5.守ってくれるひと
背後からウイリアムに声を掛けられた。驚いて振り向いてみると、この世の終わりといった表情のウイリアムがそこにいた。
「…………!!!! なんでここに!!!」
「ルナの父上に用があって。ルナが庭にいると聞いたから、帰りに寄ったんだけど……。石に当たり散らすほど怒るとは思っていなくて。帰るよ」
「ま、待って!別に怒ってないから!ウィル!!」
この世の終わりのような表情で出ていこうとするウイリアムの腕を掴み、必死で呼び止める。
「ちょっと楽しくなってたのよ!」
「俺のこと嫌いになったわけでは?」
「嫌いになるわけないでしょう! いるだなんて思ってなかったのよ!」
「声をかけたのに気づかなかったんだね。俺の存在ってそんなに薄い……?」
「薄くないわよ!! 朝からなんでもかんでもウィルに結び付いて頭から離れなかったのに」
「……」
「な、なによ」
「ずっと俺のことを考えてくれていたんだ。で、嫌いになるわけないと」
「ちが……、……!!」
絶望した表情から一転、満面の笑みを浮かべたウイリアムが自分の腕を見る。
つられてウイリアムの腕に目線を向けると、ルナビアの手が逃がさないとばかりにウイリアムの腕を握りしめていた。
弾かれたように手を引っ込めようとすると、ウイリアムがその手を捕まえて、優しく引き寄せる。
「嫌いじゃない?じゃあ好き?」
もちろん嫌いじゃない……じゃあ……?
ルナビアの胸の奥に、ポンっと小さな火がついた。じわじわと胸を焦がしながら身体の中を迫り上がり、頬に火がともる。熱い。
「会えなくなると……嫌だって思ってくれる?」
ああ、面倒臭い。嫌だ、帰りたい。
昨日は感情がぐちゃぐちゃだったせいで気づかなかったのに、今日は気づいてしまう。さっきだって、このまま誤解されて避けられたらかなわないと必死で腕を取ったのだ。
「今のルナなら、誰とでも好きなように結婚できる。共に歩む人間を決められる」
ウイリアムが父親と似たようなことを言う。
「俺はルナのことが好きだ。ルナとこれから先も一緒にいたい」
ああ、負けそうだ。
「……私、『救国の転生者』なんて嫌なの。みんなにまた期待されるだなんて。のんびり暮らしたいの」
熱い。きっと真っ赤なんだろう。それでもどうにか言葉を絞り出す。
「わかった。ルナのことは俺が守るよ」
ウイリアムが優しい紺色の目で覗き込んでくる。
「でも、期待されているの。また、期待を裏切ったら……」
婚約破棄されることなんて、随分と前から知っていた。それでもいざ破棄されてみると、期待に応えられなかったと酷く辛くなった。今回の件で、父親は王太子と婚約したときの比ではなく喜んでいる。「また」上手くできなかったら……
「俺が何とかするよ」
「……面倒臭いの。もう考えたくないの。もう頑張りたくないの」
婚約破棄をされると、どんなに頑張ってもクリストヴァルドがルナビアを顧みることはないと、わかっていた。それでも周囲の期待に応えるために、未来の王太子妃らしい努力をするのは辛かった。
「うん。ルナの分まで俺が考えるよ」
気づくとウイリアムに優しく抱きしめられていた。痩身の兄とも、ふっくらと重量感がある父親とも違う、細身なのにしっかりと引き締まった身体に包まれ、恥ずかしいやらほっとしたやら、いろいろな感情にぐるぐると苛まれる。
ついにルナは降参し、こう言った。
「……守ってね」
ぼろぼろと涙が零れ落ちる。前世の記憶を得てからずっと、この努力は報われないのだと知りながら、期待通りに未来の王太子妃を演じてきた。寄り添い支え合うはずの婚約者とは表面だけの付き合いで、ルナビアに見向きもしなかった。
もう考えなくていい、頑張らなくていい。この人が守ってくれるから。
堰を切ったように泣き始めたルナビアの頭をウイリアムが優しく撫でた。
どれくらい経っただろう。優しい腕の中で、ひたすら泣いているのはとても楽だった。
ふと顔を上げると、今までになく優しい顔をしたウイリアムがいた。深い湖のように穏やかな紺色の瞳を覗き込むと、心底ほっとした顔をした銀髪の少女が見つめ返してくる。
目を真っ赤に泣きはらして、なんて不細工なんだろう。だんだん可笑しくなってきて、瞳に映る自分に思わず笑い返す。するとウイリアムがぱっと顔を背けた。
「何よ?」
「……いや、落ち着いたようでよかったよ」
ウイリアムがさりげなくルナビアの髪に手ぐしを通す。癖のない絹のような髪がさらりと手からこぼれ落ちた。その様子を見つめるウイリアムの幸せそうなこと。
やめろ、恥ずかしい。
「……気を取り直して、今後の具体的なスケジュールを決めたいわね」
「急にまた事務的な」
「大切なのは目標を定めて、逆算してスケジューリングすることよ。せめて『救国の転生者』だって皆に納得してもらって、今後はそっとしておいてもらえる地位を手に入れたいわ」
「もうみんな納得していると思うが」
「なんでよ、何もしていないのよ? 何もしていないのにそんな扱いされるのが一番困るの。働かざる者食うべからずよ? やめて、その顔をやめなさいウィル」
悟った表情のウイリアムに腹が立って、もう一度小石を蹴り飛ばす。
ウイリアム(小石)はウイリアム(本体)の足に見事ヒットし、本体がうっと顔を顰めた。
「うっ……。いつも通り買い食いして好きなことしゃべって、修道院めぐりをしたらいいんじゃないか?」
「そんな美味い話があるわけ」
「好きだろう? 期間限定と地域限定」
「……」
そう、何を隠そう「期間限定」と「地域限定」に目がない。前世のOL時代には、コンビニで期間限定スイーツが出るたびに散々食べ尽くしたし、旅行先では地域限定リボンネコちゃんストラップをいちいち集めていた。
身分のせいでそう気軽に出かけることが出来ないが、王妃教育終わりの帰り道に、超特急で市場のパン屋さんに駆け込み、季節限定の菓子パンを手に入れていた。王妃教育でどんなに疲れ果てていても、意地でも買い逃すものか。
むしろ悲しいことに、王太子の婚約者かつ公爵令嬢としてガチガチに縛られた生活では、これくらいしか楽しみがない。
のんびり食べる暇がないものだから、パン屋の前の噴水に腰かけてそのままパクついていることが多い。
市場に慣れている侍女のナターシャでさえ、平民だらけの噴水広場で、なんなら子どもが走り回っているような騒がしい場所のど真ん中で、平然と菓子パンを頬張る美貌の令嬢にドン引きしていた。
「ふむ、買い食いとか食べ歩きって、こっちでは定着しないわね」
タピオカミルクティーとかその辺で飲むのもアウトな世界だわ。そんなことを考えていると、今度は優しく頬を撫でられる。
「ちょっちょっ! 何をしているのよ!」
「おっと、気づいてたか」
「真面目に考える気あるのかしら!?」
ウイリアムが残念そうに手を離すと、ルナビアはその腕からするりと抜け出し、キイッ! と喚いた。
「でも、聞いた感じだと市場でいつも通り何か教えてやったり、修道院に寄付したりしていればいいんじゃないか?少なくとも寄付で評判を高めるって作戦なら、ルナも納得できるだろう?」
「それもそうね。付き合いのある修道院に手紙を出してみるわ。自分が住むつもりで環境を整えていたのだけど、なんだかおかしなことになったわね」
「住む??それはどうい……」
「えいっ」
ウイリアムの言葉を遮るように、もう一度ウイリアムの胸に飛び込む。
ぼふんとそれなりに勢いよく飛び込んだつもりだったが、いつの間にか逞しくなっていたウイリアムに、余裕で受け止められてしまった。
「……好きだ」
頭の上から、恋焦がれるようなかすれ声が降ってくる。「もう聞いたわ」とからかってみたものの、ルナビアだってふわふわとして、なんだか締まりがない。
さわりと優しい風が吹く。周囲の音が消えて、世界に二人だけになった。
ふとウイリアムの顔が見たくなり、ゆっくり顔を上げると、随分真剣な顔をしていて。ああ、炎って青い方が高温なんだっけ?と意味のないことを考えながら、どんどんウイリアムの瞳に吸い込まれていく。
今までにないほどウイリアムと顔が近づく。そんなに幸せそうな顔をしないでほしい。不安になるほど胸が苦しい。
耐えられなくなって、ふっと目を閉じる。
ウイリアムの唇が今にもルナビアのそれに重なろうと……
「ウイリアム様!馬車のご用意ができ……、!!」
「……ッ!!!!」
「ももも、申し訳ございませんッ!!!!」
運悪く声を掛けてしまったアルバータイン家の使用人が、顔面蒼白になりながら平謝りをする。それからウイリアムの表情を見て、ヒェッと断末魔の叫びをあげた。
「さささ最低よッ!!!!」
何が、そして誰に対して最低なのかわからないまま、ルナビアはウイリアムの腕から飛び出すと、脱兎のことく屋敷に駆け込んだ。それから驚く使用人たちを蹴散らし廊下を猛ダッシュすると、一目散に自室に逃げ込みベッドにダイブした。
「何よ!何をしようとしてたのよ!!」
しようとしていたことは……いやわからない、知らない。正気じゃないわ!!
ルナビアだって相当口惜しそうな表情をしていることには気づいていない。
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