第291話 包囲網【前】
前回のあらすじ)アルとゼノスは夕飯の買い出しに出かけた。アルが凶星の話をしようとした時、通りに近衛師団が現れ――
買い出しに出かけたゼノスとアルの視線の先には物々しい集団がいた。
「まずいな、近衛師団だ」
彼らの鎧には王である太陽を剣と盾が守る紋章が刻まれている。
単なる治安維持目的とは思えない。聖女の捜索だろう。
「アル、治療院に戻っておいてくれ」
「でも、買い物が」
「そっちは俺が済ましておく。変装しているとはいえ、関わらないに越したことはない。道はわかるよな?」
「う、うん、わかった。ゼノスも気をつけて」
アルはゆっくりと後ずさると、角を曲がり、治療院へと駆け足で向かった。
だが――
「おい、なにすんだっ!」
「公的な捜査だ。黙って協力しろ」
しばらく進んだところで、今度は前方の通りから怒鳴り声が響いてきて、慌てて足を止める。
見ると、民家に無理やり立ち入ろうとしている集団と、貧民たちの間で諍いが起きていた。
集団がまとっている鎧には、見覚えのある紋章が刻まれている。
「ここにも近衛師団っ……」
アルは慌てて足を止め、家屋の陰に隠れた。付け髪と眼鏡、ヘッドドレスで変装しているため、すぐには見破られないだろうが、捜査の手は確実に迫っている。
「だから、桃色の髪の女なんて知らねえって言ってるだろ」
怒りの声を上げる貧民に対し、集団の中心にいる顎髭を蓄えた近衛師団の男が静かに応じた。
「後ろめたいことがないなら、協力できるはずだが?」
「ここは出荷する干し肉を保管してんだ。踏み荒らされたくねえんだよ」
「入れ」
「はっ!」
男の号令で、近衛師団の男たちが民家に押し入る。
「おい、だから、ちょっと――」
「公務執行妨害」
止めに入る貧民に対し、男は魔法銃を腰から引き抜くと、躊躇なく引き金を引いた。
バヒュンッ!
「ぐはぁっ」
脇腹を打ち抜かれた貧民の男は、地面に倒れてごろごろと転がる。指の間から赤い血がどくどくと流れていった。
「お、おいっ、いきなり何すんだ、こらっ!」
仕事仲間と思われる男たちがいきり立って、近衛師団に向かっていく。
「治安維持違反だ。撃て」
「……はっ」
男の号令で、団員たちが貧民に向けて次々と魔法銃を発砲、周囲に爆発音が鳴り響いた。
「ごあああっ」
「いてええっ!」
「ぐはあっ」
倒れ伏す貧民たちを踏みつけるようにして、男は団員に家宅捜索を指示する。
ややあって、近衛師団の配下が家屋から出てきた。
「シーガル様。棚も床も全てひっくり返して探しましたが、桃色の髪の女の姿は見受けられませんでした」
シーガルと呼ばれた男は、顎髭を撫でると踵を返す。
「そうか。では、次に行くぞ」
「ま、待てよ。このまま立ち去る気かよ。間違えましたじゃすまねえぞっ」
周囲を取り囲む貧民たちは、殺気をみなぎらせている。
だが、シーガルは血まみれで転がる貧民たちを冷たく一瞥した。
「いいか、貴様ら貧民はこの王都で辛うじて生かしてもらっている存在であることを忘れるな。我らは貴様らゴミの命とはくらべものにならないほどの重要な任務を負っている。今後、我々の捜査を邪魔だてするとこうなることを覚えておけ」
魔法銃を持ち上げ、周りを引き下がらせると、シーガルは部下に淡々と伝える。
「他者を匿える余力と隠れ場所のありそうな家を探し、端から踏み込んでいけ」
「はっ」
近衛師団が立ち去ると、撃たれた貧民の家族らしき者がその身にしがみついた。
「父ちゃんっ」
「あんたっ!」
「な、なんて……」
物陰でその光景を眺めながら、アルは胸に手を当てる。辺りは騒然とし始めていた。
「やべぇ、もう息が……」
「先生をっ、ゼノス先生を早く呼んでこいっ!」
慌ただしく駆け出す貧民たちが、通りによろよろと歩み出たアルの脇を全速で抜けていった。
――駄目……間に合わない。
アルの視線は、倒れた怪我人に釘付けになっている。
数人は出血量がひどく多く、その身から魂が抜け出ようとしているのがわかる。
――貧民街ってお金がない人が多いし、お金があっても貧民という理由で普通の治療院では診てもらえないことが多いの。
――希望とか、信念とか、生き方とか……? ゼノスはそういうものに従って、ただ自分にできることをやる……そんな風に生きてると思う。
リリの言葉が、アルの脳裏をよぎる。
「私に、できること……」
アルは胸に当てた手をぎゅっと握ると、怪我人たちのほうへと駆け出した。
「くそっ、もう意識がねえっ」
「先生を呼びに行った奴らはまだ戻ってこねぇのか」
「って、なんだ、姉ちゃん?」
阿鼻叫喚の輪の中に、ふらふらと入っていったアルに一同の視線が集まる。
大きく息を吸った後、アルは言った。
「私が、助けるわ」
両手をおもむろに前にかざすと、黄金の輪が空中に現れる。
その中で複雑な文様が反時計回りに回転し、淡い燐光がふっと輝いた。
「え……?」
驚いた声を出したのは、今にも天に召されようとしていた怪我人自身だった。
半ば裂けていた脇腹の肉が綺麗に元に戻っており、出血の痕すら完全に消えている。
「な、なんで?」
「な、治ってる……」
「す、すげぇ」
「ゼノス先生が来たのかっ?」
「違うっ、この姉ちゃんだ」
貧民の一人が感激した顔でアルを指さした。
「だ、誰だか知らないけど、ありがとう、ありがとうっ」
男の妻と思しき女が、目に涙をいっぱいに溜めて手を握ってくる。
「う、ううん。助かってよかった」
「お姉ちゃんは誰なのっ?」
「と、通りすがりの美少女メイドよ。そ、それじゃ」
子供の亜人に問われたアルは、慌ただしく踵を返し、あっけに取られたままの貧民たちに背を向けて駆け出した。
力強く握られた手には、ほんのりと熱が残っていた。