自分の執筆中小説一覧は『全185作品』。読み返してみれば、文章力は上がりも下がりもせず、【開き直った部分】しか変わってないんだと気づかされる。
紙をテーブルに置いて、シャーペンでガリガリ書いて、続きが書けなくなってその辺に捨てて、最終的に邪魔になったら『燃えるゴミ』となって、家の中から消える。
ただ、パソコンに何かを書きまくって、続きを書けなくとも、それを消さなかった場合、データとして次々と蓄積される。
所詮は電子データであり、USBメモリが家で場所を取るということもない。
どんどんたまる。
とはいえ、それと同時に筆者はめんどくさがり屋だ。
もともと自分がやってきたことの整理をすることを面倒と考えるのが筆者である。
自己分析など到底不可能な脳の構造をしているという証明でもあるが、タイトルにも載せた通り、筆者の小説家になろうの『執筆中小説一覧』には、『執筆中小説』が185個ある。
……実はこれでも、なけなしの整理欲求をひねり出して減らした方だ。別のUSBに入れて、ちょっと自分の目から見えにくくなっただけだが。
ハーメルンにも出没する筆者であるが、そっちにも63件溜まっている。
今自分の部屋を見渡せば、案の定汚い。
整理するということにおいて、何か大切なものが欠如している筆者であるが、ある事実が見えた。
『……文章力。上がってる気がしません』
と。
……いやまあ、よくよく考えれば当たり前なのだ。
文章というのは、『矯正』しなければ変わらない。だが、そんなことをした覚えはない。
矯正したことがないのに、上手くも下手にもなるわけない。
読み返してみれば、そのどれもが見切り発車であり、それだけ書いておきながら設定集といえるものはほぼない。まだ主人公の能力の設定とかならともかく、『物語のプロット』なんぞどこにもない。
当たり前のことだ。
計画なんてほとんどたてたことないのに計画性など備わっているはずもないのだ。
計画書である物語のプロットなんてあるわけない。
最初は、執筆中小説だってそんなに多くなかった。当たり前だ。『最初から』そんなごちゃごちゃしたマイページが好きな人間なんていてたまるか。
というか、そこまで想像力が高くもなければ、文章を書く慣れもないし、タイピング速度だって遅かったんだから。しかも、その中で、『書いたものを消す』ということをしていたのである。
まあでもある時、『テキトーでもいいや』と開き直る時が来る。
文章力なんて全然上がってない。
だが、いろんな文章を書いて、読んでということを繰り返していると、ある時に、『開き直る』ことがある。
六年前の自分と今の自分を比べて、変わった部分は、この『開き直った部分』だけだろう。
例を挙げれば、今は百文字タイトルをつけることすら躊躇はないが、昔は短いタイトルになっている。急に『これからタイトル文字数は十文字までな』と運営に言われても問題ないくらいだ。
多くのことを開き直って、今の自分の作品がある。
『初心を忘れるな』……みたいなフレーズをときどき耳にするが、それを聞くたびに『具体的にどうすればいいんだ?』と思ったものだ。
でも今はこう思う。
『自分が何を開き直ったのか』ということを考えることで、『あの頃の自分を思い出す』ことができるかもしれない。
テキトーにできるようになった今、そりゃ昔の自分と比べれば、今の自分は雑になったものだと思う。
どれだけ書いても、文章力なんてあがらない。落ちることはあっても、『自分の中の最高』なんて変わらない。
でも、開き直ってしまった結果、忘れたものがあるはずだ。
過去の自分が着けたブックマーク。
過去の自分が書いた言葉。
たくさんあるはずだ。
そりゃ、過去の自分の性癖を覗きに行くみたいで、悶絶しそうになったけど……あの頃の自分は、これを『凄い物だ』って思いながら、書いてたんだなって思う。
何事も『最初』というのは、身の程も知らず、多くの潔癖を抱えながらも、だからこそ『自分らしい』
作家という名の露出狂にとって、『自分らしい』というのは、重要なことだ。
過去の自分がついに作品にすることすらできず、ゴミの山となってしまったが……凡庸作家を笑顔にするのは、いつだって、何気ない感想と、自分が積み上げたゴミの山だ。
消さなかった過去の自分に感謝しつつ、これからも書き続けよう。
未来の自分が、今の自分が積み上げたものを見て、笑えるように。