第300話 地下鉱脈の主【2】
前回のあらすじ)地下鉱脈のボス派閥に、アストンが逆らった
「だらああっ!」
「うがああああっ!」
「こいつ、結構しぶといぞっ!」
薄暗い地下鉱脈に、囚人たちの怒号が響き渡る。冒険者パーティ【黄金の不死鳥】の元リーダーのアストンが、派閥の囚人たちを相手に派手に大立ち回りを繰り広げていた。
手前の二人を薙ぎ倒し、アストンは己を奮い立たせるように吠える。
「おい、ゼノスっ! てめえは黙ってみてろよ。手助けなんていらねえからなっ」
「最初からそのつもりだけど」
「そのつもりかよぉっ」
アストンが振り返ると、ゼノスは壁際で涼しい顔で腕を組んでいた。
「一瞬支援しようかと思ったけど、パーティ時代のお前の仕打ちを思い出してやめたわ」
「ちょ、おいぃっ、てめえっ!」
「でも、ちゃんとお願いすれば考えてやらないでもないぞ」
「……ぬかせっ!」
拳を握りしめながら、アストンは囚人の群れに突っ込んでいく。
「おあああああああああああああああっ!」
ああ、そうだ。こいつらの言う通りだ。
貧乏で薬が買えずに妹を病気でなくしてから、下級市民から成り上がるために、いつも誰かを利用してきた。権力者にすり寄り、パーティメンバーを操り、貧民街から無償の奴隷としてゼノスを組み入れ、やっとゴールドクラスまで上り詰めた。
だが、ゼノスをパーティから追放した後、クエストに失敗し、地下ギルドの怪しげな人物に逆に利用され、逮捕され、気づけば薄暗い地下で強制労働に従事している。
負け犬。
結局、俺は何者にもなれなかった。
「ぐはっ!」
後ろから羽交い締めにされ、四方から同時に殴られる。
「だらあああああっ!」
それを強引に振りほどいて、アストンは男たちに体当たりをした。
「ちくしょうがぁぁっ! いつまでも負けてられっかぁぁっ!」
殴り、殴られ、鉄の味が口の中に広がった。視界はぼやけ、息は上がり、身体中がずきずきと痛む。思わず膝をついた時、辺りには既に二十人近くの男たちが転がっていた。
だが、囚人たちは後から後からぞろぞろとわいてくる。
「くそっ、まだこんなにいやがるのかよ……」
荒く息を吐きながら口元の血を拭うと、ふいに集団の後方が騒がしくなった。
「ボスっ」
誰かの声がしたと思ったら、騒々しい現場に途端に緊張感が張りつめる。
「なんの騒ぎだぎゃあ」
相手の声が、低い唸り声のように腹に響いた。
「へっ、やっとお出ましかよ」
アストンは手をついて立ち上がり、顔をゆっくり持ち上げ、そして絶句した。
「……っ」
――でかい。
上背のあるアストンの、更に倍近い背丈。全身が白い毛並みに覆われ、そこに黒い筋が縞のように入っている。顔は人間のものではなく、獰猛な虎の造形をしていた。
猫人族。巨大な虎の亜人だ。
元地下ギルドの大幹部という噂が一気に信ぴょう性を増して身に突き刺さる。
「オイの昼寝は邪魔をするなと言ったじゃろうが」
「す、すいません、【白虎】様。あいつが暴れて――」
【白虎】と呼ばれた男の言葉に、そばの囚人たちが青ざめて、アストンを指さす。虎の亜人がじろりとこっちを睨んでゆっくりと近づいてきた。巨体から発される強大な圧に、思わず後ずさりしそうになるが、アストンは拳を握って足を踏ん張る。
「お前がここのボスかよ。悪いが、今日を限りにその座を降りてもらうぜ」
「きさんは誰じゃ」
「俺ぁアストン・ベーリンガルだ。覚えとけっ!」
アストンは覚束ない足取りで【白虎】と呼ばれる男に近づくと、右わき腹に拳を突き入れた。
だが、相手の表情は少しも変わらない。分厚い筋肉の鎧は、まるで鉄を殴ったかのようだ。
――くそ、もう体力が……。
「きさんの考えは間違っちゃおらん。この世は弱肉強食。一番強い奴が、一番上に立つ。ただ、それはきさんじゃねえ」
相手に軽く身体を払われただけで、アストンの身体は宙をくるくると舞った。
「ぐはあっ!」
そのままざらついた石の地面に激突し、額から血が噴き出す。しかし、背中を向けて立ち去ろうとした【白虎】を、アストンは地面に這いつくばったまま呼び止めた。
「待てよ……まだ終わって、ねえぞ」
「なぜに抗う? 痛いのは嫌じゃろう」
「……だよ」
「……?」
「思い出したんだよ。俺ぁ自分の力だけで勝ち取ったものが、何一つないことをよ」
何かを掴み取るように、アストンは拳を強く握って立ち上がる。
かつて手に入れた称号は全て誰かを利用して得たものだった。そんなものはすぐに剥がれ落ちるものだとようやく気づいた。
アストンは横目で一瞬ゼノスを見る。追放時の手切れ金として渡したたった一枚の金貨から、自らの力で居場所を勝ち得た男の姿を。
そして、アストンは地を蹴った。
「このまま引き下がったんじゃ、かっこつかねえだろうがよぉぉっ!」
「次は加減せんぞ」
【白虎】は右腕をおもむろに振り上げる。鋭利な爪が並んだ指先が脳天に迫るが、体力の限界に近付いており、もう身体をひねる余裕もない。ただ気力で前に進んでいるだけだ。死を目の前に感じた瞬間、背後から現れた影が、亜人の一撃を受け止めた。
「ぬっ……」
アストンは隣の黒い外套を羽織った男に声を荒げる。
「ゼ、ゼノス、手ぇ出すなって言っただろうがっ」
「そのつもりだったけど、俺の仕事を知ってるだろ。職業柄、お前といえど目の前で死人を出す訳にはいかないんでな」
「……」
アストンはそのままがっくりと膝をつく。ボスの亜人が一歩近づいてきた。
「なんじゃきさんは、仲間か?」
「いや、仲間じゃない」
「あっさり否定すんな」
「でも、まあ助かったよ。アストン、お前やっぱりちょっと変わったな」
「変わってねえよ……結局、何も掴めなかった」
「何も掴めなくても、一歩踏み出せば、一歩は進む。その分、目標に手が近づく。お前は今確かに踏み出してたよ」
「はっ……」
アストンは短く息を吐いて、右手をおもむろに前にかざした。
ゼノスは【白虎】との距離をゆっくりと詰める。
「ここのボス、あんたと話がしたいと思ってたんだ。ちょっといいか?」
「おいっ、新入りが気安くボスに話しかけるな」
周囲の囚人たちが再び騒ぎ始めた。
ゼノスはぼろぼろになったアストンを見つめ、そして、おもむろに腕まくりをした。
「……仕方ない。あんまり悠長に話し合いをしている余裕はないんだ。この世は弱肉強食だったけ? あんたに勝てば、俺を認めてくれるんだよな」