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僕らの爛れていない性生活

僕らの爛れていない性生活 第六話「支配2」

作者: カギ野あや

目覚めた瞬間から目は冴えていた。

目の前にはあられもない姿を晒しながらこちらを覗き込む女がいる。

寝汗でべっしょりの体から、さらに汗が大量に吹き出すのを感じた。

たしか昨日、女が自分のモノに触れた瞬間に頭が沸騰したように熱くなって気絶したのだ。

だがこのベッドには幸いにも嘔吐した後や血痕は見当たらない。

ベッドを汚さずに済んだと安心するのも束の間、自分の下を見やれば汗でシーツがビシャビシャになっている。

慌てて女の表情を窺うが、女は微笑みを湛えているだけで何も言わず、怒る様子もない。

震える体を我慢しながら、ほっと胸をなでおろした。

「あ、あの、僕はこれで失礼しますね」

あはははと気味の悪い愛想笑いを浮かべながら僕が立ち去ろうとすると、女が腕枕をしたまま緩やかに呼び止める。

「どこへ行く?汗を流してやるから少し待て。」

そう言われてはどこへ行くこともできない。

はいと返事をして、しばらく部屋のなかを見渡した後、ベッドのそばの床に腰を下ろした。

女は何か言いたそうではあったが、結局口を開かずじっとこちらを見つめていた。

しばらくして前に体を洗ってくれた者を含む小さいのが幾人かやってきて、僕らを例の水を張った穴のある建物へ案内した。

そこで女は小さいの達に着ているものをすべて脱がされ、どこも隠すことなく腰に手をやりこちらに正面から向き合った。

僕が火を噴く顔を背けている間に、例の小さいのが僕の服を脱がせた。

そのまま全裸で僕らは穴の横に並んで座らされ、身体を洗われる。

女はやはり数人がかりで相手をされ、僕は例の小さいのがひとりで洗ってくれた。

洗っている間も女は常にこちらをじっと見ている。

そして小さいのの手が僕の股間に伸びたとき。

「待て。そこは私が洗ってやろう。」

白い頬が薄桃色に染まり少し息が荒くなっている女が、小さいのを押しのけ僕の体に触れようと手を伸ばした。

腕が伸びてくるのを目にした瞬間僕の身体が痙攣したように震え始め、止めようと思っても急激に激しさを増し、女が触れる寸前に椅子から転げ落ちた。

浅い呼吸を繰り返し、身体を抱きしめることしかできないまま、床の上でびくびくと震え続ける。

視界の隅に映る女にいつもの笑みはなく、口を真一文字に引き結んだままじっと床に転がる僕を観察している。

やがて女が椅子に腰を下ろすと、徐々に僕の体の震えも収まった。

僕が呼吸を整えている間に、洗い終わったのだろう女は穴に入ることなく出ていった。

一緒に女の体を洗っていた小さいの達も出ていったため、例の小さいのと僕の二人だけになった。

床に座ったまま俯いていると、小さいのがそっと僕の肩に触れた。

驚いたが不思議と嫌な感じはしなくて、力なく振り返ると小さいのが女とは違う表情で、眉を顰め心配そうにこちらを見ていた。

不思議と笑みがこぼれる。

小さいのがしばらく背中をさすってくれた。

「ありがとう」

僕がお礼を言っても小さいのは何も答えない。

少女のような見た目をしているが、口がないので喋れないのかもしれない。

でも確かに微笑んでくれたような気がした。

身体を洗い終えると小さいのは出て行ってしまった。

穴で湯に浸かりながら一人、身体の力を抜いた。

女の部屋から出るのがまるで数年ぶりかのように感じた。

昨日の晩、たった一晩だけだというのに。

触れられるのが怖い。

ハッキリとそう思った。

いつか自分が死んでしまうのではないかと、恐怖が沸き立って仕方ないのだ。

女は何がしたいのだろう。

ただただ胸の内が暗く沈んでいくばかりだった。


用意されていた着替えは、自分の衣服ではなかった。

肌触りがよく清潔で、一目で高級なものだと分かる。

躊躇ったが、他に着るものもないので仕方なく袖を通した。

着心地がいいのに今までの衣服と違いすぎて変な感じがした。

建物を出ると、女の小屋のあたりでよく見かけた、女の供らしき女が待っていた。

一瞬立ちすくむが特段何も言ってこないので、そのまま自分の小屋に帰ろうとする。

「おい、こっちだ!」

供の女がすごい剣幕でこちらを睨み、掴みかかろうとする。

咄嗟にしゃがみこんで許しを請うた。

「ごめんなさいごめんなさい!行きます!行きます!」

地面に縮こまる僕を見て供の女は動きを止め、依然しかめ面のまま女の小屋まで僕を連れて行った。

その日僕は、女の匂いのするこの小屋で部屋の隅にずっと縮こまったまま一日を過ごした。

日が沈んだことなんて気が付かないほどあっという間だった。

あっという間に、女が帰ってきた。

女は小屋に入って僕を一瞥するも、何も言わずにコートを脱ぎ捨て、黙って机に向かって何かの書類仕事を始めた。

どれだけかかったかは分からないが、しばらくして女は椅子から立ち上がって僕の前までやってきた。

反射的に震えて縮こまる僕と以前よりもはるかに距離を開けて声を掛けてくる。

「ベッドに上がれ。今日は何もしなくていい。」

女は腕を広げ僕が立ちあがるのを待っているようだったが、身体が竦んで動くことができない。

やがて女は諦めて一人でベッドに横になった。

僕は床に座ったまま女が寝静まるのを待ったが、女の寝息はいつまでも聞こえてこない。

僕の浅い呼吸だけが聞こえる暗闇の中、あれだけ緊張していた体も静寂の中でほぐれたのか、一気に眠気が襲ってきた。

翌朝、目が覚めると女は既に部屋から出ていった後だった。

ほっと胸をなでおろしていると、小屋の入り口から例の小さいのが顔をのぞかせる。

また体を洗いに来てくれたのかもしれない。

彼女に会えることが少しうれしかった。

小さいのに連れられて小屋を出ると、昨日の供の女が待っていた。

また反射的に身がこわばるが、供の女は僕を一瞥すると何も言わずに歩き始めた。

その場に立ち尽くす僕の手を小さいのが引いてくれる。

僕は小さいのに引っ張ってもらいながら供の女の後を付いていった。

着いた先は集落の外で、顔見知りの女が一人、荷物を持って待っていた。

「あ——」

僕を見て何かを言いかけたが、供の女に遮られる。

「早く行け!」

その威圧感にすぐに口を噤み、女は逃げるように駆け出した。

と、途中でこちらを振り返り、短くお辞儀をして、また一目散に駆けて行った。

事態がよく分からず供の女の方を見やるが、こちらを一瞥もせずにまた歩き出している。

小さいのがまた手を引くので付いていくと、今度こそ例の穴のある建物だった。

小さいのが服を脱がせ、また体を洗ってくれる。

やさしく頭をわしゃわしゃされたり、身体をこしこしと擦られるのがやけに心地よかった。

穴に浸かっている間、今日は最初のように小さいのがそばに控えていたので、穴の縁まで来て手を握ってもらった。

心が安らぐ気がして、そのまま怖いんだと、どうなるのか不安なんだと、吐露していた。

その間ずっと、小さいのは繋いだ僕の左右手を両手で包んで、ただ僕の顔を見て話を聞いてくれていた。

女に見つめられると身が竦むが、この子に見つめられると、話をきいてくれるのがただ嬉しくて仕方なかった。

建物を出るとやはり小さいのはどこかへ行ってしまい、供の女にびくびくしながら連れられてまた女の小屋へと戻された。

今日もまた部屋の隅で縮こまっていたが、いくらか気持ちが晴れた分、一日がとても長く感じた。

いままで何もせずに一日中座って過ごすことなどなかったために、一日がこれほどまでに長いことに驚いた。

それに今日は腹が減っていた。

考えてみれば一昨日からもう丸三日なにも食べていない。

それでも時の流れが速まることはなく、本当に途方もないほどの時間が経ったと思う頃、日が暮れて女が帰ってきた。

女は僕を見て、心なしか顔がほころんで見えた。

「一人逃がしてやった。一昨日の分だ。どうだった。」

コートを脱ぎ、椅子に腰かけると僕に向き直って聞いた。

唐突なことで理解するのに時間がかかったが、今朝供の女に連れられて行った時のことだと分かった。

あれは僕に、ちゃんと約束を守っていることを見せるためのものなのだ。

そしておそらく。

「なにか喋ってみせろ。」

だからちゃんと命令に従えということだ。

口が渇いていた。

当然だ。

しばらく水も飲んでいない。

怖くて声が出ないのもある。

でも、小さいのにほんの少しだけ勇気をもらったおかげで、喉の奥から微かな声を絞り出すことができた。

「はい」

がびがびの小さい声だったが、女は満足そうに頷いて。

「よし、今日は必ずベッドのそばで眠れ。」

と言ってまた書類仕事を始めた。

女がベッドに入ると、僕は言われた通り女の足側に近寄って、ベッドにもたれかかった。

女はそれを見てまた満足そうに笑むと布団を被って横になった。

それからしばらく、朝起きて供の女に付いてちゃんと集落の人を逃がしていることを確認して、小さいのに体を洗ってもらい、一日部屋で何もせず過ごして、夜に女の命令を聞いてベッドのそばで眠る生活が続いた。

女の命令は最初に比べて本当に些細な、声を出して返事をしろや、ここまで近寄れなどであることが多く、それだけでもちゃんと一人逃がしてくれた。

稀に女が僕に触れようとすることがあったが、僕がたちまち震え出すのを見ると、いつもそこまででやめてくれた。

ある日、女が帰ってこない日があった。

訝しみながらも眠りにつき、一晩経って夜が明けても女が帰ってきた様子はなかった。

供の女が迎えに来ることもなく、小さいのに付いて穴のある建物に直接向かった。

昨晩は女の命令を聞いていないから、誰も逃がさないということなのだろう。

いつものごとく穴に浸かって小さいのに手を握ってもらいながら、何があったのだろうかと聞いてみるも、当然答えは返ってこない。

小さく首を傾げていたから小さいのも知らないのかもしれない。

外に出ると供の女が待っていた。

やけに今日は気が立っているようで、僕が出てくるのを見るなりすごい剣幕で怒鳴りつけた。

「早くしろ!」

供の女はそのまま歩き出すが、怒鳴られた僕はたちまち体が震えて足がおぼつかなく、うまく歩けない。

その様子にさらに供の女は怒りを募らせ、小屋の前まで来たところで僕の背中をどついた。

そこまで強い力ではなかったが、足がふらついていたことと、何よりどつかれたということそのものが恐ろしくて、僕は押された勢いのまま転んでしまった。

供の女がわざとらしく息を吐いて再び近寄って来る。

「おい、早く立て!おい!」

動悸が激しくなって、顔全体に血が回って破裂しそうになる。

呼吸することすら難しく感じて、僕はうずくまって耳をふさぐ。

ふさいだ手の向こうから供の女が怒鳴る声が聞こえ、服の襟首が掴まれた。

服で首を絞められながら宙に持ち上げられ、体中の穴という穴から体液が吹き出した。

死ぬ。

何によってかは分からないが絶対死ぬ。

恐怖で泣き叫びそうになった時、それ以上の悪寒で僕も供の女も凍り付いた。

その一瞬は締まった首の苦しさすら忘れていた。

目の前にいる女以外の全てが何の脅威でもないように感じるほどに、今の女はとにかく底抜けに恐ろしかった。

女の一挙手一投足から目を離すことができず、ぴくりとでも体を動かせば死ぬと予感できた。

供の女も震える体を懸命に抑えつけているのが伝わってきた。

「下ろせ」

女は表情一つ変えることなく、供の女をまっすぐに見て命じた。

まるで王様の赤子を扱うかのようにゆっくりと丁寧に地面におろされる。

女が顎をしゃくると、供の女は情けなくもたつきながら逃げるように去っていった。

僕は下ろされたままうずくまってしまった。

女が近づいてくるのが分かった。

見ることすらできない。

足音を聞くのが怖い。

目を閉じ耳をふさいでうずくまっていると、女が僕に触れようとして、それから離れたのが気配で分かった。

それから女は小屋の玄関に立って、女にしてはやけにしおらしい声で語りかけてきた。

「入らないか?」

それでも僕は女を見ることすらできず、より一層強く耳をふさぐ。

もういなくなっただろうか。

おそるおそる耳に当てた手を緩め小屋の方を窺うと、女はまだ立っている。

慌てて再び耳をふさごうとするが、床板に落ちるぽたぽたという音が聞こえた。

顔をほんの少しだけ上げると、女の足元に赤い水たまりができていた。

驚いて顔を上げる。

目が合うと、女は安心したように顔をほころばせた。

見れば体中に傷があり、顔にも血が垂れている。

「あ—」

何か言おうとするが、それを制して女がもう一度語り掛ける。

「入らないか?すりむいているじゃないか。手当てをしよう。」

呆然と女を見つめると、女は再び近づいてくる。

またぞろ恐怖が首をもたげるが、女の足元にある血を見るとそれ以上に別の感情が湧き上がってきた。

近づいた女の顔から、僕の顔に血が滴ると、震えも止まった。

女がゆっくりと手を差し出した。

僕もその手をさらにゆっくり、おそるおそる取る。

女の瞳が少し光った気がしたが、女は手を取ったまま身を翻し、僕を小屋の中へ導いた。

椅子に座らされた僕は、汚れを取った後、腕と膝に湿った白い布を当てられ、包帯を巻かれた。

女は僕の手当てが終わるとさっさと服を脱いでベッドに横になってしまう。

ベッドに赤いシミが広がっていく。

「あ、あの!」

体の芯から絞り出したために、想像以上に大きな声が出てしまった。

さすがの女も驚いた様子で跳ね起きた。

見つめあうとやはり次の言葉が出てこない。

女が目を伏せ再び体を倒す。

「僕にも手当てさせてください」

俯いたままなら言うことができた。

女がこちらを見ているようだが、俯いているから表情は分からない。

ベッドの上を這う衣擦れの音がする。

「頼めるか」

傷だらけの体で尚凛とした声だった。

体中を温かいものが巡るような感じがした。

顔を上げると女はベッドの縁に腰かけ僕を待っていた。

女の表情はずいぶん変わった。

前はただ獲物を狙うような恐ろしい目を向けていたが、今の女は僕を気遣ってくれているような気がするのだ。

できることならじっと見るのもやめてほしいのだが、そこまでは望みすぎだろう。

女の傷はやはりひどいものだった。

体中小さなかすり傷で一杯な上、各所に出血が、腹にはこぶし一個分ほどの穴が開いていた。

不思議と涙があふれてきて、もはや指先に痺れは感じなかった。

女が当ててくれた白い布はどういうものなのか分からなかったので、女がやってくれたように傷口に当てると、聞いたことのない声で女が呻いた。

「ち、違う」

女が絞り出したような声で僕の手を止め、やり方を教えてくれた。

痛くないかとか、ここはどうすればいいとか、そんな話だったが、僕らは初めてきちんと言葉を交わすことができた。

女でも弱ることがあるのだと分かったからだろうか、不思議と恐怖は安らぎ、ちゃんと喋ることができた。

包帯の巻き方だけは知っていたので、綺麗に巻くことができた。

女の体は全身傷だらけだったために、まるでミイラのようになってしまったが。

「もう、大丈夫なのか?」

今更ではあったが、ためらいがちに女は聞いて来た。

「はい、もう、大丈夫です」

どう答えていいか分からなかったから、大丈夫だと、それだけを答えた。

女が気だるげにベッドに横になり、僕の方に手招きする。

「こっちへ——」

そこで自分の血で真っ赤に汚れたシーツを見て口を噤む。

きっと交換してから二人で寝ようとするのだろうと思った。

僕は自らベッドの縁まで歩いていき、女に詰めるように仕草して女の隣に寝そべった。

身体が女の血の中に沈んでいくような感じがした。

女が唖然として右手をうろうろさせるが、僕は気にせず、赤くなった体を起こして枕の方に腰かける。

不思議と元気で気持ちがよかった。

「少し、お話しませんか?」

呆然とした女の顔がぱっと華やいだ。

これほどまでに美しい顔を僕は見たことがないと思った。

美しい女の一番美しい表情だった。

その表情も一瞬で最初の頃のような少し怖いと感じたものに近づいてしまったが、今はそれもさほど気にならなかった。

女はおそるおそるといった風に僕のとなりに腰かけた。

身体が触れないように少し距離を開けてくれている。

「もう、大丈夫なのか?」

再び女が聞いた。

さっきよりも湿っぽくさらに期待が込められた問いであるように感じられた。

逡巡して、僕は頷いた。

すると、すすっと女が身を寄せてくる。

「こ、こんなこともか?」

一瞬びくっとして、それにつられて女もびくっとする。

女が縋るような目でこちらを窺うが、これは美しい人に身を寄せられて驚いただけで、以前のモノとは違う。

「大丈夫です」

少し声を上ずらせて僕も再び答えた。

それから、僕らはいまさらながらに自分の話をした。

話をする間僕らはとても穏やかで、身を寄せ合いながら静かに語った。

いつの間にか僕らは手も握りあっていた。

繋いだ右手から感じる細くしなやかで柔らかい指の感触と確かな熱が、僕を安心させてくれた。

「母に会いたいなぁ。もうしばらく会っていないし、身体を壊していないか心配なんです。」

恐怖がなくなると、次に沸いて来たのは母に会いたいという郷愁だった。

ふと口にした言葉だったが、女はきっと会わせてくれるだろうという淡い期待があった。

「お前を母君に合わせることは出来ない。お前は私の物だろう?ずっとここにいろ。」

返ってきた言葉は意外にも否定だった。

怒っているようでもない。

今までのように、むしろそれ以上に女は体を寄せて僕にしなだれかかかる。

「どうしてですか?ただ会うだけです。必ず戻ってきますし、なんなら会う場所はあなたの目の前だって構いません」

僕はそれでも追い縋ったが、女は取り合わなかった。

「ダメだ。分かってくれ。なぁ、私の物になってはくれないのか?」

女は握った手に力を込める。

僕はここに来て、女に愛されているのだと知った。

握った手からは愛情と、不安が伝わってきた。

女は、母の面倒は自分たちがきちんとみると約束してくれた。

逃がすよりもずっといいだろうと言われ、僕も納得した。

その日はその後もぽつぽつと話をして、二人手を握って眠りに落ちた。


朝目覚めると、やはり女は先に起きていて僕の顔を見つめていた。

以前のような威圧感は感じない。

愛しく思ってくれているんだと、胸が温かくなった。

ベッドは女の血が固まってカピカピになっている。

いつも清潔で真っ白だったベッドがこんな風になっているところは初めて見た。

小屋の扉が開かれ、小さいのがぞろぞろと入ってくる。

うやうやしく礼をする小さいのに一瞥もくれず、女は立ち上がり僕に手を差し伸べた。

僕はその手を、今度は臆することなく取る。

いつも握っている小さいのの手より大きくて、細く長い指が僕の指に絡まって、だけどほんの少し冷たくて、なんだか妙な気分になった。

今日は穴のある建物に直行した。

僕も女も血や土でカピカピだ。

正直ありがたった。

女はまた数人がかりで服を脱がされるが、包帯だけになると僕に向き合った。

「お前が巻いたのだ。お前が取れ。」

女はいたずらっぽい笑みを浮かべて、手を広げた。

真っ赤になっている包帯をゆっくりと丁寧にほどいていく。

包帯の下からは次々に真っ白で傷一つない肌が現れる。

昨晩穴が開いていた腹も、細く引き締まったただの美しい腹に戻っていた。

元通りの美しい女の裸を間近で見て顔が熱くなっているのが分かる。

きっと真っ赤になっているだろう。

そんな僕の顔を愛しそうに女に見つめられているのが無性に恥ずかしかった。

僕は目を伏せていたが、女は満足したのか、先に小さいのに体を洗わせ始めた。

僕もそのあとについて横に座り、いつもの小さいのに洗ってもらう。

先に洗い終わった女が穴に浸かる。

今日はすぐに出ていかないようだ。

洗い終わった僕も穴に浸かりに行く。

いつもは小さいのと手を繋いで行くのだが、今日の小さいのはすっと離れていき、他の小さいの達と同じように穴の傍に控えた。

「さぁ、早く湯に浸かれ」

女が手招きする。

僕は少し距離を開けて女の横に入る。

やはりまだ裸の女と密着するのは気が引けたためだ。

だが女はそんなことお構いなしに僕の肩に腕を回そうとして、やめた。

「これならいいか?」

女は僕の手を取って指を絡める。

驚いたが、同時に小さいのが気になってそっちを見やると、全員正座で目を閉じていた。

女は僕が拒否しないのを確認して、僕の肩に体を預けた。

目の端で女の双丘がぷかぷかと水に浮かんでいた。

僕の肩とやわらかい女の肩が触れ合って、預けられた女の頭が僕の頬に触れて、股間が膨らんでいく。

それを見た女が笑いを零した。

今すぐに逃げ出してしまいたいくらいだったが、不思議と心地よさもあって、僕は少し呻くだけだった。

いつもは穴の外に腕を出して小さいのに手を握ってもらっていたから、右腕に違和感があって、なんとなく代わりに左腕を穴の外に出してみる。

やはり少しだけ違和感があったけれど、こっちの方がしっくりくるなと思った。


建物から出ると、供の女が待っていた。

女が鋭い眼光を飛ばす。

「っ、こっちへ」

頭こそ下げはしないが、僕への態度が明らかに昨日までとは逆転しているようだった。

女が僕に向かってほほ笑んだ。

「それではな。また夜に。」

あとはいつもと同じように一人を逃がすところを確認して、部屋に戻った。

シーツが取り替えられ、部屋はまた埃一つない綺麗な状態に戻っていた。

それからしばらく、穏やかな日々が続いた。

朝は一緒に風呂に入り、あの穴は風呂というのだと教えてもらった、昼間は少し退屈だし母や集落のことが気になるが何もせずぼーっと過ごし、夜は女と身を寄せ合って話をして眠る。

こんな日々に少しずつ慣れ始めていた。

その矢先に、小屋に帰ってきた女が僕に言った。

「今日はお前のバースデーだそうだな。集落の者たちがお前を思って各所で祈りを捧げていたぞ。」

非日常と何もしない日々ですっかり日付感覚がなくなっていたが、そうか今日は僕の誕生日だった。

だが、集落の皆が黙祷を捧げていたのは僕にではない。

「それは僕に対してではないですよ。天災の死者を悼んでいるんです。ここには家族を失った人も大勢いますから。」

生まれたことを喜んでもらえていない気がしていた。

僕が生まれた日、僕が生まれたことを祝福してもらうはずの日。

その日はいつも、失われた命と恐ろしい天災に皆想いを馳せるばかりで、僕は認められていないような気がしていた。

実際忌子なんて言う人もいたくらいだ。

ここに来てからは自分のバースデーは嘘を吐いた。

僕が天災で生まれ子じゃなければ、母ももっと心から喜んでくれたんじゃないだろうか。

「そういうものか。だが今日はめでたい日だ。なにか——」

「めでたい日なんかじゃないですよ。悲しい日です。」

思わず遮っていた。

くだらない自虐だ。

だが、女は心底不思議そうに首を傾げる。

「何故だ?確かに16年前の今日は多くのものにとって悲しむべき日であったかもしれん。だが、今日は天災が起きた日ではない。天災は16年前のものだが、お前は今日ここに生きているのだ。それを祝わずしてどうする。それに、お前が生まれた日だって、お前が生まれたのだから私にとってはめでたく素晴らしい日だよ。」

敬愛とはこういう気持ちをいうのだろうか。

僕はいまなら女のために何でもできる気がした。

この人についていきたいと思った。

「どうした?」

女が僕を覗き込む。

僕はどんな顔をしていたのだろうか。

女はためらいがちに僕の体に腕を回し、抱きしめた。

自然と涙があふれて、抱きしめ返していた。

その日、僕らは初めて繋がった。

本当に幸せな夜だった。

心からこの人のことが好きで、全てが繋がれた気がしていた。

女の上気した頬も、濡れる瞳も、愛を囁いてくれる桜の唇も、艶めかしく美しい肢体の感触も、全てが強烈に脳に焼き付いて、自分が女のモノであると自覚させられた。

心地よい疲労感に包まれて、女の胸の中で言葉を交わしている間にふと気になった。

「どうして今日が僕のバースデーだって分かったんですか?」

集落の人には違う日付を答えている。

知っているとしたら、母しかいない。

女は逡巡したのち、あまり言いたくないのだがと前置きして教えてくれた。

「母君がお前に会わせろとうるさくてな。あまりにいつもと様子が違うものだから、理由を聞いた。」

女はそこでいったん言葉を切る。

続きを待つ僕を見て嘆息した。

「誕生日だからと、言っていた。」

僕は途端に眼が冴えていくような感覚だった。

「お前は私の物だろう?ここにいてくれるよな?」

女が不安そうに僕の髪を撫でる。

「はい。もちろんです。」

僕は嘘を吐いた。

翌朝、いつものように女と一人を逃がすところを見送って風呂に入る。

身体を洗う際中、僕の様子がいつもと違うことに気が付いたのか、小さいのがこっそり僕の手に触れて首を傾げたが、女の視線に気が付いてすぐに手を離した。

そしていつもと同じように風呂の前で女と別れ、僕は一人で小屋に戻される。

この間女がどこに行っているのかは知らない。

けれどおそらくは戦っているのだ。

戦争に出かけているはずだ。

だからこの前傷を負って帰ってきた。

少し心配になるが、今はそれよりも会いたい人がいる。

僕はしばらく待ってから、こっそりと小屋の扉を開ける。

扉には鍵もなにもなく、すんなりと開けることができた。

小屋を出て一歩踏み出す。

供の女と目が合った。

「おい、どこへい、行く、のだ?」

供の女が言葉選びに苦心しながら訊く。

「その、また風呂に入りたくなってしまって、少し行って来てもいいですか?」

苦しいと分かってはいたが、これ以外にうまい言い訳が思いつかなかった。

「ダメだ。小屋にもど、戻って。」

話すたびに言い回しを少し考えるのでとても話しづらそうだ。

「あはは、あは、あはははは」

この時の僕はどこかおかしかった。

近頃女に慣れてきたこと。

昨晩の女とのこと。

僕に会いたいと必死になってくれた母の話をきいたこと。

供の女があの一件以来僕への態度を軟化させていたこと。

あらゆることが、母に会わなければという僕の使命にすら感じさせる決意を後押しした。

愛想笑いを浮かべながら周りを窺って、自分の小屋への道を考えていた。

そして供の女が僕を力づくで小屋に戻すことができず手を泳がせているうちに、駆けだしていた。

奴らから逃げるなんて考えもしなかったのに。

供の女は咄嗟に僕に手を伸ばすが、触れる寸前でびくりと動きを止める。

どうすべきかともたついている間に、僕は供の女を振り切った。

自分の小屋の前に着くと、供の女が何故か先回りしていた。

全身から血の気が引く。

供の女は困った顔で。

「ダメだ。かえ、帰る、んだ。」

と腕を広げて小屋の扉の前に立ちふさがった。

僕は呆然としてしばらくその場に立ち尽くした。

ハッキリ言えば拍子抜けした。

もっと恐ろしいことをされると思った。

想像もつかないような痛くて苦しい思いが待っていると、覚悟したのに。

供の女は僕に何もできないんだ。

僕は供の女を無視して小屋に入ろうとする。

だが、供の女は体を目一杯に広げ、入り口を塞ぐ。

供の女の体を押しのけ入ろうとするもびくともしない。

身体の隙間を抜けようとするが、当然すぐに態勢を変えて行く手を阻む。

子供のとおせんぼのようなくだらないやりとりが続いた。

息も荒くなってきたころに、不意に走り出して小屋の側面に回った。

供の女の不意を付けたようで一瞬出遅れる。

「母さん!母さん!」

窓から小屋の中に向かって叫んだ。

「母さん!かあさ、ん」

窓から見た小屋の中には誰もいなかった。

追いかけてきた供の女を振り返る。

「母はどこですか?」

目の前が真っ暗になったようだった。

まさかもう。

最悪の想像を振り切ろうと答えを求めるが、供の女はさきほどの言葉を繰り返した。

「小屋に戻って」

僕はまた走り出す。

あの子なら何か知っているかもしれない。

途中で何度も供の女が前に立って道を塞いだが、全て強引に押し通った。

走りながら、この数日自分のことばかりで母を思いやれなかったことを激しく後悔していた。

もっとやれることがあったのでは。

それ以前にも、もっとしてやれることがあったんじゃないのか。

母はずっと僕のことを思ってくれていたのに。

通り抜けては追い越されてとおせんぼされてまた通り抜けてを何度も繰り返して、風呂の前まで来た。

また供の女が目の前に立って手を広げるが、構わず辺りを見回す。

いた。

小さいのは自分の胴体よりも大きい、布を入れたかごを運んでいる。

駆け寄ってすぐさま問いかける。

あまりの勢いで目線を合わせようと膝をついたせいで、膝が地面を軽くえぐった。

土が付いて少し擦りむいたがそれどころではない。

「母さんはどこにいる!教えてくれ!」

小さいのは僕の飛びかかるような勢いに驚いて目をぱちくりさせている。

僕の後を追ってきた供の女をちらと見て逡巡した後、器用に片手でかごを支えて一つの小屋を指さした。

まだ生きている。

安堵で涙がこぼれた。

まずは謝らなくては、それから、それから。

僕は感激のまま小さいのの手を握った。

「ありが——」

握った瞬間に、カゴが割れ、布と小さいのが宙を舞った。

倒れた小さいのの胸は十字に裂けている。

後ろで供の女が跪いた。

僕にも分かった。

悪寒が近づいてくる。

たちまち震え出す足を引きずって少女のもとに這う。

力なく倒れた少女は目を開けてくれない。

「おい!おい!しっかりしろ!おい!」

自分の恐怖もろとも吹き飛ばそうと喉が張り裂けるほど叫ぶ。

けれど、女の足は止まることなくすぐ後ろまでやってきた。

土を踏む足音が聞こえた瞬間、小さいのを放って飛び退ってしまった。

女はちらりと僕の方へ顔を向けたが、僕ではなく小さいのに向かって歩いていく。

「いいのか?母君の元へ行かなくて。」

僕の方を見ずに女が余裕の表情で言う。

女が目を見ず話しかけてきたのは初めてだった。

動かない小さいのを助けたほうがいいのではないか。

ゆっくり歩く女の前からあの子を奪って母のもとへ向かえば。

小さいのをみるみる飲み込んでいく血の池を見ながらそんなことを考えたが、結局僕には踏み出せなかった。

心の中で何度も詫びながら教えてもらった小屋に飛び込む。

「母さん!」

母は部屋の真ん中にポツンとある椅子に座っていた。

僕を見るなり涙を流し、何度も僕の名前を呼んでこちらに来ようとして椅子から転げ落ちた。

地面に倒れた母に駆け寄り抱きしめる。

「無事でよかった」

「もう会えないかと思って」

口々に再会できた喜びを分かち合って涙する。

「誕生日おめでとう。と言っても昨日だけれど。」

目尻をぬぐって母が祝ってくれる。

「ありがとう。僕の方こそごめん。本当なら昨日母さんに会いに来るべきだったのに。」

「いいのよそんなこと。わたしはあなたが生きてくれていただけで嬉しいんだから。」

母に優しく抱きしめられ、僕も強く強く母を抱きしめる。

「気は済んだか?」

いつもと変わらぬ声音で女が訊いた。

突然現れた声に僕も母も飛び上がった。

「それにしてもひどい親だな。我が子のバースデーくらい胸を張って祝ってやらんか。不安がっていたぞ、自分はいないほうが良いのではと。」

「っ、それはちが——」

弁解しようとした母を遮り、女が僕の肩に手を置いた。

「だがもう大丈夫だ。私が求めているのだから。私はこれが欲しい。これは私の物だ。そうだろう?」

今度こそ僕の目をまっすぐに、頭の奥まで突き刺すように見つめて女は僕に答えさせる。

「・・・はい」

女は満足げにうなずく。

「しかし私も気が利かなかったな。これからはお前が望むのなら毎日母君に会わせてやろう。お前が望むならな。世話も自分でした方が安心できるだろう?」

くすくすと笑う女を、僕らは座り込んだまま見上げていた。

昨日やっと通じ合えたと思ったのに、女のことはやはり全く分からなかった。

それでも、女に感じるのは恐怖と畏怖と敬愛と尊敬と絶望と、それから。

とにかくいろんな気持ちで、その中にはきっと、愛情もある。


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