第277話 エピローグ① ~西の果ての別れ~
前回のあらすじ)【灰の豊穣】は壊滅し、ゼノスはリリとルーベルの救出に成功した
西の大陸から襲来した【灰の豊穣】が壊滅。
ようやく国境防衛戦が完了し、臨時に集められた軍は解散することになった。
「ありがとよ、助かったぜ」
「よせよ、仲間じゃねえか」
「おう、またどこかで会おう」
正規軍の兵士と貧民たちが、別れを惜しむシーンがあちこちで見られる。
そんな中、和やかさとは正反対の雰囲気の対話も存在した。
「ル、ルーベル様、ご無事で何よりでした」
恐縮して背筋を伸ばすヒガースに、ルーベルは冷たい瞳で答える。
「俺がここにあるのはゼノス、メリッサ、リリ。身を挺して俺を守ろうとしてくれた警護の者たち、そして前線で踏ん張ってくれた兵士のおかげだ。お前には恩恵を受けていない」
「い、いえ……それは」
「ただ、そもそもこの度の誘拐については、俺自身にも大いに非があった。だから、それについてはお前の罪は問わない」
「は、はは~」
しかし、とルーベルは続ける。
「ヒガース。お前が自己承認を優先させた指揮で、いたずらに前線を混乱させていたことはよく認識した。父と兄にもしっかり伝えておこう」
「ひ、ひいいっ……」
「ベイクラッド家からギース家にも近く申し入れを行うことになる。今の立場ではいられないと思え。謹慎して沙汰を待つがいい」
これまでとがらりと変わったルーベルの雰囲気に、ヒガースは「ははぁー……」と頭を垂れて、がっくりとうなだれた。
一方その頃、ゼノスは大勢の軍人に囲まれて、別れを惜しまれていた。
「ゼノス先生、本当にありがとうよ」
「あんたは命の恩人だ。忘れねえ」
「おかげで生まれたばかりの息子に寂しい思いをさせずに済んだぜ」
「ああ、みんな元気でな」
手を振って輪から離れようとすると、グレースが外套 の裾を引っ張ってきた。
「もう行っちゃうの、ゼノス。もうちょっとゆっくりしていけばいいのに。普段の西方防衛線はのんびりしてとってもいいところよ」
「いや、王都に待たせている奴らもいるしな」
「そっか、残念……でも、治癒師同士だったら、またいつか会えるわよね」
「ああ、いつかな」
笑顔で皆に別れを告げる。最後にそばにやってきたのはメリッサだ。
「今回の防衛戦の勝利はお前のおかげだ。心より感謝する」
「いや、俺はただ家族を迎えに来ただけだよ」
メリッサはふっと微笑んだ後、少し真面目な表情をした。
「唯一の気がかりはマラヴァール帝国と【灰の豊穣】の関係だな。これからの調査になるが、明らかにするのは難しいかもしれない」
「そうか……」
湿原で気絶していた【灰の豊穣】の長は、その後軍によって捕えられたが、更に一気に老け込んだ様子で、まともに会話が成り立たないとのことだった。
マラヴァール帝国側も勿論【灰の豊穣】と裏で手を組んでいたなどと認めないだろう。
「まあいい。私が北部戦線に戻れば、マラヴァール帝国の野望は必ず阻止してみせる」
「戻れるのか?」
思わず尋ねると、メリッサは少し嬉しそうに頷いた。
「ああ。今回の防衛戦の成功と、人質奪還の功績を以て、ルーベル様より私の希望に応じて北部戦線に戻してくれることを約束して頂いた」
「そうか。それがお前の望みなら、よかったな」
「手続きもあるから、もうしばらくは西方防衛線にいるだろう。いつでも遊びにきてくれ」
「いや、あんまり来たくない。遠いし」
素直に答えると、メリッサはひどく狼狽した様子で言った。
「え、ど、どうすればいいんだ。も、もうお前に会えないのか。う、嘘だろう」
「王都の廃墟街にいるから、近くに来た時は立ち寄ってくれ。ただ治療が必要な時は金を取るぞ」
「そ、そうか、わかった」
メリッサは少しほっとした様子で息を吐くと、右手をごしごしと服で拭いた。
「ゼノス、その、最後に握手をしてくれないか」
「いいけど……」
真っ直ぐに差し出された手を握り返す。
力強く、表面がざらついた、戦士の手だった。
「私は今まで国という形の見えない大きなものを勝手に背負った気になってもがいていた。ただ、これからこの手で守れるものをしっかり守っていこうと思う」
「……ああ」
頷いて笑いかけると、メリッサは泣き笑いのような何とも言えない表情を浮かべた後、残った手をおもむろに額に当て、敬礼した。
「では、これにて任務完了とする。ご苦労だった」
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その後、リリを伴って丘の下に待機している王都行きの馬車に向かっていると、後ろからルーベルが全速力で駆けて来た。
「リリっ」
「ルーベル君」
ルーベルは胸に手を当てて呼吸を整え、おもむろに口を開いた。
「い、一緒の馬車で帰らないか? 軍の馬車じゃない、最上級の乗り心地のものを用意してあるんだ。途中のダーマの街で収穫祭をやってるから、そこに立ち寄って祭りを見学してさ。ベイクラッド家が手配した魔導車両に乗り換えて――」
早口で語るルーベルに、リリは無邪気な笑顔で応じる。
「誘ってくれてありがとう。でも、リリはゼノスと一緒に帰るんだ」
「ええっ……」
ルーベルは一瞬膝から崩れ落ちそうになったが、なんとか踏ん張り、ぐぐっと背筋を伸ばした。
「そ、そうか……そう、だよな……で、でも、また遊んでくれるよな、リリ」
「うん、勿論。友達だもん」
「と、友達……そ、そうだよな、友達だもんな」
嬉しいような、悲しいような表情を浮かべるルーベル。
「つ、次はいつ会える?」
「えっと……ゼノスが今回の報酬を取り立てにそのうちベイクラッド家に行くって言ってたから、その時に」
「取り立てか。よし、楽しみにしてるぞ」
「ちょっと会話おかしくない?」
思わず突っ込むが、二人の子供は笑顔で握手を交わして、互いに手を振り合う。
「じゃあ、また。リリ」
「うん、またね、ルーベル君」
そして、ルーベルの向こうからは、メリッサが大きく手を振っていた。
「またな、ゼノスっ!」
「ああ、また」
西の果てに導かれるように集まった者たちが、また元いた場所へと散らばっていく。
ゼノスのリュックから、ぼそりと声が聞こえた。
「くくく……青春じゃのう」
草原を渡る風には、もうむせるような血生臭さは含まれていなかった。