第240話 実習と立て札
前回のあらすじ)西の国境に魔獣の群れが襲来、七大貴族のギース卿は軍とともに壁役として貧民を戦場に送ることを提唱し――
「さあ、みんな準備はいいですか?」
「はいっ、リリ先生」
「いつでもいけるぜ」
「楽しみー!」
エルフの少女リリの問いかけに、貧民の子供たちが元気よく応じた。
「じゃあ、三つお約束です。まず、大騒ぎしない。そして、走らな……って、言ってるそばから走ってる!」
早速全速力であちこちに散らばった子供たちを見て、リリは頭を抱えた。
ここは貧民街の外れにある闇市。食料品に日用品に衣類に娯楽用品。単なる粗大ゴミから、隠れた値打ち物までありとあらゆる品物が雑多に並ぶ貧民街の一大市場だ。
子供たちは貧民のための学校――通称、聖カーミラ学園に通う生徒たちで、今日は日頃の計算練習の実践として、皆で買い物にやってきたのだった。
「約束を伝えることすらできない……リリに威厳がないから……」
「ま、子供はあれくらい元気なのがいいんじゃないか。子供が元気のある街はいい街だって師匠も言ってたし」
リリの隣で苦笑するのは、貧民学校の提唱者でもある闇ヒーラーのゼノスだ。
もう一人の先生であるリザードマンのゾンデが不在のため、午前中は闇営業の治療院を休診にしてリリと子供たちに付き合っていた。
リリはため息をついて、ゼノスを見上げる。
「ゼノスも子供の頃はこんな感じだったの?」
「師匠といた時はそうだったかもな。孤児院では『はい』以外の言葉を口にすると、鞭がとんでくるからみんな静かだったけど」
「聞くんじゃなかった……」
リリは硬い声で答えた後、市場内を駆けめぐる子供たちに声をかけた。
「ほら、みんなー。買うものは覚えてる? 文房具と午後のおやつ。ちゃんとお釣りを計算するんだよ」
はーい、という返事が市場のあちこちから返ってくる。
グループに分かれて楽しそうに品物を眺めている子供たちを見つめて、ゼノスはぽりぽりと頭を掻いた。
「でも、なんか……リリに悪いな」
「え、なんで?」
きょとんとするリリに、ゼノスは目を向ける。
「いや、よく考えたら、リリも年の近い仲間たちとああやって遊びたいんじゃないかと思ってさ。それなのに先生役なんて頼んじゃったからな」
リリは治療院では受付兼看護師、聖カーミラ学園ではゾンデと一緒に教師という役割を担ってくれている。
貴族の学校であるレーデルシア学園で、イリアという生徒から初等教育を習ったのだが、賢いリリはそれらを早々に習得した。ゼノスは治療院があるため、いつも学校に顔を出す訳にはいかず、リリが教師として適役だと思われたからだ。
「でも、先生の役割だと子供たちと同じ立場では遊べないだろ?」
ゼノスの子供時代はとてつもなく過酷な環境だったが、孤児院にいた仲間たちの存在に随分と助けられた。改めて思うと、リリにはそういう存在がいないのだ。
リリは少し考える仕草をした後、にこりと笑う。
「うーん……同年代の友達がいたらきっと楽しいとは思うけど、リリはゼノスやみんなといるだけでとっても楽しいから十分満足だよ」
「そっか……いつも助かってるよ」
ゼノスは微笑んでうなずく。
先月はザグラス地方という辺境に予期せぬ冒険に出かけることになったが、その間もリリや亜人の頭領たちがしっかりと留守を守ってくれた。
リリは嬉しそうに背伸びをする。
「えへへー、じゃあ褒めて」
「冒険から帰った時にかなり褒めた気がするが」
「こういうのは何度褒めてもいいんだよ、ゼノス」
「そうか? まあ、そうだな」
頭をよしよしと撫でると、リリはくにゃっと表情を崩した。
「むふふぅ」
「あー、リリ先生がゼノス先生によしよしされてる」
「ずるい、俺も」
「私もっ」
わらわらと集まってくる子供たちに、リリは真顔で言った。
「駄目だよ? ゼノスのよしよしはリリのものだから」
「急に威厳が……」
その後、騒がしい課外授業を終え、一同は帰途についた。
「あー、買い物楽しかった」
「一応、これは授業ですよ。計算はちゃんとできましたね?」
「はーい、リリ先生」
元気よく返事をする子供たちを眺めていたリリは、突然声を上げた。
「あっ!」
「どうしたんだ、リリ?」
「いけない、私も買い物があったんだ。夜の食材がもうないの」
「じゃあ、みんなで闇市に戻るか」
「ううん、子供たちを連れて行くと大変だから、ゼノスはみんなと先に帰って。私ちょっと行ってくるね」
「わかった。気を付けてな」
「うん、すぐ帰るから。また後でね」
リリは手を振って、その場を離れる。
小さな背中が曲がり角に消えるのを見届けて、ゼノスは子供たちを引き連れて貧民学校に続く道に足を向けた。
一人の女生徒がゼノスの袖を引っ張る。
「ねえ、ゼノス先生。買い物も楽しかったけど、私はこの前の地図を使った授業が楽しかったな」
「地図? ああ、地理か」
「世界って大きいんだね。全然知らなかった」
「ああ、そうだな」
これまでは貧民街しか知らないまま一生を終える貧民も決して少なくなかった。
ゼノス自身も師匠との出会いや、たまたま誘われて冒険に出ることがなければ、狭くて冷たい孤児院が世界の全てだと思っていただろう。
「貧民街の外にも世界があって、さらに外には別の国もあって……なんだか私、目が回りそうだった」
「俺、色んな国に行ってみたいな!」
「私もっ」
盛り上がる子供たちに、別の子供が口を挟んだ。
「でも、仲の悪い国は行けないんだろ? なんだっけ、マル……マラ……」
「マラヴァール帝国だな」
ゼノスは歩きながら言った。
ハーゼス王国は、地図上は四つの国家と国境を接しているが、特に北西に位置するマラヴァール帝国という国とは、小競り合いが絶えないと聞く。
「ゼノス先生、マラヴァール帝国ってどんなところ?」
「俺も行ったことがないからわからないな」
「ゼノス先生も知らないことがあるんだ」
「そりゃ沢山あるぞ」
「ふーん、でも、国同士の喧嘩なんてやめればいいのに」
「簡単にやめられない事情があるんだろうけどな」
すると、生徒はきょとんとした顔で首をひねった。
「なんで? どっちもごめんなさいって言えばいいだけじゃん。仲が悪いより、仲がいい方が楽しいもん」
「確かにそうだな」
ゼノスは並んで歩く子供たちを見て笑って頷いた。
彼らの種族は様々だ。少し前までは貧民街も種族間同士の血で血を洗うような争いが絶えなかったが、今は仲良く手を繋いで歩いている。
世代が変わり、時代が変わる。
未来はいつだって子供たちが作るものだ。
そんな彼らが外界への興味を持ち始めたというのは、きっといいことなのだろう。
現在は週に一回程度の授業だが、勉強にも少しずつ慣れてきたので、もう少し学ぶ機会を増やせるかもしれない。勿論、治療院の運営もあるから様子を見ながらになるが。
そのまま貧民街を進んでいると、通りの奥に人だかりができていた。
「なんだ……?」
近寄ってみると、人々は立て札の周りに集まっているようだ。
そこには赤字でこう書かれていた。
――国境警備兵、大量募集。