第264話 襲来と決意【後】
前回のあらすじ)豚野郎将軍にブルーサラマンダーの酸が直撃した
「おいおい……注意しただろ」
ゼノスは視界の奥で絶叫しながら倒れ込むヒガースを見て、呆れて肩をすくめた。
酸が直撃する直前に防護魔法を発動したので、おそらくぎりぎり死んではいないだろうが、距離がかなりあるため完全には防ぎきれていない。
「ま……あいつは後でいいか。それより今は――」
ゼノスは視線を魔獣に向け、おもむろに駆け出した。
「後方支援部隊っ、守備隊に盾を! 長くは持たない。次々交換しろ」
メリッサ率いる西方防衛軍が、ブルーサラマンダーに追いついて取り囲んでいた。
「近距離部隊は槍で腹を突けっ! 遠隔部隊は弓矢と魔法で頭を狙えっ!」
「「「はっ!」」」
迅速な連携で少しずつA+級魔獣にダメージを与えていく。
特に最前線の攻撃部隊の動作は非常に機敏で、魔獣の吐く酸をかいくぐりながら、長槍で的確にその身を抉っていた。
「なんだ?」
「異様に身体が軽いぞっ!」
「この光は……?」
目を凝らすと、兵士たちの身体を、薄い青い光がまとっている。
「何……?」
メリッサが眉をひそめ、集団後方に合流したゼノスを睨んだ。
「ゼノス……まさかお前の仕業か」
「一応な、最前線の兵士には能力強化魔法をかけた」
「お前は本当に何者なんだ。治癒師じゃないのか」
「治癒師だよ」
「こんな治癒師聞いたことがないぞっ」
メリッサは困惑した顔で言い放ち、軽く口の端を上げた。
「だが、感謝する」
そして、腰の剣を鞘からわずかに抜きながら言った。
「みんな、もう少しだ。怯むな。ここが勝負所だぞっ!」
「「「はっ!」」」
兵士たちは一斉に応じ、連携を強固にしていく。
「シギャアアアアッ!」
ブルーサラマンダーは空に向かって咆哮した。
幾ら酸を吐き散らしても、巨体で薙ぎ倒しても、なぜか兵士たちの負傷は限定的で、しかもすぐに復活してくる。ヤヌール湿原ではおそらく王者の一角として君臨していたであろう魔獣は、勝手の違いに戸惑っているようだ。
反対に、こっちはメリッサの指揮とゼノスの支援でブルーサラマンダーに着実にダメージを蓄積させていく。やがて、疲労のせいか、苛立ちのせいか、高く持ち上げられていたブルーサラマンダーの頭が、大地の近くまで降りてきた。
「ここだっ、道を開けぇっ!」
勝機。
メリッサの号令とともに、軍隊が左右に分かれた。
即座に剣を抜き放ち、駆け出すメリッサ。
それは不思議な文様が描かれた赤い刀身だった。
メリッサが一歩踏み出すごとに、燃えるように輝く刃に深紅の炎が取り巻いていく。
「魔法剣か」
ゼノスは右手をゆっくり前にかざしながら呟いた。
魔法属性が織り込まれた希少な剣だ。
――【炎姫】。
メリッサが北部戦線でそう呼ばれていたことを思い出す。
「シャアアアアアアアアッ!」
ブルーサラマンダーは禍々しい気配をまといながら接近するメリッサに脅威を覚えたのか、酸の塊を立て続けに発射する。
――脚力強化。
しかし、ゼノスの能力強化魔法で加速したメリッサは酸の乱射をかいくぐって、魔獣を射程範囲に捉えた。
一瞬こっちを振り返ったメリッサは、地面を思い切り蹴り、剣を大上段に構えたままブルーサラマンダーに飛び掛かった。
「はあああああああああっ!」
陽光を赤く反射する紅蓮の刃から、天に向かって火柱が立ち昇る。
一刀両断。
灼熱の斬撃が熱風とともに振り下ろされ、巨大魔獣の頭を縦に裂いた。
傷口から侵入した炎が、渦を巻きながらブルーサラマンダーの体内で暴れまわり、その身を焼き尽くしていく。
「オォォォ……」
か細い断末魔の悲鳴とともに、巨獣は力をなくしたように大地にその身を横たえる。
ズシンという重い地響きとともに足元が上下に揺れ、やがて、第二防衛線に静寂が訪れた。
「やったか……?」
「やった……」
「やったぞっ!」
正規兵も貧民も、魔獣の侵入を防いだ兵士達は、互いに笑顔で健闘を称え合う。
「諸君、よくやった! 怪我人は急いで救護テントに運べ」
魔法剣を鞘に戻したメリッサは、早速指示を飛ばしながらゼノスに近づいて言った。
「助かった、ゼノス。おまえの強化魔法のおかげで普段以上の力を出せた」
「お節介とも思ったが、一応な」
「また借りができたな」
一息をつくメリッサに、ゼノスは言った。
「でも、さすがなのはあんただよ」
「……?」
「いや、俺の想像だけど、軍人って人間相手が主で、魔獣の相手は慣れてないだろ。ブルーサラマンダーは胴体を幾ら削っても後でトカゲみたいに再生するんだよな。だから、ちょうど相手が嫌がる程度のダメージを与えて、頭が下がった時に首を落とすのが討伐の常套手段なんだ。よく知ってたな」
「そうだったのか?」
「え、知らなかったのか?」
そういう戦い方をしていたから、特に口は出さなかった。
メリッサは倒れ伏したブルーサラマンダーを眺める。
「人間だろうが魔獣だろうが、生物である以上、心臓か頭を潰せば死ぬだろう。あの巨体で心臓はどこにあるかわからなかったからな。だったら頭を狙おうと思っただけだ」
「やっぱりさすがだよ」
ゼノスは肩をすくめて苦笑した。
メリッサは釣られたように笑った後、浅く溜め息をつく。
「しかし、将軍を無視して軍隊を率いるなど、今度こそ軍法会議ものだな」
「結果的にうまくいったんだから、いいんじゃないか?」
「そうはいかないのが軍隊なんだ」
「面倒だな」
ゼノスが腰に手を当て溜め息をついていると、西方防衛軍の治癒師グレースが救護テントのほうから駆けてきた。
「怪我人は他にはいない?」
「ん、ああ。重傷者は戦闘中に大体俺が治療したし、もうここには……」
言いかけて、ゼノスはぽんと手を叩いた。
「どうしたの?」
「いや、いた。一人忘れてた」
そういえば、ブルーサラマンダーの酸を浴びた腹の出た上級士官がいた。
行方を探すべく視線を丘の上へと巡らせ、ゼノスはメリッサに軽く笑いかける。
「ちょっと、交渉してみるか」