第307話 凶星、来たる【後】
前回のあらすじ)魔竜王の配下たちが王都のあちこちを襲い始めた。一方、魔竜王の本体は聖女を探し――
「なんだ、あれは……」
「フィガロ殿下、早くお逃げ下さいっ!」
その頃、王宮の会議室に集まっていたフィガロ第二王子と、七大貴族たちの間にも大きな動揺が広がっていた。
【聖園】から突如姿を現した漆黒のドラゴンは、闇を煮詰めたような黒い翼をはためかせて、王宮のすぐそばまで近づいている。王都のあちこちにはその配下とみられる小型ドラゴンが次々と襲来し、人々を混乱の極致に陥れていた。
「ギース卿、王都防衛軍の手配を急いでください。僕は王立治療院と特級治癒師への応援要請に動きます」
「あ、ああ」
てきぱきと指示を飛ばすベイクラッド家次期当主アルバート・ベイクラッドを横目に、フィガロは会議室を飛び出した。
しばらく前から話が出ていた【最重症】の凶星。
「あれがその元凶なのか?」
「フィガロ殿下っ!」
「邪魔だっ!」
制止に入る衛兵を突き飛ばし、フィガロは王宮の庭を駆けながら叫ぶ。
「なぜだ、なぜっ!」
聖女アルティミシアは王宮に戻った。王国の繁栄は約束されていたはずだ。それがなぜ神域とされる【聖園】から悪魔が現れるのか。
――見つけたぞ、聖女。我が欠片よ。
フィガロの思惑をよそに、大気の震えとともに巨大竜の言葉が王都中に響き渡った。
濁った血のような赤い瞳の先には、聖女の塔がある。
夕陽を背に、がぱぁっと巨大竜の口が開き、そして――
――竜の息吹。
真っ黒な炎が喉奥から放射された。
「うお、あっ」
強風が吹き荒れ、立っていられない。気づいた時には、空ごと焼き尽くすような熱波が厳重な結界で守られているはずの塔の上半分を吹き飛ばしていた。
「アルティ――」
フィガロが妹の名を言い切る前に、降り注ぐ瓦礫が視界を塞ぐ。
鈍い衝撃が走ったと思ったら、脇腹の上に先端の尖った岩が突き刺さっていた。
ぬるりとした感触を覚え、右手を持ち上げると、真っ赤な血で濡れている。
「血……? 余が出血だと……?」
漆黒の竜は、上半分が消えた塔の端へとゆっくりと降り立った。
下からではわかりにくいが、おそらくちょうど祭壇のフロアだ。祈祷用の衣装に着替えたアルティミシアの姿が、半壊した塔の亀裂からちらりと見えた。
「なぜだ……我が国は、加護に守られているはず……」
苦しげに呻くフィガロを嘲笑うかのように、巨大竜の言葉が大気を震わせる。
――加護? それは加護でもなんでもない、我が神通力。お前達が加護と呼ぶ力は、元々我が貸し与えたものだ。
「……っ!」
フィガロの黄金色の瞳が大きく見開かれる。
漆黒のドラゴンは、愉快でたまらないという感じで続きの言葉を口にした。
――よくぞ長い間、王国を守ってくれた。我の復活のためにな。
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「聖女の力は、魔竜王が与えたもの? どういうことだ?」
惨劇の王都から遥か南の地下鉱脈。ようやく準備が整い、転移魔法陣に全ての囚人が乗り込んだ時、そういえば――とカーミラがゼノスに魔竜王復活の背景を語り始めたのだった。
「大昔に南方大陸で魔王に敗れた魔竜王ガルハムートは、必死の思いでこの大陸まで逃げてきて、地中に身をうずめて回復を待っていた、という話はしたな」
「ああ、キャンプの怪談の時に聞いたぞ」
人魔戦争という百年の混乱がようやく終わりを告げ、大陸では様々な国家が勃興、時代は人間同士の覇権の奪い合いへと変化していった。その間も魔竜王はじっと地の底で回復に努めていたとカーミラは言う。
「じゃが、おそらく魔王に受けた傷が想像以上に深く、回復するどころかむしろ少しずつ朽ちていく状態じゃったと考えられる」
「なんでわかるんだ?」
「でなければ力を人間に与える必要はないからのう。おそらく魔王から呪いを受けたのじゃろう。王家の者が加護と呼ぶあの再生の神通力を使えないように」
このままではいつか朽ち果ててしまう。
魔竜王ガルハムートはそこで一計を案じたのだ。
自分自身が再生の力を使えないなら、人間に自らの神通力の一部を貸し与え、その人間によって自らの傷を治癒してもらおうと。
「……」
ゼノス、リリ、アストン、【白虎】は無言で顔を見合わせる。
足元では大量の魔石から流れ込む魔力が、転移魔法陣を青白く縁取り始めた。
「ハーゼス王国の初代王が現王都のそばを通りかかった時に、まるで天の啓示のように言葉をかけたのじゃろう。ここに王国を築け、代わりに天の力を与えよう、と」
まさか相手が魔竜の王とは思っていなかったであろう初代王は、それを神の声と考え、ハーゼス王国を建国した。【聖園】と呼ばれるあの山でガルハムートの力を貰い受けた初代王の妻が、最初の聖女となり、再生と予言の力で王国は規模を拡大していった。
「ガルハムートが人間に神通力を与え、建国を指示した理由は二つじゃ。一つはさっきも言ったが、聖女に祈祷という形をとらせて自らが眠る【聖園】に向けて毎日加護――自分が与えた再生の力を降り注いでもらうこと。もう一つは安定した強固な国家を築くことで、寝床の安全を確保し、魔王の呪いが解けるまでの時間を稼ぐこと」
「聖女の祈祷は、ガルハムートの傷を癒やすため……」
「勿論、本人たちは国家全体に加護を振りまいていると信じておっただろうがの。ただ、加護の力はガルハムートから与えられた神通力じゃ。魔竜王の魔力の片鱗を含んでいるならば、実際に魔獣を中心とした外敵を牽制する効果はあったと思うがの」
確かに過去に伝染病や災害が起きた話は聞くが、小型魔獣はともかく凶悪な魔獣が王都の中心部に侵入したという話は聞いたことがない。強い魔獣ほど敏感に魔竜王の魔力の残滓を感じ取っていたのかもしれない。
だとすると、よくも悪くも加護の副次的な効果はあったことになる。
初代王は自らが啓示を受けた場所を【聖園】として厳重に保護し、聖女の塔の祭壇を【聖園】に向けて力を注げるような位置に築き上げた。
結果として、魔竜王は王国によって安全に保護されながら、力を代々受け継いだ聖女によって長い時間をかけて再生の力を注がれ、復活に至ったということになる。
「ま、待てよ。じゃあなにか? この国自体がそもそも魔竜王ってやつの復活のために造られたってことかよ」
驚愕するアストンに、カーミラは淡々と言った。
「初代王は神の啓示と信じて疑わなかったであろうが、結果的にはそうなるの」
「……」
一同が沈黙する中、リリが拳を握って言った。
「でも、今はみんなの居場所になってる。だから、奪われていい理由にはならないと思う」
「ああ、そうだな」
ゼノスはにこりと笑って、リリの頭を撫でる。
「結局、魔竜王が与えた力……聖女の加護ってなんなんだ?」
カーミラは以前あれは治癒魔法ではないと言っていた。
「わらわの予想では……」
一度言葉を止めて、カーミラは続きを口にした。
「時間を操る能力じゃと思う」
「時間?」
「うむ、使っている本人は意識していないと思うが、おそらく傷の再生は局所的に時間を戻しておるのじゃ。予言の力も時間を進めた未来のイメージを見通していると考えれば辻褄が合う」
「まじか? めちゃくちゃだな……」
時間を操る力。魔竜王の能力は、人間の想像を遥かに超えている。
足元に魔力の光が満ち、ゆっくりと回転し始める中、カーミラは言った。
「ガルハムートが復活したということは、時間を操る能力を制限していた魔王の呪いが遂に時効を迎えたということじゃ。人間の器が使っている間はせいぜい傷を元に戻したり、断片的な未来を見る程度のことしかできぬが、ガルハムートがその力を全て取り戻せば手がつけられなくなる」
「どうなったら力が戻るんだ?」
何気なく尋ねると、カーミラはもう一度沈黙した後、こう続けた。
「聖女を、食うことじゃ」