第261話 焚き火
前回のあらすじ)豚野郎将軍が規律を正すために前線にやってこようとしていた
砦でヒガースが悪だくみをしていた頃、第二防衛線付近の小高い丘の上で、たき火を囲む二人の姿があった。
半分に欠けた月が、薄闇に包まれた世界を静かに見下ろしている。
「すまなかったな、ゼノス」
軍隊長から食糧運搬係に降格になったメリッサは、たき火に枝を力なく投げこむと、肩を落として言った。
「お前は前線で大きな手柄を挙げた。本来であればお前を私の直属の配下にして、要求通り砦への通行の自由を与える予定だったが、もう私にはその力もなくなってしまった」
丘を渡る風が炎を揺らし、メリッサの表情に濃い陰影を刻む。
ゼノスは肩をすくめて尋ねた。
「それにしても、なんでいきなり降格なんだ?」
「おそらく将軍の不興を買ったということだろう。私は何度も前線の体制の変更を申し入れていたからな。将軍の作戦は貧民を捨て駒として魔獣にぶつけ続けるというものだ。だが、そういうやり方では必ず前線に不満が出て、それがいずれ大きな火種になる」
ぱちん、とたき火の薪が大きく弾けた。
ゼノスは揺らめく炎を眺めて言った。
「貧民は捨て駒、か」
「貧民だけじゃないさ。軍隊においては、兵士はただの駒だ。しかし、同時に彼らが人であることも忘れてはいけない。尊敬する軍隊の上司に私はそう教わった」
「俺はあんたが間違っているとは思わないけどな」
「……」
ゼノスが言うと、メリッサは膝を抱えて呟いた。
「軍隊では実際に間違っているかどうかより、間違っていると上官から判断されるかどうかが問題なのだ」
メリッサは赤く燃える炎を、ぼんやりと見つめる。
「私は去年まで北部戦線という場所にいたのだが、そこでも王都から来た新任の上官に立てついてしまってな」
その上官が速めに手柄を上げたいと功を焦り、撤退の判断を遅らせてしまったことで、多くの部下の命が失われてしまった。そのことを追求したところ、根に持たれてしまい、敗戦の責任を全てなすりつけられることになった。
結果、西方防衛線に左遷されてしまったとメリッサは言う。
「ここでも同じことを繰り返してしまったな」
自嘲気味につぶやくメリッサに、ゼノスは素直に告げた。
「俺はいっそあんたが全体を指揮したほうがいいと思うけどな」
今回の最前線の連携も、元々はメリッサが大枠の指示を出していたらしい。
それを西方防衛線のメリッサの部下達が踏襲してやったようだ。
間接的には最前線の活躍はこの女傑のおかげということになる。
「お前に言われると悪い気はしないな」
メリッサは少しだけ微笑んだ後、緩く首を横に振った。
「だが、指示系統が複数あれば前線が余計に混乱する。それに軍人である以上は階級に従わざるを得ない」
「そうか……」
「しかし、ゼノス。お前のおかげで西方防衛軍は立ち直った。私はもう軍隊長ではないが、この国の軍人の一人として礼を言う」
右手を額に当てて敬礼をするメリッサを見て、ゼノスはぼりぼりと頭を掻いた。
「別に俺のおかげじゃないよ。俺はただ治療をしただけだ」
「私と互角に剣を振るい、怪我人を根こそぎ治癒させる。お前のような逸材がこの国にいたとはな。私に力があれば無理やりにでも表舞台に引き出すところだ」
「頼むからやめてくれ」
「この後のことはどう考えている?」
「この後?」
メリッサは軍人の顔つきになって口を開いた。
「【灰の豊穣】が多くの魔獣使いを抱えているなら、魔獣の棲み処たるヤヌール湿原には幾らでも手駒がある。戦いを終わらせるには、どこかで打開策が必要になる。お前はどう思う?」
「俺は軍略の専門科じゃない。それはあんた達が考えることだろ」
「ああ、だがお前の意見も聞いてみたい」
「……」
ゼノスは肩をすくめて、第一防衛線の方角に目を向けた。
「まあ、手っ取り早いのは【灰の豊穣】とやらの拠点を直接叩くことだな」
「手っ取り早いって……【灰の豊穣】が拠点を構えるヤヌール湿原は魔獣の巣だぞ。それに湿原のどこに拠点があるのかもわからない。さまよっている間に全滅しかねない」
「やりようはあると思うが……確かに労力を考えると乗り気にはならないな」
ゼノスは視界の遙か遠くにある霧の立ちこめる湿原を睨んだ。
「ただ、うちが無理に打開しなくても、向こうから動いてくると思うけどな」
「どういうことだ?」
「もし、【灰の豊穣】っていうのと、北のマラヴァール帝国というのが裏で手を組んでいるとすると、【灰の豊穣】の目的は西方防衛戦を食い破り、北部戦線の主力軍を西方防衛線に向けさせることだよな?」
「おそらくな。それで手薄になった北部戦線を今度はマラヴァール帝国が蹂躙するという作戦だろう」
「でも、今はうちの前線が持ち直したから、【灰の豊穣】としてもこのままではよくないと思っているはずだ」
【灰の豊穣】はお抱えの魔獣使いたちによって無数にいるヤヌール湿原の魔獣を操れる。
しかし、こっちも治療体制が整ってきたことで、兵士たちはすぐに前線に復帰するため、戦況は平行線をたどりつつある。元々は北部戦線の均衡を崩すために、【灰の豊穣】が動いたはずなのに、ここでも拮抗状態となればそもそも作戦の意味がなくなってしまう。
「だから、新たな策を仕掛けてくる、か。敵はどんな手で来る?」
「あんた、わかって聞いているだろ。【灰の豊穣】の攻撃手段が魔獣使いだけと仮定した場合だが……今までは小型魔獣の量で攻めてきた。しかし、これだけだと埒が明かない。なら、今度は質で攻めてくるはずだ」
「質……つまり、中型以上の魔獣か」
「ああ、だから小型魔獣を討ち漏らさないように広く網をかける部隊に加えて、中型以上の魔獣を専門に仕留める部隊の編成が必要なんじゃないか?」
小型魔獣と違って、中型以上の魔獣を操るのは簡単ではない。
敵も相応のリスクを負うはずだ。
配下の魔獣使いの一部を失う可能性も高い。
「逆に言えば、ここを防ぎきれば戦況はこっちに傾くはずだ。お互い正念場って訳だ」
「ふ……ははははっ」
急に笑い出したメリッサを、ゼノスは怪訝な顔で見つめる。
「ど、どうした?」
「いや、私も同意見だ。返す返す残念だ。私に権限があればお前を正式に軍に迎え入れるというのに」
「やめてくれ。今回は必要にかられてやってきただけで、俺は軍人に向いていない」
ゼノスは立ち上がって、首をゆっくりと回した。
釣られたように、メリッサも手をついて立ち上がる。
「それならお前はどうして国境警備兵に応募したんだ?」
「まあ……ちょっと個人的な事情があってな。あんたのほうこそなんで軍人に?」
「……私、は」
メリッサは一瞬言葉に詰まって、視線を遠く国境に向けた。
「私はマラヴァール帝国の襲撃で壊滅した国境付近の村の生まれでな。だから、私が軍人になるのは自然な流れだった」
「……」
「私のように突然家族を失う者が出ないよう、私は国境の村々を守りたかった。善良な街の人々を守りたかった。日夜剣を振るい、敵を滅ぼし、軍隊での地位を高めていった。北の【炎姫】と恐れられるようにもなり、守る対象は次々と広がっていった。そして、いつしかこの国は私が守るんだと心に誓うようになったのだ」
だが――、とメリッサは悔しげに瞳を閉じた。
「その結果が西の辺境の食糧運搬係だ。情けなくて涙も出ないな」
「別にいいんじゃないか?」
のんびりしたゼノスの一言に、メリッサは眉をつり上げる。
「よ、よくないだろうっ。こんな立場で一体どうやって国を守れというんだっ!」
「国なんて得体の知れないものを守ろうと思ってもうまくいくもんじゃないさ。そもそも俺のような貧民はこの国に恩義なんてないし」
「ゼノス。おまえのことは気に入っているが、その言葉は聞き捨てならんぞ。それだけの能力を持ちながら、お前は世のため人のために力を使う気がないというのか」
「そんな大それたことは考えちゃいないよ。俺はただ手の届く範囲の大事な人達や生活を必死に守ろうとしているだけだ」
「……」
メリッサはぱちくりと瞬きをした。
「手の届く、範囲……」
そして、おもむろに自身の右手の平を眺める。
剣を振るい続けたことで、皮が何度もめくれ、皮膚は鱗のように固くなっている。
そういえば、最初はどうだったのだろう。
両親を守りたかった。
弟を守りたかった。
隣近所の幼なじみを守りたかった。
ただ、身近な誰かを救いたいだけだったのが、いつしか守る単位が村になり、街になり、国という茫漠としたものへと広がっていった。
「私は――……」
「あ、二人とも、そんなところにいたっ。明日の作戦会議、早くやりましょう」
丘の下のテントから、従軍治癒師のグレースや、西方防衛軍の兵士たちが手を振りながらやってくる。
「たとえ軍隊長を降格になっても、あんたには手が届く範囲の者を守るくらいの力はあるだろ」
「ゼノス……」
にこりと笑うゼノスを、メリッサはじっと見つめる。
濃い群青色の空に、星が一筋流れた。