9話 甘くて苦くて、やっぱり甘い
「おはようって、何で今まで避けてたの?一か月も」
追いかけは逃げられてを何回繰り返しただろうか。今日こそはと気合を入れてドアを開けたのに、こんなことになると拍子抜けしてしまう。そして、何かを言われるのではないかという恐怖が再燃し始めた。
「何でって、紬は私を二か月も避けたよね?自分の事は棚に上げて、私を責めるなんて酷くない?」
「あ……」
渚の言葉に私は胸を突かれる。彼女の言うことは、言い訳のしようがない正論だ。彼女を自分から遠ざけておいて「何で?」とは今更どういう了見だろうか。チョコを渡して仲直りがしたい?そんなの身勝手すぎる話だ。彼女は至極真っ当なことを言っているだけで、酷いのは私であり、糾弾されるべきは私なのだ。
「ごめん、なさい」
かすれた声で謝罪する。遅すぎると自分でも思う。手紙で謝罪を書いただけで、渚とのあれこれがあってから二か月間、バレンタインを渡したとき、そしてそれからの一か月間で私は一度として彼女に謝ったことがあっただろうか。やはり、仲直りはできないのだ。
「三か月前、私が県外の高校に行くって言ったとき、紬は私が言い終えるのを待たずに私を遠ざけた。あの後なんて言いたかったか知ってる?確かに県外に行くとは言ったけど、引っ越すなんて一言も言ってないよ」
「!」
その、通りだ。あの時渚が何かを言いかけようとしたとき、私がそれを遮った。もしも最後まで話を聞いていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
「私はここから通うよ。だから、紬と高校生活を一緒に送れなくても、休日は好きなだけ遊べるし、お泊り会だってできる。そう言いたかったんだよ?最後まで話を聞いてくれたらよかったのに」
「ごめ──────」
「謝らなくていい。紬が何を思っていたかはあのメッセージで十分伝わった。だからさ、お返しを三つあげようと思ったんだ」
「お返し?」
渚の言うことがよく分からない。お返しが三つとはどういうことだろうか。首をかしげる私を渚が楽しそうに見ている。何が面白いんだろう。
「一つ目は紬が私を避けたことに対するお返し。一か月間でも短いほうだったんだよ?本当は紬と同じ二か月間避けてやろうかと思ったけど、それだと私がね……。そしてもう一つ、チョコレートに対するお返し」
そう言って渚は後ろに組んでいた手を私の目の前に持ってくる。その手には赤い小さな包みが乗っていた。
「私に……?」
「もちろん」
去年と同じように、お返しをもらえた。その事実が私の涙腺を崩壊させる。今まで散々流してきた悲しみの涙ではない。温かい涙だ。
「あり、がとう」
「せっかくならそのチョコ、今食べてよ。感想も聞きたいから」
「え、今?」
「うん」
渚のセリフに疑問が浮かぶが、それ以上に私は彼女のチョコが食べたくて仕方がなかった。彼女が食べてもいいと言っているのならば、遠慮なくいただきたい。
「わ、分かった」
そう言って私は包装を外す。入っていたのはトリュフチョコレートだった。指で一つつまみ口に入れる。その瞬間にチョコレートが口の中で溶け始め、ほんのりとした甘さが広がる。べとべとした甘さではなく上品な甘さ。渚は料理もできてすごいと改めて思ってしまうようなチョコレートだった。
「あ、そうだ。私まだ味見していなかったんだ。ちょっといい紬?」
「え、何を」
味見をしないなんてことは、ありえないだろう。特段、渚は人にものを渡すときは細心の注意を払う。そんな彼女が何を言って──────。
「……え?」
気づいた時には渚の桜色の唇がそこまで迫っていて、彼女は私に──────キスをした。
自分の唇が彼女の唇で覆われ、しっとりとした感触が伝わってくる。何が起こってと思ったのも束の間、私の腰と頭に渚の温かい手が回される。私よりも身長が高い彼女は簡単に私を閉じ込めて離さない。
しまいには舌が入ってきて私の咥内を這っていく。感じたこともない感触と刺激に私の脳はヒートショックを起こし機能しなくなる。より一層激しく接吻され、腰が抜けてしまいだ。もう、これ以上は溶けて────────────!
そこでやっと渚の唇が私の唇から離れていった。それでも唾液が糸を引き、彼女と私を繋ぎ続ける。
「これが、三つ目。紬のメッセージに対するお返し。私も大好きだよ、紬」
頬を朱色に染めて、今までに見せたことのない恍惚とした表情で渚は言う。
チョコレートのせいなのか、感情のせいなのか、それともこれがキスというものなのか分からない。
でも、キスの味は、甘くて苦くて、やっぱり甘かった。
これにて「甘くて苦くて、やっぱり甘い」は終わりとなります!ブックマークしてくれた人がいると思うと頑張ってここまで来れました!
感謝の言葉で一杯です!本当にありがとうございました!