第276話 命の痛み【4】
前回のあらすじ) ゼノスは【灰の豊穣】の秘術を見破り、彼らに『痛み』を取り戻させた
秘術の効果が消えて、老人の足の運びは途端に弱弱しくなっている。
それでも必死に瓦礫を駆け上がりながら、もう一つの戦場に向けて叫んだ。
「ゼンっ! 何をしている。さっさと片付けてこっちに来い」
「悪いけど、そいつはもう立てないよ」
だが、瓦礫の向こうから姿を現したのは、赤毛の軍隊長だった。
「メリッサ!」
思わずゼノスがその名を呼ぶと、身体のあちこちに生傷を作った剣士はにやりと笑った。
「待たせたね、ゼノス」
瓦礫の向こうにいて姿が見えなかったため、今回は何の支援もできなかったが、ほぼ完全な戦士と呼ばれたゼンをしっかり退けたようだ。
「やっぱりさすがだな」
「いや、無力化させるのにだいぶ時間がかかった。鍛えなおさないとね」
「くそ、役立たず共めがっ!」
老人は恨めしげに叫ぶと、懐から取り出した黒い球を投げつけて来た。力なく飛んでくるそれは軽々とかわすことができたが、地面に接した瞬間、煙幕がもうもうと辺りに立ち込める。
その間に、老人は牢屋のある階上へと瓦礫を這うように登っていった。
「待てっ」
煙を払いながら、メリッサと後を追うと、老人は人質のいる檻に鍵を差し込んでいた。
転がるように中に入り、杖に仕込んだ長針を人質に突き付ける。
「ふ、はは……危ないところだったが、なんとか間に合ったな」
老人は肩で息をしながら、壁に背をつけたルーベルとリリにひたひたと近寄っていく。
「老体であっても、ガキには負けぬよ」
「なあ、爺さん」
「わしに近づくなっ、人質がどうなってもいいのか」
ゼノスが鍵のついたままの檻に入ろうとすると、老人は声を荒げた。
「いや、人質に構う前に、部下たちの手当をしたらどうだ?」
「役目を果たせぬ愚図に用などない。そもそも痛みとは他人に与えるもので、わしが受けるものではないのだ。さあ、人質を殺されたくなければ道をひらけ」
老人は鋭利な針先を子供たちに向けながら、嗜虐的な声色で言った。
「しかし、二人もいると逃走の邪魔になるな……どちらかは殺そう。さあ、選べ」
ルーベルとリリは一瞬顔を見合わせた。
リリが口を開こうとした瞬間、先にルーベルの声が響いた。
「さ、刺すなら俺を刺せっ!」
「……ほう」
「ルーベル君……」
老人とリリを交互に見ながら、ルーベルはこう続ける。
「リ、リリの言う通りだ。お、俺は口だけで何一つできない子供だった。威勢がいいだけで、いざ脅威を前にすると、ただ騒いでいるだけの腰抜けだった。それがリリに叩かれてやっとわかった」
涙目になりながらも、ルーベルは毅然と足を踏み出した。
「リリは、強かった。決して喚かなかった。決して弱音を吐かなかった。決して諦めなかった。最後まで助けが来るって信じ続けたんだ」
そう叫んだルーベルは、リリに目を向けてかすかに笑った。
「一つくらいは、手柄を立てさせてくれ。誇り高きベイクラッド家の子息として、俺は友を守る。卑劣な輩などに屈するものかっ!」
「よく言ったぞ、坊主」
ゼノスが檻の中に踏み込むと、老人は慌てて駆け出した。
「近づくなと言っただろうがっ」
ガインッ!
しかし、突き出された針の先端は、ルーベルの左胸の表面で止まっている。
「なっ!」
「ど、どうして……」
驚愕する老人と、困惑するルーベル。
恐る恐るこっちを見るルーベルに、ゼノスは笑って言った。
「防護魔法だよ。心配するな、リリの友達を傷つけさせはしない」
「防護魔法……だと? レイスを操り、強化戦士と渡り合い、治癒魔法を駆使して、その上、防護魔法だと……?」
老人は震える指先を、ゼノスに向けた。
「……お前だ、お前さえいなければっ、お前が全ての元凶だっ! 一体何者なのだっ!」
「俺はただ家族を連れ戻しにきただけのしがない治癒師だよ」
そう答えると、老人は愕然として口を開いた。
「……は? 家族を……? お、王国の特殊部隊ではないのか? ガキを連れ戻す……た、たったそれだけの理由で、わしの【灰の豊穣】を壊滅させたのかっ」
「ああ」
「なんだ……なんなんだ、それはっ、そんなことで我が野望は潰えたのかっ」
「命を使い捨てるあんたにはわからないだろうな」
ゼノスの右拳に青い光が集まり、それが渦を巻く。
「そんなあんたに最後に一つ教えてやるよ」
ゆっくりと距離を詰めながら、ゼノスは右腕をおもむろに引いた。
「痛みってのは嫌だよな。俺だって好きじゃないからなるべく避けようとするし、早く治そうとする。でも、痛みを知ることで、人の痛みに気づくこともある」
「人の、痛み……」
ルーベルが頬に手を当ててつぶやく。
「ま、待てっ。報酬をやろうっ、幾ら――」
後ずさる老人の顔面に、ゼノスの渾身 の右ストレートが炸裂する。
「あぎゃあああああああああああああああああああああっ!」
痛覚を取り戻した老人の身体は壁を突き破り、宙を舞い、朝を迎えたヤヌール湿原へと消えていった。
ゼノスは手を払いながら、立ち込める霧の奥に向けてつぶやく。
「それが痛みだ」
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戦いが終わり、リリがルーベルの元へと駆け寄った。
「ルーベル君、大丈夫?」
「あ、お、おう……」
ルーベルは自身の左胸をさすりながら、青い顔で身を震わせる。
「ぜ、絶対死んだと思った……リリも怖かっただろ」
「いや、その、私は……」
リリは微妙に気まずい表情を浮かべた。
「なんだ?」
「リリは……その、ゼノスが防護魔法を使えるのを知ってるから、実はあまり怖くなかったの」
がく、とルーベルの膝が折れる。
「な、なんだよ……」
へなへなとその場に座り込むルーベルに、リリは輝くような笑顔で言った。
「でも、ありがとう。かばってくれて嬉しかった」
「リリ……」
ルーベルの頬がみるみる赤くなり、慌てて顔をそむける。
「べ、別に、こ、このくらい、大したことじゃねーし」
その瞳がやがてゼノスへと向いた。
「でも、本当に助けに来るんだな。俺には……」
肩をがっくりと落としているルーベルに、ゼノスはぼりぼりと頭をかいて言った。
「俺はリリを迎えに来たんだが、実はついでにあんたのことも連れて帰るように頼まれている。あんたの兄であるアルバート・ベイクラッドにな」
「……っ!」
ルーベルは弾かれたように立ち上がる。
「あ、兄貴に……?」
「弟を頼むってな。手数料と危険手当をびっくりするくらい請求するから楽しみにしてくれと兄に伝えてくれ」
「兄、さん……」
ルーベルは茫然と立ちすくんだまま、静かに泣き始めた。
アルバートが守りたかったものがベイクラッド家の血筋なのか、ルーベルという弟個人なのかは正直わからない。
だが、今それを口にする必要はないだろう。今後ルーベル自身が確かめていくことだ。
リュックから聞き慣れた声で一言。
「くくく……なにはともあれ、これにて一件落着じゃの」
「なんでお前が締めるの?」
それが痛みだ
七章本編終了です、お付き合いありがとうございました
後はエピローグ2編です、明日も更新予定です
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