第306話 凶星、来たる【中】
前回のあらすじ)魔竜王ガルハムートが復活した。その鱗がはがれ、竜の形となって王都に飛来していく――
「撃て撃てぇっ」
「オークは盾を使えっ。他は動いて攪乱するんだっ」
近衛師団本部の一階では、近衛師団と貧民街の亜人たちによる激しい攻防が繰り広げられていた。
怒号が飛び交い、爆撃音が絶え間なく鳴り響く中、シーガルは唇を噛んで叫ぶ。
「くそっ、こんなことは前代未聞だっ」
階級制の王国では、利権は王族や貴族に集中している。そこで市民の不満の矛先として貧民を用意。敢えて多種族を貧民に落とすことで、縄張り争いをさせ、不満を互いの敵対種族に向けさせるというのが基本的な考えだった。
実際、貧民街も少し前までは種族間の血で血を洗う抗争が頻発していたはずだ。
それが今はたった一人の人物のために一致団結して、近衛師団本部を占拠している。
「一体なんなんだ、あの男はっ」
振り下ろしたサーベルが、ゾフィアというリザードマンの頭領のナイフで受け止められた。
「救世主さ。あたしたちのね」
「なんだとぉっ」
火花が散って、二人は距離を取る。直後に部下が叫んだ。
「シーガル様、あれは一体っ」
「なんだ……?」
皆の視線は一階ホールの高窓に向いている。そこに無数の黒い点が見えた。
点は空中でばらけていき、そのうち幾つかが次第に近づいてくる。それは獰猛な蜥蜴のような顔をしていた。赤い瞳に全身と同じ黒い羽根。鋭い鍵爪が夕陽を鈍く反射している。
「ドラゴンっ⁉」
声を出した瞬間、それが壁をぶち破ってホールに突進してきた。
「ぬ、ぐっ!」
飛んできた瓦礫が、シーガルの膝を直撃し、そのまま倒れ込む。
「ド、ドラゴンだぁぁっ!」
「な、なんでっ⁉」
「とっ、とにかく撃退しろぉぉっ」
ホールに降り立ったのは、大人の二倍ほどのサイズの黒いドラゴンだ。
ドラゴンとしては小さなほうだがそれでも一切の油断はできない。
「な、なんだ……」
シーガルは茫然とした顔でつぶやく。
崩れ落ちた壁から、王都のあちこちに黒いドラゴンたちが襲来している様が見て取れる。
王宮、貴族特区、街区、貧民街。どこにも平等に、黒い死神たちが散っていき、各地で悲鳴のようなものが響いている。
いや、問題は更に別のところにあった。
行政区にある近衛師団本部からは、王都東部にある【聖園】と呼ばれる聖域を一部眺めることができる。その小山の中腹から、巨大な漆黒の翼が突き出していた。それがゆっくりと羽ばたいたと思ったら小山が徐々に浮き上がっていった。
瓦礫がばらばらと崩れ落ちていき、次第にその姿が明らかになっていく。
現れたのは見上げるほどの真っ黒な竜だ。不気味に輝く漆黒の鱗が、鎧のように全身を覆っている。広げた翼が陽光を遮り、王都一帯に影を落とした。その巨体からばらばらと剥がれ落ちる黒い鱗が小型のドラゴンになって、雨のように王都に飛来している。
この世の終わり。
シーガルの脳裏に最初に浮かんだのは、その言葉だった。
すぐそばで三亜人が素早く会話を交わしている。
「あれがカーミラが言ってた魔竜王って奴かい? あの話、本当だったんだね」
「だいぶ厄介。思ったより早く復活したとリンガは思う」
「でかい蜥蜴だ。焼いても美味くなさそうだな」
「くっ」
シーガルはそばの亜人を撃退しようと魔法銃に手をかけようとしたが、瓦礫の直撃を受けた際に手放していたことに気づく。そもそも膝の痛みで立ち上がることもできない。だが、ゾフィアはシーガルを一瞥することもなく亜人たちに大声で言った。
「あんたら、目標変更だっ! まずはそばのドラゴンを片付ける。その後は街に出て黒蜥蜴どもを駆除していくよっ!」
「おおおうっ!」
一斉に応じた亜人たちは、ホールで暴れるドラゴンに飛び掛かっていく。
「おい、俺は今丸腰だ。この機会を見逃す気か」
シーガルが思わず言うと、ゾフィアは呆れ顔で肩をすくめた。
「あんた馬鹿かい? 今はもうそれどころじゃないだろ」
「あのドラゴンたちに王都を破壊されたら、ゼノス殿の帰る場所がなくなるとリンガは思う」
「その通りだ。ゼノスが戻るまで持ちこたえねばな」
亜人たちの連携により、ホールに侵入した小型ドラゴンがようやく引き倒される。
「あたしらはあたしらの居場所を守る。あんたもここが居場所なら、必死で守りなっ!」
そう言うと、ゾフィアは転移魔法陣守護のための一部の亜人のみを残し、本当に街へと駆け出して行った。
残された近衛師団員たちが呆気に取られていると、頭上から厳しい檄が飛んだ。
「何をぼうっと突っ立っているっ。貧民に後れを取る気かっ! 王都の秩序の番人は我々だぞっ。 連携して人々を脅威から守れっ!」
階段を駆け下りてくるのは副師団長のクリシュナだ。団員たちは弾かれたように背筋を伸ばし、近衛師団本部を飛び出していった。
「クリシュナ副師団長……」
シーガルは床に座り込んだまま、おそらく折れているであろう右膝を押さえて言った。
「拘束されていたはずだが……」
「もはやそれどころではありませんから」
「わからん。なんなんだ。一体何が起こっているんだ」
聖女の脱出劇があり、首謀者らしき謎の男を【井戸落ち】にしたら、亜人達が近衛師団本部を襲撃してきた。いずれも前代未聞の出来事なのに、その上この世の終わりとも思える巨大なドラゴンが【聖園】から突如現れ、ゆっくりと王都に向かってきている。
想定もしていないことが矢継ぎ早に起き、全く理解が追い付いていない。
しかし、クリシュナは動じず、床に転がった魔法銃を拾い上げ、シーガルに投げて寄越した。
「何が起こっていようが、我々がやることは一つです」
王都の秩序の維持。
「君は……あれが、なんとかできると思っているのか」
視界の先。強烈な死の香りをまとったドラゴンを眺めて、シーガルは言った。
「そうは思いませんが、立ち向かわない理由にはなりません」
「……っ」
「シーガル殿。私はかつてヒーローに憧れていました。人々のピンチに颯爽と現れて、困難を鮮やかに解決するヒーローに。しかし、本物の救世主に出会って、自分が単なるまがいものだということを知りました。それでも、本物のヒーローが来るまでの時間を稼ぐことはきっとできます」
「本物のヒーロー? そんなものがいるかっ」
シーガルは思わず吐き捨てる。
近衛師団に志願する者は多かれ少なかれヒーローに憧れている者だ。しかし、地味な書類仕事、反体制派への過剰にも思える取り締まり、どろどろした組織内政治に囚われているうちに、その瞳の輝きをいつしか失っていく。
だが、クリシュナはシーガルの顔を見つめ、かすかに笑った。
「ヒーローは、きっと来ますよ。では、お互いにご武運を」
「……」
黒煙が上がる街へと走っていったクリシュナを、シーガルは座り込んだまま見つめる。
そばに残った近衛師団兵が話しかけた。
「シーガル様。転移魔法陣はどうしましょうか。ここに残っている亜人はわずかです。今なら強硬突破できるかもしれません」
「もう……放っておけ」
シーガルは力なく首を横に振った。国家中枢が機能停止に陥りそうな状況で、もはや一介の囚人にこだわっていても仕方がない。
それよりも割れた高窓から、第二陣の小型ドラゴンが再びここに近づいてきているのが見える。
シーガルは魔法銃を握りしめ、痛みに耐えて立ち上がった。
「本物のヒーローか……そんなのがいるなら、さっさと出て来いっ……」