第228話 反撃開始
前回のあらすじ)洞窟の先に待ち受けていたのは大量のアイアンコングと、それを指揮するA+級魔獣カイザーコングだった。カイザーコングの投げ入れた大岩で沈黙した冒険者たちだが――
「……」
カイザーコングは崖下をじっと見つめると、骨ばった指先を下に向ける。
配下のアイアンコング達が慌ただしく動き始め、岩壁の途中まで太い蔦を垂らした。
それをロープのように伝って、一匹、また一匹と、魔猿達が穴底に降り立っていく。
配下が全員降りたのを確認すると、カイザーコングは蔦を握って底へと向かった。
死体を確認し、引き上げ、贄にするのだ。
両手を合わせて、腕ごとゆっくりと振り上げる。
みりみりと音が鳴り、毛むくじゃらの腕が三倍ほどの太さになった。足元の大岩を叩き割ろうと、それを思い切り振り下ろす。が――
「オゴアアアッ!?」
拳が岩に触れる前に、その表面に縦線が入った。
次の瞬間、大岩が中心からぱっくりと割れ、亀裂から冒険者達が飛び出す。
「絶対死んだと思った」
ジョゼがぶはっと息を吐き、
「がっはっは。またゼノス殿に助けられた。いっそわしと添い遂げんか」
カイゼルが大声で笑う。
「言ってることおかしいぞ、じいさん」
漆黒の外套を翻して、ゼノスは岩の上に降り立つ。
そして、アイアンコング達を睥睨した。
「悪いが、死んだふりはお前らだけの特権じゃないぞ」
大岩が直撃する瞬間、防護魔法で全員を守った。
そして、息をひそめて魔獣達が崖下に降りてくるのを待っていたのだ。
「……少し助かった」
アスカがわずかに身をかがめ、鞘から引き抜かれた真っ白な刀身が陽光に煌めく。
「《風舞い》」
ウォンッ!
鋭利な嵐が空間に吹き荒れ、たった一振りで二十匹ほどのアイアンコングが上下に寸断された。
「め、めちゃくちゃだ」
ジョゼがあんぐりと口を開け、カイザーコングは後ろへ大きく下がった。
「ゴアアアッ!」
危険な相手と判断したのか、その場を離脱しようと、跳び上がって崖上から垂らした蔦を掴む。
だが、その蔦が突然支えをなくしたように、カイザーコングとともに穴底に落下した。
「あれ、ロア?」
いつの間にかロアが崖の上に立っている。
乱戦の間に気配を消して岩壁を登っていたのだろう。なかなか器用な真似をする。
蔦を切断したロアは、眼下のカイザーコングを指さして言った。
「あんたは逃がさない。集落の仇っ」
「ギイィィッ!」
カイザーコングが牙を剥いて吠えた。
残りのアイアンコング達が、盾のようにカイザーコングの前に立ちはだかり、足元の岩を崩して投石を再開する。
「また岩……」
眉をひそめるアスカの両脇を、カイゼルとゼノスが駆け抜けた。
「【銀狼】。強烈な一撃を放つには、少し溜めがいるのだろう? 吸血獣で多少血を失って、わしも本調子ではない。今日は譲ってやる。雑魚はわしらに任せろ」
「アイアンコングは別に雑魚じゃないぞ?」
ブラッククラスやプラチナクラスの冒険者はやはりどこかおかしい。
ゼノスは前を向いたまま声を上げた。
「ジョゼ、回復を頼むっ」
「あ、ああっ」
前方からの投石をいなしながら、飛び掛かってくるアイアンコング達を《執刀》で切り伏せる。
防護魔法が途切れた瞬間に多少怪我を負っても、特級治癒師が治してくれる。
カイゼルのサポートは……まあ、いいだろう。
強者が揃っているおかげで、自分の戦闘だけに集中できる。こんな感覚は久しぶりだ。
「ゴアアアッ!」
カイザーコングの咆哮が山々にこだます。
カイゼルとゼノスの奮闘で、アイアンコング達が作った囲いに亀裂が生まれた。
「行け、アスカっ!」
「《風縫い》」
わずかな隙間を刺すように、不可視の突きが空間を真っすぐ抉り、カイザーコングの脇腹に大穴を開ける。
「ギギイイイッ!」
カイザーコングは脇腹を不思議そうに押さえた後、苦しげに呻いて仰向けに倒れた。
「……」
アスカが白刃を鞘に戻し、おもむろに踵を返す。
「まだだっ、師匠!」
崖上から跳び下りたロアが、そのまま倒れ伏したカイザーコングの胸に刃を突き立てた。
「ギャアアオオオオッ!」
「こいつらは死んだふりが得意だっ」
「ロアっ」
振り払われて跳ね飛ばされたロアを、ゼノスが咄嗟に受け止める。
「そうだった……助かった」
私は師匠じゃないけど――、と付け加え、【銀狼】は再び剣の柄を握った。
怒りに燃えるカイザーコングが長い両手を足元の岩に突き刺し、力任せに岩石をひっくり返す。
巨大な岩盤が空中で回転しながらアスカに迫るが、現代の剣聖はわずかに腰を落としたまま微動だにしない。
「――《風斬り》」
斬りあげられた斬撃が先鋭な衝撃波となって、巨岩を真っ二つに割る。
その先にいたカイザーコングの股から頭頂部まで縦線が入り、亀裂部から赤黒い血を吹き出しながら、断末魔の雄たけびが山々に轟く。
そして、今度こそカイザーコングは轟音とともに仰向けに倒れた。
山に静寂が戻り、崖下に吹きだまった風が、土埃を巻き上げていく。
「これ、が……冒険」
後方でパーティの治癒を担当したジョゼが、肩で息をしながら座り込む。
ロアを下ろしたゼノスが、現役最年少の特級治癒師に近づいた。
「読んだり聞いたりするのとは全然違うだろ」
「……そう、だね」
空を仰ぐジョゼに、カイゼルが肩をごきごきと鳴らしながら言う。
「さすがに疲れたわ。筋肉で無理やり締めた傷が何度も開いたが、お嬢ちゃんのおかげで助かったぞ」
「だから僕は……いや、もうなんでもいいや」
ジョゼは腰を下ろしたまま諦めたように笑った。
百匹はいた配下のアイアンコング達も軒並み倒されている。
ゼノスは呆れた調子で、還暦を迎える冒険者に視線を向けた。
「なんでその体調でそんなに動けるんだよ、カイゼル」
「そういう貴殿こそ、わしより多く倒しておるではないか」
「ま、とりあえず任務は一段……」
ゼノスはそこでふとクミル族の少女に目を向ける。
ロアはいつの間にか仰向けに倒れたカイザーコングのそばにいた。
懐の布袋から取り出した黒い獣毛をじっと見つめて、どこか茫然とした顔でつぶやいた。
「違う……」
「……」
その様子を無言で眺めていたアスカが、ゆっくりとロアに近づき、ぽんと頭に手を乗せた。
「……帰るよ」
「あっ、は、はいっ」
ロアは少し驚いたように頷く。
座り込んだままのジョゼが、どこかうんざりした顔で言った。
「帰るって……毒の洞窟を通る訳にはいかないよね」
「まあな、だから岩壁を登って帰る感じだな」
「がっはっは、いい運動になりそうだ」
「やっぱり冒険なんて嫌いだっ」
戦闘を終えた即席パーティが和気あいあいとやりあっている後方で、ようやく目を覚ました【髑髏犬】のメンバー達が、悔しげに歯噛みしていた。
これまで他人の手柄を直前に奪うことで、短期間で成果を上げてきた。それなのに今回は何もできず、むしろ大事なところを全てもっていかれたのだ。美しき剣聖の横顔を睨みつけるが、まるでこっちの存在を忘れているかのように一瞥すら向けられない。
「おい、どうすんだ、ビーゴ」
「……」
【髑髏犬】のリーダー、ビーゴは少し黙った後、静かに言った。
「……元凶は倒され、七大貴族の任務は達成された。それをやったのは俺達だよな」
「あ?」
ビーゴは暗い瞳で、冒険者達を見つめる。
「まだ終わってねえ。手柄の横取りが俺の流儀だぜ?」