4.期待から逃れたい
「お父様、ルナビアでございます」
「ルナ、おはよう。入りなさい」
この国の宰相、父エドモンド・ルクレシア公爵の書斎に入る。昨夜の婚約破棄では十分に会場を味方につけたので、叱責される心配はないだろう。それでも、きっと大好きなお父様は私にがっかりしてしまっただろう。上手くできなくてごめんなさいと俯いてしまう。
「あの、私……」
「お前とクリストヴァルド王太子殿下の婚約は正式に破棄された。もちろん王家の有責だ。それに近々お前は『救国の転生者』として認定される。いやあ、さすが私のルナだなあ! お父さんまで照れちゃったよ!」
「は?」
思わず顔を上げてエドモンドを見る。すると、嬉しくってたまらないという表情の父親がにこにこと続けた。
「だってだって、『救国の転生者』だよ! ルナがこの国で一番すごいって言ってきたんだよ! 知ってたけど! いやあ、早くみんなに自慢したくてたまらないね!」
「あの~? お父様、私、婚約破棄されていますのよ? がっかりなさったりは……?」
「え? なんで」
いやこっちのほうがなんで? と顔を上げると、エドモンドは満面の笑みを浮かべて座っていて、あれ、思ったより、いやものすごく機嫌がいい。
「だって陛下がごねるせいでうちの可愛い天使が馬鹿王太子に嫁ぐことも馬鹿王太子が馬鹿なせいで馬鹿みたいに大変な王妃教育受けることもなくなって更には馬鹿が馬鹿騒ぎを起こしたせいでルナが傷つくかと思いきやただただ馬鹿が馬鹿だとばれただけで私のルナは転生者なんだぞ馬鹿野郎って思うとたいそう気分がいいんだけど……ふう……つまり王太子が馬鹿だと思っているよ。辛かったねルナ」
絶句するルナビアと息切れするエドモンドの間に沈黙が流れる。
「……『救国の転生者』なんて荷が重いですわ。期待にお応えできませんもの」
ルナビアは肩をすくめる。間違いであってくれ。
「でも、既に聖女って言われているよ?」
「せ……いじょ? いや私のどこが聖女?」
「さんざん修道院を回って寄付しただろう?」
それには心当たりがあった。だが、修道院には今後お世話になるつもりで寄付したという残念行動だけで、聖女と呼ばれたのではたまらない。
疑いの目を向けるルナビアに、エドモンドは自慢げに説明する。
「街に降りて、よく買い食いしてただろう? そのとき、みんなに聞こえるようにためになる話をしたんだって? あれ、すごくありがたがられているって話だよ?」
ルナビアは目をひん剥いた。令嬢としてアウトな顔だけれどこの際どうでもいい。確かに街で買い物するついでに買い食いはした。そこで、食前に手を洗えだの、生ものにはよく火を通して食べろだの、当たり前の話をしていた気が……
「……あれ、街の人にとって、当たり前の内容ではなかったの?」
もしかしてだけど、この国の庶民にとっては今まさに浸透しつつある知識だったり……?
そしてそれを広め始めたのが……
「褒められちゃったなあ。市井に広めるのに苦労した衛生知識をよくぞ広めてくれたって」
……私だ、私が初めて広めたことになっている。許すまじ前世の衛生観念。
「貴族なのにわざわざ街に足を運んですごいとか、神秘的な月色の令嬢が民衆の心を掴んだ、しかも辺境の修道院にまで出向く信仰篤き娘だとか。これまでの転生者よろしく国を救ってほしいって頼まれちゃったよ。私まで気合が入っちゃうなあ」
「無理、無理すぎて無理です」
国を救う教育なんて受けていない。あと、前任者の功績がとてつもないせいで、期待値が高すぎる。
なんだ「国を救う」って。営業利益1割増しでも大変なんだ。国を救うとか手に負えない。考えれば考えるほど無謀すぎて、ルナビアの顔がどんどん青くなっていく。
「でも、転生者として何にも縛られることがない地位を得たら、誰とでも好きな人と自由に結婚できるよ?」
エドモンドはそう言うと、愛娘の青白かった顔色が、普段の色を通り越し真っ赤に染まっていくのを嬉しそうに見ていた。
***
「私は何もしていないのに、国を救えとか無茶なことを言わないでほしいわ! お父様も『娘は普通の子です』くらい言えなかったわけ!?」
ルナビアは途方に暮れていた。気分転換に庭に出てみたものの、急な展開に心が追い付かない。あの後も少しは言い返してみたけれど、娘可愛さに浮かれた父親の耳には届かず、「救国の転生者」との評は覆らなかった。
さあ何をしてくれるのだと言わんばかりにキラキラと期待に満ちた目を向けてくれるな。前任者のせいでとんでもない業績を期待されている気がする。
ただ、さすがに公衆の面前で婚約破棄を突きつけるなどといったクリストヴァルドの仕打ちには我慢がならなかったらしく、エドモンドは王宮からの使者を門前払いにし続けている。
ルナビアは、それはそれでどうなんだと複雑な気持ちになる。
(面倒臭いのであまり事を荒立てないでほしいんだけど……)
エドモンドは「国王と言えど『救国の転生者』とその家には手出しができないだろうから大丈夫だよ!」と言うが、ここまで転生者の特権を振りかざしてしまったら、当の本人の能力が期待外れでした、なんてことは許されない。
ルナビアは図書室から持ち出してきた歴史書をぱらぱらと捲って溜息をついた。よくよく考えれば、過去の「救国の転生者」が明らかに薔薇学の悪役令嬢なのだ。なぜ今まで気づかなかったのだろう。
赤パッケージの1作目、通称「赤薔薇」の悪役令嬢は、ヒロインを学園でいじめるだけでは飽き足らず、暗殺者を差し向ける。その罪が明らかになった後、辺境の地にその身ひとつで追放され、魔獣の群れに放り込まれて餌にされる。
だが歴史書では若干話が違う。これによると、赤薔薇の悪役令嬢が追放された後、なぜか「貴族令嬢とは思えない速度で魔術を成長させ」辺境の魔獣を狩りつくした。無実が証明された後も王都には戻らず、年がら年中魔獣の群れを狩り続けた。いつしか彼女は「人の身では成し得ないとまで言われた魔術レベル」に達し、辺境、つまり国境を守る盾となって他国を退けた。
「うん、これレベル上げカンストしたゲーマーよね?」
たぶんめちゃくちゃレベル上げが好きな人で、思う存分鍛えて最大値にまで到達したんだろうな。うわー。
第2作目の「黒薔薇」でも悪役令嬢は元気にヒロインをいじめる。もう説明は省略するが、いろいろあって投獄される。
これも歴史書では話が変わる。投獄されるとは言え、貴族牢であればたいていのものは取り寄せられた。
この令嬢は貴族牢の中で、魔石を用いた製品の改良を繰り返した。これまで製品の量産化を妨げていた課題――使用する魔法石の小型化と魔法石の寿命延長――をクリアし、庶民にさえ行き渡るような価格で生活用品を作り上げた。
しかも、なんか物凄く前世で見たことがある生活用品を。
この令嬢ものちに無実が証明されるが、なかなか貴族牢から出たがらなかったという。
「オタクかな? で、引きこもりさんかな? 牢屋からは出ようよ……」
嬉々として投獄されていた理由についてはあまり考えたくないが、何故だかすごく親近感がある。きっとこたつから出られないタイプの人だ。
「クリス様のことはどうでもいいのよ。何とも思っていなかったし。謝罪もいらないくらい」
クリストヴァルドのことは嫌いではなかった。ただ、好きかと言われるとそういうわけでもなかった。クリストヴァルドの端正でかつ華やかな容姿をゲームの画面越しにみるのが好きだったのは認めよう。ただ、それだけである。
婚約者らしく形式的に手紙をやり取りしたり、贈り物をもらったりしていたが、そこにクリストヴァルドの感情はなかったように思う。交流が少なくなってきても、特にどうってことはなかった。どうせ婚約破棄をするとわかっていたので、ルナビアも積極的には関わらなかった。
そこにきてサマンサだ。せっかく浮気現場を見ないように避けていたのに、いや、正確にはルナビア付きの王家の侍女の目に入らないように避けてやっていたのに、あの男爵令嬢ときたら、これ見よがしにルナビアの視線に入ろうとした。
もしサマンサとクリストヴァルドがルナビアと王家に気づかれないように、せめて咎められない程度に交際してくれていたら、穏便に婚約破棄ができたかもしれない。そうすれば、転生者だ国を救えだなんて期待されなかったかもしれない。
「いっそのこと、予定通り修道院に入って引きこもろうかしら! そうよ、今さら自由に結婚できるって言われても……」
結婚。
ふと誰かさんの顔を思い出して、どんどん体温が上がってくる。どうしていいかわからなくなって、目についた石を蹴っ飛ばす。
「今日はおかしい。なんでもかんでもウィルに結び付いてしまう。冷静になるのよルナ」
ぶつぶつ呟きながら、ウイリアム(小石)を遠ざけるように蹴っ飛ばす。これ、ちょっと楽しい。
「さっさと消えなさい! ウィル!!! ほいっ! はいっ!」
庭にたくさんいるウィリアム(小石)を次々に蹴っ飛ばす。
「……ごめん」
すると背後から、この世の終わりといった表情で傷ついたウイリアムの声が聞こえた。
続きが気になると思っていただけたら、下にある【☆☆☆☆☆】を多めにつけてくださると幸いです。
そうでもなかったな……と言う場合は少なめで。
感想やブックマークでの応援もお待ちしております!