1話
歌の稽古。
「ラララララララララー」
「北柳だけ音がズレてる!」
踊りの稽古。
「ワン、ツー、スリー、フォー………」
「ユキちゃんテンポズレてるよー。バテるの早すぎだからー」
演技の稽古。
「わっ、私!あなたに、かつ……隠してた事があって!」
「友紀、噛み過ぎ!何言ってるかわかんない!」
etc………
エストリア歌劇学校の生徒として授業を受け始めて1週間。
あれだけ啖呵を切ったのに、肝心の僕はというと、死ぬ程授業に置いて行かれていた。
素人だし、仕方ないよね………
と思ってるのは僕と母さんくらいのもので、大それた事を言った割に中身が伴ってない事がクラスの皆んなの反感を買い、既に孤立気味。
「大丈夫、友紀ちゃん?」
そんな中でも、明希だけは僕に積極的に話しかけてくれていた。
その上、「友紀ちゃん」「明希」と呼び合う仲にもなった。
「ううー………ホントに、エストリアの生徒は皆んな歌もダンスも演技も超一流だよね……」
「何言ってるの。友紀ちゃんだって、その学校の生徒でしょ?」
ごめんなさい、裏口から入ってきた男なので、正式な生徒ではありません。
だから愛想笑いで誤魔化した。
「放課後の自主練、行こう?」
「凄い体力だね……先稽古場行ってて。もうちょっと休んでから行くから………」
「わかった。今日はダンスの稽古ね?」
「りょ、了解ですぅ〜…………」
あまりにも皆んなとの差があり過ぎるので、僕は毎日放課後に、明希に稽古をつけてもらっている。
なにせ明希は、歌もダンスも演技も全てが上手い。新入生代表に選ばれるだけあるよホント。
このまま何もしなくても、明希なら3年生に勝てちゃうんじゃないかってくらい。
「僕も体力つけなきゃな………」
実を言うと僕は元々サッカー部に所属していたので、運動には自信があったが、体が丸々変わってしまったので、使い方が分からなくて余計に疲れている節はある。
自分が考えている以上に女子の体は繊細で、すぐにオーバーヒートしてしまう。
そんな事考えていると。
「あれ、北柳じゃない?あそこに座ってるの」
「ホントだぁ〜、何で休んでるんだろうねぇ?クラスの足引っ張ってるのに〜」
こんな感じの会話が聞こえてきた。
ちょっとちょっと!聞こえてますよ!
………って、聞こえるように言ってるんだろうな。
こういう見えすいた陰口をよく耳にするようになった。
最初のうちは、「僕を敵にして団結するならそれはそれでいっか」とか考えてたけど、ずっと続くと心にくるものがある。
わざわざ聞こえるように言わなくても良いのにねぇ。
「稽古行くか………」
気分は下がりながらも、僕は明希の元に行くことにした。
☆☆☆☆☆
1年生用のダンスの稽古場の壁一面に張られた鏡には、数人の1年生が映っていて、その中に明希の姿を見つけた。
妖艶な表情を浮かべながら、水の上に揺蕩う様に舞うその姿は、一朝一夕の努力でたどり着ける境地ではない事を想起させる。
流石だ……上手すぎる……ずっと見てられる……天使……
「あ、友紀ちゃん!」
「わっ!天使がこっち来た!」
「天使?」
「何でもないですごめんなさい」
こんな僕にも優しくしてくれる明希は天使以外の何者でもない………
「さぁさ、練習しよ!」
「よろしくお願いします」
「基礎からやっていこっか」
そうして僕たちは練習を始めた。
ターンとかステップとか、その他諸々。
基本の動作すらままならない僕なので、明希の練習の手を止めさせて基礎から教えてもらうのは申し訳なくなってくる。
こういう所が足を引っ張ってるっていうんだろうな………
「ふーっ………」
「ちょっと休憩しよっか」
「いや、まだいけるよ!」
「何言ってるの。ちゃんと休憩した方が、無闇に練習するよりよっぽど効率が良いんだから。じゃないと怪我するしね」
「………はい」
1時間半ほど経って、僕は明希に休憩を切り出されてしまった。
僕は足が震えて息も上がってるっていうのに、明希は全くそんな様子が無い。
「ふんふんふーん………」
鼻歌混じりに踊ってらっしゃる……授業に加え僕の指導をして、息すら上がってないなんて化け物としか思えない……良い意味で。
「そんなに踊り続けて、疲れないの?」
「ううん。そんな暇、無いから」
「というと?」
「あの日、入学式の日にね?私の代わりに舞台の上で、友紀ちゃんが3年生に挑戦状を叩きつけた時にね、私思ったの」
明希はダンスを止めて、僕を真っ直ぐ見る。
「負けてられない!って」
「明希………」
そんな事思ってたんだ………ていうか。
「僕が明希に勝てる所1個もないから、大丈夫だよ」
「もう、友紀ちゃんは自分が思ってるよりも凄いんだから!」
僕に理性が無かったら抱きしめてるよホント。
☆☆☆☆☆
次の日。
今日も今日とて皆んなの足を引っ張りながら、授業を終えた。
が、今日はそれで終わりでは無いようで、担任の先生が珍しく教室に来て話を始めた。
「夏公演の台本が出来ました」
教室が一気騒めく。
エストリアでは、学年の担任が演目の台本を作ることになっており、演出も担任が行う。
また、エストリアでは1つの年度に4から5回公演がある。
6月に行われる夏公演、9月に行われる秋公演、12月に行われる冬公演、そして、2月に行われる春公演。
この春公演を持って、3年生は卒業となり、今の2年生、つまり新3年生は入学式に公演がある。
つまり、6月の夏公演が、1年生のデビュー戦というわけだ。
それでもって、それぞれの公演では、お客さんの『満足度』が計測される事になっている。
『満足した』か『満足しなかった』の2択からお客さんが選び、『良かった』の割合が『満足度』となる。
基本的にお客さんは優しいので、『満足度』は70%を下回ることはないが、今の3年生は歴代最高と言われており、平均『満足度』は90%を超える。
1年生は、とりあえず80%を超えることが目標となるが………
「我々は、この舞台で、3年生超えを狙っていきます。そうですよね?北柳さん」
「………えっ?あ、はい!そうです!」
急に話を振られてびっくりしてしまった。
担任の先生は冷静そうな顔をしていて、案外生徒思いなのかもしれないと思った。
「今回我々が公演する演目は、『偽国王のカーニャ』です」
にせこくおうのかーにゃ?平仮名にすると可愛いな。
「主人公カーニャは田舎から出てきたばかりの好青年。そんなカーニャはある日、顔を隠した青年ヒストと人気のない路地裏で出会うのです」
何で顔を隠してるんだろう?
「実は彼は、次の日に戴冠式を迎える予定の王国の王子であったのです。しかし彼は病弱だったため、彼の姿は両親すらもほとんど見かけない程部屋に篭っていました。だから、戴冠式前日に、唯一彼を世話するメイドのシュルトと手を組んで抜け出す事にしたのです」
ああ、王子様だったんだ。
っていうか、戴冠式前日に抜け出されるとかどんなセキュリティしてるんだろう。
しかも王子様の顔をほとんど誰も見た事がないって、そんな事あるのかな?
「ヒストの目的は、隣国の姫フランツェに会いに行く事。彼は幼い頃にみたフランツェの姿に、恋をしてしまったのです。そして、カーニャはヒストに説得されて、ヒストの代わりに国王に就任する事になってしまうのです」
カーニャが王様になっちゃった!
好青年って言ってたけど、押しに弱そうな男だな。じゃなきゃ、頼まれたって国王になんてならないよね。
「この4人が主な役です。では、次に配役を発表します」
もう役も決まってるんだ。
好青年って事は、男役だよね。優しそうな見た目の青年って、やっぱりあの『瑠衣様』みたいな人がやるのかな。
実力的には、明希が良い役に選ばれるんだろうな。
あれだけ入学式でカッコつけちゃったけど、別に、『僕が3年生に勝つ!』って言ったわけじゃないし、『今年中に勝つ』って言ったし、まだ選ばれなくても大丈夫だよね。
多分選ばれるのは、ここ1週間で優秀さを先生に見せた人ーーー
「主人公カーニャ、北柳友紀」
「ーーーえっ?」
キタヤナギユキ?ダレデスカ?ソレッテマサカ、ボクデスカ?
あはは、ナイナイ、ナイですヨそんなのー。聞き間違いか、単なる人違いでしょ………
「やったじゃん友紀ちゃん!」
「うわぁっ!?」
明希が飛びついてくる。
明希は、僕が超えまい超えまいと努力している壁を、余裕で超えてくるみたいに抱きついてきた。
「主役、主役だよ!」
「えぇっ!?」
やっぱり僕なの!?
「ちょ、ちょっと先生!なんで北柳さんなんですか!?」
「そうですよ!もっとふさわしい人が………」
「まだ配役発表の途中です。静かにして下さい」
クラスの皆んなの反応を見る限り、やっぱり僕みたいだ。
明希以外の皆んなは僕が選ばれた事が非常に不満なようで、睨んだりヒソヒソ話をしたり、僕を敵として悪いムードが流れていた。
「次に、女役の主役、隣国の姫フランツェは、真鍋明希」
明希だ!やっぱり選ばれたんだ!
そりゃそうだよ。歌劇に関わる全ての技能が備わってるし、乙女チックで可愛いし。
「良かった、私も役貰えたー………」
「そりゃ貰えるよ!僕の方が貰えるわけないくらいだし」
「そんな事ないよ。私、友紀ちゃんと舞台に立つの楽しみにしてたから。私も友紀ちゃんと一緒に、3年生と戦いたかったんだ」
「明希……!」
なんて良い娘っ……!僕、カンドーっす!
「そして、王子ヒストとメイドのシュルトに、月山牡丹と桃井紅葉」
月山さんと、桃井さんっていうと、アレだな………
昨日でっかい声で僕の悪口言って、さっき真っ先に僕の主役に反対してた2人だ。
「はい!………アタシ達、北柳の下なんだ………」
役を貰えるって事は、多分上手なんだろうな………自分と明希の事見てばっかで、他の人の事全然見てなかったな。
「以上が主要な役です。その他の役は必要に応じてそれぞれ振り分けるので、まだ皆さんも諦めないでください」
役はまだあると分かって、選ばれていなかった人も少し心が取り持ったようだ。
「また、月山さん、桃井さん、真鍋さんの3名は、舞台経験の無い北柳さんをサポートしてあげて下さい。こちらからは以上です。明日から本格的に授業後の練習を始めていきますので、今日までは自主練をしておいて下さい」
先生はそう言って教室を出ていった。
「友紀ちゃん、2人で主役、頑張ろうね!」
「そうだね……」
と、明希と2人でいつものように稽古場に向かおうとしていた時。
月山さんと桃井さんが僕達の方へ近づいてきた。
表情は険しく、良い感情を持って来ているとは思えなかった。
「ねぇ、北柳」
「………うん?どうしたの?」
発する声は冷たく、僕に対して負の感情しかないみたいだ。
だから、その口から紡がれる言葉も、自然と冷酷なものだった。
「主役、降りなよ。アンタ、相応しくないよ」
「………えっ」
「ちょ、ちょっと、月山さん!」
「真鍋、アンタ分かってんの?コイツが主役の舞台なんて、クラスが恥をかくに決まってるじゃん。そんな中で、1番恥かくのは、隣に立つアンタなんだよ?」
月山さんのその言葉を聞いて、僕はハッとなった。
そうか。僕は今までただ練習してるだけで、ぼんやりとクラスの足を引っ張ってるとしか考えてなかったんだ。
でも、これからは全員で舞台に立つ事になる。そして、勿論全員で足並みを揃えなくてはいけなくなる。
そうなれば僕のように下手な人間に合わせなくてはいけなくなるから、僕以外の皆んなの本来の力が発揮されなくなるんだ。
1番の被害者は、明希。分かってたはずのことなのに、改めて現実として、僕の前に立ち塞がる。
「それにさ〜、周り見なよ」
ふわふわした普通とは違う調子の話し方で、桃井さんが言う。
「北柳みたいなのが主役貰ったせいで〜、良い役貰えなかった人が沢山いるんだよ」
周りを見る。
クラス全体の空気は重く、隠れて啜り泣く声も聞こえる。役を貰えなかった同士で慰め合ってる人たちもいる。
明るい雰囲気を纏っているのは、明希だけに思えた。
「そ、そんなのは、友紀ちゃんのせいじゃないでしょ?誰かが役を貰ったら誰かがあぶれるのなんて、普通のことじゃん」
「そうだけど〜、皆んなは北柳に負けたことが〜、1番辛いんだよ」
「酷い事を………」
「いや、いいんだ、明希。その2人の言ってることは正しいよ」
僕のことを庇ってくれる明希の優しさは、僕なんかには眩しすぎるくらいだ。
だから、庇ってくれなくていいんだ。
これは、僕の落ち度だから。
「正しいと思うんなら、アンタ、降りなよ」
2人の言ってる事は正しくて、僕なんかは邪魔で、舞台に立つだけで舞台のクオリティを下げてしまうんだろう。
でもーーー
「でも、違うんだよ」
「………何が?」
「2人の言ってる事は正しいんだけど、そうじゃないんだ。だって僕は、選ばれて役を貰ったんだから」
そう。僕が、先生に選ばれて役を得た事。それは事実なんだ。
「だから、なにか僕が主役になる理由があって、それを期待されてるんだと思うんだ」
たとえ足を引っ張るとしても、期待されているならそれを途中で投げ出すなんて以ての外だ。
これが僕の答えだった。
「それでも〜、北柳が足を引っ張るのは〜、事実でしょ?」
「それは違うよ、桃井さん」
僕が何かを言う前に、明希が遮った。
「やってみなきゃ分からないよ。夏公演まであと1ヶ月半あるし、友紀ちゃんの言う通り先生が何かを期待してるんだとしたら、先生は友紀ちゃんが主役としてクラスを引っ張る姿が見えているかもしれない」
「明希………」
「友紀ちゃんが本当の主役になれるかもしれないって言うのも、もう1つの事実なんだよ?」
明希は最後、こちらをちらりと見て微笑んだ。
大丈夫。私は信じているから。
明希の視線が、そう言っていた。
その視線と僕の視線がぶつかった時、ようやく全ての覚悟が決まった。
僕はその意志を行動に移す。
「皆んな、ここにいる人たちだけでいいから、僕の話を少しだけ聞いて欲しい!」
僕は靴を脱いで椅子の上に登り、クラスの皆んなに問いかける。
まだクラスにはほとんど人が残っていて、僕たちの話し合いに聞き耳を立てていたようなので、直ぐに注目が集まった。
「僕は、このクラスで1番歌が下手で、ダンスが踊れなくて、セリフなんて全部棒読みだ!いつも授業を止めて、皆んなの練習時間を削ってしまっている!」
それでも、選ばれたから。
主役として、3年生に勝つと宣言した者として、通さなくてはいけない筋がある。
「僕が主役をやる事に皆んなは反対しているかもしれない。自分の方が上手く演じられるのにって思っているかもしれない。でもそれは、仕方がない事だと思う!」
僕は歌劇になんか興味がなくて、いきなり女の子になってしまうなんて出来事がなければ、こんな所にいる事はないような人間だ。
「でも、だからこそ、僕は出来る限り努力する!頑張って頑張って、いつか皆んなに認められるように頑張るから!もし僕が主役として輝けるようになれたら、その時は認めて欲しいんだ!」
今は認めてもらえなくてもいいから。
冷めた目で見てもらってもいいから、いつか認めて欲しい。
それが僕の願いだった。
「お願いします!」
僕は最後に、頭を下げた。
男の時には無かったはずの肩まである長い髪が垂れる。
垂れた髪を見て、僕は変わったな、と思った。
「………私は、良いと思うよ、北柳さんが主役で」
沈黙を破るように、誰かが言った。
「うん、私もそう思う。だって、入学式の時、皆んなが固まってたのに北柳さんだけは舞台の上に上がっていって、カッコよかったもん」
「そうだよね、今だって、すごいカッコよかったよ!」
「そうそう、いつも真鍋さんと良い雰囲気で、良い関係って感じするよ」
川に石を投げ入れたように、波紋が広がって、クラス全体の波となる。
「友紀ちゃん、顔上げてよ。誰も友紀ちゃんを否定してないよ。ね?月山さん、桃井さん?」
「な、何?アタシ達だけが悪者みたいに………」
僕は顔を上げる。
「皆んな、ありがとう、本当に!絶対にやり遂げるから!迷惑かけるかもしれないけど、よろしくお願いします!」
僕の胸の中は、感謝でいっぱいだった。
「まぁ〜、皆んなが良いならいいけど?」
「………ふん、アタシら、稽古するから。行くよ、紅葉」
「せいぜい〜、頑張ってね」
そう言って、月山さんと桃井さんが教室を出ていった。
僕も、椅子から降りる。
「友紀ちゃん、あの2人に認めさせるのは骨が折れそうだね」
「そうだね。でも、認めてもらうのを目標にして、頑張る!」
僕は今日も明希に指導してもらうつもりだったが、これからは他の人とも一緒に練習できるかもしれない、と思えた。