第196話 エピローグⅠ
前回のあらすじ)ゼノスとシャルロッテ、二人だけの舞踏会がひらかれていた
「ええぅ、寂しいです。リリさんっ!」
「私もですっ。イリアお姉さん!」
翌日。寮の前で、イリアとリリがひしっと抱き合っていた。
年度の終了とともに、ゼノスの任期も終了となり、Fクラスの生徒達が見送りに来てくれた。
リリとの長い抱擁をようやく終えたイリアが、深々と頭を下げてくる。
「先生、ありがとうございます。私、先生のおかげで……」
「こっちも勉強教えてくれて助かったよ。俺は日の当たらない場所にいるけど、もしお前が治癒師になればいつかどこかで会うかもな」
「……はいっ」
イリアは満面の笑みで首を縦に振った。
貴族にしてはやたら腰が低いのは前からだが、屈託のない笑みに以前のおどおどした雰囲気は見られない。当初の目的だった基礎教育についても、全てとはいかないが基本的な部分を学ぶことができたのはイリアの個人授業のおかげである。
次に前に来たのはライアン。少しだけ照れくさそうに頭をかく。
「ま、あんたにゃ世話になったな」
「そうだな。正直俺は教師らしいことは何もできなかった気がするが、お前に関してだけは全面的にお世話をした自信がある」
「正直すぎるだろ!?」
ライアンの隣に立ったのはエレノアだ。
「先生、その……本当にありがと。私、色々がんばるから」
「ああ、期待してるよ」
真っ青な空の下、大きく頷いた彼女がまとっているのは半袖の夏服だった。
残りの生徒達とも一通り言葉を交わすが、そこに一人だけメンバーが欠けている。
シャルロッテだ。
イリアが申し訳なさそうな顔をして言った。
「あの、シャルロッテ様から伝言がありまして……」
「ほう」
「ええと……日焼けするのが嫌だから私はいかないわ。そもそも上流貴族の私が、どうして下民を見送るためにわざわざ暑い思いをしていかなきゃならないの、だそうです……」
「あいつらしいな」
「その代わり、餞別があるそうです」
校門の脇にやけに装飾の凝った荷車があり、そこに大きな木箱が乗っていた。
蓋を開けてみると、新しい紙の匂いがした。
何冊もの本がうず高く積まれている。
「教科書だ……」
リリが目を丸くして言った。
教科書の上には紙が一枚乗っている。シャルロッテの筆跡で、短い一文がしたためられていた。
――施しよ。ありがたく受け取るがいいわ。
ライアンがそれを見て首を捻った。
「なんだよ、ただの教科書かよ。それもこんなに大量に渡してどうすんだ? 七大貴族なんだからもっと気の利いたもん用意できるんじゃねーのか?」
ゼノスは首を横に振って、口元を緩めた。
「いや、いいんだ。イリア。シャルロッテに礼を伝えておいてくれ。一番嬉しいものをありがとうってな」
「あ、は、はいっ」
シャルロッテは考えたのだ。
もっとも相手が喜ぶであろうものを。
ゼノスは生徒達に手を振り、荷車を押しながらレーデルシア学園を後にする。
陽射しは強いが、頬を撫でる風は涼やかだ。
夏の風に吹かれながら、白亜の校舎で過ごした短くも濃い時間が瞼の裏に蘇る。
「か~、ぺっ!」
「うわ、びっくりした」
突如、リリの持つ杖から、瀟洒な校舎とは真反対の品のない一言が響いた。
「なんで不貞腐れた中年親父みたいになってるんだ、カーミラ」
「いや、あまりにきらきらした青春っぽい流れになっておったからの。我らに相応しいやさぐれ感を演出してやったんじゃ」
「どういう発想!?」
「貴様は本来ああいう眩しい世界の住人ではない。わらわと同じ闇に潜む者じゃろう」
「ま、そうだけど」
「カーミラさん、ゼノスが遠くに行っちゃったみたいで寂しいんだよね」
「ば、馬鹿を言うでない、リリっ」
二人のやり取りを耳にしながら、ゼノスはぽりぽりと頭をかいた。
「どうせ最初で最後の機会だよ。もう身分もばれたしな。貴重な経験だったな」
「リリも貴族のお姉さん達と沢山お話できて楽しかった! 王室御用達のお菓子も美味しかったぁぁ」
リリはとろけそうな顔で空を見上げる。
「ふん、わらわは不完全燃焼じゃ。七不思議を六つしかできなかったからの」
「え、まだその話題する? というか俺は六つも知らないぞ。一体何をやった、浮遊体っ」
「まあよいではないか……」
杖に宿ったカーミラは考える。
廃墟街の闇ヒーラー。
たった一人の人間が長年続いた貧民街の抗争をおさめ、
近衛師団の副師団長や、王立治療院の特級治癒師と繋がりを持ち、
悪の巣窟たる地下ギルドの大幹部会に顔を出し、
七大貴族を筆頭とした貴族の子弟達と懇意になった。
国の底部と頂部の双方にこれだけ通じた者はそうはいないだろう。
この男の存在こそが、最後であり最大の不思議と言えるかもしれない。
「くくく……七不思議より面白いイベントがまだまだ起こりそうじゃ。わらわの青春はこれからじゃああ」
「結局お前が一番楽しんでるよな?」
というか、レイスの青春って何だ。
「はいっ、リリも青春したいです、先生!」
「え、誰に言ってる?」
すっかり生徒役が板についてしまっている。
やれやれと肩をすくめたゼノスは、夏の陽射しに目を細め、荷車を押す手に力を込めた。