第309話 それぞれの戦い【後】
前回のあらすじ)王都のあちこちでかつてゼノスと関わった者たちが魔竜王の襲来にあらがっていた
王宮と貴族特区。そして、ゾフィアたち亜人やクリシュナ率いる近衛師団が奮闘する主戦場の市街地でそれぞれの戦いが繰り広げられる中、更に外側に位置する貧民街でもドラゴンの襲来に抗っている者たちがいた。
「ゾンデさん、駄目です。ドラゴンの数が多いっ!」
「引くなっ。ここを守るために俺達は留守を預かってるんだっ!」
リザードマンの頭領ゾフィアの弟であるゾンデが、残った貧民たちを取りまとめて防壁を作っていた。だが、いかに小型とはいえ、一匹のドラゴンを相手にするには二十人以上が必要だ。全員が戦闘に慣れている訳でもないため、怪我人は増え、徐々に押し込まれつつあった。
「ゴアアアアッ!」
「ぐっ」
小型ドラゴンが振り回した尻尾が、ゾンデの腹に直撃する。めきっと肋骨が折れた音がして、ゾンデは地面に倒れ込んだ。そこに覆いかぶさるようにドラゴンが牙を剥いて襲ってくる。
「くそ、しまったっ……」
「グギャアア!」
しかし、鋭利な牙がゾンデの首筋をかみ砕く前に、反対側から飛んできた無数の矢が、ドラゴンたちを背中から射抜いていった。
腹を押さえて急いで起き上がると、通りの奥に人相の悪い集団の姿が見える。
先頭に立っているのは、獅子の顔をした巨大な亜人と、猫耳姿の少女だ。
「あ、あんたらは……?」
「あたしは情報屋のピスタにゃ。そして、真の姿は暗黒街の黒幕――あたっ、なにするにゃっ」
猫耳少女の頭を横からはたいた獅子の亜人が溜め息をついて言った。
「わしは地下ギルドの大幹部【獣王】じゃ。助太刀に来たぞ。行けっ!」
「うおおおっ!」
地下ギルドの男達が雪崩のように突進し、ドラゴンにも負けない獰猛さで敵を駆逐していく。
「あんたら、どうして……」
「リンガというゼノスの仲間から、最近わしの娘ピスタを通じて応援要請があったのだ。ゼノスが地下牢に捕えられたこと、厄災が迫っていることを知らせてくれた」
「リンガが……」
「だが、地下ギルドも一度壊滅しておってな。武器や人員を集めている間に後手にまわってしもうた。すまん」
「いや、助かったぜ。礼を言う」
【獣王】とゾンデは早口で言葉を交わす。
「そういえばゼノス先生が地下ギルドの大幹部の治療をしたって、前に姉に聞いたな」
「ああ。ゼノスはわしの命を救うだけでなく、娘とも巡り合わせてくれた恩人じゃ。ゼノスの居場所は命に代えてもわしが守る。後はわしらに任せて、休んでいろ」
ゾンデは軽く口角を持ち上げ、【獣王】の隣に並び立った。
「生憎だが、最後まで付き合うぜ。俺も先生に何度も命を救われたクチなんでな」
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「リズお姉ちゃん、これで全部だよっ」
「ありがとう、ジーナ」
貧民街の小山の中腹にある孤児院では、院長のリズとその妹ジーナが子供たちを全員地下室へと避難させていた。近辺に現れたドラゴンには、地下ギルド時代の部下であり、今は孤児院の用心棒でもあるガイオンが対応していた。その間になんとか子供たち全員を地下室に匿うことに成功したが、全く油断はできない状況だ。
「残ったガキはいない。ドラゴンを一人で倒すのは、無理だ。やりすごすしかない」
「ううん、ありがとう。時間を稼いでくれて」
傷を負ったガイオンが、隠れ家へと駆けこんでくる。
外からはぶしゅるる、と荒い鼻息が響き、子供たちは息を殺して身を縮めていた。
山の斜面側の板壁の隙間からは、遥か遠くの王宮の塔を望むことができる。
今、そこに巨大な漆黒のドラゴンが舞い降りたところだ。黄昏色の空を背景に、闇色に輝くその姿は、まるでこの世を終わらせに来た地獄の使者のように見える。
「リズ姉、世界は終わるの……?」
「大丈夫、大丈夫よ」
リズは子供たちを抱きしめて言った。
「きっと……きっと助けが来るから」
脳裏に浮かんだのは黒い外套を翻した幼馴染の顔。
かつてここにあった孤児院で一緒に育ち、地下ギルドに染まった自分を救い上げ、不治の病と言われた妹ジーナに完璧な治療までしてくれた存在。
リズは無意識に、その名を口にしていた。
「ゼノスちゃん……」
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「ゴギャアアアッ!」
孤児院の更に外側にある貧民街の裏山と呼ばれる場所では、三匹の小型ドラゴンがたった一人の手によって両断されていた。
「邪魔」
音もなく剣を鞘に戻したのは、白銀の髪を揺らした若い女性剣士だった。
剣聖アスカ。
【銀狼】の二つ名で呼ばれる最上位ブラックランクの冒険者だ。
「もう、師匠が近道しようとか言うから、山中で迷っちゃったじゃんか」
そばにいるのは草原のような緑色の髪の少女。剣聖の弟子であるロアだった。
「おかしいな……前に来た時と景色が違う」
「季節が変われば景色だって変わるよ」
呆れて溜め息をつくロアの隣で、アスカはおもむろに空を見上げた。
「ゼノスに会いに来ただけなのに、なんでこんなことになってるんだろう」
さっきから空を無数の小型ドラゴンが飛び交っている。目障りなものは全て斬り伏せているが、それでも後から後から沸いてくるのでキリがない。
それよりももっと大きな問題は、視界の遥か先、王都の中心部たる王宮にいる巨大な竜だ。
ロアが自らの肩を抱いて、ぶるっと身を震わせた。
「ここにいても足がすくむ……師匠、あれはなに?」
「わからない。でも、ザグラス地方で倒したS級魔獣よりずっと強いと思う」
「ダークグリフォンより? 師匠なら勝てる?」
「なんとなくだけど……まだ完全体じゃない気がする。もし、完全体になったら勝てないと思う」
「ええっ」
次の瞬間、背後の繁みに小型ドラゴンが飛来、咆哮しながら飛び掛かってきた。
だが、剣の鞘に伸ばしかけた手をアスカは止める。
ドラゴンの更に背後で風切り音がして、魔物の胴体が激しく燃えながら二つに分かれたからだ。
後ろから姿を現したのは、深紅の髪に、文様の刻まれた大振りな剣を持った女だった。彼女のそばには藍色の髪を後ろで一つにくくった女がいる。
「もう、メリッサ軍隊長が山から行こうなんて言うから迷ったじゃないですかっ。なんか変な魔物がいっぱいるし」
「仕方ないだろう、グレース。遠征途中で無理やり方向転換したから、妙なルートになってしまった。嫌なら来なければよかったじゃないか」
「私だって彼に会いたいですからっ」
「しかし、あの化け物は一体なんなんだ。王都防衛軍は何をやっているのだ」
北部戦線の英雄メリッサ・タークと従軍治癒師のグレース。
剣聖アスカ・フェリックスとその弟子ロア。
かつてゼノスと関わった四人が山中で邂逅する。
アスカは瞳をわずかに細めてメリッサを眺めた。
「……あなた強いね。何者?」
「ただの軍人さ。そっちこそとてつもない強さだな。佇まいだけでわかるぞ」
「なんせ師匠は剣聖だからね」
ロアが得意げに鼻をこすると、メリッサは驚いた様子で言った。
「ほう、貴公が噂の【銀狼】か。王国随一の剣士がこんなところで何を?」
「恩人に会いに来たんだけど、道に迷ったの」
「奇遇だな。我々も恩人に会いに来て道に迷ったところだ」
「お互い迷ってるなら何も解決しないわね。もう、どうするのよ」
グレースが肩をすくめると、アスカとメリッサは顔を見合わせて頷いた。
「でも……どこを目指せばいいかわかった気がする」
「ああ、私もだ」
「え、どこなの、師匠」
「私にも教えて、軍隊長」
剣聖アスカと北の英雄メリッサ、二人の視線は黒煙と炎が渦を巻いて天に昇っている王宮東部、巨竜が降りたつ塔に向かっていた。
「私の恩人は、なぜかいつも一番困難な場面の中心にいるの。本人は望んでないみたいだけど」
「奇遇だな。私の恩人もそうなんだ」
二人は軽く笑うと、襲い掛かる小型ドラゴンを蹴散らしながら、ロアとグレースを伴って山中を駆け出した。
「あの塔を、目指そう!」