4話
授業が終わる。
僕は、足早に教室を去る明希の背中を見送る。
こんな生活が、もう2週間も続いた。
あー……寂しい……失う前から明希の大事さには気づいていたのに……失ってなお気付かされる……
授業中も放課中も、話しかけたとしても伏し目がちで僕と話したくない様子であった。
つまり、やんわりと拒絶されているのである。
女の子のケンカってこんな感じなのかなぁぁ!?特にケンカした訳じゃないのにぃ!優しい拒絶が逆にキツすぎるぅ!
「寂しいよ、明希………」
うつ伏せで、誰にも聞こえないくらいの声で言った。
「………ねえ、ちょっと」
が、聞こえてしまっていたのか、はたまたそうではないのか、うつ伏せになった僕に上から話しかけてくる人がいた。
むくりと起き上がって見る。
「あ、月山さんと桃井さん」
いつも通り、月山さんは険しい表情をしてるし、桃井さんは何を考えているのか分からない。
「いつまでアンタらケンカしてんの?主役の2人がズレてるせいで、クラス全体の練習に支障が出てきてるんだけど」
アンタら、というのは、僕と明希の事だろう。
確かに、僕達2人は1番重要な役であるので、1週間前くらいからクラスの方にも迷惑がかかり出した。
詳しく言えば、歌に合わせて踊る所の練習が出来なかったりとか、僕達2人が会話するシーンの練習が出来なかったりとか。
「別にケンカしてる訳じゃないんだけどね……」
「じゃあ、さっさと前みたいにうざいくらい仲良くしてなよ」
「いや、僕もそうしたいところではあるんだけど……って、変な意味じゃないからね!?」
「変な意味?」
「あぁいや、なんでも………とにかく、僕達はケンカして仲違いしてる訳じゃなくて、一方的に避けられてるんだよ」
うわ、言ってて自分で傷ついた!
「ふぅん、アンタ、あんまりにも下手だから、愛想尽かされたんじゃない?」
月山さんに言われて、なぜかとても合点がいった。
そうだよ、ああやって明希自身がが悪いみたいに言ってたけど、僕に気を遣ってくれてたんだよきっと。僕に教えるのが面倒臭くなったんだよ。
明希よりも、僕の方が絶対に下手なんだから。
そう思うと、何故か涙が出て来て、止まらなくなった。
「そうなのかな………僕じゃ駄目なのかな………」
ぽた、と机に雫が落ちる。
「え、えぇっ?泣くほど!?」
「やっぱり下手だから………明希に愛想尽かされたんだ……」
「ちょ、ちょっと!ま、えぇっ!?なんで急に!?」
こんなに辛いなら、このまま母さんに言って、学校辞めさせてもらおうかな………
弱っている心のせいで、そんな考えまで浮かんだ。
「……月山さん、流石に北柳さんを泣かせるのは違うんじゃ無い?」
「そうだよ、言い過ぎだよ」
「謝った方がいいよ」
「うぐっ………」
「牡丹〜、謝った方が〜、いいと思うな」
「紅葉までそっち側なの!?」
「いや、謝らなくて、いいよ……僕が下手なのがいけないから……」
涙が溢れて止まらないのは、月山さんに酷い事を言われたからじゃ無い気がするから、謝られる必要はない。
「………〜〜〜ぁぁあっ、もう!分かった、分かったから皆んなそんな顔して見ないでよ!」
「謝るんだぁ〜?」
「いいや、謝ったりはしない」
「えぇ〜?じゃあ〜、何が分かったの?」
「北柳さぁ、結局は、アンタが悪いって自覚したから泣いてるんでしょ?」
「う、うん………」
「なら、アタシが教えてやるから、上手くなってさっさと仲直りすれば良いじゃん。指導係が居なくなって、アンタ下手になってく一方でしょ?そんなんが主役じゃ、アタシ達まで下手に見られるじゃん」
「月山さん………良いの?」
「良くないよ。アタシだって嫌だけど……こうまでしないと、クラスの皆んなの視線が痛いから」
「月山さん……そういうの気にするんだ」
「うるさい」
ありがとう、っていうのは変かもしれないけれど、心の中で、感謝を尽くすことにする。
月山さんは怖いけど、教えてくれると言うのは嬉しかった。
ちょっとだけ涙も引いた。
「ほら、立ちなさいよ。さっさと稽古場に向かうから」
☆☆☆☆☆
僕が明希と離れることになってから、1年生用の稽古場に明希が顔を出す事は無くなった。
だからと言うべきか、僕はここ最近、稽古場の中で他の人達に混じって練習していた。
でも明希が稽古場に来なくなったせいで明希と僕との場面が進まなくなってしまったし、先生もずっと僕達のことを気遣ってくれてるけど、そろそろ怒られても仕方ない。
「で?どこ教えて欲しいわけ?」
着替えてから稽古場に入ると(僕は勿論、母さんの計らいで他生徒とは別の部屋で着替えている)、面倒そうな顔でそうやって言われた。
怖っ。美人だから、怖っ。
でも、前みたいに悪巧みしてそうな顔ではなかったから、そういう怖さは無い。
「北柳は〜、歌もダンスも〜、演技までもが素人だから〜、全部教えてあげたら?」
「そんな時間ないっての。アタシだって、そこまで面倒見てやれないから、最短ルートで成長してもらうから。分かった?」
「はい!教官!」
「は?ふざけてんの?」
「あいや、すいません………」
ごめんなさい調子に乗りました。だからその顔やめて下さい凄い怖いのでホント。
「とりあえずアンタなんて、持ち前の男っぽい雰囲気しか良い所ないんだから、全部にアンタの素を出したらそれっぽくなるんじゃないの?」
「男っぽい雰囲気って、良い所なの?」
「………持ってない人もいるから」
「牡丹には〜、無いものだもんね」
「………うるさい」
月山さんは仄暗い表情になるが、その真意を深く理解する事は出来ない。
「ダンスは良い意味でも悪い意味でも荒っぽいから、後回しにする。歌もまあマシだけど、酷いのは演技」
「う……演技だけはどうしても掴めなくて」
ダンスは偶然何とかなってなくも無い。歌も、人生で歌ったことのない人なんていないだろうから、ある程度何とかなってる。
けれど、演技はどうにもならなかった。
「台本、ある?ここの、真鍋が演じるフランツェと初めて会うシーンのとこ開いて」
「ここだよね。確か、フランツェのメイドかと思って話していたら、実はフランツェ本人だったっていうドッキリのとこだよね?」
「そう。フランツェは、紅葉、やってくれるよね?」
「りょ〜かい」
桃井さんのフランツェか……明希が演じるフランツェは少ししか見たことないけど、いたずらっぽいフランツェの雰囲気と明希の明るさが相まって、天真爛漫なお姫様みたいになってた。
桃井さんのフランツェは想像がつかない。
「じゃあ、始めて」
「………『メイドさん、フランツェ様とはどんな方なのですか?』」
「『うふふ、そ〜ですねぇ……昼間のお月様のような人ですよ』」
彼女は、フランツェ本人が扮するメイド。カーニャはフランツェ本人とは気づいていないシーンだ。
「『昼間のお月様?』」
「『昼間の空は明るくて、お月様が出てたとしてもうっすらとしか見えないですよね?』」
「『はい。薄くて白っぽく見えるだけです』」
「『明るい中では〜、ほとんど見つけられない。そんな方です』」
桃井さんは、1つの感情では言い表せないような、曖昧な表情をした。
だけど、いつもの桃井さんよりも、人間らしく思えた。
「『あれ?それって褒めてるんですか?』」
「『ええ、もちろん。ご主人様ですから』」
「『だったらきっと、分かる人には分かる、って意味ですよね?』」
「『え?』」
「『フランツェ様を慕ってついて行く人は皆、フランツェ様の素晴らしさを理解している人なんでしょうね。勿論、貴女も』」
「『そ〜、ですね………あはは、初めて言われたな、そんな事』」
「『え?どう言う事ですか?』」
「ストップ」
と、これから物語が進んでいくと言うところで、止められた。
「北柳。前と比べれば棒読みじゃなくなったのね」
「え、ホント!?よかっ………」
「でもそれだけ。そんなのは演技じゃなくてただの音読だから」
「うっ!」
お、音読っすか……?小学校の時とかに1人づつ読んでったあの音読と同じって事っすか……?
てことは、結局成長して無いじゃん!
「アンタ、フランツェの事考えてた?」
「それは勿論、考えてはいたよ?」
「じゃあ、セリフ一個一個に込められた感情は?今フランツェはどんな格好してた?どんな化粧をしてた?それぞれの動きは?それぞれの表情は?」
「す、ストップストップ!そんなに考えてたら、自分の事まで考えられなく………」
「違う。まずそこが違う」
「え?」
違う?僕の今言った事の、どこが間違いだったのだろうか。
「自分の事なんか考えるな。周りの景色とか、空気とか、表情とか動きとかを考えるの。そして、その環境に自分を合わせる。周りの空気から先に作っていけば、そこに『自分の役』という空白が浮き出るから、そこに入って行くだけでいいの」
「空白……?周りから考える……?」
周りを考えて行くと、その先に自分の役が見えると言うのか?
でも、いつかは自分の役の事を考えないと、何も見えないじゃないか。周りの事だけを考えていたら、それこそ自分が空気になってしまうんじゃないか。
月山さんの言っている事が、どうにも分からない。
「牡丹〜、あんまり難しい事言うと〜、北柳じゃ理解しきれないよ」
「はぁ?結構分かりやすく言ったつもりなんだけど…………どこが分からないの?」
「えっと、自分の役の事を考え無くても、自分の役が見えてくるって言うのが、どうにも」
「あぁー、それはだから、つまり…………いや、アタシの言い方が悪かった。自分の事を考えてないわけじゃ無くて、むしろ1番考えてるの」
「??????」
「より分からなくなってるよ〜」
「だから、自分の事を最優先してるから、周りを考えるの。自分の事は自分じゃ見えないから、自分から見える周りの景色を見る事で、その景色に馴染んでいくの」
「うん?えぇ〜………っとぉ?分かったような……いや、分からないような〜………」
自分を最優先して、周りに馴染む?自分を知る為にはまず自分に関わる事からって意味?
「とりあえず〜、練習するしか〜、無いんじゃない?」
「……そうね。じゃあもう1回同じ所から」
「…………あ、はい!」
考えても分からないなら、分かるまで考えよう。
この練習で、何かを掴まないと………!
☆☆☆☆☆
何も分かりませんでした。
「全っっっっ然変わらないのねアンタ」
「自分でもビックリっす……」
再度練習を始めてから1時間程の間、言われた事を意識すればする程、逆に迷走していった。
「最初より悪くなったんじゃない?」
「うっ、そうかも……」
ずっと考えた末に、演技とは何か、自分とは何か…………のような哲学的な悩みにまで行き着いてしまった時にはもう手遅れだった。
「ずっと思ってたんだけど〜、牡丹が〜、お手本見せれば?」
「確かに!月山さんに演じてもらえたら、何か分かるかも!」
「え?そんなんでいいの?」
最初に言えよ、という言葉が顔から聞こえてくるみたいだった。
「……じゃあ、さっきの途中のところから行くから。……『メイドさん、フランツェ様とはどんな方なのですか?』」
いつもはキツイ声質でキツイ事を淡々と述べてくる月山さんだが、役に入ると表情が全く変わる。
男が持つ特有の『荒さ』がない、清楚な青年だった。
「……『うふふ、そ〜ですねぇ……昼間のお月様のような人ですよ』」
それに応える桃井さんも、釣られてセリフの質が良くなったみたいだった。
「『昼間のお月様?』」
「『昼間の空は明るくて、お月様が出てたとしてもうっすらとしか見えないですよね?』」
ゆるい微笑を張り付ける桃井さんの顔は、ほのかな妖しさを感じる程だった。
そしてその表情を受ける月山さんの顔は、表情から窺い知れる色香を、全く理解できていない田舎育ちな愚か者に見える様な、素っ頓狂な表情をしていた。
「『はい。薄くて白っぽく見えるだけです』」
「『明るい中では〜、ほとんど見つけられない。そんな方です』」
「『あれ?それって褒めてるんですか?』」
「『ええ、もちろん。ご主人様ですから』」
「『だったらきっと、分かる人には分かる、って意味ですよね?』」
「『え?』」
月山さんの表情は、光に照らされたみたいに明るくなる。
妖しさも何の屈託もない、元気な青年の笑顔だった。
「『フランツェ様を慕ってついて行く人は皆、フランツェ様の素晴らしさを理解してる人なんでしょうね。勿論、貴女も』」
「『そ〜、ですね………あはは、初めて言われたな、そんな事』」
桃井さんの表情から、妖しさが消える。
そしてその奥から覗くのは、フランツェの本来の表情。
月山さんは爽やかな青年の笑顔をしていて、これはカーニャの表情なんだろう。
お互いがお互いの役の中で、高め合いながら生きている。
2人が演じる役が、そこに本人がいるかの様に呼吸をしている。
お互いがお互いを見ていて、同時にカーニャとフランツェであると意識し合っているーーー
「あっ」
「何?」
ーーー不意に、見えた。景色が開けた。
「分かったかも」
「分かったって、何が?」
「それは分からない。けど、分かった気がする」
「は?訳わからない事言って、終わらせようとしてない?」
「いや……」
多分そうじゃ無くて、月山さんが言ってた事が突然腑に落ちたんだ。2人の掛け合いを見て、意味が頭にスッと入った。
「もう1回、セリフお願いしても良い?勿論、今度は僕がカーニャで」
「………え〜?別に〜、良いけど?」
僕の言ってる事が正しければ、自分の事を最優先に周りのことを考えるって言うのは、こう言うことだと思うーーー
僕は、自分の思う様に、演技をしてみた。
☆☆☆☆☆
それから、数分後。
僕と桃井さんとの掛け合いが終わった。
でも、終わってから数秒経ってからも、2人は何も言わなかった。
「ど、どうでした……?やっぱダメだった?」
「……」
「……」
「何かは言ってよ!?下手なら下手って……」
「いや」
遮る様に、月山さんが言った。
「下手じゃなかったよ」
「あれ……?」
「見違えるほど変わった。認める」
「ほ、ほんと!?」
初めて褒められた!?しかも、月山さんに!?これは、相当凄いことなんじゃないか!?
そうやって素直に喜びたいところだが、どうやらそういう雰囲気でもなかった。
2人の表情は、およそ人の事を褒める顔とは思えない様な、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「えっと……喜んで、良いんだよね?」
顔色を伺ってみるが、返答はない。
いつもふわふわとした表情を浮かべている桃井さんも、今は鋭い目つきで思案する様な表情をしている。
「………すぐ出来ちゃうんだ……」
「え?」
「なんでもない」
な、なに?この空気……?僕、褒められてるんだよね……?なのになんでこんな怖い顔でジロジロ見られてるの?
理由は分からないが、2人の機嫌は良くなさそうだった。
「え、えっと……演技はもう、大丈夫ですかね……?」
「…………そうね、思ったより早く終わったし、ダンスやるよ」
「はい!」
なんでもない、のか?
僕の演技が良くなった事で2人の機嫌が悪くなった理由は分からなかったが、とりあえず、その日いっぱいは2人から色々なことを教えてもらった。