第302話 地下鉱脈の主【4】
前回のあらすじ)ゼノスは地下鉱脈の主の治療をした
「なんと……きさんは【獣王】の知り合いか」
木の根を集めて作った寝床に横たわりながら、【白虎】は驚いた様子で言った。
【獣王】は地下ギルド潜入時に知り合った最古参の大幹部の一人だ。
「ああ。あんたも知り合いなのか?」
「激しく縄張り争いをしていたこともあったが、あやつは仁義に厚い芯の通った男でな。似た者同士じゃということがわかった。和解してからは、オイたちの関係は悪くなかった。あやつは元気か? 生き別れた娘のことを随分と心配しておった」
「ああ、元気だよ」
ピスタという名の情報屋をやっている娘にも会うことができた。
「そうか……それはよかった」
「あんたはどうしてここに?」
「地下ギルドの大幹部をしていると、権力者が接触してくることがある。奴らにも激しい縄張り争いがあるようで、表沙汰にできない裏仕事の担い手を探しておる訳じゃ」
資金源として一時期協力しようとしたこともあったが、やはり誰かの子飼いになるのは性に合わずに断ったところ、恨みをかい、罠にはまって地下鉱脈に落とされたという。
「で、今はここでボスをやってるって訳か」
「結果的に、じゃがな」
【白虎】がここに来た時は、採掘した魔石や食糧の奪い合いが横行していた。グループ同士の抗争も激化しており、その結果、死体がどんどん増えてアンデッドが増産される悪循環が起こっていたという。
「無法地帯を変えるには、誰かが秩序を作る必要があったんじゃ」
そこで【白虎】が全員に力を示し、一つの大きな派閥を作り、ボスとして君臨した。
派閥に属していれば働きに応じて食糧を分配する。秩序を故意に乱し、無用な混乱を持ち込む者がいれば、やむなく粛清してきた。
「オイと同じように権力者に立てついたという理由だけでここに送られた者たちが不憫でな。なんとか秩序を守ろうと思っていたが、オイも年じゃ。身体を壊して満足に動けぬ。囚人はますます増え、もはや細部まで管理が行き届かなくなっていた」
その結果、最初に絡んできたような男たちも増えてきているという。
「だから、正直オイはもう死んでもいいと思っておった。かつて一緒にここに送られた部下共もほとんど死んでしまったし、ただ真っ暗な地下で魔石を掘り続け、食糧に変え、生き延びるだけの日々に疲れた。ここは生き地獄というのに相応しい」
【白虎】は腹を撫でて、薄く微笑んだ。
「しかし……きさんのおかげで生き長らえてしまったな。こんな凄腕のヒーラーがいるとは、長生きはしてみるものじゃ。ぎはは」
ゆっくりと身体を起こし、【白虎】は言った。
「死は怖くはなかったが、一つだけ未練があった。だから、こうなった以上はもう少し生きてみようと思う。礼を言うぞ。闇ヒーラー、ゼノス」
「未練?」
「あぁ、一度だけでいい。日の光を浴びてから死にたいんじゃ」
「……」
瞳を細めて天井を見上げる【白虎】の前で、ゼノスは腰を下ろす。
「俺があんたに協力を頼みたかったのもその件だ」
「その件?」
「ああ。ここから外に出る手段はないのか?」
聖女隠匿の件で、貧民街を守るために罪を受け入れた。しかし、あまりに性急に物事が進んだため、貧民街の誰にも何も言えていない。心配している者や困っている者もいるだろう。彼らにこのまま会わずに終わる訳にはいかない。
だが、【白虎】は口を閉じ、ゆるゆると首を横に振った。
「ゼノス、きさんは命の恩人だ。どんなことで協力するつもりじゃし、オイも外に出ることを熱望しておるが、約束はできんのじゃ。オイも十五年以上ここにおる。抜け道を探したり、地上に向けて岩盤を掘り進めたり、あらゆる手段を試したが、いまだかつて誰一人脱出した者はおらん」
ここは元々地下深くの魔石鉱脈だったが、アンデッドが多く、危険度が高いことから埋め立てることになったらしい。魔石を地上に送るための滑車と、複雑に分岐した空気穴、一方通行の転移魔法陣だけを残して、鉱脈ごと大規模に埋められた。
「滑車や空気穴は外に通じてるんだよな? 協力して人が通れる大きさまで広げていくのはどうなんだ?」
「何度も試したが、鉱脈全体が結界のようなもので封じられているようなんじゃ。さらに地上は遥か遠く、しかも途中の地盤が緩い。掘り進めるうちに崩落して、滑車と空気穴を幾つか駄目にしてしまい、大勢の囚人が埋まっただけで終わった」
「なるほど……」
【白虎】は申し訳なさそうな顔で、ぐるぐると喉を鳴らしている。
これは思っていた以上に厄介な状況かもしれない。
ゼノスはぼりぼりと頭をかいて、天井をぼんやり見上げる。
「まいったな。どうするか……」
色々と考えを巡らせるが、すぐに妙案は浮かばない。沈黙が続く中、ふと視線を感じて振り返ると、アストンが腕を組んだままじっとこっちを見ていた。
「どうした、アストン?」
「ゼノスよぉ。お前、自分でなんとかしようと思ってんのか」
「そりゃあな」
「俺らにできるのは一日一日をしっかり生き延びることだけだぜ」
間違ってはいないが、それだと寿命がくるまでここにいることになってしまう。
しかし、アストンは腕を組んだまま言った。
「多分だが、そうはならねえ。お前を見てたらそんな気がしてきた」
「いい考えがあるのか?」
「ねえよ」
「ないのかよっ」
思わず突っ込むが、アストンは淡々とした調子で口を開く。
「ゼノス。俺と違って、お前はよぉ、今みたいにその手でずっと誰かを助けて来たんだろ。そうやって自分の居場所を作ってきた。違うか?」
「……違わない、と思うが?」
「だったら、落ち着いて待て。お前が積み重ねてきたことが本物なら、絶対にお前を助けようと考えている奴らがいるはずだ。そいつらがきっとなんとかする。いつも助けるだけじゃなく、たまには助けられる側になりやがれ」
ゼノスは大きく目を見開いた。
「お前どうしたんだ?」
「う、うるせえっ」
アストンは腕を組んだまま顔を横に向ける。ゼノスは肩の力を抜いて口の端を上げた。
「……ま、でもちょっと気が楽になったよ」
「……へっ」
それから三日が経過した。
「ボス、おかげでいい魔石が手に入りました」
「ボス、食糧も沢山あります、早速どうぞっ」
「いや、俺はボスじゃないんだけど……」
囚人たちに囲まれたゼノスは、困惑した表情を浮かべていた。
「ぎはは、オイと互角以上に戦い、地下の環境をたった数日で変えた。もうゼノスが名実ともにここのボスで誰も異論はないじゃろ」
「ええぇ……」
【白虎】が愉快そうに笑っている。長年の地下生活で弱った囚人たちの足腰を治療し、坑道にはびこるアンデッドを次々と退治したことで、圧倒的に魔石採掘の効率が上がったのだ。輪になって食事を囲んでいると、すさんでいた彼らの表情も随分と明るいものになった。
「おい、ゼノス。お前のせいで居心地がよくなったじゃねえか。ずっとここにいたいとか言ってる囚人もいやがるぜ」
「それは嫌だ……」
隣のアストンに答えた瞬間、鉱脈内に異音が鳴り響いた。
坑道全体がかすかに振動しており、頭上から石の破片がぱらぱらと降り注ぐ。
「何が起きたんだ?」
頭に手をやって尋ねると、【白虎】がゆっくり立ち上がって言った。
「転移魔法陣が作動しちょる。新たな囚人じゃ」
「新たな囚人?」
内部の者にとっては見慣れた光景ではあるようだが、短期間に連続して囚人が送られるのは珍しいらしい。【白虎】は一同に待機を命じ、ゼノスたちとともに坑道を進んだ。
「最近は新入りが来た途端に襲い掛かって、屈服させ、奴隷として使おうとする奴らもおるんじゃ」
「俺の時もそうだったぞ」
「そうか、すまんかった。オイも満足に動けんでな、制止がきかなくなっておった」
緩やかな揺れが続く中、分岐をぐるぐると練り歩き、ようやく見覚えのある空間へと辿り着いた。
ホールのような空間に描かれた巨大魔法陣から青い光が立ち昇って波打っている。
次第に光は強くなり、回転しながら魔法陣中央に集まっていった。
辺りが眩く明滅したかと思うと、魔法陣の上に人影が現れる。
新たに送られた囚人だろう。
かなり小柄で、華奢な体格をしている。ブロンドの髪を二つに結び、先の尖った耳はその人物がエルフであることを示している。
「って、リリっ……?」
驚いて声を上げると、小柄な影は猛然とダッシュして、ゼノスの胸に飛び込んできた。
「ゼノスっ! 迎えに来たよ!」
「な、なんでリリが地下監獄に?」
「ふふふ、リリだけじゃないよ」
リリが得意げに言うと、右腕につけている銀の腕輪から、にゅるりと半透明の女が現れた。
「カーミラ、お前も来たのか」
「くくく……わらわはどこでも現れる」
浮遊体は口の端をわずかに持ち上げた後、珍しく真面目な表情でこう告げた。
「ゼノス、魔竜王の復活がすぐそこまで近づいておる。なるべく早くここを出るぞ」
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地下鉱脈のある国家南端部の岩石地帯から北に百キロほど向かった位置に、太陽王国たるハーゼス王国の華やかなる都――王都がある。
その東側には厳重な警備に守られた【聖園】と呼ばれる場所があった。
一見なんの変哲もない小山に祠が建っているだけのようだが、初代の王が天の啓示を受けた聖域とされ、代々の王家以外は立ち入りを禁止されている。
今、【聖園】の地中深くで地鳴りがしたが、周囲の警備員たちは発生源を認識できなかった。
どこか遠くで鳴っている風の音。あるいは天高くで響く遠雷。
そして、その地鳴りが不気味な声であることを認識できた者も当然いなかった。
地の底の唸りは、こう言っていた。
――あぁ、ようやくだ。ようやく魔王の呪いが解けた。