第308話 それぞれの戦い【前】
前回のあらすじ)魔竜王が与えた力を取り返そうと、聖女に迫る――
王宮。
魔竜王の《竜の息吹》で聖女の塔は半壊し、庭に駆け出していったフィガロ第二王子が瓦礫に飲まれたように見えた。ただ、そこら中に重たい瓦礫が散らばっている上に、巨大ドラゴンの配下と思われる小型ドラゴンが周囲をうろついており、とても助けに行ける状況ではない。
「あの化け物の復活のために王国を守ってきた……どういうことだ?」
ギース卿は漆黒のドラゴンが放った言葉に混乱している。
アルバートはその姿を横目で眺めた。
「僕も正確にはわかりませんが……あの竜は【聖園】から現れた。もしかしたら、僕達は長年に渡ってとんでもない間違いをおかしていたのかもしれません」
「とんでもない間違い?」
「いずれにせよ、あの竜は聖女様を狙っているようです。このまま聖女様があれの手に落ちれば最悪の事態が起こる……そんな気がします」
「おお、アルティミシア様……フィガロ王子……なんということだ」
反対側の隣では、常に温厚なフェンネル卿がさすがに困惑を隠せないでいる。
アルバートは皆に早口で尋ねた。
「なにか打開策がある者は?」
「……」
誰も言葉を発さない。頭を抱えたフェンネル卿が唯一弱弱しく口を開いた。
「……私は思いつきません。次期ベイクラッド卿、あなたは?」
アルバートは力なく首を横に振り、黒煙が噴き上がる王都に目を向ける。
「残念ながら……近衛師団も、王都防衛軍も、腕利きの冒険者たちも、この状況では持ち場を守るのに精いっぱいでしょう」
その言葉に、七大貴族たちの間に絶望が広がる。
「ですが、僕はまだ希望を捨てていませんよ」
「希望が……あるのですか?」
「まだ、たった一つ……たった一つだけ、希望があります」
アルバートは聖女の塔を見上げ、自らに言い聞かせるようにそう口にした。
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貴族特区にある貴族の子女が通うレーデルシア学園でも混乱は顕著だった。
警護の近衛師団が校庭で複数の小型ドラゴンに応戦している間、生徒たちは校舎に身を寄せていた。ただ、恐怖のあまりあちこちからすすり泣きのような声が聞こえる。
「静かにしなさい。上流階級の子女ならみっともなく騒ぐものではありません」
そんな生徒達を先頭で落ち着かせているのは、明るい栗色の巻き毛の少女だった。
シャルロッテ・フェンネルはFクラスの学友に矢継ぎ早に声をかける。
「イリア、あなたは怪我人の治療をお願い」
「は、はい、シャルロッテ様」
「ライアン、エレノア。混乱している生徒をなだめて」
「おう」
「わかったわ」
膝を抱えた生徒の一人が、泣きそうな顔でシャルロッテに問う。
「あのドラゴンに私たちはいつ襲われるかわかりません。どうしてシャルロッテ様は、そんなに落ち着いていられるのですか?」
「私を誰だと思っているの。このくらいの危機で動じる訳がないでしょう」
嘘である。さっきから足の震えが止まらない。今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
でも、それでもなんとか耐えているのは、一人の男の姿が脳裡にあるからだ。
数か月前、自分達の教師としてやってきた男は、大勢の生徒から敵対視されながら、いつの間にか皆を救い、生徒達の信頼を得て、そして去っていった。
だが、彼は今地下牢に囚われていると聞いた。
面会依頼を出したが、王族の指示だったため許可は降りなかった。
だから、この状況であの男が助けに来てくれるとは思えない。
でも、それでも。
あの飄々とした笑顔で、またみんなを救ってくれるんじゃないか。
そんな気がするのだ。
シャルロッテは涙が零れそうな目の端を拭い、唇を噛んで王宮を見上げた。
「だから、それまでみっともない真似なんてできないわ」
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「さあ、あなたはこっちです。あなたは左にっ!」
貴族特区に位置する王立治療院。治癒師たちの聖地であり、癒しの中枢でもある施設は、全ての門を開き、街中で発生する怪我人たちを受け入れていた。
先頭に立って、怪我人の誘導を行っているのは特級治癒師のベッカーだ。
「ベッカー先生、私たちはどうしたらいいですかっ」
眼鏡をかけた青い髪の少女と、褐色の前髪がカールした青年がベッカーに話しかける。
「ウミン、クレソン。重傷でここまでこられない患者も多くいるでしょう。二人は街区の王立治療院出張所への応援をお願いします」
「はいっ」
「わかったぜ!」
中級治癒師の二人は同時に街へと駆け出した。
王都のあちこちで小型ドラゴンが暴れており、悲鳴が間断なく夕焼け空に轟いている。
「勝手に門を開いて、身分関係なく怪我人を受け入れるなんて、後で怒られても知らないよ」
奮闘するベッカーの背後から、小柄な少年が近づいてきた。
橙色の髪をおかっぱにしており、黙って立っていれば少女のようにも見える。
ベッカーは軽く後ろを振り返って言った。
「彼ならきっとそうするだろうと思いましてね」
「彼……?」
「私が憧れている治癒師ですよ」
「へえ、ベッカーさんにも憧れの治癒師なんているんだ」
「まあ、色々世話になりましたから。ところで君も是非手伝ってくれるとありがたいのですがね。最年少特級治癒師のジョゼ・ヘイワース君」
ジョゼと呼ばれた少年は、肩をすくめて答える。
「元からそのつもりで来たんだけどね」
「ほう、治療嫌いのあなたがどういう風の吹き回しですか?」
ベッカーが少し驚いて言うと、ジョゼは両手に魔力を込めながら応じた。
「腹立たしいけどさ。僕も影響を受けた治癒師ってのがいるんだよね」