第282話 キャンプと怪談【中】
前回のあらすじ)湖畔でキャンプを楽しむ一同。レーヴェの提案で怪談が始まった。
湖畔のキャンプで、焚き火を囲みながら始まった怪談。
一番手はゾフィアだ。
「あれは……今日みたいに蒸し暑い夜だったね」
低い声でぼそぼそと喋るので、なんだか妙に雰囲気がある。
「自分が生きるため、そして、貧民街の餓死者たちを少しでも減らしたいと思って、義賊として活動を始めた頃さ。あこぎな商売をやっている貴族や上級市民の家を調べ上げて、連日連夜忍び込んでたんた。でも、まだ慣れてないし、すごく疲れてね。それで仕事の帰り道、仮眠を取ろうと思って、空き家に忍び込んだのさ」
ゾフィアは小枝を焚き火に投げ入れて言った。
「だけど、ふとなんだか妙な気配がしてね……隣の部屋に誰かがいるような気がしてさ。気配を殺して覗いたところ――」
生ぬるい風がざあっと吹きつけ、山の木々が揺れてざわめく。
「えうぅ、もしかしてお化け?」
リリが眉の端を下げてカーミラの着物の裾を掴んだ。
お化けに怯えながら、お化けの頂点みたいな存在にしがみついているのはなかなかにシュールな絵柄だ。
そこでゾフィアは突然立ち上がって言った。
「なんとそこにいたのは近衛師団っ! 空き家だと思っていたのは近衛師団の休憩所だったのさぁぁっ!」
「……」
沈黙。
一同のなんとも言えない視線を浴びたゾフィアは、きょとんとして腰に手を当てる。
「……あれ、怖くないかい?」
「いや、怖いけど……」
「それは怪談じゃないとリンガは思う」
「うむ、単に潜伏先を間違えたという話じゃないか」
盗賊が忍び込んだ先が、盗賊を取り締まる側の館だった。
確かに恐ろしい話だが、怪談かと言われるとそうではない気がする。
「ええ……あんなに肝が冷えたことはあんまりなかったけどねぇ……」
ゾフィアは不服そうな顔で腰を下ろした。次はリンガがずいと身体を前傾させる。
「ふふふ、リンガの話で漏らさないように注意するといい」
にたぁと笑って、リンガはおもむろに話し始めた。
「あれは……今日みたいに蒸し暑い夜だったとリンガは思う」
「人の口上をパクるんじゃないよ」
「本当に怖い場面に遭遇すると、人は笑うしかなくなる。そんな体験をリンガはしたのだ……」
ゾフィアの突っ込みを流しつつ、リンガは次第に声量を落としていく。
「リンガは元々ギャンブルが好きで、自分のカジノを始める前は、あちこちの賭博場に出入りしていた。あの夜は二つのサイコロを振って、偶数が出るか奇数が出るか、それを賭けるギャンブルに興じようとしていた」
リンガは当時のことを思い出すように、手近な石ころを二つ、焚き火に放り投げた。
「偶数か、奇数か。どのように賭けるべきか考えながら賭博場に向かう途中、リンガは木の枝に二匹の鳥が仲良く止まっているのを見た。そして、直後に二匹の猫がリンガの前を横切って行った。更には空を見れば、暗くなり始めた空に二つの星が浮かんでいた。あぁ……これは神の啓示だとリンガは思った。そう――今日は偶数が来る」
「なあ……リンガ?」
「リンガは偶数に賭けた。まさかの外れ。でも、大丈夫だ。きっと重要な場面では偶数がくる。リンガは負けを取り返すために、より大きな額を偶数に賭けた」
「いや、あのね」
「でも、また外れた。なにくそ、心配ない。神は最後に助けてくれる。リンガは次々に倍額を偶数に賭け、そして遂にっ――」
リンガは勢いよく立ち上がり、乾いた笑い声をあげた。
「全財産をすってしまったのだ……」
「おい……」
思わず突っ込むが、リンガはぶるぶると恐怖に打ち震えて自身の肩を抱いた。
「賭博場には、魔物が棲む……」
「って、ただのギャンブルに負けた話じゃないかいっ!」
「我らは一体何を聞かされたんだ?」
総突っ込みを受けると、リンガは不満げに頬を膨らませる。
「七回連続で奇数が出るなんて、こんな怖い話、リンガはないと思う」
そして、次にゆらりと立ち上がったのはレーヴェだ。
「いよいよ真打、我の登場という訳だ」
なぜだろう。得意げな顔を見ていると、もう不安しか沸いてこない。
「今度こそちゃんと怪談なんじゃろうの?」
「無論だ。命の危険すら感じた恐怖満点の出来事だ」
カーミラの確認に、レーヴェは自信満々に頷く。
「あれは、今日みたいに蒸し暑い――」
「だから、あんたら人の口上をパクるんじゃないよっ」
「まあ、こういうのは形からだからな」
レーヴェはごほんと咳払いをして、鷹揚に腕を組んだ。
「実は……我はこう見えても食いしん坊でな」
見たまんまではあるが、この程度ではもう誰も突っ込まない。
「この美しい肉体を維持するには多量のエネルギーが必要なのだ。あの日もお腹の虫がごろごろとなり始めた。なにか食べるものはないか。辺りを見回すが、そういう時に限って手近な場所には何も見つからない。エネルギー不足のぼうっとした頭で、我がアジトの中を探し回っていた。それがまさかあんなことになるとは……」
ぶるっと筋肉を震わせて、レーヴェは続きを口にする。
「食べ物……食べ物……うわ言のように繰り返しながら、我はアジトのあちこちを彷徨った。そして、木箱の中に、遂に握り飯を発見したのだ」
レーヴェは声を落として、一同をゆっくり見回した。
「少し黒ずんでいるようにも見えたが、もはやそんな事実は空腹の前では無力だ。我の強力な胃腸は多少カビがあろうが、少しばかり腐っていようが、問題なく消化吸収するからな。我はむさぼるようにそれを口の中に入れた」
「なあ、レーヴェ……」
「異変に気づいたのはその直後だ。噛んでみると、がりっという明らかに握り飯とは違う感触があった」
「もしかして、それって……」
嫌な予感がして声をかけると、レーヴェは組んでいた腕を解いて、空に吠えた。
「なんとそれは握り飯ではなく、我が鉱山で採掘した【爆発】の魔石だったのだぁぁっ!」
「やっぱりそれかぁっ」
初めてレーヴェに会った時の話だ。
確か握り飯と間違えて、【爆発】の魔石を飲み込んでしまったという件でオーク族のアジトに呼び出された。
結局、腹を切って魔石を取り出すことで事なきを得た訳だが――
「ふははぁ、どうだ、怖いだろうっ。なんせいつ腹が大爆発するかわからない危険物が腹の中にあるのだからな。これほどの恐怖はそうないぞ」
ふんすと鼻を鳴らすレーヴェに、ゾフィアとリンガが優しげに声をかける。
「レーヴェ……残念だけど、それは怪談じゃないよ」
「うん……ただレーヴェが馬鹿だったというだけ」
「なんでそんな憐みの目を我に向けるのだ……?」
瞳の端を拭いながら、腹を抱えているのはレイスのカーミラだ。
「くひひ、貴様らのは揃いも揃って怪談じゃなく、ただの漫談じゃ。本当に飽きさせぬ奴らよ。くだらぬ漫談を得意げに語る顔といったら、ひーひひひっ!」
亜人達はむっとして口を尖らせる。
「じゃあ、カーミラ。あんたは怪談できるのかい?」
「そうだそうだっ。リンガの話のほうが怖いと思う」
「ちゃんと我らを震え上がらせられるのだろうな」
「ほう……このわらわを挑発するか? 面白い」
カーミラは袖を口元に当て、含み笑いを漏らした。
そもそもこの浮遊体の存在自体が大いなる怪談そのものだが、すっかり感覚が麻痺しているのか誰もそこには突っ込まない。
カーミラはしばし虚空を見つめたまま、何を話すか考えているようだ。
「まあ、アンデッドの頂点たるわらわが格下の幽霊共の話をしてもつまらぬし……だったら、少し昔の話をしようかの」
そう言って、カーミラは焚き火の炎に視線を向ける。
「貴様らは人魔戦争は知っておるな?」