散策する。王国魔術師に秩序らしい秩序などない。序列をつけるのは専ら魔力量の豊かさだ。その次に家の家格。エルの場合は怪しい出自のせいで立場は下げに下げられているが、それでも自由に歩けるのは魔力が多いからだった。
「H21002番、これで君は魔術師の仲間入りだ。成果を出すように。」
その声が聞こえて、エルは部屋を覗き込んだ。貴族たちであれば、格式ばった式でも行われるが、実験体出身なら書類にただサインや拇印で完了だ。
どんな人間なのだろうと確かめるとまだ10歳かそこらくらいだった。
若い。魔力があると分かる年が若ければ若いほど、魔術師の素養がある。ここ数年は古い魔術師の貴族の家だって10やそこらでは出てこないのだから、期待値が高い。扉の隙間から見ていたが、ふとその扉が開いた。
「覗き見かい、プア・パピィ?」
答えないまま男を見ていると、新しく魔術師になった子供があっと声を上げた。
「いきなり会えた。嬉しい。俺はジーン、よろしく。」
矢継ぎ早に話されて手を差し出された。赤毛の髪はバッサリと短く切られて、言葉遣いも男寄りの話し方をしているが、どことなく女子らしさも感じられる不思議な子供だ。しかし、そんなことはエルは気にも留めず、差し出された手を素直に取り挨拶をした。
「ルーグ王国の王国魔術師エル・ウォッカ。」
「エル!俺あんたに憧れていたんだよ。」
「…どこかで会ったかな。」
「初めてここに連れてこられた時絶望してたんだけど、偶然みたエルが色んな魔術を使ってたんだ。花を咲かせてみたり、水を変幻自在に動かしてみたり、そうして、鳥たちと戯れてた。俺もやってみたい、やってやるって思ったらこの地獄みたいな暮らしも楽しく感じられたよ。」
エルも研究に参加させられながら、本や様々な実験結果をまとめるのに忙しい中で、確かに時折り好きな様に魔術を使って息抜きをしていた。そんなただの休憩が、目の前の子供の心を救い、希望となっていたということに嬉しく思った。
「こんなちっさくても、魔術得意ってすごいよな。」
ジーンより確かに3インチは小さいが、既に10年はこの場所で王国魔術師をしているから姿など大した意味はないが、わざわざいうほどでもないと思ったエルはそうかなとただ答えた。
「プア・パピィ、新しい仲間にこの塔を案内してやりな。他の人間は忙しいし、関係のない部屋を覗き込んでいる暇がある様だからね。あと、今日中に死斑の研究レポートを上げてくれ。」
「はい。」
そんなレポート聞いてもないが、きっとそれも気まぐれだ。あの男が死体の研究なんてするとは思わないからだ。男が去ってからジーンはこっそりと耳打ちする。
「あの男の目やべえ。生きている奴がする目かよ。」
「パウル・ミ・カルティス・アリトゥス魔術師、彼には目をつけられてはいけない。生き物を弄ぶのが好きなんだ。立派な志もなく、病の研究をしている。好きな病気の人体実験がするる研究費用の為に治癒魔術の研究もついでにやってる。」
「……絶対に捕まっちゃいけない人ということは分かった。」
「ドルミ魔術師は寄生虫が好きで、よく彼と連んでる。寄生虫も病気を引き起こす原因だか ら、あの男はお気に入りみたい。」
「きせいちゅうってなんだ。」
「…生物に寄生して、食い散らかす虫だよ。ドルミ魔術師は、特に作り替える寄生虫が好きみたい。彼の研究資料を見たら死にたくなると思う。」
「作り変えるって想像つかないな。」
「例えば危機感を喪失させる虫や甲殻類のオスをメスにする虫だよ。細かいことを言うとメスにも寄生するんだけど。」
「うげぇえ、聞きたくなかった。」
「それらを元に人間を支配する虫を作ろうとしてるんだよね。ドルミ魔術師の怖いところは、人間に恨みがあるとか、人間を支配したいとかそういう人間らしい欲ではなくて、『人間を支配する虫って面白いだろう』という純粋な興味でやっているところ。そのドルミ魔術師の周囲にいる人間は野心や復讐心の強い者ばかりだけど。」
「……ここはビックリ人間ばっかりだな。」
「…例えば僕も王宮の外で暮らしたことがないから、この街がどうなってるのかもわからないんだよね。」
ジーンはなるほどなと頷いた。
「だから、ここから逃げ出そうとか思わねえんだ。」
「にげだす?」
「こんな狭くて暗くてヤベェ人間しか居ねえのに、ここから出ようとも考えてねえじゃん。」
「…考えたことなかった。」
「ま、もうちっと俺が魔術使える様になってから、考えようぜ。」
ジーンの言葉はエルの固定観念を吹っ飛ばした。
そう外!王宮の壁の向こうにはいくらでも空が広がっていたじゃないか。そんなことすら忘れていた。
「約束だよ、ジーン。」
「おうともさ。」