第275話 命の痛み【3】
前回のあらすじ)【灰の豊穣】は何かしらの秘術で身体能力を強化しているようだった
「お前達、その男を止めろ。わしは上の階の人質を確保しておこう」
「「「はっ」」」
老人が不完全な戦士、と呼んでいた男達が再び躍りかかってくる。
能力強化魔法で敵の攻撃をかわしつつ、強い打撃を与えても、一瞬顔をしかめるだけで、すぐに攻撃が再開される。
――妙だな……。
男たちが痛みに動じないところを見ると、防護魔法を使っているようにも思えるが、それでは説明がつかないことがある。
彼らはしっかり怪我は負っているのだ。
アンデッドとの戦闘で流血もしているし、中には明らかに腕が折れている者もいる。
それなのに攻撃の手を緩める気配がない。
「まさか……」
ゼノスは地面を蹴って、敵の集団から距離を取った。そして、老人に向かって叫んだ。
「おい、もうやめさせろ。このままだと死ぬぞ」
「……何を寝ぼけたことを。死ぬのはお前だ」
瓦礫を登って牢屋のある階に向かおうとしていた老人は、振り返って答える。
ゼノスは周りを囲む不完全な兵士たちを牽制しながら言った。
「秘術、とやらの正体がわかったよ」
「……」
足を止めた老人に、ゼノスはこう続ける。
「おそらく神経をいじってるな。痛みを感じる神経を遮断している」
身体に受けたダメージは神経を通じて脳に向かい、痛みとして認識される。その通り道を遮断することで、痛みを感じにくくなる。
しかも、その結果として、無意識に抑制されていた筋力を惜しげなく発揮できるようになる。
そして、痛みを怖れず、高い身体能力を持つ戦士が誕生するという訳だ。
おそらく不完全な戦士、ほぼ完全な戦士、完全な戦士、というのは神経の遮断度合で決まるのではないだろうか。
「……はっ」
老人は肯定するように息を漏らし、杖の先端を取り外した。
中から細長い針のようなものが姿を現す。
「……よくわかったな。これを首の後ろから突き刺し、余分な回路をせき止めるのだ」
随分と危険を伴う施術だが、老人はなんでもないように言った。
「勿論、死ぬ者も、麻痺が残る者も大勢いる。そやつらは不良品として処分するだけだ。それを潜り抜けた者だけが真の戦士となれる」
「身体能力が上がっても、傷が消える訳じゃないぞ」
不完全な戦士たちの攻撃をかわしながら、ゼノスは声を上げた。
むしろ痛みを感じにくくなる分、怪我には鈍感になる。
流血を放置したままでいれば、待っているのは失血死だ。
「だからどうした? 【灰の豊穣】の繁栄のためには、個別の命などゴミ同然、使い捨てるだけだ。秘術を知られたからにはどの道、生かしておくわけにはいかん。お前たち、死んでもその男を止めろ」
「「「は」」」
男達は四肢から血を流しながら、折れた腕で襲い掛かってくる。
「命は使い捨て、か……」
ゼノスは嘆息して、両手を前にかざした。
「《高位治癒》!」
手の平から温かな光が溢れ出し、辺りが途端に目が眩むほどの白色光に包まれる。
それらを全身に浴びた男たちは、反射的に足を止め、眩しさに顔を覆った。
やがて、純白の輝きが落ち着くと、男達は不思議そうに自身の手足を眺めた。
「な……治ってる……?」
流血が止まり、折れ曲がっていた腕の骨がぴたりとくっついている。
老人は眉をひそめて、ゼノスを睨んだ。
「……何をした」
「治癒魔法だよ。俺は治癒師だからな」
「治癒師……治癒魔法だと?」
すっかり治療された戦士たちを眺め、老人は一瞬困惑の表情を浮かべたが、やがてそれが嘲笑へと切り替わった。
「……ふ、はは。お前は馬鹿か。敵に塩を送ってどうする。それで我らが感謝の念を持ち、人質を返すとでも思ったか? 驕りが過ぎるぞ」
「いや、別に塩を送ったつもりはないが」
「お前達、さっさとその男を殺せ」
「「「は」」」
勢いを取り戻した様子で、敵が再び躍りかかってくる。
――筋力強化。
能力強化魔法の青い光をまとったゼノスは、拳を男たちに向かって連続で突き出した。
そして――
「いてえええええっ!」
「あがあああああっ!」
「ごええええええっ!」
吹き飛んだ戦士たちは、地面を転がりまわって悶絶している。
「な、なんだ……」
困惑する老人に、ゼノスはぐるりと肩をまわして言った。
「治療ついでに遮断された神経も修復しておいた。これからはしっかり痛みを感じられるぞ」
治癒魔法を施したのは敵の怪我を治すためだけではなく、途切れた痛覚を再生するためだ。
秘術によって、戦士たちは長い間まともな痛みというものを感じていなかった。
おそらく久しぶりに実感したであろう生の激痛に、男たちは誰一人立ち上がれない。
「ちなみに爺さん。あんたの神経もちゃんと治療しておいてやったぞ」
「……な、んだとっ!」
老人はぞっとした表情で、慌てて踵を返した。