第303話 脱出作戦【前】
前回のあらすじ)地下鉱脈にリリとカーミラがやってきた。同時に王都では魔竜王が復活の産声を上げ――
王都の最も高所に位置する白亜の王宮。その一室にウェーブのかかった金髪の男の姿があった。
仮面のように表情に乏しいその男に、従者が両膝をついて一枚の紙を差し出ている。
「フィガロ殿下。新たな【井戸落ち】のリストです」
【井戸落ち】は体制側に逆らう者に与えられる罰で、王都の転移魔法陣から王国南端部の地下深くに封じられたアンデッドだらけの鉱脈に送られる。
いまだかつて生還者のいない罰として、それを知る者からはひどく怖れられていた。
フィガロは紙面に軽く目を滑らせる。
「……貧民? エルフの女か」
申し立てはベイクラッド家だ。
「七大貴族筆頭からの申し立てとは何をやった」
「ベイクラッド家三男への暗殺を企てたとのことで……エルフというのは穏やかのようでいて油断のならない種族ですからね」
「……まあよい。よきにはからえ」
「はっ」
従者が下がり、フィガロは窓辺へと移動する。
将来的な国家転覆の危機に繋がる反体制派が相手になるため、【井戸落ち】対象者については王家にも報告が来るようになっている。
だが、正直なところ大した興味はなかった。妹である聖女アルティミシアさえこの手に戻れば、王家の繁栄は約束されたようなものなのだから。
「……」
天に向かって聳える聖女の塔を、フィガロは窓から無表情に見つめる。
歴代の聖女は生涯を通じて、あの場所で予言を授かり、王国の繁栄のための祈祷を行う。それが初代王が【聖園】で受けた神託だ。建国の祖の妻が最初の聖女と認定されて以降、外敵の侵入が拒まれ、王国が発展を遂げたのは聖女の加護によるものだと王家の者は信じている。
聖女の加護を国家全体ではなく、個人に与えれば驚異的な回復を発現することもできる。識者の分析でもその不可思議な治癒力を再現することはできなかったが、それが一層聖女の神性を高めることになった。
「お前はお前の居場所で役目を果たせ」
フィガロは聖女の塔を眺めて無機質に言った。
陽光を鈍く照り返すその姿は、まるで巨大な墓標のようにも見えた。
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「リリが国家の反乱分子として【井戸落ち】した?」
その頃、井戸の奥では、転移魔法陣から現れたリリとカーミラの話を、ゼノスたちは驚きをもって聞き終えていた。
「なんでそんなことになったんだ?」
「勿論実際に何かをした訳ではない。そういうことにして貴様と会えるようにした訳じゃ」
「ええと……」
カーミラの回答に、ゼノスが頭を抱えていると、リリが話を引き取った。
「色々経緯があって、まずはゼノスと面会できないか、えらい人に相談しようってことになったんだ。クリシュナさんが貴族学園に行ってシャルロッテさんに事情を説明したの」
「シャルロッテが?」
七大貴族フェンネル卿の一人娘だ。かつて顔の腫瘍の治療をしたことで知り合い、その後貴族学園で教師役をやった時も生徒として絡みがあった。
「シャルロッテさんがすぐに動いてくれて、面会希望を出すまではうまくいったんだけど、直前になってゼノスの【井戸落ち】は王族が決めたことだから七大貴族でも許可が降りないことになって……」
「なるほど……」
「で、今度は私がルーベル君に会いに行ってお願いしたの。で、ルーベル君からお兄さんのアルバートさんに相談してもらったんだ」
ルーベルというのは、七大貴族筆頭ベイクラッド家の三男だ。
先月リリと一緒に戦場で敵の傭兵団に幽閉され、そこで二人の絆が強まった経緯がある。
「アルバート・ベイクラッドが動いてくれたのか?」
「私は直接会った訳じゃないけど、前向きに考えてくれたみたいだよ。ゼノスは地下牢獄にいるより、地上にいてくれたほうが王都が面白くなるだろうって」
相変わらず何を考えているのかわかりにくい男だ。
「でも、王族が決めたゼノスの【井戸落ち】自体を覆すのは無理だから、七大貴族に反乱したことにしてゼノスの協力者を井戸に送りこむことことになったんだ。それでベイクラッド家の指示でクリシュナさんが私を不敬罪として捕まえてここに送って」
「ちょちょちょ、ちょっと待てよっ」
会話に入ってきたのはアストンだ。
半ば青ざめた顔で唇を震わせている。
「だ、誰かが助けるにくるだろうとは言ったがよ。なんで七大貴族の二家もがお前に協力しようと動くんだよ。まじでお前なんなんだよ、ゼノスっ」
「俺はただの治癒師だよ」
「んな訳ねえだろうがっ。しかも、なんでアンデッドの頂点のレイスと普通に話してんだよ」
「こいつはいいレイスなんだ」
「そんなレイスがいるかぁぁっ!」
リリは、そこでようやくアストンの存在に気づいた様子だ。
「あれ? もしかしてゼノスをパーティから追放したうるさいおじさん?」
「おじさんじゃねえっ!」
「なんだか賑やかになりよったわ」
【白虎】が愉快そうに一同を見渡した。
ゼノスは額に手を当ててカーミラに目をやる。
「そこまではわかったよ。でも、こんな場所にリリが来るなんて――」
「わらわもそう言ったんじゃがのう。最初は亜人の誰かを送る予定じゃったが、リリがどうしてもときかなくての」
カーミラが肩をすくめる隣で、リリは真っ直ぐな瞳でゼノスを見上げた。
「ゼノスはいつもリリを助けてくれた。奴隷商から助けてくれて、命を救ってくれて、居場所を与えてくれて、戦場まで迎えに来てくれた。だから、絶対にリリがゼノスを助けに行きたいって思ったんだ」
「リリ……」
ゼノスは吐息を漏らした後、笑みを浮かべ、リリの頭を撫でた。
「そうか。色々動いてくれてありがとうな。リリに会えて元気が出たよ」
「うんっ」
「貴様が【井戸落ち】になってから、リリは寝込んでおったんじゃが、会えるとわかって急に元気になりよったわ」
「も、もうカーミラさんっ」
照れるリリの頭をもう一回撫でて、ゼノスは言った。
「それで魔竜王の復活っていうのはなんなんだ?」
カーミラがここに来た時に口にした話だ。
確か魔竜王という存在はキャンプの怪談で聞いた気がする。
「うむ。大昔に魔王に敗れ、この大陸に流れ着いたという魔竜じゃな。わらわも単なるおとぎ話だと思っていたが、どうやら事実のようでの」
カーミラは珍しく神妙な顔で言った。
「おそらく復活まで十日もないじゃろう」
「十日? 随分急な話だな」
「わらわたちにとっては急じゃが、魔竜王ガルハムートはずっと前から準備していたということじゃろう。それこそこの王国の始まりの頃からな」
「王国の始まりの頃?」
「長くなるのでその話はまた後じゃ」
「わかった。ちなみに復活したらやばいのか?」
「やばい。全盛期の状態なら王都は滅ぶ。貧民街も当然滅ぶ。そもそも王国どころか大陸の特大危機じゃ」
「そうか……お前が言うならそうなんだろうな」
アルが口にしていた【最重症】の凶星。
ここ最近を思い返しても、辺境でS級魔獣が復活したり、北のマラヴァール帝国が怪しい動きを見せていたりとそれらしい兆候が現れては消えていたが、凶星が示していたのはおそらく魔竜王の復活だったということか。
「なんかやべえことはわかったがよ。それならむしろ地下にいた方が安全ってこたぁねえのか」
アストンの問いを、カーミラは鼻で笑う。
「魔竜が王国を破壊してまわる際の衝撃で、生き埋めになる未来が待っているだけじゃ」
「だろうと思ったよ、ちくしょうっ」
アストンが大袈裟な身振りで地団駄を踏んだ。
「だが、早くここを出るって言ってたけどよ。そもそもどうやって出るつもりなんだよ?」
地上に向けて穴を掘るのは時間もかかるし、坑道が崩落するリスクも高い。
【白虎】の話だとそもそも地下鉱脈全体に結界が施されているらしい。
しかし、カーミラは切れ長の瞳でアストンを睨んで言った。
「さっきからごちゃごちゃうるさいのう。呪うぞ」
「怖えっ、怖えじゃねえか、ゼノスっ。何がいいレイスだっ」
「まあまあ、冗談好きなレイスなんだ」
「全然冗談に聞こえねぇぇ」
カーミラはアストンを無視して話を進める。
「地上に向かう以外にも、まだもう一つ道が残っているではないか」
「道?」
「これじゃよ」
カーミラは足元の巨大魔法陣を指さす。
「え? これって一方通行の転移魔法陣じゃないのか?」
「うむ、これを無理やり逆回転させる」
「え? そんなことできるの?」
「無論、普通は無理じゃが、特定の条件が三つ揃えばおそらく可能じゃ」
白い指を一本たてて、カーミラは言った。
「一つ目は莫大な魔力じゃ。摂理に抗おうとしている訳じゃから、大魔導師五十人でも到底賄えないような大量の魔力を注ぎ込まねばならん。だが、幸いここは魔石採掘場。魔力の源となる魔石は山ほどある。違うか?」
「出られる、のかっ」
【白虎】がぶるっと身を震わせる。
「ゼノス、きさんへの恩返しだ。囚人を総動員して魔石を集めよう。そして、オイの未練も――」
感極まっている【白虎】を横目で眺め、カーミラは二本目の指を立てた。
「二つ目は魔法陣自体の改変じゃ。陣の魔法理論を再構築して転移の位相を真逆にする。ゼロから作るのは困難じゃが、修正であれば一週間あればなんとかなるじゃろう」
「なんか普通に難しそうだけど、できるのか?」
「くくく……現代の魔導師には難しいじゃろうがの。三百年前は人魔戦争で南方大陸への移動を含め、転移魔法陣が一気に発達した時期じゃからな。あの時代に大陸最強の賢者と呼ばれたわらわに不可能はない」
「大陸最強の賢者? 本当か?」
「嘘じゃ」
「嘘かよっ!」
「というのも嘘じゃ」
「え、ちょっと待って、どういうこと?」
カーミラは何食わぬ顔で三本目の指を立てる。
「三つ目は囚人たちが井戸に送られる時に使われた近衛師団本部の転移魔法陣の守護じゃ。今回はあっちを出口側の魔法陣としても使えるように、ここに来る時にちょっとした改変を施しておる。が、それに気づかれて陣を修正されるとどうしようもなくなる」
「ん? それって結構まずいんじゃないか? 定期的に魔法陣の管理をしてたら気づかれるだろ」
地下側での十分な魔石の確保と、転移魔法陣の改変に約一週間かかるとして、その間全く気づかれないとは考えにくい。
カーミラはその通りという風に頷いた。
「幾つか手は打っているが、そこが今回の肝じゃ。この地下からはもはや手は及ばぬ。うまくいくように信じるしかないの」
「軽く言うけど、失敗したら二度と出られないんだろ」
「信じられぬか?」
「……」
ゼノスはこんな地中まで会いにやってきてくれたリリとカーミラを見つめる。
そして、目を閉じれば、これまでに関わった多くの人々の顔が浮かんできた。
ゆっくりと瞳を開き、ゼノスは自身の頬を両手で軽く叩いて言った。
「いや、信じるよ。俺達は腹を括って、ここでできることをやろう」