第212話 野営地の決闘【3】
前回のあらすじ)剣聖への弟子入りを望むロアの願いをかなえるため、剣聖アスカに話しかけようとしたゼノスだが、アスカからプラチナクラスの槍使いカイゼルとの勝負を指示されてしまう
薪がぱちんと弾け、火の粉が周囲に舞った。
異様な雰囲気を感じ取ったのか、いつの間にか他の冒険者達も焚き火の周囲に集まってきている。
カイゼルが、じろりと睨んできた。
「確か……【特別招集者】か。貴殿の冒険者クラスは?」
「いや、そもそも俺は冒険者じゃないが」
老兵の太い眉がぴくりと上がる。
「冒険者ですらない者が、我が無双の槍と交えようなど、ふざけているのかっ」
「いやいや、文句を言いたいのは俺だ。どういうことだ、【銀狼】」
二人の非難の視線を受けて、アスカは薄紅色の唇を開いた。
「私は……人の顔や名前を覚えるのがとても苦手。印象に残った相手しか覚えられない。でも、なぜかあなたは一回会っただけで覚えていた。その理由を知りたい」
「え、そんな理由で、俺はプラチナクラスの槍使いと戦わされる訳?」
リュックの中から浮遊体の爆笑が聞こえてきそうだったので、ぽいと遠くへ投げた。
それを了承の合図と感じ取ったのか、カイゼルがゆっくりと近づいてきた。
「ふん……とんだ茶番だが、まあよい。この男を薙ぎ倒せば、手合わせに応じてくれるのだな」
「薙ぎ倒されたくねぇぇ」
「ちょっと待ってよ」
ジョゼが両手を広げて、割って入ってきた。
止めにきてくれたのかと思ったが、少年は得意顔で指を一本立てる。
「勝負の条件くらいちゃんと決めたら? 後でぐちゃぐちゃ言われても困るしさ」
「おい」
むしろノリノリだった。そういえばこいつは治癒魔法に興味はないが、他人の愚かな冒険譚は好物だと言っていた。
結局、最初に相手に一太刀入れたほうが勝ちということになる。ただし、相手を殺してはいけないので、それぞれ木の枝で作った槍状の棒と木刀を持つことになった。あくまでベイクラッド卿の依頼が優先であり、戦力を無駄に削る訳にはいかないからだ。
ゼノスは大きく肩をすくめて、剣聖に目を向ける。
「仕方ないからやるけど……【銀狼】、それなら俺からも条件がある」
「……何?」
「もし俺が勝ったら、うちのロアと手合わせしてくれないか。弟子入りに相応しいか、あんた自身で確かめて欲しい。こっちも無茶振りを受けるんだ。あんたにも条件を飲んでもらうぞ」
「ゼノス先生……」
後ろのロアがつぶやく。
弟子入りを志願するための立ち合いに、アスカが乗ってくれるかが最大の問題だった。
そういう意味では、交渉の余地はできたことになる。
「……いいよ」
アスカは少し沈黙した後、ゆっくり頷いた。ゼノスが負ければ、どうせ槍使いと手合わせすることになる訳で、どちらに転んでも手間は一緒と考えたのかもしれない。
「無用な相談だ。わしがどこの馬の骨とも知らぬ男の後塵を拝することなど万が一にもあり得ぬ」
カイゼルは槍に見立てた細長い枝を、手の中でくるくると回した。
感触を確かめるようにゆっくりと握り、構えを取る。
そして、一言――
「あまり舐めるな。小僧」
突然の戦闘態勢。
正面に立つと、見えない巨大な壁に押し潰されるような圧力を感じる。
老いてなお鋼のごとき肉体から闘気のようなものが立ち昇り、ただでさえ大柄な姿が一回り以上大きく見えた。
観客となった冒険者の何人かが、腰が抜けたようにその場に座り込む。
これがプラチナクラスの冒険者。
「やっぱり本物はアストンなんかとは違うな……」
正直、ただのヒーラーが普通に戦って勝てる相手ではない。
「はっ!」
カイゼルが突然握った木槍を一突きした。轟音。衝撃。とんでもない圧で身体が吹っ飛ぶ。
「うおっ」
なすすべなく後方へと飛ばされ、ゼノスは地面を二、三度転がった。
「ひゃははっ、一瞬じゃねえか。だせえっ」
ビーゴの大笑いが響き渡る中、カイゼルがゼノスに背を向ける。
「【銀狼】。では、わしと勝負を――」
「ちょっと待て」
背中からの声に、カイゼルは一瞬動きを止め、ゆっくり振り向いた。
ゼノスは身体の土を払いながら、手をついて立ち上がる。
「ルールは先に一太刀当てたほうが勝ちだろ。まだ当たってないぞ」
「……」
眉をひそめるカイゼルに、剣聖アスカが静かに言った。
「うん、当たってない。木剣でちゃんと防いでいた。わかっていたでしょ?」
「まさか起き上がってくるとは思わなんだ」
カイゼルは再び木槍を握り直し、無造作に距離を詰めてくる。
――あぁ、びっくりした。
ゼノスは木剣を構えて、ふぅと息を吐いた。
能力強化魔法で動体視力を極限まで高めて、突きの軌道を見極めて木剣で防ぐ。
通常なら、槍無双の一撃に木剣程度はあっさりへし折られるはずだが、瞬間的に防護魔法に切り替えて木剣の硬度を強化したのだ。防護魔法は原則生き物が対象だが、服のように直接触れているものには適応できる。
しかし、予想以上の衝撃で踏ん張りがきかず、思い切り吹き飛んでしまった。
カイゼルが、突如踏み込みを大きくした。
「はっ!」
勝負が再開し、老冒険者の突きが再びゼノスに炸裂。
木剣の腹で受けつつ、今度は足の筋力強化にも魔力を割いて、衝撃にも備える。
命ごと刈り取るような突きが続き、ゼノスがそれをなんとか受ける展開が続いた。
木槍が木剣を穿ち、衝撃音が間断なく鳴り響く。
最初は野次のような声が飛んでいたが、いつの間にか言葉を発する者はいなくなっていた。息を呑むのも忘れて、プラチナクラスの絶対強者と渡り合う名もなき男の一挙手一投足に、注目が集まっている。
だが、こっちは必死だ。
動体視力の連続強化で、目が血走っているのを感じる。あまり長くは持たない。
「うぬあぁぁっ!」
少し焦れてきたのか、カイゼルは槍を大きめに引いた。
直後に繰り出される渾身の突き。これまでとは威力も速度も段違いだ。
――今だ!
ゼノスはそれを受ける――と、見せかけて、大きく身体を捻った。
「なにっ!」
防護魔法は使わず、その分の魔力を足腰の身体機能強化に振り分ける。
回転しながら突きをかわし、勢いのまま、右手に持った木剣をカイゼルの脇腹へと打ち込もうとする。
「笑止っ!」
しかし、カイゼルは空を切った木槍を、そのまま真横へと払った。
回転する木剣の軌道より、平行移動する槍の軌道のほうが短い。
木槍の腹が、ゼノスの胴を捉えようとした直前――
「《執刀》!」
ゼノスの残った左手に真っ白な刃が出現し、木製の槍は真ん中からすっぱりと切断される。
槍の先端は、遠心力で回転しながら、遠くの繁みまで飛んで行った。
半ばから切り取られた槍を茫然と眺めるカイゼルの脇腹を、ゼノスは木剣でぽんと叩く。
「はい、一本。正攻法じゃなくて申し訳ないが、一本は一本だ」
息をついて言うと、一部から小さな歓声が上がった。
カイゼルは一介のヒーラーが普通に戦って勝てる相手ではない。
そう、普通では。
唯一有利な点は、カイゼルはゼノスの情報を何も持っていないことだ。防護魔法で突きを防ぎ続け、踏み込みが大きくなる瞬間を狙っていた。相手の武器が急造の木槍であることもわかっていたので、《執刀》を使えば切断できると判断した。
カイゼルは信じられない、といった風につぶやく。
「このわしが、負けた……? 奥の手を隠していたとは……今の白い刃はなんだ?」
「ちょっとした小技だ。別に勝ったとは思ってないよ。そもそも、あんたの本来の槍を使えば、防ぐことも切ることも容易じゃなかったはずだ。一発勝負の特殊ルールだから騙し討ちで取ったようなもんだ」
「ふぅん……」
アスカが口元をわずかに上げる。それは初めて見た笑顔と呼べるものだった。
「いやいや、だからおたくは一体何者?」
ジョゼが口をぽかんと開いて首をひねり、
「わぁ」
魔獣使いミザリーが小さく拍手をして、
「ちっ……」
ビーゴが舌打ちをして離れていく。
やがて、カイゼルが「ふあっはっはっは!」と大声で笑い始めた。
暗闇の空に浮かぶ星々をしばらく名残惜しそうに見上げ、老冒険者はゼノスに視線を戻す。
「貴殿、名前は?」
「……ゼノス」
「ゼノスか。なるほど、世界はやはり広いな。騙し討ちというが、ルールが変われば貴殿は別の戦い方をしたはずだ。まだ手の内を隠しているな」
「買い被りだ。こっちはぎりぎりだよ」
「ふ……はははっ、この年まで生き長らえてよかったわ」
カイゼルは、ゼノスの背中を大きな手の平でばしんと叩いて、上機嫌でその場から歩き去って行った。
「痛……背骨が折れるかと思った」
背中を押さえるゼノスの前で、アスカがすらりと立ち上がる。
「あなたはやっぱり面白い」
艶然と微笑んだ彼女は、白い鞘に入った剣を右手に持ち、銀眼をロアに向けた。
「じゃあ、約束通り、やろうか」