第65話 七大貴族の娘【前】
前回のあらすじ)七大貴族の娘の治療に向かうことになった
「うおぉぉ、すげえぇぇっ」
翌日。
感嘆の声を上げたのは、ゼノスの隣に座るクレソンだ。
二人は今、魔導車両という魔石で稼働する四輪車に乗っていた。
非常に高価な品で、一部の上級貴族しか所有していないのだと耳元でクレソンが説明する。
「これ一台の値段で人生三回は遊んで暮らせるらしいぜ」
「へぇ、すごいな」
勿論、ゼノスも乗ったのは初めてだ。
所有者である七大貴族の一角、フェンネル卿の指示で、執事が王立治療院まで迎えに来たのだった。
窓を流れる風景は、豪奢な建物で埋め尽くされている。
車は今、貴族特区の中枢部に近づいていた。
「こんなとこまで来るの初めてだぜ。豪邸ばっかで目がくらみそうだな」
クレソンは眩しそうに窓の外を眺めている。
「俺も出世していつかここに住んでやるぜ。なあ、兄貴」
「だから、お前の兄貴じゃない」
「そんなぁ、兄弟の契りを結んだ仲じゃねえか」
「そんな記憶はないが……?」
「おい、うるさいぞ」
前の座席、運転手の隣には王立治療院教授のゴルドランが座っている。
ゴルドランは神経質そうに髭を触りながら、こちらを睨んでいた。
「いいか。ワシの顔に泥を塗ったらどうなるかわかっているな」
「は、はいっ」
クレソンは引きつった顔で、身を縮こまらせた。
怒鳴るほうのゴルドランも落ち着きがない様子だ。
今回の件は、ゴルドラン教授の命運を握る手術だとクレソンが言っていた。
ゴルドランが次期院長になるには二つの条件をクリアする必要がある。
一つは院内の最多得票数を確保すること。
そして、もう一つが諮問委員会の賛同を得ることだ。
一つ目はほぼ達成しているが、問題は二つ目だった。
王立治療院は国家機関であるため、最終的な院長の選任は諮問委員会が行う。
この際、得票数は大いに参考にされるが、絶対ではない。
実際、過去にも得票数が一位でない者が選ばれたこともあるらしい。
フェンネル卿は諮問委員会の委員ではないが、娘の手術を成功させれば確実に委員会に働きかけてくれるはずだ。
最多得票に加え、七大貴族が強力に後押しをしてくれれば、院長の座は手中に収めたも同然。
「失敗は許されん。全てはこのためにやってきたのだ……」
ゴルドランは、自身に言い聞かせるように呟いた。
事前にクレソンとゼノスの技量を確かめるために同じ奇面腫の症例を探させていたが、今朝フェンネル卿から急いで来て欲しいとの連絡があり、ぶっつけ本番に挑まざるを得ない状況も、教授をいら立たせているようだった。
車はやがて黒塗りの巨大な門を抜けた。
そして、門を抜けてからもしばらく走り続け、ようやく玄関前に到着する。
「やべぇ……まじでやべぇよ……」
敷地のあまりの広大さに、クレソンは興奮を通り越して青い顔になっている。
入り口で身体検査を受けた後、執事に連れられて応接間に通された。
「おお、教授。お待ちしておりました」
しばらくして一人の男がドアを開けて入ってきた。
グレイヘアで背筋が伸びており、見るからに高貴な雰囲気を漂わせている。
ゴルドランはすぐさま立ち上がった。
「フェンネル卿。急なお呼び出しとはいかがされました」
「それが、少し困ったことになりましてな」
フェンネル卿は眉の端を下げて、前の席へと座った。
この人物が国家中枢を担う七大貴族の一角。
ゼノスはゴルドランの後ろで、フェンネル卿の顔を眺めた。
以前、子供誘拐事件の主犯だった貴族はまるで虫を見るような目を向けてきていたが、フェンネル卿にはそのような様子はない。
穏健派と呼ばれる所以か、それともあまりにも立場が上すぎて身分の違いが気にならないのだろうか。
「実はシャルロッテが手術を拒否しているのです」
七大貴族は、困った様子で溜め息をついた。
どうやらシャルロッテというのが娘の名前らしい。
「出来物を切って取り出すと私が軽く説明したのですが、顔に傷をつけるなんてあり得ないと部屋に閉じこもってしまいまして」
「なるほど……」
「しかし、教授であれば傷を残さず治せる。私はそう信じております」
「え、ええ、勿論」
ゴルドラン教授はわずかに言葉を詰まらせて言った。
温和な雰囲気のフェンネル卿だが、吐き出す言葉には奇妙な力がある。
「ですから、教授から娘を説得して頂きたいのです」
「……わかりました」
かすかな間があって教授は頷く。
赤絨毯の敷き詰められた廊下を抜け、一同はシャルロッテという娘の部屋の前に移動した。
フェンネル卿が取っ手に手をかけるが、中から鍵がかけられているようで開かない。
仕方なく、フェンネル卿は外から呼びかけた。
「シャルロッテ。教授が来てくれたよ」
「……」
無言。
「なあ、シャルロッテ。ここは教授に任せて治療を受けてみないかい?」
「……」
無言。
「教授に任せれば大丈夫だ。パパが嘘をついたことがあるかい?」
すると、突然中から返事があった。
「パパ、私の誕生日にファイアフォックスの毛皮マフラーくれるって言ったのにくれなかったじゃない」
「ぐ……」
言葉に詰まったフェンネル卿は、がっくり肩を落とし、教授と場所を入れ替わった。
ゴルドランは咳払いをして口を開く。
「お嬢様。王立治療院のゴルドランでございます。私を信じて治療を受けてくださいませんか」
「嫌」
刺々しい言葉が返ってくる。
「しかし、手術をしなければ治りませんぞ」
「顔に刃物を入れるなんて絶対嫌」
扉の奥から強い拒絶の意思が放たれる。
「私の綺麗な顔を切り刻むように誰かに命令を受けたんでしょう」
「そんなことは……」
「きっとギース家ね。あそこの令嬢が私の可愛さに嫉妬して後ろから手を回してるに違いないわ」
どうやらかなりの被害妄想に囚われているようだ。
隣に立つクレソンが、小声で言った。
「なあ、兄貴」
「兄貴じゃないけど、何だ?」
「俺、今すげえことを思いついたぜ。頑張って出世しようと思ってたけど、もっと簡単な方法がある」
「まあ、一応聞こうか」
「ここで娘を説得して、完璧な治療をして惚れられるんだよ。そして結婚するんだ。晴れて貴族の仲間入りって訳だ。完璧なプランだぜ」
「……そうか。うまくいくといいな……」
クレソンはゴルドランに「俺にもやらせてください」と頭を下げ、扉の前に立った。
「あのぉ、シャルロッテお嬢様」
「……あんた誰よ」
「俺はクレソンって言います。教授の助手としてやってきました」
「はあ? 助手風情が私に話しかけるんじゃないわよ。私を誰だと思ってるの? 耳が腐るわ」
「……す、すいません」
クレソンはすごすごと引き下がってきた。
涙を拭いながら歯を食いしばる。
「兄貴。俺、やっぱ自力でえらくなるぜ。女なんて信じねえ」
「変わり身早すぎじゃないか……?」
完璧なプランはどこにいった。
ふと見ると、教授の視線が残ったゼノスに注がれている。
お前だけ黙って見ている気か、というメッセージを感じる。
「……」
ゼノスは小さく嘆息して、扉の前に立った。
「ええと、聞こえてるか」
「……また新しい奴? あんたは何よ」
「助手その2だ」
「だから助手ごときが私に――」
「手術なんだが、受けたくないなら受けなくてもいいぞ」
ゼノス以外の全員から、は? と声が聞こえた。
「顔に刃物を入れるのは誰だって怖いよな。その出来物は死ぬ病気じゃないし、嫌なら無理はしなくていい。決めるのは自分だ」
「……」
「放っておいても、頬に老婆の顔ができるだけだしな」
「ひ……」
「慣れてくれば愛着も出てくるみたいだぞ。名前をつけて可愛がる奴もいたくらいだ」
子供の頃に、貧民街で何人か奇面腫になった者を見かけたことがある。
中には孤独がまぎれると、有難がっている者もいた。
病気への向き合い方は様々だ。命に関わらないものならば、本人の意思が優先される。
「それじゃあ、俺はこれで」
「お、おい、貴様っ」
ゴルドランがゼノスの肩を掴んだ瞬間――扉がゆっくりと開いた。
明るい栗色の巻き毛に、気の強そうな吊り上がった目をした少女が覗いている。
頬を隠すようにマスクをした少女は、背を向けたゼノスを睨むように言った。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
見つけてくれてありがとうございます。
気が向いたらブックマーク、評価★★★★★などお願い致します……!