第199話 プロローグ【後】
前回のあらすじ)貴族の最高権力者達による七大貴族会議で、参加者の一角ミネルヴァ卿が「病が近づいている」という聖女の予言を明らかにした
七大貴族会議。
ミネルヴァ卿の一言を受け、ギース卿がわずかに背筋を伸ばした。
「病が近づいている……聖女様は本当にそう言ったのかね、ミネルヴァ卿」
「あら、私が嘘をついていると?」
「大事なことだから確認をしたいだけだ。病の程度は?」
「【最重症】」
弛緩しかけた室内の空気に緊張感が混じる。
ギース卿は組みかけた腕を止めた。
「【最重症】だと? 冗談ではあるまいな。重症ですら滅多に聞いたことがないぞ」
「聖女様のお言葉は絶対よ、ギース卿。我が国の繁栄の歴史を知らない訳ではないでしょう」
「……わかっている」
ギース卿は鼻を鳴らした。
「聖女様の予言は当たる。しかし、問題はそれが一体何で、いつどこで起こるかだ。最も肝心な部分がいつも曖昧だ」
「だから、我々がいるのでしょう。ギース卿」
フェンネル卿が横から口を出した。
「我々のもとには国内外の多くの情報が集まる。それらの情報と権力を駆使して、これまでも国難に立ち向かってきたではないですか」
「ま、我々にも把握しきれない存在はありますがね」
アルバートが不敵に笑ったが、それは誰の耳にも届かなかった。
貴婦人然としたミネルヴァ卿がヴェールの奥の瞳を一同に向ける。
「誰か心当たりはあるかしら? 過去に【重症】の予言があった時は、伝染病で街が廃墟になったり、自然災害で都市が潰れたこともあった。【最重症】の病の兆候を掴んでいる者は?」
「もっとも気になるのは帝国の動きだろうな」
円卓の一人がおもむろに言った。
近年急速に力をつけてきた隣国のマラヴァール帝国とは、国境の小競り合いが続いている。
「外ばかりに目を向けると足元をすくわれるぞ。国内の反乱の芽こそくまなくつぶしていくべきではないか」
別の者が意見を出した。
ハーゼス王国は厳格な階級制に支配された国家であり、市民たちの体制への不満を逸らすために貧民の存在があることは公然の事実である。
貧民同士がまとまらないように、亜人や犯罪者、少数民族といった勢力を敢えて乱立させた訳だが、一時期彼らをまとめる【仲裁者】の存在が噂されたことがあった。しかし、近衛師団の調査ではまとめ役の存在は否定され、上層部でも今は気にしている者は少ない。
大貴族たちの予想が錯綜する中、フェンネル卿がアルバートに目を向ける。
「貴公の意見は?」
「……」
アルバートは円卓を見渡した後、フェンネル卿に視線を戻した。
「近年、魔獣や魔物の動きが活発化してきているのはご存じですか?」
「いや……それは初耳だ」
「無理もありません。活発化と言っても、毎年少しずつ増えているというレベルですから、肌感覚としては変わりないように思えるでしょう。ただ、各地の冒険者ギルドへの依頼や討伐履歴を分析させると増加傾向がみてとれます。特にザグラス地方」
「ザグラス地方……?」
円卓を囲む大貴族たちがわずかにざわつく。
「確か十年ほど前に災害級――Sランクの魔獣が現れた場所ではなかったか」
王都の南西に位置する、険しい山々が連なる辺境とも呼べる地域だ。
ただ、良質な鉱石が取れるため、王国としては無視できない土地でもある。
「七大貴族会議の合意が取れれば、冒険者ギルドに正式に調査依頼を出しますが」
「動きが早いな。さすが次期ベイクラッド卿だ」
フェンネル卿は感心したように頷いたが、隣のギース卿はどこか面白くなさそうだ。
「ふん、人選はできているのかね? 有象無象を送り込んでも費用がかさばるだけだ」
アルバートはにこやかに頷く。
「少なくともブロンズランク以上の実力派パーティに限定する予定です」
「そんな曖昧な基準では、決め手に欠けるな」
「ご心配なく。【銀狼】に声をかけています」
「なに……?」
「素直に依頼をうける人物ではないですが、今回は事前承諾を得ています」
「……」
唇を引き結ぶギース卿の横で、フェンネル卿が朗らかに笑った。
「素晴らしい人選だ。【銀狼】が動くなら、必ずや病巣をえぐりだしてくれよう」
「そう期待しましょう」
「……ふん、確かに悪くないが、【銀狼】に見合うサポートは用意できるのかね」
あくまでけちをつけようとするギース卿に、アルバートは青みがかった瞳を向ける。
「サポートとは? ギース卿?」
「例えば治癒師だよ。最高の治癒師を用意できるのかね? なんせ事は【最重症】の病だ。【銀狼】とはいえ単独では厳しかろう」
「それでしたら、王立治療院に応援要請を出しています。院長のシャルバード卿が適任者を見繕ってくれるでしょう」
「……ならば、結構」
腕を組んで黙り込むギース卿に、恐縮するような笑みを向けながら、アルバートは別のことを考えていた。
最高の治癒師。
王立治療院には既に声をかけているが、実は他にも適任と思われる人物の顔が浮かんでいた。
しかし、それを口にしないのは、まだ彼の存在をこの場で公にしたくないからだ。
何も持たざる者でありながら、七大貴族の思惑をも超えた人物。
硬直した体制、内憂外患に囚われた国家の病にメスを入れうる者がいるとすれば、それは彼のような、囚われない者かもしれない。
行けと命令して動く人間ではないことは知っているが、一応布石は打った。
これは小さな賭けだ。もし縁があれば、彼は今回の試みに絡んでくるだろう。そして、その縁が濃ければ、我々の運命はいずれまた交差するだろう。
のるか、そるか。
もともと賭けは好きじゃなかった。必ず勝つからだ。
――なのに……僕が誰かに期待するなんてね。
柄でもない己の思考に、アルバート・ベイクラッドは自嘲するように小さく笑うのだった。