缶コーヒーとランドセル
小学校の、帰り道。
いつもの公園のいつものベンチ、いつものようにふりょうが、缶コーヒーを持って座っていた。
「いたな、ふりょう」
「おかえりー、久美ちゃん」
「勝負だ。今日はケッチャクをつけるぞ!」
「休憩中なんだから、コーヒー飲ませてよ」
かしゅっ、と缶コーヒーを開ける、ふりょう。
私はランドセルを下ろし、地面に置こうとしたけど。
お昼過ぎまで雨が降っていた。地面はベトベトだ。
「汚れるから、こっちに置きなよ」
ふりょうが、ぽんぽんとベンチを叩いた。
私はランドセルをベンチに置き、ふりょうの隣に座る。
「あさんて」
「――何語?」
「スワヒリ語。今、わが家ブーム」
「清春さん、てば」
ふりょうがお父さんを名前で呼ぶ。
ため息と、すごく優しい笑顔。それが、ちょっとだけムカつく。
「早く飲め。勝負だ、ふりょう」
「久美ちゃん。私は『ふりょう』じゃなくて芙蓉」
知ってる。
お父さんが図鑑を広げて教えてくれた。綺麗な花と同じ名前。教えてくれたとき、お父さんもすごく優しく笑っていた。
だから、ちょっとだけムカついた。ちゃんと呼んでやるもんか、て思った。
――けど。
「ふりょう、はやめてくれないかなぁ」
「今日負けたら、名前で呼んでやる」
「え?」
ふりょうが、ちょっとびっくりした顔になって。
飲みかけの缶コーヒーを、ランドセルの隣に置いた。
「ちょーっと、やる気出てきちゃったな」
「負けるもんか」
同時にベンチを立ち上がる。
それが、戦闘開始の合図。
ふりょうは、全然手加減してくれなかった。
全速力で逃げたら、全速力で追いかけてきた。
本当の本気で、追いかけてくれた。
「つかまえた」
私は捕まった。
捕まって、ぎゅうっと抱きしめられて、一緒にベンチに座った。
悔しい。
けど、嫌じゃない。それが、ちょっとだけムカつく。
「私の勝ち、だね」
缶コーヒーを手に取り、コクコクと飲む――その音が伝わってくる。
「コーヒー、好き?」
「うん」
「お母さんは――紅茶が好きだったよ」
ごくん、と大きな音を感じた。
空になった缶コーヒーが、ランドセルの隣に置かれた。私を抱きしめる力が、ちょっと強くなった。
「私も、紅茶好きになろうかな」
いつもと違う小さな声。
胸がちくんとした。だから、私を抱きしめる腕を、ぎゅっと握った。
「いい」
「え?」
「芙蓉さんは――コーヒーが好きでいい」
ムカつくのは、ちょっとだけ。
ランドセルの隣にあるのが、缶コーヒーになるのは。
別に、ムカつかないからね。