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聖女の時給は1ゴールド

作者: HAL


初投稿です。

R15はちょっと酷な設定が入っているので保険。


(22.5.20 続きを連載形式で書き始めました)

続編はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n4104hq/





 子供向けのおとぎ話の締めくくりは、いつだって『めでたし、めでたし』で。その後主人公がどう幸せに(・・・・・)暮らしたのかなんて書かれていない。


 勇者が魔王を倒し。

 聖女が世界の瘴気を浄化し。

 賢者が国を守る結界を張り。


 じゃあ、その後は?





「聖女様、この度の遠征お疲れ様でした!」

「「「したっっ!!」」」


「皆さんもお疲れ様でした!それでは良い休日を〜!」



 私は、遠坂(とうさか) 美依菜(みいな)、日本人。

 異世界で聖女の仕事をやっている。

 時給は1ゴールド。なかなかの稼ぎだと思っている。




 にこにこ笑顔で全力で手を振って、体育会系みたいなノリの騎士さん達に背を向ける。


 あー、つっかれた!


 流石に部屋でちまちま治療したりするのと外に(・・)出向くのは訳が違う。結界近くの魔物は根性がありすぎる。普段鍛えてる騎士に体力がついていけるわけない。

 騎士さん達は過酷な遠征を終え、その見た目こそボロボロだったけど、私といえば。


(うぅ…一週間のテント寝(プラス)もろもろの移動で腰いたぁ)


 洗浄(クリーン)の魔法で身綺麗にしているにも関わらず、身も心もボロボロだった。


 いやほんと。

 あの体力バカーーーーもとい、高潔な騎士様たちは、これから反省会という名の慰労会というか焼肉パーティーをするらしい。勿論、私へのお誘いは丁寧にご遠慮しましたとも。肉より一刻も早く帰って寝たいです。硬くないベッドで。

 あ。寝る前にお風呂入ろ。魔法だけじゃどうもスッキリしないのは日本人の(サガ)だろうか。



 前世とかじゃなく、2ヶ月前までは、どこにでもいる至って普通の社会人だった。


 眩しい光に目が眩んで、気づけば知らない場所。明らかに日本人じゃない人間に遠巻きに囲まれていた。そんな状況、もう恐怖でしかない。

 でも同時に理解した。ここは自分のいた世界じゃないって。英語だろうがドイツ語だろうが、自分が知る言語(・・・・・・・)は通じないだろうと。

 幸い、パニックで叫びだす前に、偉い神官さんが祝福なるものを掛けてくれて、普通に会話することが出来るようになった。助かった。この歳で一というよりゼロからに近い言語の習得とか地獄すぎる。



「巻き込んでしまい、大変申し訳無い」



 最初にまず謝罪があって。


 通された部屋で、私を召喚したという国の王様と王妃様、次の王様になる王太子様と神官長さん、あと宰相だという5人から頭を下げられた。よくわからないけど、この人達、簡単に謝っていい立場の人間じゃないはず。



「あのっ、頭を上げてください!私はまだ、なんで謝罪を受けているのかもわかりませんから…まずは説明をして頂けるとありがたいです」



 慌てる私に、ゆっくりと顔を上げる5人と視線が合う。


 ああ、いやだな。


 その瞳に浮かぶ憐憫(れんびん)を、わかってしまう程には私は大人だったから。戻れないんだな、と、そう理解した。


 彼らの話を要約すると、この世界は異世界から召喚される勇者・聖女・賢者によって生かされているのだという。


 勇者の仕事は、人に害なす魔族の王を倒す事。

 聖女の仕事は、人の毒となる瘴気を鎮める事。

 賢者の仕事は、人の住まう地に結界を創り護る事。


 といっても、常に三者がいる訳ではなく、都度必要に応じてというか、差し迫った状況に陥った場合にその荷を担う三つの大国が異世界召喚を行うそうだ。そう、まさに今がその差し迫った時ーーーーという事なのだろう。


 私は聖女だった。


 あいにく身の内にそんな能力を感じはしなかったが、異世界トリップ特典というやつなのか、学んだり修行したりすることなく聖女としての能力は問題なく使えた。

 お盆もクリスマスもごっちゃ煮の典型的日本人に務まるのかなと思ったけど、どうもここでの聖女はあくまでも『穢れの浄化』が出来る存在で、教会で祈りを捧げるシスターみたいな人とは違うそうだ。


 ともかく、聖女。

 これ決定事項。


 なぜかっていうと、この国で異世界召喚されるのは聖女だと昔から決まっているから。私で何代目なのかはあえてツッコまなかった。知るの怖いし。

 私が知りたいのはただ一つ、仕事を終えた聖女の境遇だ。



「その浄化作業というのは、生涯やり続けなくてはならないのでしょうか?」


「いえ、本来結界が正常に働いていれば、大掛かりな浄化は必要ありません。結界の綻びは魔族の活発化…力ある魔族が、結界を侵食しようとしている事を示します。その侵食により瘴気が漏れ出しているので、聖女の浄化作業は結界が修復されるまで、といえます」


「魔族がこっちに来ようとして結界を壊すのを止めるのが勇者、壊れた結界を直すのが賢者。で、結界が直るまで汚染を広げないようにするのが聖女、ってわけですね」



 神官長がその通り、と言わんばかりに微笑む。



「仕組みはなんとなく理解しました。あの、聖女のーーーいえ、聖女に関わらず、私達の『力』はお役御免になったら消えるんでしょうか?力を使い果たしたら無くなるとか、そういう事は?力が無くなったら、私達はどういう扱いになりますか?」



 矢継早に神官長を質問攻めにする。

 だってこれは大事なことだ。

 帰るすべのない私の生涯を保証する、身の安全の確認。



「浄化作業を終えた聖女様には、穏やかに過ごしていただけるよう、ご配慮をいたします」


「すみません、そんな曖昧な表現では安心出来ません」



 宰相の返答に一刀両断な私の返しで皆が目を丸くする。

 こっちは孤立無援な世界に連れてこられ、聖女という重要なお仕事(・・・)をほぼ問答無用でさせられるのだ。社会保障もなんにもなさげなこの世界で、頼れるのはただひとつ。



「お金ください」


「えっ?」


「仕事に見合ったお給料と、何かの事情で力を無くしたり、歳をとって将来仕事が出来なくなった時の保証金。聖女じゃなくなった時、自分で生計を立てられるようにしたいです」



 何も持たないこの世界で、頼れるものはお金しかない。



「爵位も領地も不要という事か?それならば、王族の側妃という形で庇護を受ける事もできるぞ?」



 王様は単純に親切心から勧めたのだろうが、横に立つ王妃様が無言の笑顔で彼の脇腹をどついた。痛そうに呻いていたが自業自得なので同情出来ない。王太子も呆れ顔だ。



「私は元々一般人(へいみん)です。気楽に、生活の心配なく余生を送れればそれで十分です」



 手に余る身分なんて持て余す。

 自己管理できるだけの、身の丈にあった生活で十分。


 そりゃ、稼いだあとはプータロー生活でのんびり暮らさせてはもらうけど。贅沢三昧とはいかなくても、そのくらいの役得、あってもバチはあたらないんじゃなかろうか。

 あと、知らない人に嫁がされて、領地どころか自分も管理される人生なんて真っ平ごめんだ。元聖女との子とか、権力争いの火種にしかならないでしょ。キモいおっさんの愛人になって子供を産まされるとか拷問だ。

 


「今までの聖女は王族と婚姻した方も多いが、いいのかな?私は立場的に難しいが、弟達ならまだ決まった相手もいないし」


「念の為言っておきますが、私、23ですよ」



 弟さん達は上から13、10、6歳らしい。

 王太子は笑顔のまま固まった。

 日本人は若く見えるからね…知ってましたとも。

 えっ、と声に出した王様は再び王妃様にどつかれていた。

 ちなみに、いかにも物語の王子様のような、金髪碧眼の王太子も16歳とのこと。王様よりしっかりしてそうでこの国も安泰だ。私の老後に関しては彼と相談したほうがよさそう。



「…では、私が聖女の後見人となろう。これでも次期国王だ、政治的に利用される事のないよう、貴女の権利を守る事を誓う。アンリ・フォン・フェルドザイネスの名にかけて」


「ありがとうございます、王太子殿下」



 次期国王の誓約を有難くいただいておく。

 見た目も立派だけど、中身もしっかりしてるなぁ。

 こんな弟がいたらアイドルばりに推しちゃうな、なんてニコニコしてたら、王太子が爽やかな笑顔を向けてのたまった。



「アンリ、と呼び捨てで構いませんよ。聖女は一国の王より上の立場なんですから。弟、くらいの扱いで」



 前言撤回。

 こんなイケメン、弟にいたら心臓がどうにかなります。


 丁重にお断りしたのだが、臣民に立場を知らしめる為だと押し切られた。かわいい顔して強引なとこにキュンとくるじゃないか。推しが弟になってしまった件について、とか、ラノベが書けそう。

 結局、押し負けた私は互いに名を呼び合う約束をさせられ、自分も、と言おうとした王様は王妃様の無言の圧力に乾いた笑いを零し、国のトップを交えた会談はひとまず終了した。


 その後、アンリと宰相補佐との三人で(宰相さんは外せない用事があったらしく大層残念がられたが、私としては歳の近そうな補佐の人のが希望も言いやすいので笑顔で代行を了承した)私の給与体系に関して話を煮詰め、聖女特権(?)を活かした私の希望はほぼ通り、きちんとした契約書が書かれた。

 時給という概念の無いこの世界での珍しい就業形態に、興味津々といった顔で目を輝かせる若い二人。未来を担う彼らが、一般市民の就業規則に上手く活かしてくれるのを願うばかりだ。

 ちなみに時給は1ゴールド。小金貨一枚である。

 大金貨は小金貨10枚分。現代の金相場と比較にはならないので、1ゴールドで何が買えるのか聞くと、『貴族御用達の店でランチをする程度』との事。えー、現代だと1万円位か…?

 老後の資金にするには何枚貯めたらいいんだろ。

 他に銀・鉄・銅貨とかあるけど、大小の硬貨があるのは金貨と銀貨だけだそうな。



「ところで、聖女の仕事って具体的にはどんな事?結界周囲の浄化、ってだけではないのよね?」


「そうですね…それに加えて人の穢を払ったり、聖力で治療したり…ですかね。怪我などは神官の神聖力でも治せますが、聖女は死者すら蘇生できるほど強力だとか」



 死者の蘇生って…そんなゲームじゃあるまいし。

 引き攣った顔の私に、アンリは苦笑すると『まぁ流石にそれはおとぎ話でしょうけど』とからかうように言った。

 おとぎ話でなくては困る。

 神様の領域を犯すような真似をしちゃいけないと思う。

 別に信仰心なんてないけどね。




 そうして異世界に召喚されて2ヶ月。


 それなりに快適に過ごさせてもらっている。

 時給はいいし、休日もしっかりあるし、時間外手当も出張手当も危険手当なんてものまであって、懐はウハウハだ。

 前に金貨を数えてるとこを宰相に見られて、お互い気まずい思いをしたものだが、でも、単純にお金が溜まっていくのは嬉しい。


 私に与えられた部屋は王宮内ではなく、城内にある騎士団本部隣の離宮に治療院を兼ねて準備された。

 王太子以外の独身王族が騎士団の総司令官を務めるため、その任に付く王族が住む為の離宮は本部のすぐ隣にあった。いや、逆か。離宮があるから本部が併設されたのか。何にせよ、仕事上騎士と行動する事が多い聖女の住まいには住みやすさも防犯面もバッチリ、という訳だ。


 現在は王弟が総司令官なのだけど、結婚して居を移した為、王子達の誰かに引継ぐまでこの離宮は王族不在。

 立派過ぎる住居に引き気味の私に、有効利用だよ、とアンリは何でもない風に言う。自称弟のもてなしが怖い。

 とはいえ、私の居住区は王族が使用する部屋ではなく、厨房のすぐそばに仕事部屋と共に構えてもらった。改装の程度が物凄い事になっていたがあえて触れず、天蓋付きの広いベッドを堪能させていただいている。


 基本、仕事日は上げ膳据え膳だけど、休日はだらだらして過ごしたいのでのんびり自炊だ。

 私の料理をたまに食べに来る幼い王子達の来訪も、毒見の必要がない、温かい食事の提供を拒否するなんて出来ない。

 聖女の使う食材に毒なんて盛ってもね、意味ないというか、食中毒怖いから全部浄化してから使ってるし、状態の鑑定も一応出来るから、即お縄になったニセモノ業者も多い。

 


「だからといって、お前達はミーナに甘えすぎだ。遠征から戻ったばかりだというのにすまない」


「あー、これ、1時間並ばないと買えないって噂のお店の!」



 申し訳なさそうに言うアンリの手土産は、王都で有名な人気店のケーキ。前に王妃様とお茶した時に食べて、超美味しかったから覚えてる。



「アンリはお腹空いてない?」


「いや、僕は大丈夫ですよ」


「…で?」


「あははっ、降参。ホントはペコペコです」



 疲労の色濃い少年。

 まだほんの16歳なのに、父親である王より有能な彼は、彼の立場が、少年でいる事を許してくれない。だからせめて、私という無関係な(・・・・)人間の前では子供らしくあって欲しい。私の勝手なワガママだけど。

 あったかい食事と少しの休息をアンリにあげ、ついでに、と癒しの聖力を使う。アンリは聖女の力はそんな事に使っちゃいけないってお説教してくるけど、お節介でやり返す。



「私のお休みなんだから、好きにするの!」


「貴女って人は…全く」



 そもそも、なんで王太子だからってこんなにアンリが忙しいのか。王様、仕事してんの?息子に仕事やらせて自分は楽してるんじゃ。



「いや、父もそれなりには仕事をしているよ。ただ、僕自身の仕事の他に、今は叔父の仕事が回ってきていてね。恥ずかしながらいっぱいいっぱいで、情けない」



 なぬー?

 私の可愛い弟に仕事任せてその叔父は何やっとんの!

 ふんすか鼻息を荒くする私に、アンリは『違う違う』と苦笑した。



「ミーナが召喚される少し前に、叔父が第一騎士団と共に結界の状況を確認しに行ってね。戻るまで、と引き受けたはいいけと…」



 アンリの叔父で騎士団連れて行くっていったら、王弟か。

 王様の補佐と王弟の仕事かぁ…それはしんどそう。

 どうりで日々やつれていく訳だ。納得。

 聖女の癒しフルコースなんてどうだろう。

 


「本当ならもう帰還しているはずなんです…なのに」



 私の遠征は比較的王都に近い場所だったからか、そこまで穢れは酷くなかった。王弟は状況の把握とはいえ、被害の大きい地域へ行っているらしく、聖女を召喚出来たからといって楽観視出来る状態ではないようだ。



 どくん。



「ーーーーーっ!?」



 何かわからない、全身を這い回る不快感と焦燥感。

 ぞわぞわと肌に悪寒が走る。

 


「聖女はどこだっっ!!すぐここに呼べ!」

 


 外から聞こえたのは切羽詰まった張り叫ぶ声。

 非常時なのだろう、聖女を呼び捨てかつ呼び付け。最上位の身分とかはどうでもいいけど、普段の私なら額に青筋を浮かせていたはず。用事があるならお前から来い、と。

 でも、その怒声を聞く前に私は部屋から飛び出していた。

 尋常じゃない穢れの気配がする方角へ。 



「な、に、…人?」



 そこには、白い包帯にぐるぐる巻きにされた人の塊のようなモノが地面に横たわっていた。



「聖女か!助かった、いきなりで悪いが説明より先にコレの浄化を頼む!」

 


 見るからにボロボロの騎士達の中、一番ボロ雑巾みたいな人が地面の人らしきものを指差す。

 発動後の魔法陣らしき光が徐々に引いていく。

 話に聞く転移魔法で帰還したのだろう。



「これは…聖帯ですか」


「ああ、あんたが作った聖布で作らせた。とてもじゃないがこんな奴、まともに触れたら死ぬ」



 穢れに侵された人の捕縛に使ってほしいと、いくらかの布に祝福をかけて騎士団に渡したやつだ。この人達の所にいってたのか。役立ってなにより。

 穢れを払いながら近付くと、思ったより小さい体かそこにあった。


 男の子、だろうか。

 聖帯で外に瘴気が漏れ出ていないけど、その身の内の穢れは相当なものだろう。首と肩を支え、ゆっくりと頭を起こして声をかけた。



「ねぇ、君、大丈夫?」



 弱ってそうな体に少しずつ聖力を流し、浄化する。

 すると、ふるりと睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開いた。


 きれいな、黒い瞳。

 懐かしい日本人の目。

 瞳孔がキュッと驚きを示した。



「…お、か……さん?」


「…もう、だいじょうぶ、だよ。いたいとこ、ない?」



 ゆっくりと、噛み砕くように話す。

 駄目だ、泣くな。

 笑え。

 堪えろ。



「たす、けて…おかあ、さん…」



 痛いのも、傷付けるのも、もう嫌だ。と、ボロボロ大粒の涙を零して縋り付く少年ーーーーーいや、中身は青年に近いかもしれないその人は、多分、おそらく。



「…イタイイタイの、飛んで行け。ね、ほら…もう大丈夫」





 ーーーーー私と同郷の、召喚勇者。







「異世界人、ですか…」


「わからないけど、多分、そう。見た目がモロ日本人…

私と同じ人種なのよね。こっちではいないんでしょ?黒目黒髪って」


「まぁ知る限り聞いたことはないな……ぶふぉっ」


「…叔父上…真面目に」


「だってお前、仕方ないだろう。こんなでっかいのに母親呼ばわりされて、今も……わははははは!」



 指を差すな、指を。

 あと笑いすぎ。


 穢れをまとった塊の正体は、アンリと同じ位の少年だった。


 王弟達が国境近くの結界で発見した時には、穢れが強すぎて近づけず、性別も生死も不明。放置するわけにもいかず、聖帯を術で展開させて捕縛し、ようやく近付いてみたら『殺してくれ』と物騒な発言を残して気絶。

 一刻を争うと判断した王弟が、疲弊しきった騎士団と共に帰還の魔法陣を発動させたという訳だ。



「…離れないんだから仕方ないじゃないですか。私だって恥ずかしいんですから触れないで下さいよ」



 浄化して、怪我も治したけど、彼は目覚めなかった。

 しかも、がっちりと私に抱きついて、引き剥がすことが出来無い始末。いやもうどんだけの力というか執念。

 彼を引っ付けたまま騎士団の範囲浄化を行って、引っ付けたまま担架で運ばれて、引っ付けたままベッドに降ろされても、まだ彼は目覚めなかった。(ベッドが汚れたら嫌なんで、古いカーテンを上に敷いてもらった。)



「ところで…何で召喚ーーーしかも勇者だと?」



 王弟の顔がうって変わって真面目なものになる。



「聖気、って言うんでしょうか、なんかそういうのが彼の内に見えまして」


「まぁなぁ…勇者でもなきゃ死んでるわな。そいつを発見したの、結界って言ったよな?」


「はい」



 ああ、嫌な予感。

 アンリも口を挟まず無言だった。



「そいつは結界の外(・・・・)から来た」



 私は彼をギュッと抱きしめる。

 王弟は淡々と今回の探査目的について語り始めた。

 勇者を召喚する任を負う国に以前から流れていたキナ臭い噂。魔道具の原動力となる魔石の最大輸出国である彼の国は、勇者に魔物を狩らせて魔石を手にしているーーーというもの。

 噂の真偽を確かめるべく、表向きは結界の調査と偽って出発した。

 そもそも、異世界召喚は頻繁に行われるものではないし、召喚の事実を各国に通達する義務がある。

 それが行われていない、というのは後ろ暗さしかない。



「んで、協力者に調べてもらったら案の定。勇者召喚は頻繁に行われていてな。魔石自体は魔獣から採れるんで、あっちは特別魔獣の多い地域があるから、その恩恵なんだとばかり思っていたが…魔物は魔獣よりデカい魔石を産むからな」



 蓋を開けてみれば。

 勇者に魔獣より危険な魔物狩りをさせ、魔石を荒稼ぎして他国へと売り捌いていた。しかもそれは悪質な資金源になっていただけでなく。



「人為的に結界を壊し、勇者を結界の外で魔物と戦わせていたらしい。少なくとも5年以上前からな。今回はたまたまウチの国側で結界が破損してたから、その穴を通って出てきたんだろう」


「5年以上、って…この子、どう見ても」



 苦虫を噛み潰したような顔を王弟は向ける。


 いやだ。

 知りたくない。

 そんな事を聞いてしまったら、私は。



「…それを十かそこらのガキにやらせてた、って事だ」



 それも一度や二度ではないという。

 繰り返される古い悪習。

 鈍器で頭を殴られたような衝撃に、もう、どうやったって我慢する事など出来なかった。

 


「…泣かないで、ミーナが悪いんじゃない」


「ああ、悪いのはあの国の国王を含めたごく一部の人間だ」



 わかってる。

 それでも、それでも涙が止まらない。


 私だって、大人と呼ばれるほど人生経験は積んでない。

 成人してそこそこの、子供もいないただの女だ。

 私達の世界だって、戦争や貧困で死んでいく子供達がいる。

 でもこの子はそれを知らない私と同じく日本で産まれ、私よりずっとずっと小さい時にこんな運命に弄ばれた。同情だろうが憐れみだろうが、胸が痛い。悲しい。辛い。



「善悪の判断も出来無い子供のうちに召喚し、洗脳まがいの知識を植付け、そうやって『勇者』という対魔族殺戮兵器を作り上げ、魔石による利益で国を豊かにしていった訳ですか…胸糞悪さを通り越して最早ゴミですね」



 アンリと目が合うと、口が悪すぎましたね、と舌を出す。気遣いの天使かな、アンリは。

 


「…結界の外は瘴気が強すぎて普通の人間には耐えられないと思ってました」


「ああ、神聖力で加護を張れば多少は耐えられる。おそらく、こいつが魔物やその上の魔族を倒した後、死骸から魔石を取り出す役目をしてた神官らがいたんだろう。あっちは教会もグルだな」



 根っこまで腐ってやがると吐き捨てる王弟の掌は、強く握りすぎて爪が喰い込んでいた。



「ん…ぅ…」


「「「 !! 」」」



 相変わらず私に引っ付いたままだったが、少年はその姿勢のまま目を開け、ゆっくりと視線を彷徨わせた。

 寝起きのようなぼんやりとした表情。

 若干幼さの残るその様子に母性本能というか、何かが目覚めそう。


 いやいやいやいや、ダメダメダメダメ。


 アンリに続いてこの子までとか、私、そんな性癖はないんだから!新しい扉は開かなくていいって、ホントに。

 一瞬、彼から震えが伝わってきて、視線を下に向けた彼と目が合う。



「…おはよ。よく眠れた?」


「…うん」



 短い返事の後、恥ずかしそうに俯き、その紅くなった顔を隠すかのように私に擦り寄った。

 あー、いやうん。可愛いけど、可愛いけどちょっと待って。

 ちょっ、こら王弟!

 生暖かいっていうかニヤニヤっていうか、その締まりのない微笑みはやめて!隣のアンリから冷気が流れてきてるってば!



「あ、あの、君、お名前言える?私は遠坂 美依菜、って言うの。23歳ね!」

 


 ちょっと年齢を強調して言ったら王弟が吹き出した。

 うるさいな!



「…お姉さん、日本人…?」


「そうだよ。一緒だね」



 うん、と言いながらまたすりすりしてくる。

 ちょっと位置的に微妙なとこなんだけどね、いやまあ、気にしないように努めますよ。お胸だけれども。



「…荻原 健(おぎわら たける)

 


 ぎゅっと抱き付く力が強くなる。

 ひぃ、そこで話されるとくすぐったいです。



「歳は、多分18」


「多分?」


「…こないだ、そろそろ6年になるから終わりだって言ってたから。僕がここに来た時、12歳だった」


「そっか」


「うん」



 何が終わりか、なんて。

 勇者召喚を頻繁に行っていた国の次の行動は、予測するに容易かった。



「入れ替えだって。魔物寄せをふりかけられて、あっちに放り込まれた。用済みだっーーー」


「ちがう!ちがうから!!タケルは私と会うためにここにいるの!私、とんでもなく寂しがり屋だからっ、だから、タケルが一緒にいてくれないと、寂しくて泣いちゃう…から…」


「…ミイナは寂しいの?」


「…さみしいよ」



 優しい人達に囲まれても。美味しいご飯を食べても。

 君のような境遇の子に会えば、寂しいんだよ。

 楽しかった時、君と一緒にいられなかった事が。

 しがみついていた腕を緩ませ、タケルはゆっくり顔をあげる。



「じゃあ、僕がずっと一緒にいてあげる」



 綺麗な、曇りのない笑顔。

 18という実年齢に比べ、それは極端に幼い表情で。

 召喚された当時12歳の、その頃の彼に会えたような気がした。







「おいしい!美依菜のご飯、すごいおいしい!!」



 最初はパン粥から始めた療養食も、すぐにお役御免で、シチューとかハンバーグとか、ガッツリした食事ーーーお子様メニューに変わった。

 感心する程の食べっぷりにそっとお代わりを差し出すと、嬉しそうに受け取ってまた口に運ぶ。瞬く間に減っていく料理達よ…。成長期の男子の食欲ヤバい。



「ミーナよ、男は胃袋から掴めって言うけどな」



 厨房に設置された食事用テーブルには、健だけでなく、アンリとその弟達3名、王子達の護衛2名、の総勢7名がひしめきあって食事をとっていた。



「掴みすぎじゃね?」


「私のせいじゃないですよね?!」



 聖女食堂と異名がつく程度には、城内で有名になっていた。


 健の事もあって聖女のお仕事は3日程お休みを貰った。

 特に王妃様が今回の件にご立腹で、王様と宰相の尻を引っ叩く勢いで色々頑張ってくれているらしい。急ぎのものでなければ、今は聖女の仕事より健を優先するよう言ってくれた王妃様の顔は母の顔だった。


 健は6年前の召喚時の記憶が曖昧だ。

 当時小学生の彼に起こった恐ろしい出来事は、彼の未熟な精神を守るため記憶障害を引き起こしたのだろう。

 当たり前の幸せの中にいた平凡な少年は、戦う術を教わる事もなく魔獣の中に放り込まれた。


 生きるため。

 死への恐怖の中で勇者の力が発動し、身を守る術と、敵に立ち向かう強さを手にしたのだ。だが、それは悪夢の始まりで。



「精神抑制、通称を『奴隷紋』と言ってな、百年も前に禁止になった魔術刻印だ。あの国じゃ現役だったようだがな」


「12の子供を無理矢理拉致した挙げ句、マインドコントロール…クズすぎて魔物の餌にしても足りないわ」


「…協力者の話だと、奴隷紋で勇者を狂戦士にして、魔物に突っ込ませてたってよ。ぶっ倒れるまで戦ってようやく休息。飯もマトモに食わさず、ポーションで体力回復してたから年齢より身体が小さいんだ」



 幸い、魔術刻印は健の成長と共に勇者の力の影響を受けて今はもう痕跡もないが、だからといって溜飲が下がる訳じゃない。ぶつける先のない王弟の拳は力無く下げられた。



「…っ、いっぱい、お腹がはち切れそうになる位、食べさせます!今まであの子が食べられ無かった分、全部っ!」


「ああ、たくさん食わして太らせてやれ」



 私は何も出来ないけど、彼のために食事を作ろう。

 故郷で食べられたはずの、優しい母の味を真似て。



「食わせてやれとはいったけど…まぁなんだ。餌付けにしか見えないな」


「王弟殿下はちょっと失礼すぎません?!」



 きょとんとする健に、アンリや騎士さん達が笑う。

 聖女食堂は、今日も笑顔が絶えなかった。





 もらった臨時の休日は、健の精神をおちつかせる為にほぼ使われた。おはようからおやすみまで、文字通り一緒である。


 私達は時間の許す限りお互いの話をした。

 どこに住んでいたか、何が好きだったか。

 たわいのない話も沢山。

 もう帰ることは出来ないけど、自分だけじゃない、あの平和な世界を知っている人がいる事は、健だけじゃなく私の心にも安らぎを与えた。

 そうして始めの一ヶ月は親子以上に何をするにも一緒だったけれど、徐々に私なしでも平気な時間が増えていく。今でも夜泣きのようにうなされたり、夢遊病者のようにふらふらと歩き回る事は偶にあるが、そういう時は深夜護衛さんに連れてこられて一緒に眠った。


 傷の舐め合いだと、心無い人は言う。

 立場を利用して勇者を閨に入れているのだと。

 無責任に投げかけられる言葉。

 その重みを知っているのか。

 発した言葉に責任を持てるのか。

 何も知らないくせに。 


 聖女に『どうして私があなた方の為に』なんて思わせちゃいけないんだよ。脅しじゃなく。私はそのへん意識しないようにしてるし、今は健と会えたから守らなきゃって思えるけど。


 全てが嫌になるなんて一瞬だ。

 魔が差すのも。


 人の心なんて脆く崩れやすい。

 聖女の力がどうあるかなんて、何も知らずにここにきたから感情一つでどうなるかわからない。だから私は私の責任を考える事を放棄してたのに。虚無感に苛まれないよう、心無い言葉に挫折しないよう、お金を稼ぐという目標を立てたのも善意だけでは乗り切れないから、達成感を自分に植え付ける為なのに。

 それなのに。

 なんでそっち側から藪を突いちゃうんだろう。


 私が祈らなければあんたも故郷に戻れなくなって、こっちの気持ちが分かるかな?という事を、オブラートに包んで言ってやったら顔を真っ青にして逃げていった。翌日からそのメイドの顔を見ることがなくなったのは、仕事の早い有能な自称弟のせいだろう。


 彼女は文字通り、自分の発言に責任を取らされた。

 同情はしない。

 私は健の心を守る方が大事だから。

 こっちに悪意を持った人間まで守るほど、私は人格者じゃない。


 清廉潔白でなくてもいい。

 ただ、自分に誠実な人間でありたかった。

 なのに、守る人間を選んでしまう自分がホント嫌だ。

 彼の手本でありたいと思うのに。



「僕は美依菜がいればいい」



 健と騎士団の人達との手合せを見ていて、その圧倒的な力の差に見惚れ、『さすが勇者だね』と言った私に彼は感情のない声で言った。私以外はどうなっても構わないと。


 まるで魔王のようだと思った。

 健の心は6年という時間の中で歪んでしまったのだ。

 この世界の人間に蹂躙されたのだから、この世界が壊されても誰にも文句は言えない。

 ただ唯一、異分子の私だけが彼に異を唱える事が出来る。


 同じ異なる世界から来た私達。

 健を理解できる私は、彼の良心。この世界の生命線。

 彼にとって悪夢でしかないこの世界と、対極の存在。


 怖かった。

 私の気持ち次第で健が魔王になってしまう可能性に気付いた時は、眠れなかった。


 なのに。

 勇者の執着を嬉しいと思ってしまう醜さが。

 これで孤独にならないという、安心という名の浅ましさが嫌いだ。そう思うほどに、私もこの頃病んでいたのかもしれない。


 健の心を守らなければ、という責任の重さに押し潰れそうになっていた私を救ってくれたのは王妃様で。

 彼女に抱きしめられると、ボロボロだった心が悲鳴をあげ、小さな子供みたいに声を上げて泣いた。それを見た健も泣き、彼と一緒に遊んでいた弟王子達もつられて泣いた。


 恐ろしさや重圧と一緒に、この世界へのやるせなさと私達の世界への郷愁も全部、涙と一緒に溢れ、流れていった。



「還してあげられなくて…本当にごめんなさい…」



 違うんです、王妃様。

 ホントは知ってるんです。

 

 私がここに来る直前、車に轢かれる所だった事。

 目に焼き付いてる光が車のヘッドライトだった事を。


 私が召喚された場所、綺麗な花が敷き詰められた棺だった。

 召喚陣の上なのにどうしてかな、って思ってた。

 あの時、王妃様が隅の方で泣いていたの、見てたんです。

 ああ、そうか、と。

 等価交換とはよくいったものだ。

 私の代わりに、この世界の誰かが向こうへ渡ったんだとしたら、その人は、私の身代わりになって命を落としたんだろう。


 私も、きっと健も。

 誰かの命と引き換えに生かされている。

 優しいこの人達はそれを理由に何かを強要したりしない。ごめんなさいと謝罪し、ありがとうと感謝する。

 


「…私こそ、生きる時間をくれてありがとうございます」

 


 その人にお祈りさせて欲しいと言った私に、王妃様は教えてくれた。私の代わりに世界を渡ったのは王の妹であり、王妃様の親友だったということを。

『こういう時にこそ王族が努めを果たすものなのよ』

 と、彼女は言っていたという。



「貴女は彼女によく似てるわ。しっかり自分をもっている所も、責任感の強い所も…本当は怖がりで、でも、とても優しい人だって所も」



 私は狡くて弱くて。

 世界の為に命を捧げたその人に遠くおよばないけど。

 でも、その人が守りたかったこの世界を、同じように大切にしたい。

 

 静かに黙祷したあの日から、私も健も少し変わった。

 ほんの少しの意識変化だけれど。

 私達は異分子からこの世界の一部になったのだ。





 そうして健が私達の元に来て半年が過ぎた。



「俺も行く」


「浄化のお仕事だし、守ってくれる騎士さん達もいるし…」


「俺の方が強い」


「うっ…それは、そうなんだけど」


「俺は魔族とも戦えるけど、騎士団の人は無理でしょ?」

 


 そりゃ、勇者と比べたらどんな優秀な騎士でも霞む。


 健が来てから初めての遠征ではないというのに、遠征先があの国だと聞いた彼は自分も付いて行くと頑なに譲らなかった。

 あの国は人為的に結界に穴を開けていたけど、勇者がいなければ流石に無茶は出来無い。だって新しい召喚勇者はいない。いや、いないのではなく、召喚させていない(・・・・・・・・)


  王弟の協力者は、あの国の第5王子だった。


 詳しい話はかなりドロドロしてるので割愛するが、冷遇されていた第5王子は、自分の国の裏の姿を知って謀反を起こす事を決意。こちらの王弟と協力体制をとり、志を同じくする仲間を集め、事を起こす手前だった。

 健にかけた奴隷紋の効果が切れる前に、勇者の抹殺と、新勇者の召喚が行われる。その情報を掴んだ王子は計画を一時中断し、こちらと連絡を取ろうとしたが、結界調査に出ていた王弟には間に合わず、健の追放が行われてしまった。

 今回、健という勇者が保護された事でこの国から正式な抗議がされ、焦って証拠を隠蔽しようとした関係者を第5王子派が一網打尽にした、というわけだ。

 健だけでなく、今まで理不尽な目に合って苦しんだ勇者達の無念をしっかり払拭してもらいたい。


 いや、やっぱり一発位ぶん殴ってもいい気がする。

 聖女が闇を払います〜とか何とか言って牢屋に入れてもらおう。祈るフリしてこう、後ろからハリセンでパコーン、と…

 なんて事考えてたら声に出てたのか、王弟に、『お前は連れて行かないからな?』って釘を刺されてしまった。くそぅ。

 それはともかく、現在あの国が何かやらかすとかないので、久方振りの遠征が決まったのだ。

 のだが。



「だからそんなに危険は無いんだよ?」


「結界はいつ開くかわからない」



 なんとか留守番してもらおうと、宥めたりなんやらしてもこれっぽっちも折れてくれない。

 健だって騎士団と魔物退治して稼ぎまくってる癖に、って呟いたらジロリと睨まれた。知ってます、行きたがらない健を無理矢理連れ出した王弟の仕業だって。


 最近、急に大人びてしまった健は、反抗期も兼ね、現在絶賛思春期真っ盛りだ。僕から俺へと一人称が代わってしまい、密かにハンカチを噛みましたとも。ええ。


 連れてきた最初の2ヶ月、健は超絶可愛かった。

 見た目と中身のアンバランスさが母性本能を刺激しまくって、王妃様と私と王弟のお嫁さんの3人でお茶会という名の『タケルの成長を見守り隊』の会合が毎日のように開かれた。(その間健はアンリの弟達と勉強だった。)


 だって報告する事が沢山あったんだもん…

 招集の圧も凄かったし…

 言うことなす事いちいち可愛くて…


 そんな会合に危機を覚えたのか『タケルの情緒を育てる』と、アンリをも巻き込んで余計な知識を植え付けたのが王弟だ。

 そのせいで健は一時、人間不信に陥り、引きこもって私以外寄せ付けなくなってしまった。私も健に外に出て欲しくて色々…まぁ、やらかしたので、その頃の事は二人の黒歴史となっている。お互いに触れない、という暗黙のルールだ。


 健の変化に一抹の寂しさはあったけど、遅い反抗期かなぁなんて逆に嬉しくもあり。ツンデレ健も王妃様達におおむね好評でした、はい。

 あれ、そういやアンリはそういう時期なかったのかな?



「…何を考えているかわかりませんが、僕もタケルの気持ちが分かるので援護はできませんよ?」



 アンリに視線を送りすぎたのか、呆れたように溜息をつく。 

 あ、ちょっと耳が赤い。ジロジロ見すぎたかしら。



「…美依菜、今は僕と話してる」


 拗ねたようにむっつりと言う健。

 おおう、嫉妬ですかね、反抗期の癖に可愛いぞ。

 時々俺から僕に戻っちゃうとこもかわいい。


 私への異常なまでのベッタリは、王弟の指導(?)のかいあってか仲良し姉弟くらいには落ち着いた。互いが自分の存在を肯定できる唯一だから、どうしたって特別なのは仕方ない。

 あとは時間が解決するだろう。

 前の世界を思い出す事が減っていき、ゆっくり、この妄執にも似た執着が薄れていくのだ。



「美依菜、聞いてる?」


「は、はいっ!聞いてました!」

 

 

 すみません、聞いてませんでした。

 やだ、どす黒いオーラまで出すようになっちゃってこの子。ホントに薄れるのか?私への執着。

 引き攣った顔でこくこく頷く私に溜息をつくと、健は私の頭をぽんぽん、と撫でた。

 ちょっ、誰よこんなイケメン挙動教えたの。



「じゃ、そういう事で決まり」


「え?なに?」


「美依菜の遠征に一緒に行くって話だよ。もう決定事項」


「っ、だからそれは駄目だって何度も」



 平行線な言い争いは健の一言であっけなく幕を閉じた。



「あんまり頑固だと、物理的に(・・・・)遠征行けなくするよ?」


「健くん、一緒に行こうか!」



 強調された『物理的に』の言葉に、キャーッと黄色い悲鳴を上げるメイドさん達。対して男性陣の顔は真っ赤に染まっていた。

 いや、ちょっと、君達。何想像してるか知らないけど、そういうんじゃないから。ロープでくくり付けとくとか、そういう物理だから。多分。自信ないけど。


 だが。

 私の返答にごきげんになった健はトドメを刺してきた。



「ずっと一緒にいるって約束したでしょ。浮気は駄目」



 あああああああああ!!

 あれってそういう意味だったのおおおおおお!?


 口はパクパク魚みたいになって声にならない。

 にこにこ顔の健と、飲んでたお茶を盛大に吹き出すギャラリー達。午後のティータイムはカオスと化す。

 居た堪れなくなって、この世界の良心みたいなアンリに助けを求めて視線をやると『諦めて生贄になった方が楽ですよ』と匙を投げられた。ひどっ!


 いや、勇者への生贄ってなによ。

 それってもう勇者じゃなく魔王では?!


 ツンデレ…いや、健の短い反抗期は終わったけど、次に待ってるのがデレ期だなんてこれっぽっちも予想してなかった。




「お弁当楽しみだな〜」


「もー、遠足じゃないんだからね…」


「うん。嬉しいのはさ」


「ん?」

 

「やっと美依菜の横に立てるからだよ」



 知ってた。

 ああ、知っていましたとも。

 健がアイドル張りのイケメンだって。

 そんなキラッキラしたイケメンのキラースマイルを耐えられようか。いや無理だわ。私は今度こそ撃沈した。



「…イケメンの無駄遣い…」


「美依菜、俺の顔好きだもんね」


「なっ、なんで知っ…」


「王妃様達となんか喋ってるの聞いた。アイドルがーとか、推しがどうのとか」


「………」


「で?推しの嫁になった気分はどう?」


「もうほんとすみません離れてもらっていいですか…あとまだ嫁ではないです」



 いやもう部屋に戻ってからずっとこうですよ。

 ソファー広いのに。無駄に広いのになぜ隣にぴったりくっついて座ってるの??

 私のライフはもうゼロです。

 鼻血吹く前にやめてもらっていいですかね。


 赤くなったり青くなったりする私を見て、クックッと耐えきれず健は笑いだした。

 いやもう誰なのー。純朴だった健を返して〜。



「俺、元々こんなだったと思うけど…色々あったから子供返りしてたのかも?でも美依菜喜んでたし、いっかなーって」



 なにそれなにそれ!

 じゃあ知っててやってたの?!あれを!?


 わあっと両手で顔を隠して突っ伏した。

 穴があったら入りたいけど、今ここに穴はない。



「いや、意図してやった訳じゃないよ。記憶が曖昧で、戻ったり、色々してた。俺の中じゃ、十くらいの時に美依菜と一緒にいた感じの記憶になってて、正直、まだ混乱してる」



 10歳から一緒なら私は相当おばちゃんだ。

 嫁とか考え直してもらってもいいですかね。



「まあ、いつでも美依菜は俺の嫁だけど」



 思考読んでるのかな?

 

 健は私立中学を受験しようとしてたみたいで、地頭は良かった。最初こそ弟王子達と勉強してたのに、何でかすぐにアンリと一緒になってたのよね…。流石に学園とかは行かないけど、行ってたとしても問題なく秀才になれたろうな。



「…俺の奴隷紋は消えているけど、正直、まだ怖い。もしまたあんな風に自分が無くなるのかと思うと…」


「健…」



 6年という決して短くない時間、例え夢現でいたとはいえ、そのトラウマは計り知れない。

 その時の事を話す健の表情はいつも色がないというか、感情が抜け落ちたような、そんな顔をしていて。

 かける言葉がなくて、私はただ、その冷たくなった手を包んで温めるしか出来なかった。



「だから、考えたんだ。奴隷紋より効力の強い魔術刻印を刻んだらどうかって」


「えっ?」


「奴隷紋より高位の刻印をすれば、もう怯えなくていい」


「…ええと、解りやすくお願いします」


「基本、魔術刻印はその身に一つしか刻めない」



 それは教えてもらった。

 権利を上書きされないようにする為とか何とか。

 でも、健の時みたいに術者より圧倒的に上回る力があれば(健の場合は聖力かな)、契約を解除する事が出来るのよね。本人でも、以外でも。

 

 私の話に、そうだね、と健は続けた。



「でも、そもそも最初から無効にする方法がある」


「ちなみに…どんな?」


 

 あ、何か嫌な予感がする。

 こういう時の予感は凄くよく当たるんだけど。

 聞いたら引き返せない、そんな予感。



「別の魔術刻印を先に刻めば、上書き不可ーーー例えば『誓約紋』とか、ね。あ、勿論婚姻のやつ」



 いやあああああ!!!

 嫌な予感どころか、とんでも発言をいい笑顔でぶっ込んできましたよこの子。

 さっき乗せた手がいつの間にか取られて握られてるんですけど?!え!?逃走防止策なの?!!


 うっすらとほほ染めてる健とかレアで、あれこれってプロポーズなんだっけと勘違いしてしまいそう。



「夫婦の誓いが最上級だなんて、流石だよね。美依菜そういうの好きでしょ、浪漫があって」



 あ、勘違いじゃなかったわ。

 嗜好も逆手に取られてぐうの音も出ない。

 真綿で首を絞められる、ってこういう事なのか。



「駄目なら奴隷紋でいいよ。聖女の力を退けられる人間はいないだろうから。美依菜に従属するなら悪くな」


「やめてっ!!」


「美依、」


「絶対に、絶対にあんなもの刻ませない…!私にだって絶対にあなたを傷付けさせない!それ以外の方法を探すから、絶対に」


「美依菜…」


 

 許さない、そんな選択させない。

 健自身が望んでも、絶対に。



「じゃ、誓約紋ってことでいいよね」


「え?」


「だって、他の方法がいいんでしょ?」



 にこにこにこ。

 嫌味な程いい笑顔で、私の手を取った健は左手の薬指にそっと口付けた。


 ああ、神様。


 この世界にいるかどうか知らないけど、天を見上げて祈らずにはいられなかった。

 きっと最初から。

 最初から彼の掌の上だったのだ。



「アンリが証人になってくれるってさ」


「こんの腹黒男ぉーーーーーっっっ!!!」


「なんとでも」



 出逢った時とは反対に、健に抱きしめられてしまう。

 その胸に顔を埋めながら、私はそっと、背中に腕を回して抱き着いた。




 その後、やっぱり色々大変で驚くような事もあったけど、世界は概ね平和だったし、私達も仲睦まじく(?)男女それぞれ2人ずつ、計4人の子供にも恵まれた。

 

 子を産み、歳をとっても聖女の力が失われる事はなかったので、おばあちゃんになった今も王宮から時々使者が来て、小遣い稼ぎにアルバイト(・・・・・)をしている。

 勿論、隠し通せないので夫も一緒に。



「勇者様、聖女様、申し訳ありません…もう現役を引退したというのに…」


「いいのいいの。たまには仕事しないと」


「あの…それで報酬の件なのですが…」



 本当に宜しいのですか、と尋ねる使者さんに、私達はシワだらけの顔を見合わせ、そして笑った。



「ええ、聖女の時給は1ゴールドです!」




 それは、幸せな物語の締め括りのように。






思ったより長くなりすぎたのでここまで。

(賢者もだすつもりだった)

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― 新着の感想 ―
[一言] >1ゴールド ドラクエ系の感覚だと何このやっすい時給、拉致の上にブラックかよってなったけど、日給約25万円〜なら悪くない賃金ですな。 勇者拉致のクソ国家って滅亡になっていないんですね。クソ…
[気になる点] タイトルのゴールドが、金貨一枚ではなく、円のような通貨の単位のように感じてしまいます。(ドラクエみたいな) そのため、時給めっちゃ安くね?とタイトルを見て思いました。
[一言] 思った。 「あれ?賢者は?」と。
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