第338話 決着
前回のあらすじ)浮遊体が爆誕した
「ぐあ、ああああ」
魔王が取り込んだ数多の命を、レイスとなったカーミラが吸い取っていく。
「ここで決めるぞ」
一度死んでアンデッドとして蘇るという前代未聞の荒業で、ようやく無敵の魔王のふいをつくことができた。
だが、機会は一度だけ。魔王に取りつくことができた今、ここで勝負を決めなければならない。
アンデッドになった以上、命を奪われることはないが、治癒魔法や聖水といった弱点はある。魔王がそれらを使いこなせるかはわからないが、相手の存在ごと抹消するような闇魔法を使われる可能性もあるのだ。
十の命を吸い取る。
百の命を吸い取る。
まだ魔王自身の命には届いてない。
「う、ぐ、私の中の、命が……」
魔王が右手をゆっくりと挙げ、手のひらにバチバチと黒い閃光が走る。
「させるかよっ!」
しかし、飛び込んできたダンゼルトが、その右手を大剣で跳ね上げた。
さらにセーラが結界魔法を連発し、魔王の動きを封じる。
「貴様、らっ」
「行けぇぇっ、カーミラっ!」
「後は任せましたっ!」
「任されたわっ」
二人の後押しの言葉とともに、カーミラは魔王の内面へと潜っていった。
どこまでもどこまでも沈んでいく昏い海。一寸先も見通せない真っ暗な闇の中に、無数の淡い光が寂しげに漂っている。
この一つ一つが、これまでに魔王が取り込んできた命なのだろう。
気の遠くなるような時間、この巨大な牢獄にただ閉じ込められているくらいなら、レイスの手によって奪い取り、新たな輪廻へとまわしてしまおう。
両手を広げ、それらを片っ端から滅しながら、カーミラは深淵へと進んでいく。
深い。
深い。
どこまでも深い穴蔵。
やがて、カーミラは視界の先を睨みながら、つぶやいた。
「あれ、か……?」
思わずカーミラは動きを止めた。
「なんじゃ、あれは……」
他の魂の何千倍もあるような、どす黒い塊。
小山のような、もしくは巨大な深海生物のような、得体の知れない何かが深淵に潜んでいる。
おそらく、あれが魔王自身の命。
「こんなの、どうしろというのじゃ」
近づいてみるが、外側は分厚い年輪のように、鱗が幾重にも重なって、中すら見通せない。
深い深い穴の底にある、ほの暗い命。
誰も手が届かない深淵。
そこにあるのは圧倒的な孤独だ。
「こんなところに隠れておったとはの。いつまでも引きこもっていられると思うでないぞ、わらわが無理やり引き出してやろう」
カーミラはありったけの魔力をぶつけ続ける。
「ぬああああああっ!」
硬い。
厚い。
魔力が枯渇するほどの力を注いで、ようやく、ぴりと音がして、外殻に小さな小さな亀裂ができた。
「今じゃっ!」
そこから命を吸い取るために右手を差し込もうと、カーミラは暗闇の海を泳ぐ。
だが、魔王が足掻いているのか、物凄い力でカーミラ自身が深淵から引きずり出されようとしている。
ここまで来るのに時間をかけすぎた。
「ぐ、ぬぬ、ぬっ」
耐える。
しかし、カーミラを排出しようとする力はますます強くなっていった。
「ぐぬぬうっ!」
ついに耐え切れずに、カーミラの霊体が上に向かって引き上げられる。
「しまった……!」
右手を伸ばしたまま、カーミラは叫んだ。
遠くなっていく魔王の命。
自分の命まで代償にして、ようやく手の届く距離までたどり着いたのに、勝ちきれなかった。
他の命は全て消滅させた。
残るは魔王の命だけ。
あと少し。
あと少しだったのに。
思わず歯噛みした瞬間。巨大な黒球に、ふいに光の筋が入った。
真っ白な線が球体の中央から徐々に上下に広がり、そこから何かが飛び出してくる。
「ぬあっ」
「ごはっ!」
魔王の外へとカーミラが排出されたのと、呻き声が響いたのは同時だった。
舞台は魔王城の頂部。
荒く息を吐いているダンゼルトとセーラ。
そして、苦しげに口をゆがませる魔王。
魔王の胸からは、白い剣先が突き出ていた。
呻き声は魔王のものだった。
「やる、な……レイスとなった女が、他の命を全て消し、唯一残った私の命を、別の者が、仕留める……だが、なぜ、貴様が生きて、いる」
魔王は途切れ途切れに言った。
「あの傷で、生きていられる、はずが、ない」
魔王の背後には、よく知る小柄な影がある。
「……エリクっ」
ダンゼルトとセーラ、そしてカーミラは同時に叫んだ。
それは腹を貫かれて血だまりに倒れ伏していたはずの勇者だった。
勇者エリクは、剣の柄を握りながら、瞳を細めたまま、苦しげにこう告げた。
「大魔王ハデス。これが、ずっと知りたがっていた敗北です」
「……」
魔核を貫かれた魔王は、瞳を見開き、茫然としたまま、ゆっくりと膝をついた。
そして、自身の胸から飛び出した剣先を握り、おもむろに言った。
「そう、か……悪く、ないな」
敬うでもなく、怖れるでもなく、対等に渡り合い、
これまで誰一人として届くことのなかった、
その孤独な命に、
その頂きに、
遂に辿り届いた者がいたのだ。
それは魔王が唯一絶対なる孤高の存在ではなくなったことを意味していた。
「……私はもう……寂しく、ない」
微笑とも思える表情を最後に浮かべ、魔王はそのまま動かなくなった。
百年に渡る人魔戦争が、今ここに終結したのだった。