第75話 命の選択【後】
前回のあらすじ)ゴルドランの院長就任前祝い会で、派閥員が毒をもられた。ベッカーがゴルドランの過去の犯罪を糾弾する中、ゼノスが現れた。
*後書きに書籍情報があります。
「全部、拾う……?」
ステージ上のベッカーはゼノスの台詞を反復し、ホール内を見渡した。
数多のゴルドラン派閥の治癒師達が床に昏倒している。
半ば呆れた口調でベッカーは言った。
「毒を盛られた人間がこれだけいるのですよ。本気で全員助ける気ですか?」
「一応、そのつもりだ」
「なぜ? あなたにどんな得があるというんですか?」
「確かにあんたから依頼された仕事は既に終わってる」
ただ――、とゼノスは続ける。
「このまま放っておけば、あんたは大量殺人犯ってことになる。そうなると困る奴がいるからな」
「ゼノス、さんっ……」
ウミンが泣きそうな顔で、声を詰まらせた。
「助けて、くれるんですかっ?」
「本来なら相応の対価をもらうんだが、送別会なんてされたの人生初だからな。特別サービスだ」
「ありがとう、ございます」
ウミンは涙ぐみながら何度も頷き、恩師に向かって叫んだ。
「ベッカー先生、嘘ですよね。先生がこんなことをするなんて、私は絶対に信じませんっ」
「……」
徐々に毒が回り始めたベッカーは無言でウミンを眺めた後、肩で息をしながらゼノスに視線を移す。
「ゼノス君。あなたは皆を救うと言いましたが、毒の組成を知らなければ精度の高い解毒魔法は困難ですよ」
「そうなのか?」
「そうなのか、って……なるほど、汎用的な解毒魔法を使うつもりですか。単純な毒なら効果はあるでしょうが、これがそんな単純なものだと思いますか?」
「だったら、組成を教えてくれるのか?」
「そんな訳ないでしょう」
「そもそも、あんたは組成を知っているのか?」
「……ゼノス君。君は何を……」
「まあいいや、あまりゆっくり話してる時間はなさそうだ」
ゼノスはベッカーの言葉を遮り、大きく息を吸った。
倒れている派閥員達の顔は、土色になってきている。
数多の命の灯が今にも消えようとしていた。
きっと十五年前の事件も似たような光景だったのかもしれない。
両手を前に差し出し、ゼノスは言った。
「<<治癒>>」
手の平から白い光が溢れ、ホール内に降り注ぐ。
「……<<治癒>>? ただの<<治癒>>? 一体何を、考えているんですか」
ステージに座り込んだベッカーは怪訝な顔で言った。
「<<治癒>>は、治癒魔法ですよ。怪我を治すことはできても、毒の成分をなくすことはできません」
「だが、身体の回復を後押しすることはできるぞ」
「そんな効果は一時的です。すぐに毒がまわって……」
ベッカーはそこで言葉を止めた。
ゼノスの放つ、白く、どこか温かい光は、止まることなくホール全体に降り注いでいる。
「まさ、か……」
ごくり、とベッカーの喉が鳴る。
「まさか、君は……」
「毒にはあまり詳しくないが、効くタイミングや効果時間に違いがあるんだよな。乾杯してすぐに効果が出る毒だとしたら、そう長時間は効果が続かないはずだ」
「君はっ、この数の人間を、毒の効果がなくなるまで、回復させ続ける気ですかっ……」
ベッカーの喉からかすれ声が絞り出される。
ゼノスは両手を前に向けたまま答えた。
「毒と治癒魔法の我慢比べだ。俺は意外としぶといぞ」
どんなに強力な毒でも、体の中で代謝され、いつかは効果を失くす。
だから、それまで<<治癒>>をかけ続けて、毒のダメージを癒し続ける。
「自動回復魔法を使えればいいが、あれは個別調整が必要だから、この人数には向かないんだよな」
「あなたという人は……」
「兄貴っ、俺も手伝うぜっ」
「私もっ」
クレソンと、ウミンがその場を駆け出す。
「頼む。乾杯の酒に毒が入っていたなら、飲んだ量はちょっとずつ違うはずだ。二人は特に弱ってるやつの回復を後押ししてくれ」
「わかったぜっ」
「わかりました!」
二人は倒れ伏している派閥員の間を縫って、治癒魔法をかけていく。
その様子をステージ上から無言で眺めるベッカーに、ゼノスは言う。
「ベッカー。あんたの部下と後輩が、尻ぬぐいをしてくれてるぞ、感謝するんだな」
「そう、ですね……」
ベッカーはそこで口を閉ざす。
時間が刻一刻と過ぎて行く中、ゼノスの放つ治癒魔法がホール内の犠牲者達に注がれ続ける。
その合間をウミンとクレソンが駆けまわっていた。
やがて、ベッカーはおもむろに話し始めた。
「これだけの時間、<<治癒>>をかけ続けるなんて信じられない…これはそういう魔法ではないんですよ」
「そうなのか」
「すごいとは思っていましたが、もはや非常識ですね」
「なんせまともな教育を受けてないもんでな」
浅く息を吐き、ベッカーは言う。
「……ゼノス君。私の婚約者は、多くの人を救うために治癒師になったと言っていました。立派な志を持った尊敬できる人間でした」
「ああ」
「そんな彼女を救わなかったゴルドランが、王立治療院の院長になることを、私は許せなかった。彼女の志と真逆の人間が、ここのトップになることを、認められなかった」
「ああ」
少しずつ、寒気と倦怠感が薄れていくのをベッカーは感じる。
「ただ、ここに長くいると次第に気づいていくのです。世の中には確かな格差があることに。最高の治療が受けられる者もいれば、わずかな薬すら手に入らない者もいる」
「ああ」
「素晴らしい人格者もいれば、正反対の人間もいる。救うべきでない人間もいるのではないか」
ベッカーの視線は、荒く息を吐くゴルドランに向かう。
「命の価値は本当に平等なのか? 私自身が最もそんな思いに囚われていたのかもしれません」
「ああ……」
次に、ベッカーは派閥員達の間を必死にかけまわるウミンとクレソンを眩しそうに見つめた。
「ただ……目の前の命を必死に救う彼らには……」
ベッカーは言葉を詰まらせ、こう続ける。
「かつての婚約者の、純粋な精神が受け継がれているのかもしれませんね……」
「……そうだな」
十五年前、この闇ヒーラーが現場にいれば違った未来があったかもしれない。
だが、過去は変えられない。
それでも、未来は――
ベッカーは目の端をぬぐって、ゆっくりと立ち上がった。
「ゼノス君」
「なんだ」
「……ありがとう」
ゼノスは肩で息をしながらも、にやりと笑って言った。
「礼はいらん。ただし、めちゃくちゃ疲れたから、多少追加料金はもらうぞ」
その額から流れる汗が、顎をつたって床に落ちる。
ベッカーは床に転がった治癒師達の顔をみて、ゼノスに言った。
「ゼノス君。この毒は……特殊な植物系毒がベースになっているものだと思います。鎮静作用の他、色々と変わった配合がされているようですが、あと数分で効果自体は切れるでしょう……おそらく」
「おそらく……か。やっぱりそういうことか」
「どういうことですか、ゼノスさん」
ウミンの問いにゼノスは、前を向いたまま答える。
「この毒を作ったのはベッカーじゃないってことだ」
「え、どういうことですか?」
「その話は後だ。今は目の前の仕事を終わらせる」
ウミンの驚いた声を聞きながら、ゼノスは魔法の出力を強める。
「ああああああっ……!」
溢れ出した白い光が、春の嵐のごとく暖かくホールに吹き荒れる。
「すげぇ……」
「すごい……」
「まったく……なんという人を私は招き入れてしまったのでしょう……」
三人のつぶやきが漏れる中、倒れていた治癒師達が続々と意識を取り戻し、不思議そうな顔で身を起こし始めた。
毒の効果が薄れ、体の回復がそれを上回ったようだ。
天窓から射す日が、きらきらとホールを照らしている。
そんな中――
「ちょ、ちょっと待て……」
「ん?」
ステージ上から、か細い声が聞こえてきた。
見ると、ゴルドランが顔面蒼白で、うずくまっている。
「わ、わしは回復、しておらんぞ……ど、どうなっておる」
「あ、悪い。忘れてた」
「ふ、ふ、ふ、ふざけるな」
額に青筋は浮かんでいるが、かなり毒がまわっているようで、言葉には力がない。
「命令、だっ。わしを、助けろっ」
「命令って言われても、あんたの派閥はクビになったんで、命令に従う筋合いはないんだが……」
「うぐっ……」
ゴルドランはぎりぎりと奥歯をかみしめる。
「どう、すればいいっ」
「俺は、闇ヒーラーだからな。治療して欲しかったら言い値を支払ってもらう」
「言い値、だとぉ……」
ゼノスは重たい足取りでステージに上がり、値段をかきつけた紙を見せる。
「かなり疲れてるから、ここからもうひと踏ん張りするならこれくらいは必要だ」
「ふ、ふざけるなっ、こ、こんな額が払えるかっ」
「そうか? じゃあこの話はなかったことに」
「ま、待て待て待てっ。わ、わかった。払う、払うから助けろっ……」
震える手で支払い承諾のサインをしたゴルドランに、後ろから声をかける者がいた。
「ゴルドラン先生。彼らの会話の断片が聞こえました。後ほど詳しい話を聞かせてもらえますか」
「フェンネル卿……っ」
七大貴族の一言に、ゴルドランは更に蒼白な顔でがっくりと肩を落とす。
「くそ…くそぉぉぉぉっ」
ゴルドランの苦悶の声とは反対に、明るい調子でクレソンが親指を立てた。
「兄貴、これにて一件落着だなっ!」