第305話 凶星、来たる【前】
前回のあらすじ)魔法陣を守るために亜人たちが奮闘している
「よぉし、そっちに運べ!」
「慎重に下ろせよ」
「次だ。行くぞ」
「うおおおっ!」
その頃、王国南端部の地下鉱脈では活気に満ちた掛け声とともに、急ピッチで魔石採掘が進められていた。転移魔法陣のあるホールのような場所に、次々と魔石が積み上げられていく。
【白虎】がぐるぐると肩をまわしながら、ゼノスに話しかけた。
「これほどの速さで採掘が進むのは、きさんが皆の治療をして、採掘場のアンデッドを軒並み片付けてくれたおかげじゃ。本当に恩に着る」
「いや、助かってるのは俺のほうだよ」
脱出の可能性を伝えることで、【白虎】の派閥は勿論、囚人全員が一致団結して魔石採掘に協力してくれている。おかげで魔力の原資となる魔石集めは早くも目標の半分を超えた。
「はい、休憩の人はこっちに並んでね」
広間の端で、一部の魔石と交換で手に入れた食糧を調理しているのはリリだ。削り出した岩塩で味付けした温かなスープが全身に染みわたり、囚人たちの疲れを癒している。
「う、うめえっ」
「芯まで染みるぜ」
「地下でこんなうまいもん食ったのは初めてだ」
囚人たちは涙を流してスープをすすり、ゼノスの元へとやってくる。
「ボス、本当にありがとうございますっ」
「全部ボスのおかげですっ」
「だから、ボスじゃないって……」
ゼノスが手を振ると、【白虎】がからからと笑った。
「もう諦めろ。きさん以外の誰がボスだというじゃ」
「柄じゃないんだがな……」
ぼりぼりと頭を掻く。魔石を抱えてそばを通りかかったアストンが吐き捨てるように言った。
「道を示せる者が他者を率いる。それがこの世の摂理だ。いい加減受け入れやがれ」
「アストン……」
「【黄金の不死鳥】も、てめえが率いてりゃ、あんなことにはならなかったかもしれねえな」
「なんか言ったか?」
「なんでもねえよっ」
元パーティリーダーは大股でその場を歩き去っていく。ゼノスは広間の中央に位置する巨大魔法陣をふよふよと移動しているカーミラに目を向けた。
「どうだ、カーミラ? 転移魔法陣の改変はできそうか?」
「古いものじゃが、ずっと地下にあったおかげであまり劣化しておらん。思ったより早くできるかもしれんの。己の才能が怖いわ」
「息を吸うように自画自賛するよな」
「くくく……なんせわらわは大陸一の――」
そこでカーミラはふいに言葉を止めた。
驚いたように両目を見開いて、一点に視線を向ける。
「どうした?」
「……まずいな。思ったより早いのはわらわたちだけではなかった」
「え?」
ゼノスが眉をひそめると、カーミラは噛み締めるように言葉を漏らした。
「奴が……魔竜王ガルハムートが、今はっきりと目覚めた」
+++
その時間、王宮の東部にある聖女の塔ではアルティミシアが祭壇室に足を踏み入れていた。
行政区の近衛師団本部でたった今起きている混乱のことは当然知らされていない。
この場所にあるのは、地上から切り離された静寂だけだ。
しかし、アルティミシアは思わず息を呑んで足を止めた。
「え、これって……」
空に浮かんで見える凶星が、更に大きさを増し、禍々しく輝いている。
何とも言えない嫌な予感が、背筋を渡っていくのを感じる。
歴代の聖女は百年以上に渡って、この場所から見下ろせる【聖園】に向かって加護を振りまいてきた。それが国家全体に行き渡り、国を守るだろうという言い伝えに従ってのことだ。
これまでも他国との小競り合いや、悲劇的な出来事というのはあったが、王国全体を足元から揺るがすような凶事には幸い見舞われていない。それも聖女の加護のおかげだと国家上層部は考えている。
だが、今回の【最重症】を示す凶星については、全く消える気配がない。
むしろ、今にも破裂しそうな風船のように膨らんでいる。
ごくりと喉を鳴らして、アルティミシアは祭壇のいつもの位置から下界を見下ろした。
そして、妙なことに気づいた。
「なに、あれ?」
視線の先にある、初代王が天の啓示を聞いたとされる【聖園】は、頂上に祠が祭っているだけの、一見何の変哲もない小高い山だ。
年中青々とした木々が繁る山の中腹部から、黒い何かが天に向かって突き出しているように見える。
夕陽をてらてらと不気味に反射するそれは、小山そのものにも匹敵する巨大な漆黒の翼だ。
鳥たちが少しでも地上から離れようと一斉に空へと飛び立っていく。
――あぁ、長かった。
結界に閉ざされたこの塔の中にも、低く唸るような大気の震えが届いた。
――探せ、我が眷属よ。
声は王都中の空気を激しく波立たせながら、こう続いた。
――我が最後の欠片――聖女を。
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「ああ……間に合わなかったか」
【聖園】を遠く望む丘の上で、【案内人】は小さく呻いた。
魔竜王ガルハムートは、今目覚めた。
魔王の呪いが遂に時効を迎え、悠久の傷が癒えたのだろう。
小山の中腹から突き出した二本の巨大な翼から、ばらばらと漆黒の鱗が剥がれ落ち、それらが竜の形となって王都へと飛来していく。
「唯一の希望は、まだ復活したばかりということだね」
おそらくまだ本調子ではない。まずは探して手に入れようとするはずだ。
復活の最後の鍵となる存在――聖女を。
「全てはこの王国の建国の時に始まっていた……あれが完全体に戻れば、世界に夜が来る」
【案内人】はおもむろに頭のフードを下ろし、王都に視線を向けた。
「試される時だよ。人間たち」