第229話 山小屋の夜
前回のあらすじ)凶悪魔獣のカイザーコングを退けたゼノス達。一方で【髑髏犬】のビーゴ達はよからぬ事を考えているようで――
夜の帳が降り、ザグラス地方の山々が薄闇色に染まっていく。
山小屋に戻った冒険者一行によって、カイザーコングの出現と討伐の一報が待機していた冒険者達に知らされた。
「カイザーコング……まじか」
「よくたった数人で倒せたな」
「俺、待機していて良かった……」
熟練の冒険者達からは概ねそんな反応が返ってきた。
討伐ランクA+。カイザーコングは圧倒的な腕力はもとより、魔獣とは思えない知能と統率力こそが最も警戒に値する難敵で、歴史上数多くの冒険者達がその毒牙にかかっていたと聞く。
報告例が少ないのは、遭遇して無事に戻ったパーティがそれだけ希少なことを示しているのだ。
「さすがブラッククラスとプラチナクラス、そして特級治癒師のパーティだな」
そんな賞賛の言葉が数多かけられたが、カイゼルとジョゼはあまり嬉しそうではない。
「解せんな。洞窟の時といい、巨岩の落下の時といい、ゼノス殿がいなければ今回の討伐は困難だった。にもかかわらず、あやつらは肩書きばかりに注目し、貴殿の活躍を目に留めぬ……」
不満げに腕を組むカイゼルに、ゼノスは肩をすくめて答える。
「別にいいさ。活躍なんて言われるほどのものじゃないしな」
パーティにいた頃は当たり前のようにやっていたことだ。
むしろあの頃に比べると、仲間に対する支援の労力が遥かに少なく済んだので、逆に申し訳ないくらいだった。
それを言うと、ジョゼが呆れた様子で眺めてくる。
「だから、まじのまじで何者なんだよ、おたく」
「ただの平穏を望む日陰者だよ」
「その腕があれば、結構な名声も得られると思うけど?」
「名声なんかうっとうしいだけだ。俺は報酬だけ貰えればいい」
「報酬は貰うんだ」
「勿論。労力の対価はきっちり回収する主義だ」
「はっ。名より実を取る。潔いではないか」
カイゼルはこっちの言い分を認めてくれたのか、嘆息して白髪をぼりぼりと掻いた。
「まあよい。貴殿を見ていると、プラチナだのブラックだの肩書きにこだわっていた己が小さく見えてきたわ。報酬の配分と受け渡しについては、後で【銀狼】も交えて相談といこう」
「ああ、恩に着るよ。そういえば【銀狼】は?」
尋ねると、ジョゼが周囲に目をやって、首を傾ける。
「さあ? 汗かいたって言いながらどこかに消えたけど」
「ふぅん……」
そのまま山小屋の周囲を歩いていると、焚き火のそばで剣の素振りをしているクミル族の少女の姿が目に入った。
「精が出るな」
声をかけると、ロアは額の汗を拭って振り返った。
「ああ、先生。毎日素振りをするって、師匠との約束だからね」
そこでロアの手にした剣に見覚えがあることに気づく。
「あれ? その剣……?」
「うん、これ師匠の剣なんだ」
少女が握っているのは、真っ白な刀身の細身の剣だ。
確かアスカが使っていたのを覚えている。
「どうしたんだ、それ?」
「師匠の剣をちょっと触らせて欲しいって頼んだんだ。そしたら今から水浴びをするから、その間だけならいいって」
ロアは嬉しそうに言って、白刃を眺めた。
「へぇ……」
群れるのを極端に嫌うアスカだが、多少の心境の変化があったのか、この冒険で少しだけ態度を軟化させている気はする。
ロアに睡眠だけはしっかり取るように言って立ち去ろうとすると、「先生」と後ろから呼び止められた。
「どうした?」
「あのさ……違ったんだ」
ロアは剣を上段に構えたまま、神妙な顔つきで言った。
「仇の件か?」
「うん……カイザーコングは集落を滅ぼした魔獣じゃなかった」
倒れたカイザーコングのそばで、ロアは仇の獣毛が入った布袋を握りしめていた。
カイザーコングの黒い毛並みは確かに以前見せてもらった獣毛とよく似ている気はしたが、近くで比べたら異なっていたのだろう。
ロアは気を取り直すように、二、三度首を横に振った。
「でも、私が冒険者になれたら、いつか敵討ちの機会はやってくるはずだよね」
「【銀狼】への弟子入りはできそうなのか?」
「まだ渋られてるけど、諦める気はないよ」
「もうこれ以上は手伝わないからな」
苦笑して言うと、ロアは剣をゆっくり下ろして、
「うん、先生、ほんとにありがとう。あたしがナイスバディのお姉さんに成長したら、彼女になってあげるから」
「その時は手土産を忘れるなよ」
軽口を交わしながら、ふと思った。
結局、アスカがこの冒険に参加した理由――気になることがある、と言っていたのは一体なんだったのだろう。
しばらく立ち止まって思いを馳せるが考えてわかることでもない。
結局、素振りに励むロアのそばを離れて山小屋に戻ることにした。
「のう、ゼノス」
「うわ、びっくりした」
振り返ると、宵闇の中に半透明の女が浮いている。
「お前な、気配を消していきなり耳元で話しかけるなと何度言えば」
「ふん、わらわが戻る前に勝手にわくわく冒険イベントを済ませおって」
カーミラは不満げに腕を組んだ。
「仕方ないだろ。アイアンコングと【髑髏犬】の後をすぐに追わなきゃならない状況だったんだ。というか、お前こそ一体どこにいたんだよ」
「なに、ちょっとしたおしおきじゃ」
「おしおき……あ、お前やっぱり」
「くくく……」
カーミラは不敵に笑った後、少しだけ真顔になった。
「せいぜい気をつけるがよい。内憂外患。問題の種はあちこちに転がっておるぞ」
「不吉な予言はやめてくれ。やっと面倒事が片付いたところなんだ」
冒険に巻き込まれたことで治療院も休業中だし、リリ達も心配しているだろう。
貧民街の学校も始まったばかりだ。目と手の届く範囲でやることは沢山ある。
しかし、カーミラはきょとんとした顔で、首を傾けた。
「片付いた? じゃが、この山には……」
「え、なに?」
「まあ、よいわ。わらわにも確信はないし、たまには不吉な予言はやめといてやろう」
カーミラは小さくつぶやくと、ふわりとゼノスの後ろに回り込んだ。
「それはそうと、【銀狼】という女は水浴び中らしいではないか」
「ん? ロアがそう言ってたな」
「覗きにいかんでいいのか?」
「何言ってるんだ、この浮遊体」
いつも通り突っ込んで山小屋に向かおうとすると、カーミラはもう一度耳元で言った。
「本当によいのか。さっき数人の男がこそこそと森の奥の泉に向かっていたぞ」
「……え?」