第312話 頂上決戦【前】
前回のあらすじ)転移魔法陣でゼノスは聖女の塔に移動したのだった
聖女の塔。
風がごうごうと唸る吹きさらしの祭壇室では、一介のヒーラーと魔竜の王が向かい合っていた。
――闇ヒーラー? なんだそれは。そんな者がなぜここに来る。
「そ、そうよ、ど、どうしてっ」
アルティミシアも依然困惑した表情を浮かべていた。
反対に、ゼノスは無表情になって魔竜王とアルに交互に目を向けた。
「……宿泊代」
「え?」
「……アル。俺は労働に見合った対価をもらうって言ったよな。で、お前も匿ってくれたらちゃんと礼をするって言ったよな」
「あ、はい……」
「リスクを背負って匿ったのに、こっちは対価をもらうどころか、むしろ近衛師団に捕まって、地下鉱脈に送られて、強制労働に従事させられたんだよぉぉっ」
「え、ええっ……」
「対価ももらわずに、このまま終われるかぁぁっ!」
「……」
アルは呆気に取られた顔をしていたが、やがて申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「ご、ごめん、私、手配したつもりだったのに、そんなことになってたなんて。今度は絶対にあなたの要求をなんでも叶えるから」
「絶対だな?」
「ええ、約束するっ。だからっ……」
もう死ぬと思っていた。死んでもいいと思っていた。そのための思い出も作ったつもりだった。
でも、皆の温もりを知ってしまった。それにもっと触れていたいと思ってしまった。
まだ、死にたくない。
唇を噛み、
涙をこらえ、
拳を握り、
アルは王都の空に叫んだ。
「――助けてっ」
「今度はもっと高くつくぞ」
ゼノスはわずかに口角を上げ、アルの前に立ち塞がる。
――理解できんな。虫が一匹増えたところで何が変わる。
魔竜王の尾が風を切って鞭のようにしなりながら、ゼノスを塔の上から跳ね飛ばそうと真横から迫った。だが――
――……っ?
くるくると周りながら地上に落ちていったのは、魔竜王の尾の先端だった。巨大化させた魔法の刃――《執刀》を構えて、ゼノスは言った。
「気をつけろよ。一匹の寄生虫が宿主を滅ぼすこともある」
――雑魚め。
ガルハムートが翼を羽ばたき、宙へと浮かぶ。
真上に移動し、大砲のような牙が連続で発射された。
ゼノスは能力強化魔法で身体機能を向上、祭壇を転がってそれをかわしながら後方を振り返った。
「アルっ、階下に隠れてくれっ!」
「で、でも」
「早くっ! お前が食われたら終わりだっ」
「う、うんっ」
アルは祭壇から離れ、フロアに残ったむき出しの階段へと身を躍らせた。
ガルハムートが聖女を食べ、完全に力を取り戻せばおそらくもう手がつけられなくなる。
――面倒だ。さっさと死ね。
魔竜王が牙の隙間から、今度は水鉄砲のように液体を発射してきた。
それが祭壇に触れると、じゅうっと音がして石床が溶ける。強力な酸だ。必殺の酸が雨のように降り注ぐのを、能力強化魔法でなんとかかわし、ゼノスは右手を前にかざす。
「《診断》」
幾筋もの線状の光が、宙を舞うガルハムートに注がれた。
左胸の心臓の位置を確認し――
「はああああっ!」
手にした《執刀》を、ゼノスは相手の心臓に向けて投げ込んだ。
――ぐっ!
真っ白な魔法の刃が、大気を切り裂きながら、魔竜王の心臓に勢いよく突き刺さる。
塔を見上げる人々から喝采のような声が上がった気がしたが、ゼノスは眉をひそめた。
なんとも言えない違和感を覚えた瞬間、ガルハムートが大口を開ける。
――《衝撃波》。
放たれた空気の塊が、風の大砲となって直撃、身体の奥に重い衝撃が走った。
「がっ」
吐血しながら、ゼノスはその場に膝をつく。
心臓を貫いたことで一瞬油断し、防護魔法の発動が遅れてしまった。
――いいぞ……魔王の呪いはかなり解けてきた。
ばさっと翼をはためかせて、再び祭壇に降り立ったガルハムート。その左胸には先ほどつけたばかりの傷がない。切り飛ばしたはずの尾も、いつの間にか再生していた。
「そうか……時間を操る能力」
カーミラの言っていた魔竜王の神通力というやつだ。能力の一部は聖女に付与したが、長期間の潜伏と聖女の加護によってようやく魔王の呪いが解け、自らも使えるようになったのだろう。
時間操作で状態を局所的に戻し、傷をなかったことにした。永い眠りから目覚めたばかりであること、アルを捕食していないことから、いまだ不完全だとは思うが、非常に厄介な能力だ。
――もう消えろ。
ガルハムートが再び口を開き、ゼノスは手をついて立ち上がった。
その瞬間、奇妙な感覚にとらわれる。
能力強化魔法を使っているのにも関わらず、身体の動きがやけに遅いのだ。
まるで自分の周りだけ、時間がゆっくり流れているような。
「……っ!」
時間を操る能力が、自分に向けられていることに気づいた時には、もう手遅れだった。
――《衝撃波》。
「ぐ、うっ!」
分厚い空気の振動が、内臓を隅々まで破壊し、ゼノスは血を吐きながらうつぶせに倒れた。
山際に消えつつある夕陽が、倒れ伏した姿を無常に照らしあげる。
――アッ、ア、ア、アッ!
動かなくなった獲物を眺め、ガルハムートは高笑いを響かせた。魔物の笑い声は黒煙と一体となって王都の空へと立ち上っていく。
邪魔者は消えた。仕上げは聖女だ。
階下に身を隠しているであろう聖女を探すため、ガルハムートは足元の石床を足で砕き始める。
その瞬間――
「《執刀》」
すぐそばで声が響いた。死んだと思っていた男がいつの間にか起き上がり、四つの魔法の刃が空中に出現していた。それが時間操作を発動するよりも先にガルハムートの体幹を貫く。
――ごは、あっ!
ガルハムートは赤黒い液体を吐いて、男から距離を取った。
――な、ぜ……生きて、いる。
「そりゃ死んでなかったからだよ」
ゼノスは口元の血を拭って不敵な笑みを浮かべる。さっきの衝撃波を受けたのは、急に時間の進みが遅くなったせいもあったが、わざと防護魔法の発動を遅らせたのも理由だった。
相手を油断させるために。
「違和感はあったんだ」
いかに時間操作で傷をなかったことにできると言っても、そんな非常識な能力を発動するにはそれなりの集中力が必要になるはず。普通は心臓を貫かれた時点で、能力が発動できないレベルのダメージを受けるはずなのに、魔竜王は平然としていた。
だとしたら、答えは幾つかに絞られる。
貫いたものは心臓ではなかった。
または、心臓が複数あるかだ。
《診断》の時はつい普通の魔獣の感覚で左胸の心臓にばかり注目していたが、改めて思い返すと、ガルハムートの身体には心臓らしき組織が四つあった。
だから、一つ二つ心臓がダメージを受けても、耐えることができたのだ。
そして、耐えている間に、受傷部の時間を戻し、傷をなかったことにすればいい。
「それなら、倒し方は一つだろ」
全ての心臓を同時に破壊すればいい。
敵を油断させ、寸分違わず四つの心臓に魔法の刃を打ち込んだ。
さすがにこれならもう反撃は困難なはず――
「……え?」
思わず喉奥から声が漏れる。同時に、まるで泥の中を泳いでいるように、動作が緩慢になっていることに気づいた。
一方のガルハムートは瞳を三日月の形にして、勝ち誇った表情を浮かべている。
今しがた与えたばかりの、四か所の傷は綺麗に塞がっていた。時間操作が発動されているのだ。
「な、んで、だ」
発する言葉も、途切れ途切れになってしまう。
《診断》の結果を思い返しても、他に心臓らしき臓器はなかったはず。
全ての心臓は確実に貫いた。能力を発動できるとは思えない。
しかし、確かに言えるのは、こっちの思惑を上回られたということだ。
――滅べ。
すぐ間近で、魔竜王ガルハムートは大口を開いた。
灼熱をまとった黒い炎が、喉の奥から物凄い勢いでせり上がってくる。
――竜の息吹。
溢れ出した黒炎に、視界が漆黒に染まった。