第336話 脅威と勝機【後】
前回のあらすじ)カーミラが魔王の魔法を解体し、注意を向けた瞬間、エリクが魔王の背後から剣を突き刺した
エリクの一刀が背後から魔王の魔核を貫き、遂に人魔戦争に決着がついた――
そう思った瞬間、奇妙な違和感に囚われる。
魔王は膝をつくこともなく、平然とその場に仁王立ちになったままだったのだ。
「なんで……?」
声にわずかに焦りを滲ませるエリクに、魔王は少しだけ声を弾ませて言った。
「私がここまでの接近に気が付かないとは。お前も興味深い」
刹那、魔王が軽く振るった腕が、エリクにかすったようで激しく回転しながら床の上を転がる。
「エリクっ」
カーミラが思わず声を発する。エリクはごほっと血を吐いて上体を起こした。
「どうして……確かに魔核を貫いた手ごたえはあったはず……」
違和感。
そういえば魔王の腹心であるメフィレトの魔核を貫いた時も倒すことができなかった。
あの時は刃が外れたのかと思っていたが、魔族の心臓である魔核を貫いても無事でいる魔族が存在するということを織り込んでおくべきだった。
「じゃが、わからん。一体どういう理屈じゃ」
呆然とつぶやくカーミラに、魔王は淡々と答える。
「刃は確かに届いた。おかげで私の中の命が一つ減ってしまった」
「……なんじゃと」
目を細め、改めて薄い靄に包まれた魔王を見つめ、カーミラは息を呑んだ。
「……っ!」
魔王の中に、ほの暗い命の波が幾つも拍動していることにようやく気づく。
それも十や二十ではない。
百、千、いや、それ以上――
「無数の命を持つ魔族……?」
驚くセーラ。魔王はゆっくりと片手を挙げて言った。
「生命の吸引魔法だよ。私はこれまでに対戦し、私に敗れた者たちの命を、相手の死の間際に吸いあげ、取り込んできた。私と仲間になるのを拒否した者たちも、肉体と精神を失えば、ただ純粋な魂となって私の中で生き続ける。そうすればずっと仲間でいられるだろう。私は寂しくない」
「化け物が……」
ダンゼルトが声をからす。
全身全霊をかけて、やっと命を一つ削っただけ。それでもまだ魔王は本気すら出していない。
絶望的な空気の中、大魔王ハデスは少し残念そうに言った。
「だが、南方大陸統一戦の傷の影響か、今は生命吸引魔法があまりうまく発動できない」
そして、ふいに右手で自身の左手首の辺りに手刀を振り落とす。
傷口から赤黒い血飛沫が舞い、床に血だまりが作られた。
「何を……?」
困惑する勇者一行に、魔王は静かに言った。
「飲め」
「なんじゃと……」
「お前たちは興味深い人間だ。このままただ殺すのも面白くない。我が血を飲め。眷属――仲間になろうではないか」
「……」
「普通の人間は私に近づくだけで命を落としてしまう。しかし、お前達ならおそらく耐えられるだろう。我が力の一部を貸し与えよう。そして、私が滅びる時には共に滅びる。いい話だろう」
「……」
まさか魔王に仲間に誘われるとは思わなかったので、一瞬言葉に詰まる。
カーミラは少し離れた場所で身を起こしたエリクに視線を向けた。
エリクの傷は致命傷には至っていない。魔王は仲間にするために、わざと浅く攻撃したのだろう。
「くくく……なるほど。まさかの魔族への勧誘とはな。興味深いの」
カーミラは低く笑った後、こう続けた。
「じゃが、断る」
「……なぜだ」
不穏な気配をまとう魔王を、カーミラは正面から見据える。
魔王は無数の命を吸い上げて体内に保持している。このままでは勝機は薄い。
だが、数多の命に混じって、魔王本来の命もそこに混ざっているはずだ。
もしそれをピンポイントで貫くことができれば逆転もあり得る。
限りなく薄い可能性だが、ゼロではない。
そして、無数の命の森の中で、魔王の放つ命の匂いを嗅ぎ分けることができるとしたら、エリクしかいない。
エリクがまだ生きている限り、可能性はある。
「仲間じゃと? くくく……そんなものには虫唾が走るわ」
カーミラは大きく息を吸って言った。
「わらわは群れるのも慣れ合いも嫌いじゃからな。なんせ魔法国家にいた時は、天才美人すぎるがあまり、嫉妬、妬み、好奇の目線に晒され続けたからの。あらぬ噂を立てられ、変わり者だと揶揄された。一人のほうが遥かに気楽じゃ」
そして、カーミラは視線をエリクに移す。
「じゃが、そんなわらわを仲間に誘った変わり者がおる」
そう言って、次はダンゼルト、セーラに目をやった。
「そして、そやつが誘った他の仲間も頭のおかしい奴らばかりじゃ。一年以上毎日を共にし、笑い、ふざけ、時に罵り合い、幾つもの死線を共にくぐった。突っ込みがおいつかんし、疎ましい時もある。じゃが、同じ釜の飯を食い、同じ目的を共有し、いざとなれば信じて背中を預ける。仲間とはそういうものじゃ」
魔王の視線を受けながら、カーミラはこう言い放った。
「大魔王ハデスよ。貴様は相手をただ力で押さえつけ、配下に無理やり取り込んでいるだけ。そんなのは真の仲間ではない。仲間だと思っているのは貴様だけ。貴様はずっと孤独じゃ」
「なんだと」
魔王のまとう雰囲気が明確に変わったのを感じながら、カーミラはもう一度エリクを横目で眺める。
傷を負っているエリクと、もうゆっくり打ち合わせをする余裕はない。
気づけ。エリク。
さっきは興味で魔王を引き付けた。
今度は怒りでだ。
挑発なら得意分野。
魔王の殺気がこっちに向いたこの瞬間を狙え。
これが残ったわずかな勝機――