第236話 エピローグⅠ
前回のあらすじ)ゼノスとアスカ、そしてロアはS級魔獣ダークグリフォンを遂に倒した
「ふわぁ……」
心地よい馬車の振動を身体に感じながら、ゼノスは大きな欠伸をした。
「眠そうじゃのう、ゼノス」
リュックの中から浮遊体の声がする。
「まあな……夜通し山中を走って、Sランクの魔獣と戦ってたんだ。仕方ないだろ」
「ふん、わらわはつまらぬ」
朝が近づいてきたため、カーミラは戦いの途中で木陰がある場所まで戻らざるを得なくなり、最終局面を間近で鑑賞できなかったという。
「じゃが……まあ久しぶりに冒険気分を味わえたわ」
「久しぶり……前もそう言ってたけど、もしかしてお前、三百年前は冒険者だったのか?」
「くくく……そうとも。知る人ぞ知る伝説の冒険者よ」
「伝説の冒険者、本当か?」
「嘘じゃ」
「嘘かよっ」
ザグラス地方の任務を終え、冒険者達は行きと同じようにベイクラッド卿が用意した馬車に分かれて乗車していた。
ただ、行きとは違うところもある。
騒がしい少女が座っていた右隣の席は、帰り道では空席になっていた。
クミル族の少女ロアは、剣聖アスカの弟子としてそのまま旅に出ることになったのだ。
「出世払いを忘れるなよ」
別れ際にそう告げると、ロアは得意げに言った。
「うん。いい女になって帰ってくるから、先生と付き合ってあげるよ」
「いや、もうちょっと金銭的なやつで頼む」
「ちょ、ひどっ」
そんなやり取りを思い出し、ゼノスは窓の外へと目をやる。
ベイクラッド卿への諸々の報告はカイゼルがしてくれるそうだ。
帰りはなぜか同じ馬車に乗り込んできた目の前の老冒険者が怪訝な表情で言う。
「しかし、本当に貴殿の活躍を報告しなくてよいのか? 最後に元凶を打ち倒したのは【銀狼】だろうが、今回の任務の真の立役者は貴殿であろう」
「冒険者時代に毎日やっていたことをしただけだ。大袈裟に言うほどのことじゃないさ。俺の取り分はアスカが届けてくれるしな」
それにS級魔獣との決戦は【銀狼】の超絶剣技とロアの不意打ちがなければ成し得なかったし、襲撃された山小屋の冒険者達をカイゼルとジョゼに任せることができたから【銀狼】の支援に向かうことができた。
「己より他者を称えるか……貴殿には二度負けた気がするな」
カイゼルは腕を組んで、苦笑する。
今回の報酬は活躍に応じて冒険者ギルドの口座へと振り込まれることになる。
貧民のゼノスには当然口座などないため、ダーク・グリフォンを打ち倒し、最も多くの報酬を受け取るであろうアスカが、旅から戻ったら半分に分けて届けてくれるらしい。
「あなたには、また会いたいから」
確かアスカはそう言っていた。
「くくく……新たな恋の火種の予感」
「お前、楽しそうだな?」
ゼノスはリュックを横目で睨む。
ちなみに【髑髏犬】のビーゴ達は逃げるように途中の街で馬車を降りたようだ。
「僕はもう冒険はこりごりだね」
左隣に座る現役最年少の特級治癒師は、さっきからぶすっとした顔で本を読んでいる。
「ところでジョゼは何を読んでるんだ?」
「……治癒魔法学の基礎の教科書。シャルバード院長に無理やり持たされたやつ」
「へぇ」
ぱたんと本を閉じたジョゼは、微妙に頬を赤くしながらゼノスを睨んで言った。
「べ、別におたくに触発された訳じゃないからねっ。そろそろもう一度基礎固めしようと思ってた頃だし」
「いいんじゃないか」
ゼノスは微笑んで、背もたれに身体を預けた。
馬車は一路王都を目指して進んでいく。
抱えるリュックの中から、ぼそりとつぶやきが漏れてきた。
「しかし……誰かを忘れておるような気もするのぅ」
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「ひいいっ!」
その頃、奥深い山中で目覚めたのは、黒髪に旅人のローブをまとった女。
魔獣使いのミザリーだった。
ミザリーは茫然とした様子で、きょろきょろと辺りを見回す。
「あれ、な、何が起きたんだっけ」
確か七大貴族がスポンサーを務めるザグラス地方の冒険に参加。
食事に特殊加工した吸血獣の卵を仕込み、有力冒険者達を一網打尽にしようとした。
だが、山に漂う危険な雰囲気を感じ取って、早めに冒険を離脱しようと決意。
その後がなぜかぼんやりしている。
「というか、やばい気配が消えてる? え、なに、なにがどうなったの?」
ミザリーは這うようにして山道を登り、冒険者達が駐屯していた山小屋へと戻った。
広場に辿り着いたミザリーはその場で息を呑む。
「なに、これ……」
その場所は確かに存在しており、一連の冒険は確かに夢ではなさそうだ。
だが、よくわからないのは、小屋そのものはまるで凶悪な何かに襲撃された後のように、ほぼ全壊している。それなのに冒険者の死骸らしきものは一つもない。
状況は不明だが、少なくとも自身の試みも失敗したと考えてよさそうだ。
ミザリーは悔しげに爪をかむ。
「くそっ、なんで? せっかくこの国の重要戦力を削る絶好の機会だったのに。今度こそ……」
そこまでつぶやいたところで、急に手足がしびれ出した。
――今後悪事を働こうとしたら、今日のトラウマを思い出し、全身が金縛りになるまじないをかけておいたぞ。
脳裏に妖しげな女の顔と声が蘇り、全身が金縛りにあう。
「ひいいいっ、な、なにこれぇぇっ」
ミザリーの甲高い悲鳴が、空しく山にこだまするのだった。