第7話 なぜか次々と大物に慕われる
「ゼノス。お茶入れたよ」
夜も更けた頃。
営業を終えた治療院で、リリが湯気のたつカップを食卓に置いた。
「ありがとう、リリ。気がきくな」
「えへへ、褒めて」
「はいはい」
頭をなでると、リリは尖った耳を嬉しそうにぴくぴくさせる。
「ちなみになんでカップが三つあるんだ?」
「ゼノスとリリと、カーミラの分」
「あいつ、飲むのかな……」
「勿論、飲むぞ」
「飲むのかよ」
いつの間にか、向かいの席にレイスのカーミラが座っている。
姿は半透明だが、物には触れることができるようだ。カーミラは真っ白な指先で、器用にカップを持ち上げ紅茶を喉に流し込んでいた。
リリはこの最上位クラスのアンデッドにすっかり慣れた様子で、火傷に気をつけるようにカーミラに注意している。「なるほど、確かに気をつけねばな。くくく……」とか答えて、ふーふー息を吹きかけてるけど、紅茶で火傷するレイスって雑魚すぎないか。
「それにしても、最近忙しいね、ゼノス」
「そうだなぁ」
疾風のゾフィアの紹介で、盗賊団員のリザードマン達がひっきりなしにゼノスの治療院へとやってきていた。金払いはいいので、治療院の営業としては助かっているが。
「ふん。一人も死なないから、わらわはつまらん」
カーミラはぶつくさ文句を言っているが、紅茶はしっかり飲み干して、二階に消えていった。
「ねえ、ゼノス。どうしてリザードマンの人達はいっつも怪我してるの?」
「多分、どこかと揉めているんだろ」
盗賊団の根城がある貧民街は、人種のるつぼだ。
人間だけでなく、多種多様な亜人がおり、同じ貧民同士であっても、種族間の縄張り争いのための小競り合いが絶えない。
中でも、亜人の三大派閥と言われているグループがある。
一つがゾフィア率いるリザードマンの派閥。
もう一つが屈強なオーク族。
「そして、もう一つが、ワー……」
そこまで言ったところで、入り口のドアが派手な音を立てて吹き飛んだ。
「ゼノス、誰か来た!」
リリと玄関に向かうと、ぽっかり空いた入り口から、斧を持った狼顔の男達が室内になだれこんできた。
ゼノスは相手の姿を見て、肩をすくめた。
「どうやらもう一つの勢力のお出ましのようだ」
ワーウルフ。
貧民街でリザードマンやオークと肩を並べる亜人の一大勢力だ。
「ボス、ここですよ」
「ご苦労」
ワーウルフ達の後ろから、一人の女が姿を現した。
顔は人間の血が濃いようで比較的整っているが、指先にはワーウルフであることを示す鋭い爪があり、肩にかかる灰色の頭髪の間から、大きな狼の耳が突き出している。
「まさかこんなところに治療院があるとはな。貴様が闇ヒーラーのゼノスか」
「そうだけど、あんたは?」
「ワーウルフをまとめている、リンガだ」
暴君のリンガ。名前だけは聞いたことがある。
裏街の非合法賭博の元締めとも言われる女ワーウルフだ。
貴族にも上客がいて、中央とのパイプもあると聞く。
「ったく、次から次へと裏の大物ばかり。一応、営業時間は終わってるんだけどな。よっぽどの急患なら診てやるが」
「急患ならここにいる。お前だ、ゼノス」
リンガは鋭い爪をゼノスに向けた。
「敵対するゾフィアの配下をいくら痛めつけても、最近すぐに復活してくる。妙だと思ったのだ」
何かがおかしいと思い、手下にリザードマンの後をつけさせたところ、この廃墟街の治療院を発見したと言う。
「ゼノスとやら。どうやら、随分と腕がいいようだな」
「別に。俺はライセンスもない、しがない闇ヒーラーだよ」
「私は貴様を殺そうと思う」
「話聞いてるか?」
「そうすればゾフィアの部下達を治療する者はいなくなる。そして私はゾフィアに勝つ」
「おーい、だから話聞いてる?」
その獣耳は飾りか?――と、突っ込む間もなく、リンガは手斧をゼノスの首に振り降ろした。
ガンッ!
リンガの灰色の瞳が見開かれる。
「どうして首が飛ばない?」
「やっぱ全然話を聞かない奴だな。リリ、奥の部屋に下がってろ」
「う、うんっ」
ゼノスは既に防護魔法で体をおおっていた。
アストン達の体罰がきつかったのと、時々魔獣の身代わりにされるので嫌でも覚えなければならなかったのだ。
「馬鹿な、私の斧で全く傷がつかないだと?」
実は防護魔法も我流なのだが、前に間違ってドラゴンの巣に入って置き去りにされた時も、無傷で帰れたので多分大丈夫だろう。
リンガとその部下達は額に汗を浮かべ、何度も斬りかかってくる。牙をむき出しにした必死の表情が、だんだん不憫に思えてきた。
「なあ……もういいか?」
「よ、よくないっ。仕方ない。お前達、建物を壊せ」
「イエッサ、ボス!」
リンガの号令で、部下のワーウルフ達が、手斧で家具や壁を壊し始めた。
「あっ。おい、それはやめといたほうがいいぞ」
「ふはは、貴様を殺せないなら、治療の拠点をなくしてやる。ワーウルフを甘くみるとこうなるのだ」
確かに防護魔法は生き物にしか適用できない。
だが、問題はそこではないのだ。
「あーあ、知らないぞ。俺はここの居候にすぎないんだからな」
「は……?」
リンガ達は、いつの間にか周囲が凍えるような冷気につつまれていることに気づいた。
奥の壁に、髪の長い女が立っている。
夜を溶かし込んだような黒い瞳がみるみる落ちくぼみ、その姿が膨れ上がった。
「レ、レイス! レイスだっ!」
誰かが叫んで、ワーウルフ達は出口に殺到した。
しかし、パニックのせいか互いに押し合って、なかなか外に出られない。レイスというのは彼らにとって、相当恐ろしい魔物のようだ。最近忘れかけていたが、思い返せば、リリが出会ったら終わりと言ってたっけ。
カーミラはゆっくり浮かび上がって、両手を広げた。
空間に禍々しいオーラが満ちていく。
「わらわの根城をよくも。許さん……」
ひぃぃぃとワーウルフ達の悲鳴が轟いた。
「待て、カーミラ」
ゼノスが言うと、カーミラはぴたと動きを止めた。
「気持ちはわかる。俺だってせっかく掃除した治療室を傷つけられて正直イラついてる」
「だったら、いいではないか。こいつらの命を寄越せ」
「二階はお前の部屋だ。こいつらが二階に行ったら好きにしろ。だが、一階の治療室は命を救う場所だ。奪う場所じゃない」
「……」
レイスは空中でしばらく止まったまま言った。
「……ふん。わかっとるわ。ああ、忌々しい」
「怒ってくれてありがとうな」
「貴様のためじゃない。わらわのためじゃ」
そして、カーミラは二階へとゆっくり消えていく。
「ここは、前より居心地がよくなったからな」
「レイスが……言うことを聞いた……?」
床にへたりこんだリンガは、呆然とつぶやいた後、突然床に頭をこすりつけた。
「ゼ、ゼノス殿、すまないっ。まさかゼノス殿がレイスの主君だったとは」
「別に主君じゃないが……」
「我らワーウルフは元々夜の眷属。レイスやヴァンパイアといった上位存在には本能的に恐怖を抱くのだ。そのレイスを従えるゼノス殿になんたる失礼をっ」
「だから、従えてる訳じゃないが……」
「そうだ、お前達土下座しろっ。ゼノス殿に誠意を示すのだ」
「イエッサ、ボス!」
「そういえば、こいつ話を聞かない子だった」
土下座するワーウルフの集団に囲まれて、ゼノスは深い溜め息をつくのであった。
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