2話
次の日の授業後。
僕たちは全員、1年生用の練習場に集められていた。
「今日から全体で練習を始める事になるので、個々の稽古が思うように出来なくなる日が増えると思います。特に、主要人物の4人」
「はい!」
僕は元気よく返事をした。
授業後も全体練習が始まるから、練習する場面に出る人は、自分達の練習よりも全体練習を優先しなくてはならない。
そして、出る場面の多い僕たちは、尚更だ。
「では、今日は台本の読み合わせをします」
昨日配られた台本を開く。
「では始まりの、王子ヒストがメイドのシュルトの手引きで城を脱出するシーンから」
戴冠式前日の、お祝いムードと警戒体制が混ざったような空気の中、ヒストがシュルトについていきながら、城を出るシーンだ。
いきなり、月山さんと桃井さんの見せ場だ。
「『シュルト、こっちに警備はいないぞ』」
「『ヒスト様、あまり離れないで下さい。私が先に行きますので』」
2人がセリフを発すると、空気が一気に緊迫した。
聞いているこっちの息が詰まりそうだった。
「『……あれは?ヒスト様!』」
「『な、なんだ!?』」
シュルトが何かを見つけ、咄嗟にヒストを隠す。
「『ーーーおや、シュルトさん、お出かけですか?』」
「『ええ、町に買い出しに』」
「『明日が戴冠式だっていうのに、ヒスト様専属のメイドさんが外に出て行っていいのですか?』」
「『そのヒスト様からのご命令ですので』」
「『そいつは失敬。それでは、警備に戻ります』」
「『是非ともそうしてください』」
警備兵はシュルトに不躾な事を何回か言うと、警備に戻っていく。
どうやらシュルトは、ヒスト専属のメイドとして優遇されているからか、厄介者扱いされているようだった。
「『ヒスト様、もう大丈夫ですよ』」
「『ふん、あの無礼な警備兵を解雇してやりたい所だが、今はやるべき事があるからな。許してやる』」
「『私のために怒ってくださって恐縮でございます。もうすぐ出口です。外の世界に出れば、ヒスト様は自由の身です。戴冠式は明日の正午。それまでに、代わりの者を連れて来てくださいね』」
「『分かっている。病弱で寝込んでいた王子の顔なんか、お母様ですらしらないだろうからな。誰が来たって、新国王ヒストとして迎えられるさ』」
「『………ご武運を』」
「『ああ』」
いつものらりくらりとした雰囲気を持つ桃井さんが演じるシュルトの、ヒストとの別れのシーン。
桃井さんの声で浮かび上がったセリフが、シュルトの寂しさや悲しみ、一抹の期待すら、伝わってきた。
これが、エストリアの演技なんだ………演劇の枠組みを超えて、シュルトが存在してるみたいだ。
僕に主役を止めろと言ったのは、桃井さんや月山さんの様な才能ある人を、傷つけないためなんだと思えた。
「はい、いいでしょう。では、次のシーンーーーー」
☆☆☆☆☆
それから少しあって、僕が演じるカーニャが初めて都会に出てくるシーンが来た。
「カーニャが田舎から初めて町に出てきて、故郷との違いに感動するシーンですが………出来ますか、北柳さん?」
「はい!やります!」
出来る限りの事はやります!と、威勢良く返事をしたが。
「こっ………『ここが城下町かぁー。建物も馬車も、みぃんなおっきいしぃ、僕の故郷が、100個入っても足りないよー』」
「………『町の人全員が、歌ってるみたいに楽しそーだなー。馬車の馬だってぇ、踊ってるみたいだなー』」
「『世界は広いなー。僕の世界はなんて狭かったんだろー』」
「『こんな都会に……』」
「ちょっと、一旦止めてください」
「………?何ですか?」
言われた通りセリフを言っていると、先生に止められた。
「一応聞きますが、真面目に演じているんですよね?」
「はい、勿論です!」
そりゃ、真面目に演じるよね。あれだけのことを宣言したんだから。
でも、先生はおろか、クラスメイト達ですら、表情が浮かない。月山さん達に至っては、怒りを隠しきれてない。
………僕の演技がどうだったか、流石に理解しました。
「どこをどう直せばいいのか………」
いやホントごめんなさい。全部が全部ダメなんですね。直すとこしかないってことですよねその感じは。
と、そんな時。
「先生、ちょっと良いですか?」
「はい、なんですか真鍋さん?」
明希が手を上げた。
「先生も考えてると思うのですが、やはり、いつもの友紀ちゃんの方が青年っぽく見えると思うんです」
いつもの僕?そりゃあ、僕は男として15年間生きてきたわけだから、男の雰囲気を隠しきれないよね。
「だから、一度友紀ちゃんに好きに演じて貰えば、役の雰囲気も掴めるんじゃないですか?」
「………なるほど、一度セリフを無視して演じると言うわけですね。面白そうです、やってみましょう」
え?セリフ無しで演じるって、結構難しい事じゃない?
「友紀ちゃん、できる?」
出来ないと思うけど…………
「やってみるよ」
やってみなきゃ始まらないからね。
「………ここが城下町か。母さんに聞いてたのと違って、結構僕の住んでた町と変わんないんだな」
もし僕がカーニャのように田舎から都会に来るとしたら、来る前に自分の中で都会のイメージを膨らませすぎる筈だ。
だからきっと、思ってたよりも普通で、安心すると思う。
「あ、都会でも馬車を使ってるじゃん!車が空を飛んでるって母さん言ってたけど、嘘だったんだ!」
僕の母さんなら、都会に出る直前の緊張する僕に向かって、有る事無い事教えてくるだろうな。それで、びくびくする僕をみて、楽しむんだ。
「でも町の人達は皆んな楽しそうだ。僕の故郷は、皆んな腰が曲がって地面ばっか見てたから!」
段々楽しくなって、ふふっ、と笑ってしまった。
ーーーあ、今のは不味かったかな?
急に夢から覚めたように、僕は演技をやめた。
流石に素を出しすぎた気がしたので、クラスの人達の表情を窺う。
と、皆んなして僕の方をぼーっと見ていた。
やっぱり僕の素を出すと、つまんない劇になっちゃうんじゃーー
「………凄い」
「え?」
最初に口を開いたのは、誰だったろうか。
少なくとも、僕は名前も知らぬクラスメイト。
「楽しそうな景色が見えた……」「カーニャ君の純朴な雰囲気出てたよ!」「うん、田舎から出てきたばかりの青年にしか見えなかった」
続々と声が上がる。
「友紀ちゃん、凄いよ!カーニャ、カーニャだった!」
「え?え?」
「ええ、これは驚きですね。先程までの棒読みとは全く違って、カーニャ本人にしか見えませんでした」
「せ、先生まで?」
どうやら褒められているようだった。
しかも、僕がさっきまで全く出来なかった演技という枠組みで。
「………出来るなら最初からやれよ」
「棒読みの方が〜面白かったけどね」
月山さんと桃井さんも、今回ばかりは罵倒してこないようだった。
いや、桃井さんはちょっと怪しいけど。
「ぼ、僕、上手く演技できてたのかな……!」
これは、良い手応えかも……!
腹の底から情熱が湧き上がってくるこの感じは、今までにない感覚だ。自分の演技が認められた高揚感なんだろうか。
「とりあえず今日の読み合わせは、大体の流れをそのままにして、北柳さんのいつもの雰囲気で読んでもらいましょうか」
こうして、初めての読み合わせは、台本のセリフを全く言わないという斬新なスタイルでの練習となった。
でも、即興でセリフを考えれるっていうのも、僕の長所なのかな?
☆☆☆☆☆
セリフを全て合わせ終えた時、時計は6時過ぎを指していて、外は既に暗くなりかけていた。
演技をするというよりも、僕に関しては頭を使う方が多かったので、思考がぼんやりするような疲れがきていた。
「友紀ちゃん、お疲れ様。やっぱり友紀ちゃんは、男っぽくないのに男っぽいっていうか、男感が滲み出てるというか………とにかく、上手だったよ!」
「はは……明希に褒められると嬉しいな」
明希はこうやって言ってくれているが、その実、月山さんや桃井さん、そして明希と比べれば、実力の差は歴然だった。
僕は気を遣ってもらって、セリフを変えて素の僕として演じさせてもらっているのに、セリフを言っている3人の方に追いつける気がしない。
「友紀ちゃんはこの後どうするの?」
「全体練習終わったし、自主練してこうかな。寮に戻っても特にやる事ないし」
疲れたのはほとんど頭だけなので、ダンスなら練習していける。
そう思って、ダンスの練習をこれからする予定だった。
「それなら、私も一緒に練習するよ」
「え、いいの?疲れてない?」
「友紀ちゃんの方が出番多いんだから、疲れたなんて言ってられないよ。それに、本番はセリフと歌とダンスと、全部やるんだから、これくらいで疲れてられないって」
「明希………!」
全体練習始まってからも僕に付き合ってくれるなんて、優しすぎる。優しさの塊。優しさ村の村長。優しさ峠の曲がり角。
「じゃあ、ダンスの練習に付き合ってもらっても良い?」
「もちろん!」
「とりあえず、授業で習ったダンスを練習しようと思うんだ。友紀ちゃんも、振り付けは入ってるよね?」
「流石にね」
会話をしながら、僕の少し右前に明希は立った。常にお手本として踊ってくれる明希と、それを見ながら自分のダンスも見る僕との、定位置だった。
「1回振り付けを全部通してやってみよっか」
明希がカウントを始めて、同時に踊り始める。
頭の中で考えるよりも先に、体が振り付け通りに動く。
鏡を見ると、多少ぎこちなく手足を動かす少女の姿があって、自分の姿がどこにあるのか、一瞬分からなくなる。
だけど、自分は今女子なんだと思い出して、必死に踊る自分の姿を追った。
だけどーーー
鏡の中での視線すら、いつしか自分の姿から離れていた。
重力が鉛直下向きに加わっているように、もう1つの引力が明希の体から加えられているみたいだった。
僕と違うダンスを踊ってるみたいだ。
僕が地を踏むステップも、彼女が踏めば蝶が舞うように軽やかで、ターンの速さは、僕が1回転するうちに3回転はしそうだった。
「………6、7、8!」
「ふぅー!やっぱ上手いね、明希は」
1度振りを通し終えるても、明希は息切れしてなかった。
「まあ見ての通り、僕のダンスは素人丸出しなわけで、クラスの皆んなとはほど遠い訳だけど………どこから直したら良いと思う?」
「そうだねぇ……確かに技術的なものは差があるかもしれないけど、何となく動きが無骨で、男っぽい感じがするから、男役の内は変に直さない方がいいかもね。私のダンスは、娘役のダンスだから」
「じゃあ、基礎的な事だけでも教えてもらえますか?」
「………そうだね、基礎は大事だもんね。じゃあ、最初から確認していこう」
明希は、今度は僕の真正面に立ってカウントを数え始めた。
カウントの始まりに合わせて、僕は振り付けを始めた。
そして、8カウントが2回程終わったところで止められた。
「友紀ちゃんの荒々しいダンスは良いと思うけど、やっぱり荒々しすぎて素人っぽく見えるのかも」
「なるほど?じゃあ、ちょっとだけしなやかさを入れた方がいいみたいな事?」
「うん。まず、指先からだね。友紀ちゃんはダンスに集中し始めると、振り付けをこなすのに夢中になって、指先の動きがおざなりになってるから」
「確かに……踊ってると、指先まで意識がいかない……」
指先かぁ。素人の僕は振り付け通りに踊るだけで精一杯だから、指先の事なんて考えてもなかったな。
「ほら、とりあえずこの形で固定してみよう」
明希はそう言って、親指以外を立てた『4』の手の亜種みたいな手を見せてきた。
『4』の手と違って、全体的にちょっとずつ開いていてカッコいい。
「うわぁ、指、細長いね」
それを見て僕は、下心丸出しの感想が漏れ出てしまった。
「それを言うなら友紀ちゃんもでしょ?ほら、私の手、真似してみてよ」
明希は、僕の手を強引に持ち出してきて、指を一本ずつ形作って明希と同じ手の形にした。
「ほら、こういう感じ」
「ちょ、ちょっと!く、くすぐったいって!」
女の子が男の人の手を無闇に触るんじゃありません!めっ!僕が下心を燃料にして動くロボットだったらどうするの!?明希ちゃん襲われてるよ!?
まぁ、明希からしたら女の子同士のスキンシップだから、どうって事ないんだろうけど。
「もう………ちゃんとわかった?その手を意識して、もう1回同じとこ踊って?」
もう1度、明希がカウントを始める。
指先を意識しながら………っと、やば、ステップ間違えそう……うわ、結構難しいぞ……?
さっき止められた2回目の8カウントを超え、さっきやらなかった振り付けに入った。
だが、ターンや、腕を回す振りや、ステップが入ってくるともう指先のことなんて考えてられない。
「はい、ストップ。今、また忘れてたでしょ、指先」
「う、バレた………」
「ふふ、顔、必死だったもん」
明希は意地悪そうな笑顔をした。
「もう1回!今度は、もっと頑張るからさ!」
「うん、じゃあ、もう1回ーーー」
「あのー、真鍋さん、北柳さん」
「ちょっといい?」
声がした方を見ると、教室内で見たことある顔が2人。
「あのー、もしよかったらなんだけど、一緒に練習させてもらってもいい?」
「実は、私達も授業についていけてないの!真鍋さんはいつも圧倒的に上手だし、悪い所を教えてもらいたいなって………」
思いもよらない申し出だった。
ここ1週間、僕と明希が2人で練習していると、遠巻きに腫れ物扱いするような目で見られるだけだったから。
それに、役が決まった時も、クラス中が僕に対して不満を見せていたから。
なのに、声をかけられて、一緒に練習したいって言われるなんて………やっぱり、明希の上手さは他人を惹きつけるんだな。
「じゃあ、僕は離れて練習してるね」
というわけで、僕が今ここで言うべき事を言う事にした。
この2人も、明希に教えてもらいたいだけなのに、全然レベルの違う僕がいたら邪魔だろう。
それに、僕と練習してたら、この2人まで下手なんだと思われそうだ。
そんな事を、考えていたのだけれど。
「どうしてそうなるの?」
意外な返事が返ってきた。
「どうしてって、僕がいたら2人の練習の邪魔になるでしょ?」
僕の考えを伝えてみたが、顔を見る限り、全く理解してもらえていないようだった。
「むしろ、邪魔になるのは私達の方でしょ?」
「そうそう、私達が後から来たのに、北柳さんが私達に気を使う必要なんて無いよ」
「そ、そんな……」
だって、僕は素人で、皆んなの足を引っ張ってて、ひっそりと1人で練習するべきなのに明希に甘えていて、もう他の人の足なんて、引っ張れないのにーーー
「友紀ちゃん、練習の時間、無くなっちゃうよ?」
この人達は、僕に、付き合ってくれるの?
「……………うん、ごめん。練習の時間、無くなっちゃうね」
明希の方を見ようとすると、情けない顔になりそうで、顔を上げられなかった。
もっとも、壁に張られた鏡には、映ってしまっていたのだけれど。