1.お約束通り婚約破棄されました
「ルナビア・ルクレシア、君は王太子妃にあるまじき行いを繰り返している! お前のような悪しき女を妃に迎えることはできない。ここに君との婚約を破棄する!」
王太子の誕生パーティーの真っ最中に、誰かが突然叫び出した。ああ、王太子殿下が自分に向かって何か言っているのだなと理解したルナビアは、面倒臭さを押し殺して、優雅に前に進み出た。
ルナビアが足を一歩前に進めるだけでも、周囲から感嘆の目線が向けられる。艶やかで癖のないまっすぐな銀髪に、サファイアのような真っ青な目を持つこの美貌の令嬢は、この国の王太子クリストヴァルド・インフィオラーレの婚約者として知られている。
一国の王太子ともあろう青年が、パーティーをぶち壊して叫び始めた異常さと、それをひとつも気にする様子なく、しずしずと進み出た銀髪の美女。会場にいる誰もが、そのアンバランスな光景に釘付けになる。
「クリス様、お呼びでしょうか」
ルナビアは、なぜこんな重要なことを口頭で済ませようとするのかと、頭痛がする思いで王太子の前に立った。
せっかくこの女を糾弾してやろうと勝手にテンションをマックスにまで上げてきたクリストヴァルド王太子は、ルナビアの冷めた表情に水を差され、怒りをあらわにする。
「君、いや、お前との婚約を破棄すると言っている!」
同じセリフを2度も叫ぶ王太子に呆れた表情で返答する。
「ああ、婚約を取りやめたいのですね。承りました。それでは理由書と必要な書類を家に送っておいてくださいませ。臣下として、ルクレシア公爵家が誠意をもって対応することをお約束いたします。それではごきげんよう」
帰りたい、今すぐ帰りたいという言葉を懸命にかみ殺す。ルナビアは精いっぱい淑やかな雰囲気を醸し出しながら、必要な手筈を示してとっとと退場しようした。
婚約について、こんなところで公爵家の当主でもない自分に言われても困る。お父様に伝えるにしても、理由やら何やらを説明するのに口頭では効率が悪い。
パーティーを破壊して叫び回るくらいなら、書面のひとつでも送って寄越せばどうなのだろうか。というか、突然叫び出すだなんてどうしてしまったの?周りの人だって引いている。
するとルナビアを指さし、ストロベリーブロンドの少女が大声をあげる。
「クリスさまぁ! 私、ルナビア様にとってもとっても酷いことをたくさんされました! でも、謝ってくださるのなら、未来の王妃として水に流しますっ!」
ルナビアは出口に優雅に進むのをやめない。さっきからクリストヴァルドの腕にぶら下がる勢いで絡みついている、金髪女のことなんか知らない。
とっても酷いことをたくさんって、何が言いたいのかわからない。具体的な中身が何もない発言に思わず舌打ちする。
(そういえば、クリス様が学園に入学されてから、お傍に置いていると噂の男爵令嬢だったわね。確か名前は……)
「おい! サマンサに謝る気はないのか! 学園でお前がサマンサにした仕打ちを私が知らないと思っているのか !まずお前は……」
(……ああ、名前はサマンサだった)
ルナビアは少女の名前を無事に思い出せたことで、とてもすっきりした表情を見せた。こんな異常な状況の中で、冷静沈着に振る舞うルナビアの様子に、周囲からおぉ、と感嘆の声が漏れる。
「婚約破棄の理由は書面にて当家にお送りくださいませと申し上げましたわ」
この地獄のパーティー会場に居合わせた人々の目から見ても、ルナビアは正しい。婚約は家同士がするものと決まっている。当然両家の当主がやり取りをすべきである。これ以上ルクレシア公爵令嬢を引き留めるのであれば、それはただただ王太子が彼女を糾弾し貶めたいだけにしか見えない。
そんな会場の微妙な空気を感じ取ったのか、クリストヴァルドは怒りでどんどん顔を赤くし、サマンサを抱きしめながら叫んだ。
「お前が! サマンサに嫌がらせをしたんだ! サマンサの持ち物を隠す壊す、最後には学園の階段から突き落としたというじゃないか。身分を盾にか弱い乙女に嫌がらせをして、王太子の婚約者、いや、公爵令嬢としての矜持もないのか! サマンサに謝れ! 今すぐ許しを請え!」
(何言ってるんだこいつ)
ルナビアは返事をするのも億劫になって、こてりと首をかしげる。
婚約破棄は承ったので、あとは両家で話し合うべき問題だろう。公衆の面前で喚き合う趣味なんてないので――クリストヴァルドとサマンサにはそういう趣味があるのかもしれないが――付き合うつもりもないから今すぐ帰りたい。
そもそも今言われた嫌がらせの内容にも全く身に覚えがない。この怒り狂った連中に、いちから説明をするのも面倒だなあと、ルナビアが考えあぐねていると、ひとりの青年が口を開いた。
「恐れながら申し上げます。ルクレシア公爵令嬢がそのような嫌がらせをしたという事実はございません」
誰もかれもが「絶対に巻き込まれたくない」一心で気配を消している。そこの子爵令息など、先ほどからできるだけ息をしないようにしているせいで、だんだんと顔色が悪くなってきている。それでも堂々と発言した美青年に、会場がざわめく。
「ウイリアムか。この場で口を挟むなど、よほどの証拠があるのだろうな」
「いいのよウィル、どうせ聞く耳など持たないもの」
私は帰ることができればもうどうでもいいの、とルナビアが囁く。仮にも王太子殿下、そう、会場中のみんながドン引きし、死ぬほど関わり合いになりたくなさそうでも相手は王太子殿下である。
それでも、兄の親友はやめる様子がない。ルナビアがさらに声をかけようとすると、ウイリアムが安心させるように微笑んできた。ありがたいけど、もう切り上げて帰りたい。帰れるならどれだけ謗られてもいい。定時退社万歳。
けれどもウイリアムの発言は続く。
「殿下、いや、サマンサ・ローウェル男爵令嬢にこそ、証拠があるのか問いたいところです。ルナビア・ルクレシア公爵令嬢は王太子殿下の婚約者として、王妃教育が課せられていたことは周知の事実です。学園に通っていたといえども、授業がある教室と、王妃教育を受ける王宮との往復ばかりの過密なスケジュールを送っています」
周囲の令息令嬢がその通りだとうなずく。
「ローウェル男爵令嬢とも学年がひとつ違います。他学年の学舎にまで出向いて、わざわざ持ち物を隠したり壊したり、ましてや彼女を探して階段から突き落とす暇などないはずなのですが。それに、ルクレシア公爵令嬢には常に公爵家と王家から侍女がつけられていたはずですが、せめて王家の侍女に確認なさいましたか?」
「なぜ、王家からも侍女がつけられているんだ!」
ああ、本当にこの方は私に興味がなかったのねとあきれ返りながら、ルナビアは答えた。
「それは、私がクリス様、いえ、クリストヴァルド王太子殿下の婚約者だからですわ。婚約者に相応しくない振る舞いがあれば、即刻王家に伝わり咎められます」
「なぜ今回の件は咎められていない!!」
ルナビアは、これ本当に相手にしなければいけない? と隣のウイリアムを見上げた。心底面倒臭そうな表情を向けられて、ウイリアムが困ったように少し微笑んだ。
そして代わりに口を開き、単語をひとつひとつ丁寧に発音しながら王太子に言い聞かせた。
「それは、今回の件のような、嫌がらせの、事実が、存在しない、からです」
ぱちぱちと、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で拍手が聞こえた気がする。仮にも王太子に向かって不敬にあたるが、周囲からはルナビアへの非難というよりも、王太子とサマンサへの不信感しか漂っていない。
ここまで公爵家に有利な空気を作っておけば、お父様にも言い訳ができるというもの。ルナビアが退場しても良い頃合いだろう。
いつも通り完璧なカーテシーを取ったら、会場を出て、ダッシュで馬車に乗って屋敷に帰り、お父様に婚約破棄のご報告をしなければ。
そんな風に逃走経路を算段し始めたルナビアに向かって、王太子が最後のあがきをする。
「言い訳をするな! サマンサのような清らかな娘が嘘ついたと言うのか。尋問する! その女を捕らえよ」
そこまでムキになるのかと周囲が騒然とする。半信半疑の王太子づきの衛兵たちが、申し訳なさそうにルナビアに近づいてくる。それなのに隣に立つウイリアムは、待ってましたとばかりに言い放つ。
「家名にローズを賜るウイリアム・ローズ・アルバータインが申し上げます。彼女には薔薇の記憶がございます。そして今まさに婚約破棄をされ、捕らえられようとしている。これをどのようにお考えか」
その言葉を聞いた途端、クリストヴァルド王太子ははじかれたように身を震わせ、周囲の貴族令息令嬢たちは息を飲み、そして誰かが呟いた。
「ルナビア・ルクレシア公爵令嬢は『救国の転生者』だ」
その声を皮切りに、周囲は大歓声を上げた。王太子の命令で仕方なくルナビアを捕縛しようと歩み寄っていた衛兵たちも頭を下げ、それ以上近づこうとしない。
おおお? とルナビアは首を傾げる。
威勢よく傾げてしまったものだから、筋をちがえる寸前な気がする。よくない。なんだかよくない状況を悟る。もしや、「王太子の婚約者」よりも面倒なものに祭り上げられているのでは。
(……救国の……転生者。確か歴史書に出てきた名前のような……)
「ルナ、行こう」
ウイリアムが何故だかとても満足そうに手を差し出してきた。そういえば先ほどのウイリアムは、全ての事情を理解しているように見えた。ここに残って事情を聞きまわるよりも、彼に聞くほうがよいだろう。
ウイリアムに聞こうと丸投げしたルナビアは、なんだかごめんなさいねと困ったようにへにょりと笑い、ウイリアムの手を取った。目の前の兄の友人が、何故だかぱっと目をそらす。
それでも優しく手を握ってくれたから、ルナビアも信頼を込めて握り返す。それからひとつ、見事なカーテシーを残し、颯爽と阿鼻叫喚のパーティー会場を後にした。
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