第201話 貧民街の学校【後】
前回のあらすじ)貧民街の学校の校舎が完成し、聖カーミラ学園と名付けられた
「じゃあ、早速授業とやらを始めようかい」
ゾフィアの号令で、聖カーミラ学園の第一号の生徒約三十名が、一階の教室に移動する。
学校の運営としては、とりあえずは週に1回午前中の授業から始めて、昼食を摂って解散という流れにしている。まずは座って授業を受けることに慣れてもらう必要があるからだ。その後は子供達の状況を見て少しずつ変えていく予定だ。
ゼノスや亜人の頭領たちが後ろで見守る中、記念すべき最初の授業の担当教師が、硬質な靴音とともに教室のドアを開けて入ってきた。
ふわりと揺れるブロンドの髪。光沢のある手製のブラックスーツに身を包んだのは――
「ふふふ、リリ先生と呼びなさい!」
眼鏡をかけたエルフの少女だった。
「なぜ眼鏡……」
教師役が眼鏡をかけているのはどこかで見た光景だ。
「みんな、おはよう!」
「リリ先生、おはよー!」
子供たちの元気のある挨拶を浴びて、リリは「むふふ」と口の端を上げる。
貴族学園ではイリアという元市民の少女から家庭教師のような形で初等教育を学んだ。特にリリはゼノスが教員業務に勤しんでいる日中もこつこつと勉強をしていたようで、王国の初等教育の基礎は大体掴んだようだ。
リリはこほんと咳払いをして、教室を見渡した。
「では、授業の前に、補助教員を紹介します」
幼い教師の案内で中に入ってきたのは、リリと同じくブラックスーツをまとったリザードマンの男だ。
「ガキ共ぉ、しっかり勉強しろよぉ」
柄の悪い一言を放つその補助教員は、ゾフィアの弟ゾンデである。
「あいつが先生役だなんてねぇ」
弟の雄姿を眺めたゾフィアが感慨深そうに眼を細めた。
突発的に診療が入るゼノスは、いつも授業に立ち会える訳ではなく、リリは下手をすると生徒よりも年下のため、教室をまとめられるかわからない。
そこで校舎の改修とともに、補助教員の選定を行ったのだ。
教科書を使って勉強会を開いたところ、意外にも好成績を上げたのがゾンデだった。
ゾフィアの右腕として盗賊団の実質的な組織運営や金銭管理をやっている経験が活きた形だ。
「くはは、嫌というほど計算させてやる。数字の悪夢を見やがれぇ」
どこぞの悪役にしか見えないが、台詞そのものは至って真剣である。
いや、真剣なのか? よくわからなくってきた。
ちなみにゾンデもしっかり眼鏡をかけている。
「それじゃあ、教科書をめくってください」
リリの一言で、最初の数理の授業が始まった。
教科書を示しながら、リリが数字の読み方と書き方から解説を始めている。
当面はリリとゾンデの二人で読み書きと計算を教え、時々ゼノスが歴史や地理や治癒魔法学、必要に応じて亜人の頭領達が生きる知恵のようなものを教える予定だ。
簡単な数字を学んだ後、リリは眼鏡の端を押し上げて言った。
「みんないいですね。じゃあ、次は足し算のお勉強をします」
闇市で手に入れた黒板に、リリが「1+1」などの単純な数式を書いて解説をする。
「じゃあ、わかる人」
「はい」「はいっ」と何人かの子供達から手が上がる。
「おぉい、正解だ。やるじゃねえか、坊主っ。うちの盗賊団に入るか?」
指を使って必死に数える子供達に、ゾンデが謎の褒め方をしている。
そんな感じで初回の授業は和やかな雰囲気で進んでいったが、ふいに教室の後ろで声がした。
「なんか、物足りねー」
気怠そうに机に片肘をついているのは、褐色肌の少女だ。
年は十代半ばくらいで、草原を思わせる新緑色の髪を後ろで一つにまとめている。しなやかな体躯と、子供にしては鋭い眼光が、どこか野生を感じさせた。
「ほぅ……」
ゾンデが眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。
「俺達の授業にケチをつけるとは、いい度胸じゃねえか、ロア」
「ケチつける訳じゃないけど、数字だの計算だのちまちまやるんじゃなくてさ。あたしは剣士になって冒険者をやりたいんだ。もっとそういうことを教えてくれよ、ゾンデ」
「ええと……」
ゼノスはゾンデと少女を見比べる。
あまり見かけない娘だ。少なくとも今まで治療院に来たことはないはず。
「あいつはクミル族出身で、数年前に貧民街に流れついたんだ。身よりもないから、時々うちで飯食わせたり、面倒見てやってるんだよ」
隣のゾフィアが溜め息をつきながら言った。
クミル族は狩りで生計を立てる山間の少数民族だった気がする。
ゾフィアは腕を組んで、少女に諭した。
「ロア、貧民は冒険者にはなれないんだ。無理言うんじゃないよ」
「だって……」
少女は不満げに口をとがらせると、ゼノスに髪と同色の瞳を向けた。
「あんたゼノス先生だろ。昔冒険者をやってたって聞いた」
「まあ……一応な」
とは言え、正式な冒険者資格を持っていた訳ではなく、今思えばパーティに付随した無償の便利屋だった。それでも各地を冒険したのは事実だ。
「なあゼノス先生、冒険って楽しいんだろ?」
「え、俺に冒険者時代の話を聞く? いい思い出はないが?」
「え?」
困惑するロアを前に、ゼノスはぼりぼりと頭を掻く。
「いや……いい思い出がないのはパーティに関してだな。冒険そのものは確かに楽しかったよ。世界の広さを少しは知ることができた」
黄金に輝く稲穂の海。
極彩色の蝶が空を舞う丘。
無数のアンデッドが巣食う旧大貴族の巨大邸宅。
いまだ底にたどり着いた者がいないと言われる地底洞窟。
世界は謎と不思議と浪漫に満ちている。
冒険者ギルドは友好国のギルドと提携しているため、冒険者資格があれば外国にも入れるし、ランク次第だが、魔獣が多発するどこの国にも属さない土地の探索も許可される。
「へ~」
さっきまでとは打って変わって、ロアの目がきらきらと輝いた。
「そう、そういう話が聞きたいんだ!」
興奮して立ち上がったロアを見て、ゾフィアが溜め息をつく。
「先生からも言ってやっておくれよ。ロアの奴、勝手に冒険者の真似事をしてるみたいでさ」
「冒険者の真似事?」
「噂で聞いたけどさ、裏山の魔獣を狩ったりしてるんだろ」
ロアは悪びれる様子もなく、胸を張った。
「いいじゃん。実績を作って、冒険者ギルドがあたしを認めざるを得なくしてやるんだ」
「危ないだろ。あんたはまだ子供なんだ」
ゾフィアの忠告にも、ロアは余裕の笑みで返す。
「心配いらないよ。なんせあたしは剣聖の娘だから」
「剣聖……の娘?」
ゼノスが問うと、ロアは嬉しそうに頷いた。
「そう、ゼノス先生も冒険者やってたなら知ってるだろ。剣聖と呼ばれた男。何を隠そう、あたしはその血を引いてるんだ!」
「でた、ロアの嘘」
「嘘つきロア」
すぐに他の子供達が少女をからかう。
「嘘じゃねえって!」
やり合う子供達を前に、ゼノスは腕を組んで言った。
「俺がやってたのもある意味冒険者の真似事みたいなもんだから、強くは言えないが……冒険は楽しいこともあるけど、同時に厳しいぞ。魔獣や魔物は相手が子供だからって決して手加減してくれないからな」
むしろ中には子供を積極的に狙ってくる魔獣もいるくらいだ。
「ふん……夢を語っても誰も笑わない学校にするんだろ」
「まあ、そうだが」
ロアは肩をすくめて、大人たちと子供たちを睥睨する。
「ま、いいや。いずれ皆があたしの腕を認めることになるからさ。じゃ」
「ちょっと待ちな、ロア」
ゾフィアの制止も聞かず、ロアは軽やかな身のこなしで教室を出て行った。
「ったく……勝手な奴なんだから」
「あいつ、昔の姉さんみたいだよ」
「やかましいよ、ゾンデ。ま、だから放っておけないんだけどさ」
リザードマンの姉弟が困り顔で嘆息する中、壁に立てかけた杖がぶるんと一度震えた。
「何かが始まる予感がするのぅ……」