第200話 貧民街の学校【前】
前回のあらすじ)「病が近づいている」という聖女の予言。ザグラス地方の魔獣増加の調査に関してベイクラッド卿が対象者の選定を始めていた。
ハーゼス王国、王都。
最高権力者たる王族の住む王宮を中心に、貴族の居住区である特区、その周囲に市民の憩う街区が広がっている。王都の背後には手つかずの山林が聳え、忘れられた民の住まう貧民街はその山々と街区の間に位置している。
さらに街区と貧民街の中間には、両者を隔てるように、かつて伝染病で滅んだ街――廃墟街が帯状に横たわっていた。
今、その一画に様々な種族の貧民たちが集結している。
早く早くとまわりから背中を押されながら、漆黒の外套をまとった男が集団の最前列に立った。
「おぉ、やっとできたな……」
治療が終えたばかりの無ライセンスの天才治癒師、闇ヒーラーのゼノスは肩で息をすると、ゆっくりと視線を上に向け、感慨を込めて言った。
「うん、できたよ、先生」
リザードマンの首領、ゾフィアが笑顔で口を開く。
「リンガは猛烈に感動している」
ワーウルフのボス、リンガは獣耳をぱたぱたと動かした。
「うむ、ようやくだな」
オークの頭領、レーヴェも筋肉質の腕を組んで頷いた。
一同が見上げるのは、朝の陽射しを浴びた真新しい木造の校舎。
廃墟街の放置された建物を、治療院の関係者たちが総出で改修した貧民のための学校である。
「ようやくだな」
師匠との出会いでゼノスの人生は変わった。
ここはその恩を次の世代に還元するための場所であり、そのために貴族の子弟の通う学園にわざわざ臨時教師として出向いたのだ。その甲斐あって生徒から初等教育を学び、七大貴族の令嬢の好意で大量の教科書を得ることができた。
「リリ、わくわくする……」
きらきらした目を学び舎に向けたエルフの少女リリは、ふと気づいたように頬に人差し指を当てた。
「ところで、学校の名前はどうするの?」
亜人達が首をひねる。
「え? 学校は学校だろ」
「リンガも学校だと思う」
「うむ、学校以外の何物でもないぞ」
「いや、そうじゃなくて。ほら、貴族の学校はレーデルシア学園っていう名前だったし、せっかくだから名前があったほうがいいんじゃないかって」
「名前か……」
ゼノスが相槌を打つと、すぐにゾフィアが右手を挙げた。
「だったら、ゼノス学園じゃないかい?」
「いやいや、俺はそんなえらそうな立場じゃないぞ」
ただの発案者であり、自分の名前を冠するのはなんだか気恥ずかしい。
「確かにゼノス殿は闇ヒーラーだし、名前が目立つのはよくないとリンガは思う」
リンガが同意を示す横で、レーヴェがぱちんと手を叩いた。
「いいことを思いついたぞっ。闇営業の学校だから、闇の学園はどうだ?」
「リリ、そんな名前の学校にはあまり通いたくない……」
あれこれと案を出し合っていたら、リリの持つ杖から、不穏な笑い声が響いた。
「くくく……」
最高位のアンデッドであるレイスのカーミラの声だ。
「名前の議論など無用じゃ。既に決まっておるからの」
「そうなの?」
「建物の側面を見てみい」
言われた通り校舎の横に回り込むと、歪な形の看板が木組みの壁に打ち付けられており、赤い塗料ででかでかと文字が描かれていた。
「聖カーミラ学園……?」
「ふはははははっ! どうじゃっ、溢れんばかりの気品と叡智のつまった名前だと思わんか。わざわざ夜なべをして看板から手作りしたんじゃあっ」
「暇か」
これほど死後の人生を謳歌しているレイスが他にいるだろうか。
高笑いを響かせる杖を、ゼノスは横目で眺める。
「でも……ま、いいけどな。名前はないよりあったほうがいいと思うし」
「え?」
亜人達も口々に賛同を示した。
「そうだね、あたしも異論はないよ」
「いやいや」
「リンガも賛成。もし中央から学校の存在を咎められた時に、存在しない人物の名前をつけておいたほうが都合がいいと思う」
「存在しとるが?」
「うむ、守護霊に守られている感じもするしな」
「誰が守護霊じゃっ!」
なぜか杖から、がっくりした声が聞こえる。
「え~……」
誰も突っ込まないと、それはそれで納得いかないらしい。
「リリもいいと思う。なんだか縁起がよさそうな名前だもん」
「貴様ら、わらわが最高位アンデッドであることを忘れておらんか……?」
不満げなレイスを伴って、一同は聖カーミラ学園の校舎内に足を踏み入れた。
建物は三階建てで、一階が教室、二階に図書室や多目的室や食堂、三階に講堂がある。
三階の講堂に赴くと、既に通学を希望した貧民の子供達が勢ぞろいしていた。
「じゃ、先生。一言頼むよ」
「リンガもそう言おうと思っていた」
「ゼノスの一言がなければ始まらんな」
「そういう柄じゃないんだがなぁ……」
確か貧民街の夜祭りでも、開会の挨拶を任された気がする。とはいえ、今回は発案者でもあるので、何も言わない訳にもいかないだろう。
ゾフィア達に促され、ゼノスは頭を掻きながら子供達の前に立った。
真剣な表情をした子供達の視線を受け、ゼノスは言った。
「夢は…………きっと叶う」
子供達の年齢はばらばらで、様々な種族の亜人がいるし、人間もいる。
共通しているのは王国の底辺に位置付けられているという点だけだ。
ゼノスは生徒となる少年少女を見渡した。
「――なんて、綺麗ごとを言うつもりはさらさらない。この国は貧民にはとことん厳しいし、国籍もない俺達はたとえ外国に行っても厄介者扱いだ。そもそも夢以前に明日食べるものの心配が先だという奴らも多いと思う」
何人かが諦めたように笑い、何人かはその通りとばかりに悲しい顔で頷く。
「だから、自分達の居場所は、自分達で確保しよう。そのためには知恵がいる。知識がいる。技術がいる。そして、仲間がいる。ここがそういう場所になったら嬉しいと思っている」
師匠の笑った顔を思い出しながら、ゼノスは続けた。
「いつか、夢はきっと叶う、と言った時に、誰も笑ったり悲しんだりしないような場所になるといいよな」
「ゼノス……」
リリの声を耳にしながら、ゼノスは一同を指さした。
「……っていうのは建前だ。とりあえず子供の利用料は無料だが、出世払いが大前提だからな。大いに勉学に励んで、大いに出世して何倍にもして還元しろ。対価のない労働はごめんだからな。絶対だぞ!」
一瞬の沈黙の後、すぐに講堂から割れんばかりの拍手が巻き起こる。
思わぬ反応にゼノスは二、三度瞬きをし、頬をぽりぽりと掻きながら後ろに下がった。
「こうして、後に何人もの偉人・要人を輩出することになる伝説の私塾、聖カーミラ学園の歴史が幕を開けたのだった――」
「……なに、その実況?」
壁に立てかけた杖が、ぶるりと震える。
「くくく……レイスの予感は当たるからの」