第297話 凶事の宣告【前】
前回のあらすじ)井戸落ちになったゼノスは地下鉱脈でアストンと再会、牢獄のボスに会おうと試みる。一方その頃、地上ではーー
「ふむぅ……」
王都の外れ。廃墟街の片隅に建つ治療院の屋根に、半透明の女の姿があった。
漆黒に染まった天蓋を見上げながら、カーミラはおもむろに腕を組んだ。
「さて、どうするか……」
ゼノスは【井戸落ち】という処罰を与えられ、どこかの地下牢獄に幽閉されているらしい。
亜人たちは全員で王宮に攻め入り、王族を人質にしてでも、ゼノスの釈放を要求すると言ってきかない。そのまま駆け出しそうになったところを、リリとクリシュナがなんとか押しとどめたという状況である。
今回ゼノスが大人しく捕まったのは、貧民街全体に罰が及ばないように、敢えて首謀者の汚名を着たと考えられる。その思いを無下にする訳にはいかない、という説得でゾフィアたちは一時的に矛を下ろした。
「とにかく面会ができるように伝手をつかってあちこち当たってみよう」
クリシュナの言葉に、亜人たちは殺気をまとわせて答える。
「あんたに免じて三日は待つよ。だけど、それを超えたら勝手にやらしてもらう」
「リンガはゼノス殿を捕まえた奴の喉を今すぐ掻き切ってやりたい」
「温厚な我でも、これほどの怒りは久しぶりだ。今なら王宮を破壊できそうだ」
「近衛師団の私の前であまり物騒な会話をしないでくれないか」
諫めるクリシュナに対し、ゾフィアは拳を握って答える。
「クリシュナ。あんたも知ってるだろ。先生が来る前、ここがどんな街だったのかを。先生は亜人抗争を終わらせ、ゴーレムから街を救い、悪の巣窟だった地下ギルドを解体させた。王立治療院の大量毒殺を防いで、厄災の魔獣とやらを退けて、国境も守った。そんな国家的な功労者が二度と出られない牢獄行き? 絶対に許せないね」
ゾフィアはクリシュナに一歩近づいた。
「知らせてくれたことには感謝するよ。でも、もし先生の奪還を邪魔するつもりなら、あんたも敵だよ。クリシュナ」
「ゼノス氏は私の人生を変えてくれた。助けたい気持ちは同じだ」
敵にならないことを願おう。
そう言って、クリシュナは治療院を後にした。
リリが倒れたのはその直後だ。
「リリっ! 大丈夫かいっ⁉」
慌てて駆け寄った亜人たちに、リリは無理やりな笑顔で言った。
「あれ、ごめん……急に足に力が入らなくなって――」
「無理もない。リンガだってショックで倒れる寸前なのだ」
「とりあえず休め。後は我らがなんとかする」
そのまま寝室に運ばれたリリは、先ほどようやく眠りについたところだ。
ひとまず亜人たちを帰し、カーミラは一人治療院の屋根に浮かんで夜空を睨んでいた。
「まったく……ゼノスよ、貴様がおらんと滅茶苦茶じゃ」
簡単にくたばる奴ではないことはわかっているが、今回ばかりは手間取る可能性がある。
なんせその地下牢獄がどこにあるのかもわからないのだ。
もたもたしていればゾフィアたちは逆賊になってしまうし、リリも心労で持たないだろう。
更にそれとは別に気になることもある。
「一体、何が起こる……?」
実はしばらく前から奇妙な予感があった。何か大きな厄災が迫っているような、身の毛がよだつ感覚。笑える冗談にならないため、これまで特に触れてこなかったが、聖女がここに滞在していた時、同じようなことを口にしていた。
「【最重症】の凶星、か……」
漆黒の空に浮かぶ月が、今宵はやけに赤く見える。
「むっ?」
ふいに不穏な魔力の波動を感じ、カーミラは治療院の屋根から視線を下に向けた。
暗闇の奥、傾いた廃墟に挟まれた細道に何かがいる。
どす黒く禍々しいオーラ。それが次第に人の形を取り、やがてぽつりと言った。
「これは驚いた。君は、カーミラか」
「……っ?」
姿を消すのをやめたカーミラは、宙をふわりと飛んで、その者の前に降り立った。
「わらわを知っておるのか? 何者じゃ」
相手は廃墟の壁と同化するような鼠色のローブをまとっている。
赤い月明かりに照らされた顔は、色白で中性的な青年のものだ。
しかし、普通の人間でないことは間違いない。
相手は軽く両手を広げて、会釈をした。
「ああ……そういえば、この姿で会うのは初めてだったね。あまり目立ちたくないから、こそこそ生きてたんだけど、【案内人】と言えば伝わるかな」
「【案内人】――」
聞き覚えがある。
かつて地下ギルドにいたという謎の人物で、貧民街にゴーレムをけしかけた黒幕。その後もあちこちでその影を感じるも、正体を掴むには至らなかった。
「ほう……なるほど……そうかそうか、貴様が【案内人】だったのか」
何かに納得したようにカーミラは微笑む。
「ずっと妙だと思っておったんじゃ。貴様が以前貧民街にけしかけたゴーレムの生成術は、人魔戦争時代に失われたはず。なんせあれは魔族が使っていた闇魔法じゃからの」
カーミラは瞳を細めて、目の前の存在を見つめる。
「じゃが、貴様の仕業というなら得心がいく。まさかまだ生きておったとはの。人魔戦争を引き起こした大魔王ハデスの腹心、メフィレトよ」
【案内人】は胸に片手を当て、恭しく頭を下げた。
「ボクも久しぶりに会えて嬉しいよ。カーミラ・デ・ラマネル。歴史に消えた伝説の勇者パーティの一員、かつて大陸最強と呼ばれた大賢者にね」
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深紅の月が叢雲に隠れ、周囲は闇色に染めかえられる。
だが、二つの影は微動だにせず相手に視線を固定していた。
「滅びたはずの魔族がまだ現代におったとはのう。じゃが、真の姿を保つのは難しいようじゃの。人間に乗り移っておる」
【案内人】はからからと笑った。
「なんせ君たち勇者パーティのおかげで、ボクはばらばらになって漂ってたからね。飛散した粒子が少しずつ集まって、意識を取り戻したのもまあまあ最近なんだ。偶然事故現場で死にかけの人間を見つけて、乗り移りに成功した。体内で徐々に生育し、この身体の主導権を得たのがやっと一年ほど前。アフレッドというんだけど、なかなかいい器だよ」
「アフレッド……」
それも聞き覚えのある名前だ。確か王立治療院で失踪した上級治癒師。
「くくく……そうかそうか。ようやく色々繋がったわ」
「ボクのほうこそ驚いたよ。君がまさかアンデッドになってるなんて。何か理由が? それともよほどこの世界に未練があったのかい?」
「ほう、動機を知りたいのか?」
「人間に興味を持つことにしたんだ。昔の反省だよ」
「悪いが、そんな昔のことはとうに忘れたわ」
「うわ、ずるっ。こっちは話したのに」
「別に昔話をしにきた訳ではなかろう」
ごうっと魔力の出力を高めると、【案内人】は笑顔で一歩後ろに下がる。
「おっと、今は君と争うつもりはないよ。僕らが本気でやり合えば、依代となった人間も、この街もひとたまりもない。それはおそらく君が望むところではないだろう」
「……では、何しに来た」
「ゼノス君に用事があってね。君がそこにいたのは予期しない偶然だった。まいったな。ゼノス君一人でも厄介なのに、君までいるとは予想外だった」
「ふん、ゼノスにやけに付きまとうではないか」
「とても興味深い人間だよ、彼は。君も一緒だろ?」
「わらわは傍若無人なあの男に棲み処を占拠されただけじゃ」
カーミラは苦々しく言い放つと、ふっと笑って肩をすくめる。
「じゃが、生憎ゼノスは留守じゃぞ。どこかの地下監獄で終身刑に処されておる」
「えぇ?」
【案内人】は目を丸くした。人間の表情が板についてきている。
「それは困ったな。そういえば地下鉱脈で死ぬまで強制労働させられる罰があるって聞いたことがあるよ」
「場所はわかるか?」
「残念ながら。わかったとしても、地中深くで、周囲に結界もあるだろうから、部外者が簡単に近づけるとは思えないな。たとえ君のような霊体であってもね」
「……」
「しかし、どうしようかな。結構重要な話だったんだけど」
【案内人】は眉根を寄せて、困り顔を作った。
「とりあえず君に聞いてもらおうかな、カーミラ」
「わらわは生者の営みに関わらない主義じゃが」
「そう言わずに。三百年ぶりの再会じゃないか」
「面白い話なんじゃろうな?」
「とびきりね。ボクも色々調べて最近やっと気づいたんだけど、そもそもはこの国の成り立ちに……いや、長い話は後にして結論から言おう」
【案内人】はまるで人間のように咳払いをして、続きを口にした。
「かつて魔王様と南方大陸の覇権をかけて争った魔竜の王のことは知ってる?」
「魔竜の王……おとぎ話で聞いたことがあるの。曽祖父の時代には悪さをすると魔竜に食われると
いう脅し文句もあったとか」
魔王に敗れた魔竜の王は瀕死の状態でこの大陸まで逃げ、地中深くで息を潜めている。
ちょうどキャンプの時に怪談としてゼノスたちに披露したことをカーミラは思い出す。
「なら、話は早い」
【案内人】はおもむろに頷いて、こう告げた。
「魔竜王ガルハムートの復活が近い。このままでは王国は滅ぶよ」