第339話 勇者の夢
前回のあらすじ)死んだと思われていたエリクが、魔王にトドメをさした
「おい、終わったのかよ?」
「お、終わった、よう、です……」
動かなくなった魔王を見て、ダンゼルトとセーラはへなへなとその場に座り込んだ。
カーミラも脱力したように、大きく肩をすくめる。
「様々な奇蹟が重なった結果じゃ。もう二度とこんな化け物とは戦いたくないの。何度死ぬかと思ったことか」
「いや、死んでるじゃねえか」
「全然笑えませんよ。私たちの頭がおかしいとかよく言ってましたけど、あなたが一番無茶苦茶ですよ、カーミラ」
「くくく……」
カーミラは含み笑いを漏らして、もう一人のパーティメンバーに視線を向けた。
「それより貴様じゃ、エリク。一体どうして生きておる」
人魔戦争を終わらせた張本人である勇者は、間違いなく致命傷を負っていたはずだ。
カーミラと同じようにアンデッドとして蘇った訳ではない。長年研究していた《不死人化》の魔法はカーミラ自身にしか使えないし、そもそも目の前のエリクは明らかに生身である。
「もしかして死んだふりかえ?」
エリクは気配を消すだけじゃなく、まさか意図的に仮死状態になれるのだろうか。
だとしたら、それは敵を欺く上で、強力な切り札になる。
カーミラの問いに、エリクは淡々とした調子で答えた。
「仮死状態にはなれます」
「なれるんかい」
「でも、今回は使ってません。さすがに死んだふりで魔王を騙すのは無理ですから」
「む、確かに……」
死んだふりというのは、あくまでふりである。
致命傷を受けていないのに、さも受けたかのように見せかける必要があるが、そもそもあの魔王ハデスが、敵に致命傷を与えたかどうかを、見誤るはずがない。
カーミラが魔王の不意をつけたのは、本当に死んだからだ。
「だったら、どうして……?」
セーラが尋ねると、エリクは曖昧に笑って言った。
「飲んだんです」
「は?」
「魔王の血を」
「……っ!」
カーミラ、ダンゼルト、セーラは驚いて顔を見合わせた。
そうだ。
そうだった。
勇者パーティに興味を持った魔王は、自らの仲間にするために、自身の血を床に垂らし、それを飲むように要求していたではないか。
エリクが倒れ込んだ血だまりには、魔王の血も混ざっていたのだ。
どこかあっけらかんとした調子で、エリクは話を続ける。
「人間の身体では致命傷でも、魔王の血の力を借りれば耐えることができますから」
そうして機会を窺い、トドメの一撃を魔王に繰り出したのだ。
大賢者カーミラは、本当に死んでアンデッドとして蘇った。
そして勇者エリクは、勝利のために密かに魔王の血を飲み、人間を捨てた。
どちらもさすがの魔王でも想定していなかった展開だっただろう。
だからこそ勝てた。
カーミラは眉をひそめて、エリクを睨んだ。
「ちょ、ちょっと待て。ということは何か? 貴様は魔族になったのか?」
「そういうことに、なるんですかね?」
今のところ見た目はそれほど変わらない。まだ血を飲んで間もないからだろうか。
「滅茶苦茶にも程があるぞ」
「カーミラさんだって、アンデッドになったじゃないですか」
「それとこれとは話が別じゃ」
「一緒ですよ」
「いや、絶対に貴様のほうが頭がおかしい」
「カーミラさんには勝てません」
「やべえ……俺ついていけてねえ」
「私もですよ、どちらもいかれています」
ダンゼルトとセーラは頭を抱えている。
そこでカーミラは、ふいに大事なことを思い出した。
「あ……」
大事な、大事な話。
確か魔王の腹心であるメフィレトが言っていたではないか。
魔王は全ての魔族の配下に、自身の力を分け与えるという名目で血を飲ませて、仲間にしたと。
そして、魔王が死ぬとその血は暴走し、全ての魔族を内側から滅ぼす。
魔王は決して一人では死なないと。
「ごふっ」
エリクはふいに大量の血を吐いた。
手足に亀裂が入り、そこからも血が滲み出る。
「セーラっ!」
「結界!」
カーミラの呼びかけで、セーラがエリクの出血を押しとどめようと結界魔法を発動する。
だが、体表の傷は塞げても、体内で暴れまわる魔王の血そのものを止めることはできない。
カーミラは慌ててエリクに言った。
「ば、馬鹿ものっ! 貴様はこうなることはわかっておったじゃろっ! なぜっ……」
「でも、こうでもしないと、勝てません、でしたから」
「それで死んでは意味ないじゃろうがっ!」
「いや、死んだ人に、言われたくないですよ」
「ぬぐ……」
ダンゼルトがエリクの肩を掴んで叫んだ。
「おい、エリクっ、馬鹿野郎、死ぬんじゃねえっ!」
「決戦の前に……ダンゼルトさん、が 戦いが終わったら、何をしたいかって、みんなに聞きましたよね」
「あ、ああ」
エリクは細い声で、こう続ける。
「僕は、もう、ないんです」
「……っ」
「物心すらつく前に、親に魔境に捨てられて、その原因を作った魔王に、腹いせをする……それが僕の人生の目的でした」
その目的は、たった今、自身の手によって果たされてしまった。
腹いせで世界を救った勇者は、ダンゼルトに抱えられながら、口元から血を流して言った。
「それに、一番欲しかったものも、もう手に入りました、から」
「一番欲しかったもの?」
「……家族」
沈黙の中、エリクはたどたどしく口を開く。
「僕にとってパーティは、仲間であり、家族でした。両親に捨てられ、魔境にいた時、このまま、誰にも知られず、たった一人で、死んでしまうかもしれないこと、が、恐怖でした。だから、みんなが仲間に……家族になってくれて、嬉しかった……本当に、ここまで、付き合ってくれてありがとう、ございました」
「エリク」
「エリクっ」
「エリクっ!」
勇者の三人の仲間がその名を叫ぶ中、エリクはどこか安心したように微笑んだ。
「家族に、看取られること、は、僕の理想の最後でした……。僕は……幸せ者、です。では……少し、眠りますね……おやすみなさい」
そして――
そのまま勇者エリクが眼を開けることはなかった。
「……」
残された仲間たちは、ただ茫然としたままその場に座り込んでいた。
魔王の死によって、全ての魔族はもう滅びたはず。
世界は、救われた。
だが、それに匹敵する大きなものを失ってしまった。
一時間以上、黙ったまま魔王城の頂部に腰を下ろしていた三人だったが、セーラがエリクの満たされたような穏やかな顔を見つめて、ぽつりと言った。
「……エリクは、良い夢を、見れたでしょうか」
「……うむ、きっとな……わらわたちも、そして、人類も、エリクのおかげで新たな夢を見られる」
虫も殺さないような顔をした小柄な少年が、最強の仲間を集め、誰もが諦めていた魔王討伐を、目的通りに腹いせのために成し遂げ、そして、昼寝でもするように逝ってしまった。
「まったく……わらわ達は道中お互い変人だと罵りあっておったが、どう考えてもこやつが一番おかしいわ。結局全てエリクの思い通りじゃな……最後まで自由で、勝手な奴じゃ。こやつらしいわ」
「ええ……」
やがて、セーラは涙を拭いてゆっくり立ち上がり、片腕になった剣士に目を向ける。
「ダンゼルト、家族になりますよ」
「ん? エリクに言わせりゃ、俺らはもう家族なんだろ」
「もっと公的にですよ」
「公的?」
「結婚しましょう、と言ってるんです」
「なんじゃと?」
思わずカーミラは顔を上げた。一方のダンゼルトは軽く首を傾げただけだ。
「……結婚? そりゃなんだったっけな、うめえのか?」
「ええ、うまいですよ。だから結婚しましょう」
「おう、ならいいぜ。結婚すっか」
カーミラはふわりと浮かび上がった。
「セーラ、おぬしは神様と結婚するのではなかったのか?」
「神様? なんですか、それ」
「は?」
「もう、いいんです。あれだけ熱心にお祈りを続けたのに、神は一番大事な時に、なに一つ助けてはくれませんでした。いつも私を助けてくれたのは、エリクとあなた、そしてダンゼルトです」
ダンゼルトが右腕をなくしたのは、セーラをかばったからだ。
「はっ……確かにの」
カーミラは口角を上げて、頷いた。
しかし、水と油だと思っていたセーラとダンゼルトがまさか結婚という道を選ぶとは、エリクもきっと喜ぶことだろう。まあ、ダンゼルトはいまいちわかっていないようだが。
セーラはそのまま視線をカーミラに移した。
「カーミラ、あなたを除霊しましょうか?」
「ぬ……」
「大陸に戻れば、教会の関係者に治癒魔法の使い手もいます。彼らに頼めば、レイスになりたてのあなたであれば成仏させることができるかもしれない」
「おい、セーラ。カーミラはいい奴だぜ」
夫となるダンゼルトの言葉にも、セーラは耳をかさない。
「今はいいでしょう。でも、アンデッドはアンデッド、もうあなたは人ではありません。百年後、二百年後、そして、三百年後、あなたは本当に人だった頃の自我を保ち続けることができますか? 身も心も完全にアンデッドとなって、命を求めて彷徨うかもしれない。あなたほどの力を持つ者がアンデッドの王となって暴走すれば、第二の魔王になりかねません」
「くくく……確かにの」
カーミラは微笑を浮かべて、仲間に答える。
「じゃが、遠慮しておこう。わらわには新たな使命ができたからの」
「新たな使命?」
「エリクが救ったこの世界の行く末を、エリクの代わりに見守るという使命じゃ。これぞ寿命がなくなったわらわにしかできない芸当じゃと思わんか」
「……」
「気を遣ってもらって感謝するぞ、セーラ。貴様らと旅ができたのは、わらわの生前もっとも素晴らしい記憶の一つになった」
旅の目的は、いかに目立たず、魔王をひっそりと消すかだった。
だから、この旅は数多の物語とは違い、世界の記録に残らない英雄譚となる。
エリクもこの旅が公になることを別に望んではいないだろう。
「しかし、わらわだけは忘れぬ。エリクのことも、貴様らのことも、この旅のことも、まとめて未来へと持っていく」
「……っ」
セーラは両目を見開いた後、くすりと笑う。
「相変わらず知恵がまわりますね。そんなことを言われたら、もう除霊できないじゃないですか」
「くくく……本気ではないこともわかっておったがの」
「……人が悪いですね」
見つめ合う二人の脇で、ダンゼルトがのんきな声で、エリクを肩に担ぎあげた。
「しかし、エリクの奴、いつまで寝てんだ。もうかついで俺らの大陸に帰るか」
「ダンゼルト、あなた馬鹿ですか。エリクはもう――」
「セーラ、まあよいではないか。いずれわかる」
「なんの話だ?」
「くくく……なんでもないわ。では、わらわたちの大陸に帰るか」
片腕の剣士が、小柄な勇者をかつぎ、
神を見限った修道女と、半透明の魔導師が後に続く。
一行のその姿は、およそ世界の救世主には見えない。
これは、そんな歪な英雄たちによる、誰も知らない物語――
+++
魔王崩御から一ヵ月が経過。
ようやく魔族が滅びたことを認識した人類が歓喜に沸く中、大陸中部にある山あいの宿では、若い女将が大慌てで廊下を駆けていた。
「お父さんっ、お父さんっ!」
「どうしたんだ、マーシャ?」
そこはかつて魔族の幹部に支配され、ふらりと立ち寄った勇者たちに救われた村。
女将のマーシャは焦った顔で、父に言った。
「絵がなくなったの。あの人たちを描いた絵がっ」
かつてマーシャは、父の代わりに魔族の生贄になる覚悟を決め、山に向かった。
ところがその山から現れたのは、とぼけた雰囲気を醸し出す旅の四人組だった。
朝日を浴びる彼らの姿を見た時に、百年に渡る人魔戦争の時代が変わる、なぜかそう直感した。
鮮烈に記憶に焼き付いたその光景を、マーシャは絵に残しておくことにしたのだが、その絵がなくなっていた。
「なんじゃと? 泥棒か?」
「う、ううん。違う。きっと来たのよ。時代を変えたあの人たちがっ」
嬉しそうに声を上げるマーシャの手には、一枚の紙が握られている。
そこには、流れるような文字で、書き置きが残されていた。
――よい絵じゃ。感謝する。世界を救った礼として、もらっておくぞ。