第241話 徴兵
前回のあらすじ)闇市で買い物を楽しんだ貧民学校の一行。一方、貧民街には国境警備兵募集の看板が立っており――
「国境警備兵、大量募集」という看板に足を止める貧民学校の一行。
看板には三食提供、給与あり。という補足情報とともに、希望者の集合時間と集合場所が記載されている。
「国境、警備兵……? ゼノス先生、どういう意味?」
子供たちはかなり文字が読めるようになってきているが、まだ意味までは十分理解できていないようだ。
「国を守る兵士を募集しているってことだな」
「え、まじで。なんかかっこいいじゃん」
「飯と金も出るらしいぜ!」
「やった、俺らも行けるのっ?」
男子生徒たちが色めき立っていると、別の女生徒が間に割って入った。
「全然かっこよくないよっ。あたしのお父さんは、これに行って帰ってこなかったもん」
「え……」
生徒たちの視線を受けて、ゼノスは看板を眺めながら言った。
「国を守るってことは、外敵が来れば対応しないといけないってことだからな」
「……」
子供たちは静かになって互いに顔を見合わせる。
「でも――」
時々この手の募集があること、そして食うに困った貧民の一部が国境警備に出向いていることは知っているが、少し違和感がある。大量募集、という文言は今まであまりなかったような気がする。何かこれまでにないことが起きたのだろうか。
「聞けぇぇっ、貧民どもっ!」
少し先の通りで、がなり声が響いた。
足を向けると、そこに立っていたのは魔導拡声器を持った壮年の男だった。
ずんぐりとした体躯で、居丈高な態度で貧民街の住民を見回している。
まとった黄金色の甲冑には燃え上がる太陽の紋章が刻まれていた。
おそらく軍隊の紋章だ。
男の後ろにも五十名程度の武装兵が並んでいる。
「わしは上級士官のヒガースだ。貴様らはどうせ文字もろくに読めんだろうから、わざわざ案内に来てやったのだ。我が国は新たに国境警備兵を求めている。速やかに参加するがいい。わかったな、愚民ども」
偉そうに言い放った後、小声で「なぜわしがこんな汚い場所に足を運ばねばならんのだ」と愚痴をこぼし、脇に控えた部下がそばで耳打ちしている。
「七大貴族のギース卿から降りてきているご依頼ですから。将軍が直接出向いたほうが士気高揚に繋がるであろうと」
「ふむ、まあそうであろうがな。ギース卿の頼みとあらば断れん」
「壁は多いほうがいいだろうと」
「わかっておる」
能力強化魔法で聴力を強化すると、どうやらそんな会話をしているようだ。
――壁……?
眉をひそめると、ヒガースと名乗った男はもう一度魔導拡声器に向かった。
「将軍職にあるこのわしがわざわざ掃きだめのような場所に来てやったのだ。通常であれば、貴様らごときが生涯目にすることすらかなわぬ崇高な立場。ありがたく思うがいい。貧民共、さっさと応募の手続きに並ぶがいい」
かなり上から目線の物言いをしてふんぞり返っている。
だが、多くの貧民はヒガースを邪魔者のように眺めた後、ただ前を通り過ぎるだけだ。
特に治療院からも近いこの辺りは、最近は様々な産業も興っており、明日の食事のためだけに命を懸ける者も少なくなっているのかもしれない。
「おいっ、聞こえているのかっ。ここのクズ共は言葉も理解できんのか!」
苛々し始めたヒガースは、脂ぎった額を拭って、視線をこっちに向けてきた。
「おい、そこのガキども。国境を守るという栄誉をくれてやる。こっちに来い」
「将軍、子供ですよ」
「構わん。どうせただの壁だ」
男たちはそんな会話を交わし、子供たちを手招きする。
怯えたようにその場を動かない生徒たちを見て、ヒガースという男は白けた顔で言った。
「ふん、面倒だな。捕えて連れていけ」
「……はっ」
控えていた兵士達が、ぞろぞろと近づいてくる。
「ひっ」
「おい、待て待て」
青ざめる子供たちの前に立ちはだかったのは、黒衣をまとった闇ヒーラーだ。
「さすがに強引すぎるんじゃないか? 相手は子供だぞ」
「なんだ貴様は」
ヒガースが眉間に皺を寄せて近寄ってきた。
「俺はこの子たちの保護者だ。勝手な真似をされちゃ困る」
「命令だ。そこをどけ」
「俺はあんたの部下でもなんでもない。命令を聞く義理はないが?」
「なんだと? 貧民ごときが、わしに口答えをする気か。この無礼者っ!」
ヒガースは腰の剣を抜くと、いきなり斬りかかってきた。
がんっと、叩打音が響き、ヒガースは口の端を上げる。
しかし、ゼノスは平然とした顔で、ガードしていた右腕を下ろした。
「話が通じないな。軍人ってのは、みんなこんななのか?」
「む、無傷だと? なぜだ。確かに斬ったはず」
防護魔法を使ったことはわざわざ言わなくてもいいだろう。どうせ貧民の言葉に耳を傾けるつもりはなさそうだ。久しぶりにこれほどわかりやすい貧民差別主義者を見た思いだが、むしろこの国ではこれが普通の反応とも言える。
「じゃあ、俺たちはこれで。みんな行くぞ」
はいっ、という子供たちの元気な返事に混じって、ヒガースの怒りの声が響き渡る。
「おい、待てっ!」
――能力強化。
右手に青い光を宿らせると、ゼノスはヒガースの顔面に向けて拳を突き出した。
「ひっ!」
「将軍っ!」
思わず目を閉じるヒガースと、声を上げる兵士たち。
しかし、拳は鼻先でぴたりと止まっている。
ゼノスがゆっくりと指を開いてみせると、小さな羽虫がそこにいた。
「ムラサキヤツバアブだ。耐性がない人間が刺されると丸一日猛烈なかゆみに襲われる。危ないところだったな」
「き、貴様ぁぁっ!」
「いや、むしろ感謝して欲しいんだが」
「先生っ!」
割って入った声に、辺りを見渡すと、いきり立つヒガースを更に外側から囲む集団がいた。
リザードマン。ワーウルフ。オーク。貧民街を統べる三種族だ。
先頭に立つのはそれぞれの種族を率いるゾフィア、リンガ、レーヴェである。
百名を軽く超える血気盛んな部下たちが、彼女たちの背後から軍隊を睨みつけていた。
「な、なんだ貴様らはっ!」
焦り顔のヒガースに、リンガが平然と答える。
「なにって、ただの散歩」
「ふ、ふざけるなっ。こんな物騒な奴らを大勢連れて、ただの散歩だと?」
「なんせ我らは仲良しだからな」
レーヴェが応じ、亜人たちの発する圧に兵士たちが後ずさりをする。
「ここはお偉いさんが来るところじゃないよ。伝染病をもらいに来たのかい?」
「な、なにっ」
ゾフィアの言葉に少し慌てた様子のヒガースは、部下たちを一瞬眺めた後、咳払いをした。
「す、少し用事を思い出したわ。だが、覚えていろ」
ヒガースはそんな捨て台詞を残すと、軍を率いて街区に向かう道へと消えていった。
ゾフィアが早速駆け寄ってくる。
「先生、大丈夫かい? なんだか騒がしかったから急いで部下たちを連れてきたんだ」
「ああ、俺は大丈夫だ。子供たちもいたから助かったよ。ありがとうな」
ゼノスは国境警備兵募集の看板に目を向ける。
「でも、わざわざ軍人が直接貧民を徴兵にやってくるなんてどういうことなんだ?」
しかも、年端のいかない子供たちまで強引に連れて行こうとするあたり、やはりこれまでとは状況が違う様子だった。
「どうも西の国境辺りで何かがあったらしいとリンガは風の噂で聞いた」
「西の国境……」
リンガの運営している地下カジノには様々な背景を持った者たちが集まる。
そのおかげで国家情勢も含めた最新の情報も手に入りやすいのだ。
「それで兵士を増やしたい訳か」
気になるのは、ヒガースの発していた壁役という言葉だ。
国境警備兵募集とは謳っているが、貧民に求められているのはおそらく兵士としての役割ではないのだろう。
「……」
ゼノスは闇市に向かう通りにふと気がかりな目線を向けた後、ゾフィアたちに言った。
「みんな、子供たちを頼む。俺はリリを迎えに行ってくる」