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夜桜さんは僕の嫁(らしい)

作者: 機織機


 桜咲く春。それは出会いの季節。


 中には別れの季節だなんて、『俺は他とは違うんで』とでも言いたげに斜に構えた奴も存在するだろうが、それでもほとんどの人にとって、ポジティブなイメージなのは間違いない。


 とりわけ学生時代の、進学なんて挟んだ暁には、数十、ヘタしたら数百を超える人数と新たに知り合うことになるわけで。


 その中にはきっと、将来を変えてしまうような劇的な出会いがあってもなんら不思議ではないだろう。


 親友然り、恋人然り……それこそ一生の付き合いになるような存在との巡り合いに心躍らせるのは、極めて健全とも言える。かくいう僕も少しだけ妄想した口だけど、まぁそれは置いておいて。


 その中で一つ、絶対に注意してほしいことがある。


 出会う人が皆、良い人だとは限らないということを。そして、春という季節は、頭のおかしな人とも遭遇しやすくなる季節でもあることを。


 それを知ったのは、誰も近寄らないとある教室の中だった――。


 *


「困りましたねぇ」


 頬に手を当てて、悩ましげに呟くメガネの女性。


 中学生かと思うような身長、それ相応に未だ幼さを感じさせる可愛らしい尊顔は、目の前に立つ僕を見て八の字に歪んでいた。


「うちは必ず、どこかの部活に所属しないといけない決まりなんですよ。それは知ってます……よね?」


 僕のクラスの担任となったメガネの女性こと橘花(たちばなはな)先生は、不安げに上目遣いを向けてくる。


 その理由は当然、僕。彼女の説明通り、四月中に決めなければいけないはずの部活決めを、ゴールデンウィークが過ぎた今もなお放置しているせいだった。


「朝木くん、何かやりたいことはないんですか?」


 そうですね。やりたいことがないからこんなことになっている、といった部分もありますね。強いていうなら、まっすぐ家に帰って寝たいです。


「それじゃあ帰宅部じゃないですか……。ほら、運動部とかどうですか?」


 すみません、運動は苦手なので……。あ、決まった道をまっすぐ帰るのなら得意ですよ。


「帰るのがダメなんです。じゃあ料理部とかどうですか?顧問は私ですし、これからの人生、料理が出来て困ることはないと思いますよ」


 あー、申し訳ないですけど、僕、包丁とか炎とかが苦手で。とっても魅力的な提案なんですけど、ここはちょっとご縁がなかったということで……。


「なんでこっちが振られたみたいになってるんですか……」


 理路整然とした僕の意思表示にも、何故か呆れた表情を浮かべる花先生。一体なにが気に入らないと言うんだろうか。


「はぁ……。取り敢えず、来週までには必ず決めておいて下さいね。分かりましたか?」


 はーい了解でーす失礼しまーす。


「ちょっと、このまま家に帰ろうとしてませんか?先生許しませんからね!」


 チッ、バレたか。このままなぁなぁでなかったことにしたかったのだけれど、流石にそこまで甘くないらしい。


 花先生は少し怒ったように眉を吊り上げた後、何か良い案――おそらく僕にとって都合の悪いことだろう、それを思い付いて口に出す。


「そう言えば、朝木くんは飯島くんと仲が良かったですよね?確か彼が同好会を立ち上げたいと言っていた――」


 おっとぉ!どんな部活があるかめちゃくちゃ気になって来たなぁ!こうしちゃいられない、今すぐ見学してきますね!


「あ、ちょっと! まだ話は――」


 机の上にあった各部活動紹介の紙をひったくるように奪い、背後から聞こえる静止の声を振り切って一目散に教室から飛び出す。


 少し……いや、かなり無礼な行動であると重々承知しているが、いかんせん、緊急事態であったのだ。若気の至りと思って目を瞑ってほしい。


 ちなみに、これは余談ではあるが。


 先の話題に上がった飯島くんと言うのは、190センチを超える巨漢で、見事に仕上がった上腕二頭筋を見せつけるかのように毎日赤いタンクトップを着てくるナイスガイのことである。


 五十音の関係上、たまたま僕の後ろの席に座っているため何かと話しかけてくるのだが、その内容は殆ど筋トレがどうだの食事制限してるだの、なんともまぁストイックなモノなのだ。


 そんな彼が作る同好会、想像しただけで怖気付くというか悪寒が走るというか……とにかく、一方的に話しかけてくるだけで特別仲がいいと言うわけではないし、聡明な皆様ならあの態度を取ったことに納得してくれることだろう。


 まぁそんなことよりも、だ。今考えなければならないのは部活の件をどうするかである。最善はどこにも所属しないことだが、そうは問屋が許さない以上、候補を上げなければならない。


 ひとまず運動部は除外するにしても、文化部も特にしっくり来るのがないんだよなぁ。そもそもの話、僕は人付き合いなど極力したくないし、興味のないことに割く時間ほど勿体無いものはないと思っている人間なのである。


 いっそのこと、帰宅同好会を立ち上げれば全てが解決する……?いや、結局管理が面倒なことになりそうだし、そもそもやりたくないことをやらされる時点で本末転倒か。却下。


 じゃあやっぱり、理想は『幽霊部員でいいよ!』って言ってくれる部活だな。うん、それが一番みんな得する選択だろう。


 そう狙いを絞った僕は、廊下をゆっくりと歩きつつ手に持った用紙をめくっていく。そして、学校から正式に認められている部の紹介を通り過ぎ、同好会の紹介へと目を移す。


 同好会とは、生徒主体で発足した部活もどきのこと。学校から一応認知はされているが、部費も出ないので比較的緩く活動したい人用の、いわゆる逃げ道のようなものである。


 同好会はある程度の実績と人数があれば正式に部として昇格できるため、たとえ幽霊部員だとしても見て見ぬふりしてくれる可能性が高い。仮にそこまでやる気のない場合でも、それはそれでサボれるだろうから問題ないだろう。


 裏目としては、飯島くん率いる筋肉同好会のような、無駄に熱意を持った同好会だけであるが、まぁそんなのよっぽど稀だし、慎重に吟味すれば大丈夫な筈だ。


 よし、方針は決まった。あとは探すだけ。


 ペラペラと紙をめくり、一つずつ説明文を目に通していく中でついに、一つ候補を見つけた。


 ――占い同好会。


 発足年は、今年。どうやら僕と同学年の人が立ち上げたらしく、部員数は一人だけ。説明文もなんともフワッとしたもので、熱意など微塵も感じない……うん、決まりかな。


 一目見てビビッときた情報の羅列に、僕の足はまっすぐ旧校舎の空き教室へと向かっていく。


 ここ、一ノ瀬高等学校は数年前に新築された新校舎と、それ以前に使っていた木造の旧校舎があり、どうやら同好会の拠点はそちらに回されているらしい。


 放課後だからか、想像以上の賑わいをみせる旧校舎を歩きつつ、奥へ奥へと進む。そうしてその声が静まり返ったタイミングで、目的地へと辿り着いた。


 旧校舎、三年七組。一番端にある、もっとも人目につきにくい場所。


 うん、立地も完璧。流石にこんなところまで頻繁に監視に来ることもないだろう、とってもサボりやすそうだ。


 期待通り……いや、それ以上の光景に図らずも高揚感を覚えながら扉を開ける。


 キリキリと立て付けの悪い不協和音を奏でながら開かれた視界。その中には一人分の人影があって――。


「やぁ、待ってたよ」


 ――思わず、言葉を失った。


 身長は僕と同じくらいだから、推定165センチ。スラリと長い脚が魅力的なスレンダーなモデル体型に加えて出るとこは出てるという、まさに男の理想を詰め込んだような姿。


 他にも毛先が少し跳ねた青みがかったラベンダー色の髪、柔らかそうなピンク色の唇、透き通った白い肌、少し切れ長な翡翠色の瞳など、そのすべての要素が人間離れした容姿であり、百人に聞いて、百人とも美少女であると答えてもおかしくないとすら感じるほど。


 クラスから孤立気味の僕でさえ知っている、超有名人。今年の新入生にして、入学式で代表の挨拶を務めるという華々しいデビューを飾り、たったの一月で歴代一の美少女だと噂されている夜桜未来(よざくらみくる)その人だった。


 なにやら噂ではモデルの先輩に言い寄られているだとか、御曹司の愛人だとか根も葉もない噂も広がっているらしい。脳みそ筋肉の飯島くんが言っていたから信憑性は薄いけど。


「どうしたの、朝木悠(あさぎはるか)くん。ボクの顔をじっと見て」


 クスクスと笑う彼女の姿に、ようやく僕の時間が動き出す。


 どうやらじっと見つめてしまっていたらしい、そのことに気が付いて頬が急激に赤くなるのを感じた僕は慌てて顔を逸らす。


 ……って待てよ。今俺の名前呼んだような……?


「うん、呼んだね。だって、キミのことを知っているから」


 その一言に、思わずドキリとしてしまう。


 あれ、僕なんかしたっけ!?全く心当たりないどころか、おそらく初対面だと思うんですけど……。


「そんなに驚かなくても。同じクラスの人くらいは普通に覚えてるでしょ?」


 ふ、普通……?同じクラスになったら名前全部覚えるのが……?僕なんて話しかけてくる飯島くんと目の前の夜桜さんしか覚えてないんだけど……?


「大丈夫。|キミがそういう人だっていうことは知ってるから(・・・・・・)。それよりも座ったら?」


 ん?知っている?何を?


 どこか含みのあるようなセリフに違和感を覚えつつも、促されるまま彼女の対面に座る。


 学習机一つを挟んだだけのため、思ったよりも近い距離感に思わず身を逸らすと、それにまた夜桜さんは微笑んでみせた。


「ここにきた理由は、入部希望ってことで良いんだよね?」


 頬杖をついてじっと見つめられたあげく、心を見透かされたようなことを言われて一瞬たじろいだが、よく考えればこれこそ当たり前の事だし、きっと気のせいだと言い聞かせて素直に頷く。


「うんうん。たとえ幽霊部員になりたいだけだとしても、来てくれただけで嬉しいよ」


 前言撤回。この人マジで心が読めるのかもしれない。


 乾いた笑みを顔に貼り付けつつ、背中にじっとりとした冷や汗が流れるのを感じていると、夜桜さんはおもむろに引き出しからタロットカードを取り出した。 


「折角だし、占いを見せてあげる。ちょっとは興味があってきたんだもんね?」


 僕がまごついて曖昧な返事を返している間に、慣れた手つきでタロットカードを並べていく夜桜さん。そのままカードをオープンすると、困惑した僕に淡々と語りかけてくる。


「朝木悠。誕生日は10月23日の15歳。好物はハヤシライスで、趣味はお昼寝」


 ……なんかおかしくないか?占いだけでそんなに分かることある?


 百歩譲って調べたとして、いくら同じクラスでも誕生日や趣味を知っているなんてこと、よっぽど仲が良くない限りあり得ないだろう。そもそも、そんな話誰にもしてないのだ。


 言いようもない不安を抱きつつ、先ほどとは違う意味で距離をとった僕に向けて、夜桜さんはその艶やかな唇を滑らかに動かす。

 

「家族構成は両親に妹が一人。少し放任主義ではあるけれど、家族仲は良好で、反抗期らしい反抗期はない。少しシスコンの気があるのか、妹のお願い事を断ることができない」


 今度は、家族の情報まで。シスコンどうのこうのはよく分からないけれど、明らかに占いなどではない力が働いていることは理解した。流石にそこまでバカじゃない――。


「小学生の時は自分から外に遊びに行くくらい活発な少年だった。ただ中学時代に起きたとある出来事がきっかけで――」


 ――確信した。コイツは敵だ。


 目の前の女の口から吐き出される不快な単語を掻き消すように机を強く叩いて睨み付ければ、それでもなお彼女は余裕のある微笑みを顔に張り付けている。


「おっと、踏み込みすぎちゃった。ごめんね、謝るよ」


 そんなことはどうでもいい。僕の話を誰から聞いた?そもそも、お前は何者なんだ?


「そう身構えなくてもいい。ボクはね――」


 僕の目をまっすぐ見据えて、言葉を溜める夜桜さん。なにを考えているか分からないミステリアスな表情に、不覚にもドキリとしながら言葉を待って――。

 

「――未来から来たキミのお嫁さんだよ」


 …………………………………………………………………は?


「未来の技術を使ってハルくんに会いにきたんだ。まぁ出会うまでに十六年もかかっちゃったんだけど」


 いやいやいや、ちょっと待って。さっきのシリアスな感じ何処に行った?そもそも全然話についていけてないよ?最初から最後まで何も分からないんだけど?


「あぁ、未来の技術について?想像している通り、タイムマシンってやつだよ。といっても、一方通行だからもう使えないんだけどね」


 いやいやいや、そうじゃなくて。いや、それも気になるんだけど、えぇ……?


「ふふっ、焦ってるハルくんも可愛いね。やっぱり無理してでも来て正解だったかな」


 ……あぁ、なるほど、そういうことか。あれだ、関わっちゃいけないタイプの人なんだ。


 きっと、そういう憧れが遅めに来たのだろう。もしくは、精神的に参ってしまって壊れてしまっている人。そうと決まれば善は急げ、いち早くこの場を去って一人で落ち着ける時間を作ってあげなきゃいけないな。


「あれ、ハルくん?どこに行くの?」


 帰ります。貴重なお話ありがとうございました。もう会うことはないでしょうけど。


「いいや、ハルくんはまたここに来るよ。絶対に。だからここは、またねと言っておくね」


 …… そうですか、さようなら。


 最後の捨て台詞のような声に、僕は最低限の返事を返してそそくさと部屋から出る。随分と疲れたが、まぁこれも貴重な経験だったと思おう。というか、そう思うしかない。


 こうして唐突に訪れた非日常は、なんとも言えない感情を僕の胸に残して思い出となる……筈だったんだけど。


『やぁ、ハルくん。大体3時間ぶりだね』


 唯一の憩いのスペースとも言える自宅の自室にて寛いでいると、謎の番号からかかってきたコール。


 基本的に知らない番号からの電話に出ることはないのだが、五度目の通知音に根負けした結果がコレである。


『あれ、どうしたの?もしかして都合が悪かった?』


 黙り込んだ僕に向けて、心配した素振りを見せる自称未来人もといストーカー。ただ、そんな事はどうでも良くなるくらいには僕の脳裏は疑問符で溢れており、多少怒気を含んだ声音で、どうしてこの番号を知っているのか問いただす。


『言ったでしょ。ボクは未来から来たキミのお嫁さんだって。この電話番号も当然、ハルくんから教えてもらったんだけど』


 またそれか。何度言われようとも、そんな骨董無稽な話を信じられる訳がない。ない……のだが。

 

『"お肉は美味しい"だから、とても覚えやすいって教えてもらったよ。あと、どちらかと言うと魚派だってこともね』


 またしても心を読んだかのように、僕しか知らない筈の情報を平然と口にする夜桜さん。


 その言葉に思わず息を呑む。もしかしたら本当に……なんて、途方もなく馬鹿な考えが頭を過るも、頭を揺らす事でそれを掻き消す。


 大方、昔の同級生の誰かに連絡でも取って情報を手に入れたのだろう。それが一番自然で、納得度のいく答えだ。


『言っておくけど、ボクはここに来るまでは海外に住んでたからね。キミの中学の同級生の友人なんて知らないよ』


 ……であれば。問題は、それをどういう目的で手に入れたかだ。


 最大限好意的に解釈すれば、僕に好意を持っているから。その場合、少し病んでる節があるので、個人的にはあまりお近づきになりたくない。


 最悪な方に振り切れば、なにかの罰ゲームで僕をからかっていると言った所だろうか。それにしては手が込み過ぎているので流石にないと思いたいが、その場合でも結局、あまり踏み込み過ぎない方がいいだろう。


 よって結論は、今すぐこの電話を切る事が最善という事だ。はい、証明完了、QED。いやぁ、敗北を知りたい――。

 

『あ、今電話を切ったら、明日教室で話しかけに行くからね。それでもいいならどうぞ』


 あっぶなぁ!?なんでそんな的確に人の嫌がることを言えるんだコイツ!?


 通話終了ボタンに伸ばした指を慌てて引っ込めた僕は、部屋に置かれたキャラクターのぬいぐるみを八つ当たりで睨みつけつつ、手早く会話を終わらせようと雑談のテーブルに座る。

 

『もうお風呂は入った?』


 入った。話は終わり?

 

『ボクも入ったよ。お風呂上がりの姿、見たい?』


 別に。話は終わり?


『本当に天邪鬼だね、ハルくんは。そう言う所も好きだけど』


 あっそう。話は終わり?

 

『まだだよ。今日の晩御飯は?何を食べたの?』


 生姜焼き。話は終わり?


『冷たいなぁ。まだ好感度が足りないのかな?』


 そうだよ。話は終わり?もう切っていい?


『え~?逆にハルくんから質問はないの?』


 ……じゃあ、何で電話してきた?


『電話した理由?それはもちろん、ハルくんの声が聞きたくて』


 …………………………。


『あ、照れてるね。可愛い』


 照れてない。もう寝る。


『あぁ、ごめんごめん。拗ねないでってば。これで終わりにするね』


 これ以上は本当に無理だ。


 このストーカー女(仮)と話すと、会話の主導権が全部持ってかれて、この上なく疲れてしまうことが分かった。


 しかも、なによりも厄介なことに、しっかりと引き際が分かっているのだ。そのせいで怒るに怒れず、消化不良のままにされるのが殊更に質が悪い。これがなくとも、普通に苦手なタイプだと思う。


『そうだ。明日一緒にお昼ご飯食べよう?お弁当作っていくから』


 はぁ?いらないけど?あいにく僕にはコンビニの総菜パンという名のご馳走が待ってるから。

 

『ツナマヨパンだよね、知ってる。でもキミの好物の唐揚げも入れてあげるよ』


 なんで知って――って、もういいや。悪いけど、そんな子供騙しに惹かれるほど甘くはないよ。何と言われようと、お昼は一人で食べる。


『そんな……こんな美少女がお願いしてるのに……』


 そうだね、美少女だね。黙っててくれたら騙されたかもしれないのに。


『もうキミに嘘はつきたくないんだ。それに、時間もあまり残されていないからね』


 は?それは一体どういう意味――。


「お兄ちゃん、冷蔵庫のアイス食べていい――って、電話中?」


 急に声のトーンが落ちた電話口に不審げに問い返した瞬間、ドタバタと騒がしい音を立てながらやって来た我が妹――ってマズい!


「へぇ、珍しい……まさか、彼女!?これは事件だ!」


 違う――と三文字で弁明するよりも早く、またしても騒がしく階段下へと向かっていく我が妹。恐らく今頃、母親に興奮した様子で説明している事だろう、余計な苦労が増えたことに思わず頭を抱える。


『いいよ、追いかけて。ちゃんとした挨拶はまた今度という事で』


 そんなに優しくされても、貴方のせいでこうなってるんですけど……。というか、そんな日は訪れないから安心して。あと、学校では話しかけないでね。


『もちろん、約束は守るよ。それじゃあ、また明日』


 意外にもあっさりと、向こうから着信を切ったことがあまりにも不穏だが、ひとまずは目先の問題を片付けなければならない。


 せめてもの抵抗として着信拒否に設定して、っと。あーあ、なんて説明すれば納得してくれるのかな……。


 *


「お、朝木。今日一緒に昼飯でも――」


 四限の体育終わり。誰よりも早く着替えを終えた僕は話かけてきた飯島くんの声を聞こえなかった振りして、チャイムと同時に廊下を駆け出していく。


 いや、嫌いなわけではないんだけどね。可能であれば彼の要望に応えて親睦を深めたい気持ちはあるんだよ?あるんだけれども、これも全部あの夜桜さんって奴が悪いんだ。僕は悪くない。


 というわけで現在。昨日の電話で行われた死の通告(昼のお誘い)を何とか回避しようと、布団の中で考えた方法を絶賛実行中という訳である。


 その方法は至ってシンプルに、夜桜さんが教室に戻ってくる前に秘密の隠れ家に向かうというもの。


 おあつらえ向きに四限が体育であったため、更衣室にて着替えてから来る女子達よりも、教室で着替えられる男子の方が時間的アドバンテージは優れているのは確実。教室に弁当箱がある以上、万に一つも追いつかれることはないだろう。


 その上、旧校舎の最上階踊り場とかいう、ちょっと遠くて昼休憩に行くには不便な絶好の穴場ポイントを見つけているのだ。流石の自称未来人でも、この場所を見抜くことは困難に決まっている。勝ったなガハハ!


「やぁハルくん。待ってたよ」


 そんな高笑いした僕を嘲笑うかのように、僕が到着する頃には階段に腰を下ろして膝の上に弁当箱を広げている夜桜さんの姿。


 体育終わりにも関わらず、汗一つない様子に整った服装。まるで手品でも披露されたかのような困惑で茫然とする中、夜桜さんはいつも通り上品に目を細めて笑う。


「驚きすぎだって。鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるよ?」


 そりゃするだろうよ。というよりも、どうしてここが分かった?


「もちろん、ハルくんから教えてもらったんだよ。高校時代は話で聞いただけだったから、なんだか聖地巡礼しているような気分だね」


 もう一度噛みつこうかと思ったが、結局、荒唐無稽な妄想を垂れ流すだけの彼女に質問すること自体が無駄だと悟る。


 まぁ大方、ストーカーらしく僕の後をつけて知ったのだろう。うん、そうに違いない。というか、そのハルくんっていうのやめてくれる?そこまでの仲じゃないから。


「あっ、そっか……。それもそう、だね。ごめん、朝木くん」


 え、なんでそんな悲しそうな顔するの?僕が悪いのかこれ?い、いやまぁ分かってくれて良かったよ。それじゃ、僕はこの辺で。


「あれ、どこ行くの?」


 もちろん、貴方のいない場所です。お昼は一人で食べたいので。


「そうなの?でもボクはキミと食べたいから一緒についていくよ。そうなったら、色んな人に見られちゃうかもね」


 ………………はぁ。

 必殺とも取れる脅し文句に、思わず大きくため息をこぼす。さっきの悲しみの表情は一体何だったんだろうか。


 そもそもの話、この場所を突き止められている時点で逃げ道なんてない事に気が付いた僕は、諦めて一番離れている最下段へと腰を下ろす。


「そんな離れなくても、隣に座ればいいのに」


 上から降ってくる声を無視して、朝コンビニで買ったパンを開ける。こうなったら、さっさと食べて教室に戻ろう。約束はお昼を食べるだけだったし、義理は果たした筈だ。


「あ、そういう態度取るんだ。このままだと寂しくて、教室で話しかけちゃうかも」


 ……本ッ当にいい性格してるね。逆に清々しい気持ちになってきたかも。


「ふふっ、褒め言葉として受け取っておくね」


 恨みがましく睨みつけるも、やはり不発。


 というか本当に心が読めてるのではないだろうか。やってることがタイムトラベラーというよりもサイコメトラーの方がしっかり来るんだけど?


「そうは言われても。でも、朝木くんとは付き合いが長いからなんでも分かるかも」


 HAHAHA、面白い面白い。でも残念ながら僕が君と親密になる未来なんてないよ。そもそも、誰とも仲良くなる気はないからね。


「うん、知ってる。でもね、残念ながらキミはここで生涯の親友を作ることになる」


 それが君だとでも?


「いいや、ボクはお嫁さんだから。キミの親友になるのは飯島くんだよ」


 ……は?飯島くんって、あの?自分の筋肉にしか興味がなくて、お昼休みもサラダチキンとプロテインしか摂取しない、全身キン肉マンの飯島くんが?


「そう。七十を過ぎてもボディビルの大会で優勝しちゃうあの飯島くんさ。今は距離をとってるみたいだけど、彼はとっても良い人だからすぐに仲良くなるよ」


 いやいやいや、悪いけどそれは絶対ないよ。たとえ君の言う通り彼が良い人であっても、根本的な考え方が違うんだ。動くのが好きな彼と、自堕落で引き篭もりたい僕が混じり合うと思う?水と油みたいなもんさ。


「なるよ。だって見てきたから。それにキミ達、結構似た者同士だよ」


 ……あぁ、そうですか。じゃあその未来を楽しみに待っておくよ。


 雑談が一段落したことで訪れるわずかな静寂。その隙に最後の一口を飲み込んで手に持った包装紙を小さく丸めると、そのままレジ袋に放り込む。


 それからわざとらしく柏手を一つ、加えてごちそうさまと意思表明をして、話は終わりとでも言うように立ち上がってみせる。


「あ、ちょっと待って」


 なに?まだ何か――。


 軽快な足音が聞こえ、そこで初めて振り返れば、目の前に突き出される二本の棒。それに驚いて口を開ければ、間髪入れずにそこはなにか放り込まれる。


 むぐっ、一体何……ごと……。


「ボクの作った唐揚げ。キミ好みに味付けしてみたんだ」


 もしゃもしゃと口の中にあるものを咀嚼すれば、口いっぱいに広がるジューシーな味わい。少しだけ醤油感が強いけれど、濃い味が好みな僕としては丁度よく、正直家で食べるものよりも格別に美味しかった。


「どう、美味しかった?」


 ……ノーコメントで。


「ふふっ、それは良かった。また明日も作ってきてあげるね」


 ダメだ、全部バレてる。というか、また明日って言った?


 悪いけど、それはごめん被りたい。昼休みは唯一、一人で過ごせる憩いの時間でもあるのだ。今日は仕方ないにしろ、これが毎日となるのだけは勘弁である。


 幸い、僕しか知らないであろう穴場スポットは他にもいくつか用意してある。明日こそは、なんとしても自由を掴み取って――。


「――新校舎裏かぁ。結構ベタだけど、意外と人がいないんだよね」


 明日こそは、自由を――。


「――旧校舎美術室。保健室はベッドがあるから人気だし、確かにこっちは穴場スポットかも」


 明日――。


「ようこそ。今日は遅かったね」


 あの、もう勘弁してもらってもいいですか……。


 この三日、体育の日を合わせれば四日間。悉く穴場スポットに先回りされ、もはや驚きよりも恐怖が胸中を占めている。


 おかしい……だって夜桜さんを教室に残して、わざわざ遠回りして誰もいないのを確認してからここに来ているのに、毎回毎回先回りされてる……。


 今日なんか逆転の発想で、普段使わない旧校舎の教室を選んだのに。本当に心が読めてる説が現実味を帯びてきてるんだが……。


「だから言ってるでしょ。未来から来てるって」


 その言葉を、前みたいに馬鹿にできない。だって普通では考えられないようなことが起こっているのだ、オカルトなんて信じてない僕でも流石に勘繰ってしまう。


 となると、だ。この前電話で言っていた『時間がない』と言う発言が気になってくるわけで。


 二人が離れ離れになる、とかならまだいいけれど、もしかしたら僕が病気や事故で早死にしてしまうかも……。まさか、それを伝えるために……!?


 自分でも滑稽だと思うが、それを肯定するための材料は揃いつつある。僕は恐怖と困惑、そして多少の期待を胸に、彼女へと確信を得るために問いかける。


「電話の時の意味?そのままの意味だけど……なにから話そうかな」


 質問の意味が本当に分かっていないような表情をする彼女に、少しだけ拍子抜けしてしまう。ただ、すぐさま何か思いついたような笑顔を浮かべると、満面の笑みを僕に向けてきた。


「あ、そうだ。じゃあ明日デートしたら教えてあげる。それでどうかな?」


 へ?デート?いやいや、明日は土曜日だよ?悪いけど、一日中ゲームをするっていう大事な用事がある……って聞いてる?ねぇ、行かないよ?絶対に行かないからね?ねぇ、ちょっと――。


「お待たせ、待った?」


 ……ウウン、イマキタトコ。


 結局の所、知りたいという欲求に抗えなかった僕は、まんまと集合時間十分前に到着してしまった。これではまるで僕が楽しみにしていたみたいじゃないか、全然そんなことないのに。


「駅で待ち合わせなんて、恋人みたいだね」


 相変わらず何を考えているか分からないミステリアスな微笑みを浮かべる夜桜さん。もう、まともに取り合うのも馬鹿らしいから、はいはいと適当に頷いておく。


 そんなことよりも、だ。昨日の話の続きをしよう。それさえ終われば、当初の予定通りゲームに打ち込めるから。


「相変わらずせっかちだね。ちょっとくらい遊ぼうよ」


 断る。面倒くさい。というよりも、その相変わらずとかやめてくれる?夜桜さんと僕はまだ知り合って一週間経ってないんだから。


「ボクは長い付き合いだから大丈夫。ほら、ちょっと行ったところに朝木くんの好きな本屋があるからさ、まずはそこに行こう」


 だから行かないってば。本屋は好きっちゃ好きだけど、一人で探索するのが好きなんだ。


 今日の目的は話を聞くこと。それはここでもできるし、現地集合現地解散でパパッと――。


「あ、飯島くんだ」


 急ごう! 時間は有限だ! 今すぐ本屋に行って語らい合おうじゃないか! ほら、先行っちゃうよ! 置いてくからね!


 不思議なことに突然やる気の湧いた僕が駆け出せば、夜桜さんはその後ろを呆れた様子でついてくる。言葉の真偽は確認してないから不明だけど、『なんでも分かっています』みたいな表情するのはタチが悪いと思う。おかげで疑う気力が湧いてこないから。


 そんなこんなでたどり着いた本屋。駅から少し離れているせいで、少しだけ上がった息を整えると、飄々とした態度の夜桜さんを引き連れて店内へと入る。


「あ、これキミが好きだったやつだよね」


 そう言って指さしたのは、新刊コーナーにあった一冊の漫画。唯一僕が単行本として集めているもので、当然、発売日当日に購入済みのモノである。


「懐かしいなぁ。まだ30巻なんだ。たしか74巻くらいで――」


 おい、ネタバレするなんて最低だぞ。それ以上口に出してみろ、本気で帰るからな。


「あれ、もう信じてくれるんだ。意外と早かったね」


 ……いいや?信じてなんかないけど、考察しながら読むから余計な知識を入れたくないんだ。僕は単行本派だから、雑誌の情報を聞くだけでキレる自信があるね。だからそれとこれとは話が別だよ。


「そっか、それは残念。あ、この小説面白かったよ。そのうち映画化もするし」


 本当に気にしてないのか、夜桜さんは微笑みとともにすぐさま別の本へと興味を移すと、僕に向けて背表紙を見せてくる。


 ふむふむ、これ映画化するのか……じゃなくて。なんでまだ公開もされてない情報を教えてくるの?いや、全然。これっぽっちも信じてるわけじゃないけどね。


 そんなあり得るかも分からない未来の話をしながら小一時間。そこそこの広さの本屋を隅から隅まで探索を終えた結果、二冊の本を買わされてしまった。まぁ、満足はしているけど、少し釈然としない思いでいっぱいである。


「いやぁ、楽しかったね。次はどこへ行く?」


 え?次?僕はさっさと帰ってこの本を読みたい「あ、あそこのカフェで休憩しようよ」おい、話聞けよ。


 そんな僕の願いなど、当然聞き届けられるはずもなく。さながら予防接種に向かうペットのように無理やり連行された僕は、良く分からない言語で書かれたいかにもオシャレなカフェへと入る。


「はい、二名です。あ、そうです、カップルです」


 勝手に捏造しないでもらってもいいですか?そんな関係になった覚えはないんですけど。


「しっ、これで安くなるんだから我慢して」


 ……そう言われると、強く言えなくなるな。たしかに今さっき余計な出費をかかった所だし、安くなる分には僕も大歓迎である。納得は出来ないけど。


 黙った僕の姿を微笑ましそうに見た店員さんが、僕ら二人をテーブル席へと案内する。そのまま生暖かい目を向けたままメニューを手渡すと、速足でキッチンへと戻っていった。あぁ、きっといろいろ言われてるんだろうなぁ……。


「ボクはアイスコーヒーにしようかな。朝木くんも同じやつで良いよね」


 ……別にいいけど、それも未来の僕の好み?


「そうだよ。煙草も酒も嫌っていたけど、カフェイン中毒ではあったかな」


 そう言ってメニューを閉じた夜桜さんは、店員を呼んで淀みなく注文を口にする。その手慣れた様子にほんの少しだけ感心しながらも、やがて店員がいなくなるのと同時に僕の目を見つめてきた。


「それで、なんだっけ。未来の話を教えて欲しいんだっけ?」


 まぁね。というよりも、僕に付き纏う理由を教えて欲しいんだ。


「というと?」


 はっきり言って、僕はひねくれものだ。周りと積極的に関わる気もないし、何か打ち込んでいる夢もなければ、やる気もない。こんな自他ともに認める自堕落人間が、夜桜さんのような美人と結婚できるはずがないと思ってる。


「……ふふふ、あははははは!」


 僕の話を聞いた瞬間、突然大声で笑い出した夜桜さん。その奇行とも言える変化に呆気に取られていると、目尻に浮かんだ涙を拭きとりながら僕に微笑みかける。


「いや、やっぱり朝木くんはボクが好きになった人だよ。だって、ボクが告白した時と全く同じこと言ってるもの」


 それは知らないけど……。って、待って。夜桜さんから告白したの?一体何が起きたらそんなことになるのさ。


「そうだよ、ボクから告白したんだ。もっとも、もう訪れない未来の事を話す気はないけれど」


 恥ずかしいしね、と付け加えながら頬をかく姿に、不覚にもドキリとしてしまう。そこへ追撃するように、真っすぐとした視線が目の前から放たれた。


「それでも、キミを好きになった気持ちは本物だよ。キミはキミが思うよりもずっと、優しくて勇気のある人間だから」


 ……マズい、あまりにも唐突に投げかけられたストレートな褒め言葉に、頬が紅潮するのが自分でも分かるくらいやられてしまっている。それを誤魔化そうにも言葉もうまく発せない。


 このままだと本当にマズい。何がマズいって、築き上げた防波堤が一気に瓦解してしまう。あれだけ警戒していたのに、もう絆される。なにより、それが悪くないと思えてしまっている自分がいる。


 こんなにちょろくていいのか僕。ちょっと褒められただけで、好きって言われただけで相手のことを認めてしまうのか。そんな訳ない、と言いたいけれど、脳が麻痺して上手く思考が――。


「お待たせしました。アイスコーヒーです」

「あ、ありがとうございます」


 た、助かった! さながら救世主のように颯爽と登場した店員さんを心の中で拝みつつ、ごちゃごちゃした脳内を洗い流すようにコーヒーを口の中に含む。


「あれ、ブラックで飲むんだ。意外だね」


 そりゃ今は糖分が限界突破してるから……って、意外?まるで僕がブラックコーヒー飲めないみたいな口ぶりだけど。


「うん、だって見てるこっちの気分が悪くなるくらいミルクを入れる、生粋の甘党人間だったよキミは。甘さこそ最強って口癖のように言ってたし」


 そんな馬鹿な。僕は昔からコーヒーはブラック派だし、なんなら甘味は苦手な方だぞ。


「そうなんだ。まだ知らないキミの一面がしれて、なんだか嬉しいな。未来から来た甲斐があったよ」


 あのさぁ……。なんでまたそんな恥ずかしいこと言うの?もうコーヒー飲み干しちゃうんだけど?というか、店員さんはニヤニヤしてないで仕事に戻ってもらえます?


「あ、そうだ。連絡先交換するから携帯貸してくれないかな」


 え?なんで貸す必要が?


「なんでって、キミが着信拒否にするからじゃん。あ、そのことも話したいんだった」


 おっと、余計な地雷を踏んでしまったらしい。夜桜さんの背後に般若のオーラが感じ取った僕は、そのことを減給される前に急いでスマホを献上する。


「暗証番号はっと、よし開いた」


 うん、一応言っておくけどさ。初めて触った携帯の暗証番号が分かることある?あ、未来情報ね、さいですか。


「――うん、これでよし。ついでにこれも入れておいたから」


 時間にして数分。彼女から返ってきたスマホには見知らぬアプリの姿。それをタップしてみると、何やらマップが表示された。


「それ、位置情報アプリね。ボクとキミの位置が常に表示されるようになっているから。あ、因みにだけど、両方のスマホで操作しないと解除されません」


 何してくれてんの!?プライバシーの侵害だよ!?これ訴えたら勝てるでしょ!?


「あはは、着信拒否した罰だよ。甘んじて受け入れて」


 猫のように目を細め、クックッと喉を鳴らして笑う夜桜さん。それをされると、もうこちらから打つ手はなくなってしまう。


 ……まぁ、バレて困るようなことはない、か。どうせほとんど家か学校にいるだろうし、浮気とかする度胸も――って、何を考えてるんだ僕は。


「あれ、どこに行くの?」


 トイレ。ちょっと頭冷やしてくる。


 それだけ言って、僕は宣言通りお手洗いへと向かう。そして、室内に入ってドアの鍵を閉めると、便座へと腰を下ろして盛大に頭を抱えた。


 ……もう駄目だ。おしまいだ。自称未来人の変人を完全に好きになってしまう。一度盛大にやらかしているのに、同じ過ちをまた繰り返そうとしてしまっている。


 でもしょうがないじゃないか。だって、あそこまで好意を向けられたこと自体、初めてなのだ。しかもあんな美人にだよ?惹かれない方がよっぽどの変人だ。


 そう、だからこのまま流されても仕方がないのだ。そう、仕方ない……でも、やっぱり、僕が勘違いしているだけの可能性も……。


 ぐるぐる、ぐるぐると、入れ代わり立ち代わり思考が切り替わっていく。まさに、思考回路はショート寸前。こんなミラクルロマンスに頭を悩まされることになろうとは夢にも思っていなかった。


 結局、まだ見極めるのに時間がいるだろうという、結論というよりも逃げの思考に至った僕は、水を付けた手で目元を軽く濡らし、ハンカチで拭きとった後、トイレから出る。


 頑張って平静を保とうと顔を上げて……そこで、見てしまった。夜桜さんが知らない男の人と話しているのを。


「あ、朝木くん……」

「朝木くん?どういう関係なの?」


 僕を見つけて、珍しくバツが悪そうな表情を浮かべた夜桜さん。その向かい、僕が座っていた席に座る、整った顔立ちの男が探るようにスッと目を細める。


「友達だよ。貴方が思うような関係じゃないから」

「へぇ、友達……ねぇ」


 男はそれを聞いて、なにやら嬉しそうに口の端を歪めたが、どうでもいい。そんな事よりも、夜桜さんの放った何気ない一言が、想像以上に鋭利な刃物として僕の胸に突き刺さっていることに驚いた。


「初めまして、僕は彼女と同じ学校の三年、甲斐田です。申し訳ないんだけど、彼女と大事な話があるからさ、この席譲ってくれないかな」


 甲斐田……あぁ、モデルをやっているって噂の、あの。どおりでスタイルが良くてイケメンなわけだ。


 となると、あのモデルの先輩に言い寄られているという噂は本当だったのか、これは飯島くんに謝らなきゃいけないな。


「朝木君?答えは?」


 そんな現実逃避にも似た考えに待ったをかけるように催促してくる甲斐田先輩。それに吊られるように視線をずらせば、申し訳なさそうに俯く夜桜さん。


 その姿に、過去に受けた傷がフラッシュバックする。チクリと痛む胸に顔を歪めた僕は、慌てて笑顔を取り繕って。


 構いませんよ。じゃあ僕は行きますね。


 それだけ言い残して、店を後にする。その瞬間、耳に微かに漏れた夜桜さんの声が聞こえた気がしたが、それを振り切るように店を出た瞬間全速力で駆けだす。


 そして、頭が真っ白なまま駅の改札へと辿り着いて、強烈な自己嫌悪に襲われて膝に手をついた。


 なにやってるんだろう、僕は。多分だけれど、夜桜さんは助けを求めていた、と思う。じゃあなんで今、こんなにも走っているんだろう。なんで、逃げたんだろう。なんで、なんで、なんで。


 浮かび上がる疑問は全て、自分を攻撃するものに変わっていく。それでも、亡霊のように纏わりつく過去の失態が、僕の足を止めて動かさない。


“正義の味方ごっこは楽しかったかぁ?”


 頭では絶対に、助けた方が良いと分かっている。それでもあの時投げられかけた屈辱は、味わった羞恥は、拒絶された孤独は。二度と味わいたくないと思えるくらい最悪なものだったのだ。


“余計なことしやがって! 余計なお世話だってよ!”


 そうだ、余計なお世話なのかもしれない。夜桜さんは意志の強い人だったし、こんなこと慣れているだろう。そもそも彼女達が付き合った所で僕には実害もないし、寧ろ平穏が取り戻せるからウィンウィンじゃないか。


“お、みんな! 勘違い野郎が来たぞ!”


 そうだ。僕は関係ない。そう決めたじゃないか。だから、僕以外の人間がどうなろうと、どうだって。どう、だって――。


“キミはキミが思うよりもずっと、優しくて勇気のある人間だから”


 ……あぁ、くそ。だから嫌だったんだ。彼女の言葉を認めてしまったら、こうなるって分かっていたから。


 封じ込めていた筈の感情が、津波のように押し寄せてくる。彼女を助けろと体を振り向かせる。早く行けと、背中を押す。その感情をもう、見なかったことになんてできない。


 なんともまぁ都合よく、スマホには彼女の行く先を知る方法がある。それに従って、最短距離で街中を駆け抜けていけば、先程のカフェから少し離れた、路地裏のパーキングエリアに辿り着いた。


「ん?キミは……」

「朝木、くん?」


 きっと、酷い表情をしているのだろう。息を切らした僕を見て驚いた表情を浮かべる夜桜さんと甲斐田先輩、それから見知らぬ二人の男。


 何やら揉めているのか、甲斐田先輩が夜桜さんの腕を掴んでいるものの、彼女に変わった様子はない。うん、ひとまずは間に合ったみたいで一安心した。取り敢えず、その腕を放してもらえますか?


「何?俺達の話に割り込んでこないでもらえる?」


 夜桜さんを庇うように割り込めば、少し不機嫌な表情を浮かべながらも一歩下がった甲斐田先輩。悪いことをしているという意識はあるらしい、何とか話は通じそう――。


「おいテメェ! 急にきて出しゃばってんじゃんねぇよ!」


 駄目だ、一匹猿が紛れ込んでるみたい。これは説得だけじゃ苦労しそう……ってコイツ、まさか。


「あぁ?お前まさか朝木か?やっぱそうじゃん! お前またこんなことやってんの?」


 途端にニタニタとした笑いを浮かべだした猿――もとい中学の同級生は、途端に優位を悟ったのか、下品に笑い声をあげながらご丁寧にその理由を解説し始める。


「先輩、コイツは大丈夫ですわ。だって俺達がいじめてた奴ですもん」

「いじめていた?」

「そうっす。俺が女の子に言い寄ってただけなのに、何を勘違いしたのか『嫌がってるだろ~』とか言って割り込んできたんすよ。当然、クラスのみんなは俺の味方だし?結局コイツは痛い奴ってことで、その女の子からも無視されるようになったんすよ!」

「へぇ、嘘……って訳でもなさそうだな」


 傑作でしょと手を叩く猿を見て、甲斐田先輩も同じような笑みを浮かべる。


 残念ながら、コイツの言うことは本当。クラス内で、僕がちょっと気になっていた子に対して、まるで威圧するように迫るこの猿を見かねて注意したのが運の尽き。猿山の大将でヒエラルキーと声だけは高かったコイツとその取り巻きによって、俺の中学生活は無茶苦茶にされたのだ。


 しかも、それを助けてくれる人が誰もいなかったせいで……いや、違うな。僕はもともとそういう性格だけど、それがより助長されて人と距離を置くようになった、が正しいかな。


「そうか、勘違いしちゃったんだ。今もこうやって、同じように」


 甲斐田先輩がわざわざ僕の顔を覗き込んで厭味ったらしく告げてくる。ただそれ自体に 反論する気はない。その可能性はゼロじゃないしね。でも、これだけは言わせてもらう。


「……何だその眼は?」


 しっかりと、目を見据えて。大きく吸って、声が震えないように注意しながら。精一杯、格好をつけて。


「彼女は、俺の嫁なので。手を出さないでもらえますか」

「……はぁ?」


 僕の台詞に、素っ頓狂な声をあげた甲斐田先輩は笑うでも怒るでもなく、ただ無表情に自分と僕を指差して夜桜さんを見る。


「こいつが?僕よりも上だってのか?」

「……そうだね、比べるのも可哀想なくらいには」


 わぉ、結構ズバッと言うね。僕としては、とっても嬉しい回答でほっとしたけど。


 背後から聞こえたその一言が完全に心を折ったようで、しばし茫然と立ち尽くす甲斐田先輩。ただ、すぐさま顔を真っ赤に染めると、拳を振り上げて僕に振り下ろしてくる。


「ふざけんな! こんな奴に負ける訳――」

「手を、出したね?」

「うぎゃっ!?」


 右頬に走った鋭い痛みに目を閉じたその一瞬、真っ暗な視界で聞こえた謎の呻き声。何事かと慌てて目を開けば、地面に倒れた先輩と手に黒色の棒状の武器を握りしめた夜桜さんの姿があった。


 え?それってスタ――


「いや、違うよ。未来パンチさ」


 み、未来パンチ?どう考えても拳じゃないし、スタンガ――


「いいや、未来の人はみんな改造して、手から電気を出せるんだよ」


 いやだからでもどう見たってスタンガンじゃ――。


「あれ、朝木くんも未来パンチ喰らいたいのかな?」


 あ、いや、パンチでいいです。


 半ば強引に、押し切られる形で認めてしまったが、逆らったが最後、目を開けていられる保証がなかったので、ここは理性的に口を噤むことを選択する。


 そんなことよりも、だ。地面に倒れた甲斐田先輩は大丈夫なのだろうか。あ、一応猿ともう一人の取り巻きらしき男が介抱してる。口から泡拭いてるみたいだけど。


「甲斐田さんしっかり! このアマ! よくもやってくれたなぁ!?」

「手加減してもらえると思うなよ!」


 うわっ、そういう展開?明らかに激高した様子でこちらに向かってくる二人の男に、僕は夜桜さんを庇うように慌てて半身になる。


 どう考えても、勝てっこない。そもそも僕は喧嘩なんかしたことないし。ここは最悪、夜桜さんだけでも逃がして――。


「大丈夫だよ、そう身構えなくても。キミの親友(・・)が助けてくれるからさ」


 この後の展開を色々と考えた僕を安心させるように、肩に手を乗せてくる夜桜さん。一体どういうこと、とその意味を訊ねる前に、僕は彼等の背後に現れた男を見て答えを知る。


「おい、俺のダチに何してんだ?」

「は?何だお前ッ!?」

「は、離せ――」

「ふんっ!」


 背後から現れた、やけに赤いタンクトップの似合う筋骨隆々なナイスガイ――飯島くんが、男二人の首根っこを同時に軽々持ち上げると、そのまま勢いよく背後へと放り投げる。


 それだけで二人はノックアウト……ってどんな力してるんだ。僕の頭なんて軽々と握りつぶされてしまうのでは……じゃなくて。なんでこんな所に飯島くんが?


「なにって、ジムの帰りに朝木が走ってく姿が見えたからな。いつもぼんやりしてるお前があんなにも慌ててたから、何かあったのかと思って後を付けたんだ」


 あ、そうなの。というかあの時本当にいたんだ……。


 見せつけるようにサイドチェストをする飯島くんの姿に困惑しつつも、素直に感謝の言葉を述べる。そこへ、背後から近づいてきた夜桜さんが耳元で囁く。


「ね、良い人でしょ飯島くんって。困ってる人を見過ごせないらしいよ」


 ……うんまぁ、仲良くはなれそうだなって思ったよ。


 *


 それからの話をしよう。


 問題を起こした甲斐田先輩率いる三人組は、何故か盗撮されていた一部始終の動画が、これまた何故かSNS上で公開されたことにより大炎上した。しかもご丁寧に、僕が殴られた部分までの所で編集された映像が、である。


 どうやら他にも女性関連の余罪も多かったらしく、この騒動によって芋づる式に暴露大会が始まっているらしい。甲斐田先輩に関しては、モデルの事務所もクビになったとか。まぁ身から出た錆なのでしっかりと反省してほしいと思う。


 一方、僕達はと言うと。


「ハルくん、あーん」


 いや、無理だって。それは流石に恥ずかしいから。


「あーん」


 いや、だから。


「あーん」


 ……あーん。うん、美味しいよ。


「本当に?嬉しいな」


 僕の咄嗟に出たあの発言でタガが外れたのか、途端に距離感がバグってしまった夜桜さん。流石に教室では節度を持ってくれているものの、二人きりになるとすぐさまコレである。正直疲れるから勘弁してほしい。


「そんなこと言っても、未来だとハルくんの方から甘えてくるんだけど」


 いや、そんな不確定な上に恥ずかしいだけの情報を出すのやめてもらえる?そんなことしないから。え?しないよね?


 ……こほん、そんなことよりも、だ。結局今回の件はどこまで見えていたの?


「今回の件?いや、未来では経験してない事だったから何とも言えないなぁ」


 あっそう。じゃあ言い方を変えるけど、どこまでが予想通りでどこまでが想定外?


「うーん、そう聞かれると難しいけど。やりたかったことは先輩からの告白をどうにかするのと、ハルくんに自信を持ってもらうことかな。想定外だったのは、ハルくんから告白されちゃったこと、とか?」


 はいはい。まぁ先輩の件はおいておくとして、僕に自信とは?


「そう。中学の件、なんだかんだ気にしているようだったからさ。ちゃんと一度清算させてあげようと思って」


 そう言って笑った夜桜さんは、あぁそうそうと思い出したかのように言葉を付け足す。


「これは未来で聞いた話だけど。キミが助けた女の子、凄く感謝していたよ。あの時は助けられなくて本当にごめんなさい、ともね」


 ……それはそれは。過去の僕が浮かばれるってものだよ。あーよかった……ってあんまり見ないでくれる?


 生暖かい視線を向けてくる夜桜さんの視線を遮るように、懐から一枚の用紙を眼前へと滑り込ませる。


「これは?」


 見て分かるでしょ。入部届だよ。これからよろしく。


「……あはは、うん、末永くよろしくね」


 それは……まぁ未来の僕に任せるとするよ。


 ――桜咲く春。それは出会いの季節。


 その中で一つ、絶対に注意してほしいことがある。


 出会う人が皆、良い人だとは限らないということを。そして、春という季節は、頭のおかしな人とも遭遇しやすくなる季節でもあることを。


 でも、そんな出会いこそが一生の宝物になるということを、僕は身をもって体験してしまったから。


 もし君が自称未来人に出会ったのだとしたら、少しは信じてあげてもいいのかもしれないとだけ、アドバイスしておこうと思う。









 あ。そういえば、時間がないって言ってたのはどうなったの?


「え?だから言葉通りの意味だよ。学生時代はすぐ過ぎ去っちゃうでしょ?だから、今しか出来ないことを全部やらなきゃいけないね」


 ……へ?病気は?事故にあったりとか、離れ離れになったりとかしないの?


「何を言ってるの?普通に二人とも九十歳までは生きたけど……。まさか、勘違いして不安になってきた?」


 違う。そんなことない。やめろ、その眼を今すぐやめろ。やめてくれって言ってるだろ!


 訂正。やっぱり、全部鵜呑みにすると痛い目を見るからくれぐれも程々にね。



ご愛読ありがとうございました。

『強制じゃしん信仰プレイ』という、コメディ作品も投稿してますので、よろしければそちらもご覧ください↓

https://ncode.syosetu.com/n6078gq/


ついでに、いいね、★評価、ブクマを頂けますと、作者の励みになります。ついでで大丈夫です。ついでにお願いします。ホントにホントに、先っちょだけだから。ね?

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