第269話 二人の人質【後】
前回のあらすじ)ゼノス、カーミラ、メリッサは灰の豊穣にとらわれたリリとルーベルを助けにむかうことにした
檻の前で【灰の豊穣】の長がリリを目を細めて見つめる。
「大事な手駒だから安全だと……なるほど、面白いお嬢ちゃんだ。随分と肝が据わっておる。一体何者かね? どんな経験をしてきた」
「……」
リリが何も答えないでいると、老人は表情を変えないまま口を開いた。
「まあよい。いずれ嫌でも話したくなる。しかし、残念ながら前提が間違っておる」
「……?」
「よく勘違いされるのだが、我らは決して魔獣使いだけの組織ではない。流浪の民として危険地域も渡り歩いてきた祖先が磨き上げたのは、魔獣を操る技術だけではないのだ」
老人の後ろにはいつの間にか二人の部下らしき人物が控えていた。
人骨を繋いでネックレスのようにした女を、老人は折れそうな指で差し示す。
「この女、サイが率いるのは、死霊使いの部隊」
「死霊、使い……」
「魔獣を操るのも、死者を操るのも、似ている部分がありますからのう。サイの部隊が動けば死者たちがたちまち生者に襲いかかりましょうや。命が欲しいとっ!」
老人の骨ばった指が突然檻の柵を掴み、ルーベルが小さく悲鳴を上げた。
満足そうに眼を細めた老人は、もう一人の男の肩に手を乗せる。
「そして、もう一つはゼンの部隊。今回もよい仕事をしてくれた」
「は……」
ゼンと呼ばれた男は小さく頷いた。
何の変哲もない容貌をしており、覇気のようなものは感じられない。だが、簡素な皮の服を見るに、おそらく馬車を襲撃してきた部隊だ。
「鋼の装甲を紙のように切り裂いた人達? あれはなんなの?」
情報収集も兼ねてリリは尋ねるが、老人はただ静かに笑うだけだ。
「ふはは……このように魔獣使い以外にも手駒はありますからの。人質もその一つに過ぎないことをお忘れなく」
「……」
押し黙るリリ。老人は柵の隙間から顔を差し込むようにして言った。
「どうか逃げようなど変な気を起こさぬように。うっかり殺しても、死霊使いが坊ちゃんたちの身体を操るだけですからの」
「ひっ……」
ルーベルは完全に涙目だ。
配下を従えた老人は、再び杖をつきながら、部屋の外へと消えた。
「ど、ど、どうしようっ、やっぱり殺されるっ」
「大丈夫だよ。脅しをかけたということは、逆にリリたちには利用価値があるということだと思う」
「でも、死霊使いが死体を操るって」
「多分そんなに簡単にはいかないよ。ゾンビになったら見た目だって変わっちゃうし、王国側の人だってきっと気づくよ。交渉だって難しくなる。だから、今は下手に騒がずに――」
「助けてっ、助けてくれぇぇぇっ!」
「落ち着け―っ!」
リリはルーベルの頬をばしんと叩いた。
一瞬の沈黙の後、ルーベルは信じられないような顔で頬に手を当てる。
「……え?」
リリは肩で息をして、ルーベルを正面から見つめる。
「そもそもルーベル君が前線に行かせろ行かせろと騒いだのも原因でしょ。なのに幽霊に怯えて、魔獣に怯えて、人質になったら騒いで。それなら最初から戦場なんて来なければよかった」
「な、な、なな、七大貴族の俺を叩いたっ?」
「私達は友達でしょ。友達なら間違っていたら止めるべきだと思う」
かつてゼノスが親友だったヴェリトラという人の暴走を止めたように。
本当はもっと早く止めるべきだった。
「友、達……」
リリの真剣な表情に、ルーベルは頬を押さえたままつぶやく。
おそらくこれまで対等にぶつかってくれる仲間はいなかったのだろう。
困惑した表情を浮かべたまま、ルーベルは口を開いた。
「リリは……リリは、怖くないのか」
「私だって怖いよ。すごく怖い」
ルーベルには人質の身はまだ安全だと伝えたが、それだって本当は定かではない。
老人がここの部隊編成をぺらぺら話したということは、いずれにせよ最終的には生かして帰すつもりはないということだ。勿論、それはルーベルには伝えない。
頬からおもむろに手を離して、七大貴族の少年は尋ねる。
「じゃあ……なんでリリは平気でいられるんだ?」
「平気じゃないけど、交渉には時間がかかるはずだから、大人しくしていればその間は何もしてこないと思う。時間が稼げる」
「時間を稼いだところで何も変わらないだろ」
「きっと助けが来る」
「でも、あの爺さんが言ってた。王国の兵士は、この場所だって知らないんだ」
「それでも来る」
「なんで、そう言えるんだよ」
「だって、約束してもらったから」
きょとんとした表情でルーベルは言った。
「……約束?」
リリはゆっくり頷いてこう続けた。
「必ず連れて帰るから、待っててくれって」